こちらあみ子

著者 :
  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480804303

感想・レビュー・書評

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  • ピクニックだけ読んだ。書いてない心情を読みとる
    力がある人には面白いと思う。自分にはそれがなかった。

  • 悪気のない邪悪さは突き抜けるとピュアでしかない。

  • あみ子のほうは、なぜか怒りを感じた。なんでこんな内容の本を書いたのか。ピクニックも、、、分からない。作者の脳内はどうなっているのだろうか。作者に何か訴えたいことがあるのか。。。

  • とくにピクニックの方は話が深いような気がします。あまりしっくりこなかったので時間が経った後もう一度読んでみたいです。

  • 映画『花束みたいな恋をした』に触発されて読んだ本その1。

    あみ子はいわゆる「空気が読めない」女の子。
    父母の離婚、「弟」の死、兄の不良化、母のうつ病、学校でのいじめ。
    自分が悲惨な状況にいると理解することなく、自分の行動が周りを破壊していると理解することもなく、あみ子は自分の気分に従ってただ生きていく。
    あみ子の周りの人間も、あみ子は「そういう類の子だ」と認定して、あみ子と接するのを早々に諦めている。

    タイトルの「こちらあみ子」はトランシーバーのおもちゃで遊んだ時のことより。
    あみ子にちゃんと向き合って「応答」してくれる人は誰もいなかった。
    いや、もしかしたら、のり君の書道の作品を教えてくれるクラスの男子はあみ子に向き合っていてくれてたかもしれない。
    けれどあみ子にとってその男子は眼中になしで、あみ子側が「応答」しなかった。

    「こちらあみ子」の改題前のタイトルは「あたらしい娘」とあった。このあみ子を「あたらしい」と表現するなんて。


    菅田将暉演じる麦が「その人はピクニックを読んでも何も感じない人だよ」と話す作品「ピクニック」。
    これは(これも)解釈が難しい。
    ピクニックという楽しい響きは、実は最後の、七瀬以外の人でまるでピクニックに行く様子から。
    七瀬の話はどこまでほんとで、どこから嘘だったんだろう。それとも全部ほんとだったのかしら。
    そして同僚の人たちはどこまで信じていたんだろう。あるいは端から信じていなかったのか。それで面白半分で話にのっていたのか。
    私はもしかしたら「何も感じない」側なのかもしれない…!笑

    …と思って、ピクニックの感想や考察をいろいろ読んだ。
    そういうことだったのか、と少し腑に落ちた。
    でもだとしたらこれはホラーというかミステリーの部類だ。
    それを踏まえて再度読んだ。女ってこっっっわ。

    これを読んで「何かを感じれた」側の麦と絹は、確かに「何も感じない」側の人とは”合わない”と思う。そういうことだと思う。やっっと麦の言ってることがわかった。…と、思う。
    この作品を読んですぐに理解できる人は尊敬する。
    今村夏子作品、難しい…

  • はじめての今村夏子さん作品。

    「こちらあみ子」と「ピクニック」の二つの話が収録。

    どちらの話も言葉にするのが難しい、不思議な魅力でいっぱいでした。どこがと言われると難しいですが、間違いなく好きな一冊です。

    (2021年 12冊目)

  • 印象的には、切ない物語。「おーとーせよ。おーとーせよ。こちらあみ子」。あみ子からのこの言葉は、誰にも届かなかった。
    たまたま主人公「あみ子」は、知的障碍者となっている。ただ、私たちの切なる(普通に想う)願いは、世間に届いているでしょうか?私たちの気持ちは、叫びは、世間の常識に届いているのでしょうか?世界は、世の中は、私の関係ないところで決定され、相談もなく、あとから結果だけが伝えられる(既成事実として)。それは本書で描かれる「あみ子」の状況となんら変わりはない。私たちは、「あみ子」でしょうか?そして、その壁は、天井は、越えられないものでしょうか?
    特別にみえるあみ子が、私たちの一面であるかもしれないと感じたとき、私以外のものが理解できないって感じた時、「あみ子」って何だろうと、不思議に疑問を持つ。そして、壊れてゆく「あみ子」が切ない。

    「ピクニック」は、『花束みたいな恋をした』ででてくる、「今村夏子のピクニックを読んでも何も感じない人なんだよ」という言葉が身に沁みる。

  • 『こちらあみ子』
    発達障害だと思われるあみ子。小中学生のころの記憶。
    本人に悪気は全くないのだけれど、結果的に苛立たせ、不快にさせてしまうあみ子。実の親ではないがあみ子を愛した母は鬱のような状態になってしまった。兄はグレてしまった。
    父も悲しい想いをしているが、あみ子には理解できない。

    『ピクニック』
    自分は人気の若手芸人と交際している、と話す七瀬さん。彼女の言うことを信じて”あげている”仕事仲間たち。
    彼が落とした携帯電話を見つけるため、川の泥をさらって捜索する七瀬さん。それを応援する仕事仲間たち。七瀬さんを小馬鹿にする新人。
    芸人の結婚報道が流れた後、七瀬さんは職場に姿を見せなくなった。もちろん芸人の結婚相手は七瀬さんではない。実家に戻った、と支配人は言ったが七瀬さんの部屋からは芸人が出演するテレビのテーマソングが聴こえた。

    ---------------------------------------

    どちらの話も読んでいて複雑な気分になった。感情が動かされることを感動と呼ぶのなら、これは間違いなく感動だ。でも、これはポジティブな感動じゃない。辛くて悲しい、ネガティブな方向への感動だった。ただただやるせない。

    『こちらあみ子』のトラウマになりそうな場面について

    チョコクッキーのチョコだけを食べて、クッキー部分だけを残すあみ子。
    悪気も無く、そのクッキーをのり君に食べさせたあみ子。
    数年越しにその行為に気づき、あみ子の顔面を殴ったのり君。前歯を失うあみ子。

    悲しすぎる。
    あみ子のような、集団生活が難しい生徒は特別支援学校に行くべきだったのかな。字もまともに読めないまま、義務教育を終えるあみ子が不憫だった。
    家族の不幸がすべてあみ子のせいというわけではないけど、何かもっといい方向に向かう手段があったんじゃないかな、と思う。

  • あみ子目線だからか、周りとの温度差が大きいのに淡々と物語は進んでいく。
    なるほどこんなふうにあみ子は感じているのか。

  • 中学生の頃、「ふつう」でないとダメだという
    強迫観念が常にありました。
    「変わってる」と言われるのが怖くて
    まわりの意見ばかりに同調して。
    それでもたまに、
    「変わってるね」と言われてしまうとき、
    そして、そう言った人はどこかいつも鼻高々で
    自分の普遍性に安心して、その人の基準では
    「ふつう」ではない人を蔑んだりする。

    中学生の自分に今は言ってあげたい。
    若くても落語が好きでもいいじゃないか
    川端康成の小説に心が癒されたっていいじゃない。

    私たちは、誰もがあみ子。

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著者プロフィール

1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で「太宰治賞」を受賞。『こちらあみ子』と改題し、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で、11年に「三島由紀夫賞」受賞する。17年『あひる』で「河合隼雄物語賞」、『星の子』で「野間文芸新人賞」、19年『むらさきのスカートの女』で「芥川賞」を受賞する。

今村夏子の作品

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