読んでいない本について堂々と語る方法 (ちくま学芸文庫 ハ 46-1)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480097576

感想・レビュー・書評

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  • 「教養があるかどうかは、なによりもまず自分を方向づけることができるかどうかにかかっている。(‪⋯‬)教養があるとは、しかじかの本を読んだことがあるということではない。そうではなくて、全体のなかで自分がどの位置にいるかが分かっているということ、すなわち、諸々の本はひとつの全体を形づくっているということを知っており、その各要素を他の要素との関係で位置づけることができるということである」(p.33)

    読書とは何か、(書籍に限らず)何かについて語るとはどういうことかが書かれた本だ。必須とされる本も映画もレコードも、文脈や周囲の状況によっては「摂取しなくてよい」と判断する場面があるはずだ。おそらくそれは正しい。その判断基準(〈内なる書物〉)が育つまでは乱読は推奨されるべきだが、ある程度を超えたらむしろそういう取捨選択ができないといけない。読んでいない本について堂々と語らなければならない場面がどれだけあるかはおくとして、ここにあるような考え方を実感できるか否かはどのジャンルに限らず、読み手としての成熟度が問われるのではないだろうか。

    ところで「読んでいないゲラを堂々と編集する方法」も存在すると思う。原稿と向き合うことは大切な仕事だが本質はそこにないからだ。それ以上に、本が刊行されたことでその書籍がどう位置づけられるかに注意を払うほうが重要なのだ。そんな話もどこかで読んでみたいものだが…。

    「各人に固有の幻想と私的伝説で織りなされているこの個人的な〈内なる書物〉は、われわれの読書欲の牽引役である。われわれが書物を探したり、それを読んだりするのは、この〈内なる書物〉があるからにほかならない。〈内なる書物〉はあらゆる読者が探し求めている幻想的対象であって、読者が人生で出会う最良の書物も、さらなる読書へと誘う、その不完全な断片にすぎない」(p.139)

    「批評というものは、フローベルにとっての小説が現実についての小説ではないのと同様、作品についてなされるものではないといえる。私が本書で問題にしたいと考えたのはまさにこの「ついて」である」(p.258)

    「つまり、教育が書物を脱神聖化するという教育本来の役割を十分果たさないので、学生たちは自分の本を書く権利が自分たちにあるとは思わないのである。あまりに多くの学生が、書物に払うべきとされる敬意と、書物は改変してはならないという禁止によって身動きをとれなくされ、本を丸暗記させられたり、本に「何が書いてあるか」を言わされたりすることで、自分がもっている逃避の能力を失い、想像力がもっとも必要とされる場面で想像力に訴えることを自らに禁じている」(p.272)

  • これは活字中毒者の自分にとって、ちょっと衝撃だった。たしかに自分は、アウトプットを先延ばしにするために読み続けているようなところがあると気づいた。そして本書によって「読まない」という選択肢があることが明確になった。ある種の本は読まない。これ、少しずつ実践してみようと思った。
    それにしても、引用されていたオスカー・ワイルドの「芸術家としての批評家」、格好よかったな。。。手に入るのかな。ってまた読むことを考えている。

  • テクニック本ではないので自分が語れるようになるかどうかは別の話。だけど、世にある全ての本をよめなかったり、読めても全ページを読んでいなかったり、読んだ本の内容を忘れたりすることは当然のことと認識できるようになった。
    「きちんと読めないこと」への羞恥心が消えていったのが一番の収穫。

    本の紹介がうまいので、作中に出てくる本たちも読みたくなる。

  • ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480097576/ … 読んだ、おおお超絶おもしろかった、こういう本大好きだ。既読の定義、内容理解と教養、文化と社会通念と評論。勿論ビジネス書ではなくて評論論(だって筑摩から出てるし)ちょっと加藤典洋を連想した(おわり

  • 私は、本について語る必要がなかったので、この評価ですが、語らなければならない人とっては、少しは役立つかもしれません。

    たしかに一生のうちに読める本は、全ての本の中で奇跡的にめぐり合ったものだけです。
    その意味では、人との出会いと同じ。
    だからこそ、せっかく出会った本は、大切に読みたいと思います。

  • まずタイトルが秀逸である。

    内容を読んでみると、人を食ったようなタイトルに反して極めて全うな読書論である。いろいろと考えさせられることが多い。
    また、日本人である私からすると夏目漱石が取り扱われていてユーモラスに語られているのがなんともうれしい。

  • 本は読んでいなくてもコメントできる。いや、むしろ読んでいないほうがいいくらいだ(jiroさん)

  • 題名が刺激的であるが、これはたいへん示唆に富む読書論である。買った本の積読状態が続き、さらに新たに読みたい本がそれに加わって、はたして自分は一生のうちにこれらの本を読み終えることができるのであろうかと慨嘆していた矢先、この本はまさにそんな思いに捉われていた自分にとっては、まさに天からの啓示のようであった。
    著者は、書かれている内容を知るという重圧から自らを解放して、それらの本を手掛かりにして、自分自身のことを知るべきだと説く。確かに、歴史的な評価がある程度定まっている、いわゆる「名著」の類の本を前にすると、ついその内容を理解することばかりに注意が向けられ、自己をどう発見するかという視点が疎かになる。
    それまでの自分の読書の経緯を振り返ってみて、「読書のための読書」になっていたのではないかと反省させられた。一生のうちに読める本の数は限られている。これからは、どう自分を発見するかという視点で読書するようにしていきたいと思う。

  • 2018/3/31読了。
    じわじわくる。基本的にくすくす笑いながら読み、何度か声を出して笑った。本書自身が「読んでいない本について堂々と語る方法」を縦横に駆使して書かれている。何というお洒落な本だろう。
    嘘を大真面目に騙っているのか真実をふざけて語っているのか俄には摑めない絶妙なスタンスと文体。ゲロルフ・シュタイナーの『鼻行類』を読んだときの気分を思い出した。あるいは上手い落語を聞いたときのような読後感。

  • 「いくら読んでもきりがないというこの事実の発見は、読まないことの勧めと無縁ではない。……本を読むことは、本を読まないことと表裏一体である。どんなに熱心な読書家においても、ある本を手に取り、それを開くということは、それとは別の本を手に取らず、開きもしないということと同時的である。読む行為はつねに『読まない行為』を裏に隠しているのだ。『読まない行為』は意識されないが、われわれはそれをつうじて別の人生では読んだかもしれないすべての本から目を背けているのである。」

    「ムージルと同じく、ヴァレリーも、個別の本ではなく〈共有図書館〉のタームでものを考えることをわれわれに促す。文学について考察しようとする真の読者にとって、大事なのはしかじかの本ではなく、他のすべての本の全体であり、もっぱら単一の本に注意を向けることは、この全体を見失う危険をともなう。あらゆる本には広範な意味の組織に与る部分があり、それを見逃すと、その本じたいを深層において捉えることもできない。
    ただ、ヴァレリーの教えはそこにとどまらない。ヴァレリーはこの態度を個々の本にたいしてもとり、個々の本に関してその全体像を把握するよう促すのである。このミクロな全体が、すべての書物を包括するマクロな全体と照応関係にあることはいうまでもない。このような観点をとるということは、本のしかじかの箇所に埋没せず、本にたいして適当な距離を保つということを意味する。こうしてはじめて、本の真の意味を見極めることができるのである。」

    「各人に固有の幻想と私的伝説で織りなされているこの個人的な〈内なる書物〉は、われわれの読書欲の牽引役である。われわれが書物を探したり、それを読んだりするのは、この〈内なる書物〉があるからにほかならない。〈内なる書物〉はあらゆる読者が探し求めている幻想的対象であって、読者が人生で出会う最良の書物も、さらなる読書へと誘う、その不完全な断片にすぎない。
    書物の書き手が探求し、形にしようと努めるのも、その書き手の〈内なる書物〉だといえるかもしれない。作家というものは、自分が書いた書物にも、出会う書物にも、それがどれほどよくできたものであろうと、絶えず不満足である。だから書きつづけるのだ。たしかに作家は、不断に追い求め、接近するが、けっして到達できないこの完全な書物—つまり自分に見合った書物—の理想的なイメージなしには、書きはじめることも、書きつづけることもできない。」

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著者プロフィール

1954年生まれ。パリ第八大学教授(フランス文学)、精神分析家。『アクロイドを殺したのはだれか』、『読んでいない本について堂々と語る方法』等、多くの著作がある。

「2023年 『シャーロック・ホームズの誤謬』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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