茗荷谷の猫

著者 :
  • 平凡社
3.56
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本棚登録 : 426
感想 : 114
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  • Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784582834062

感想・レビュー・書評

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  • なんとも・・・不思議な短編集
    少しずつ話がリンクしているのが好みでした
    庄助さんの話は切なかったな・・・笑いの大学を思い出しました

  • 2009/10/04-2009/10/08

  • 少し切なくても、必ず救いはあるんですね。
    ものかなしくても、さわやか。

  • 面白かった!始めは、そうでもないかな、と思っていましたが、読み進めるうちにどんどん面白くなっていく。時系列の構成も効いています。文中に出てくる『憐れ』や、ちょっと怖い話や、切なさや…人の世のいろいろな心が詰められたいい本でした。

  • 九つの短編からなる連作短編集。連作といっても、はっきりしたものではなく、一つ一つは密やかに繋がっている。
    舞台は幕末から戦後、高度経済成長が始まる頃までの江戸、東京。
    どれも淡々と流れ行く物語ばかりだけれど、日々を生きる普通の人々の繊細な心情が浮かんでくるようでした。
    「隠れる」の耕吉さんのラストには唸ってしまった。なんてままならない人生。しかも、耕吉さんのその後が「てのひら」で明らかになるけれど、結局逃れられなかったのか・・・。
    思うにゆかない人々の心情がそれぞれの形で淡々と紡がれています。

  • 「ただ僕が思うに、きっとこの人は御主人さんの手柄を残したかったんやな。意味はわからんでも、書いた人がその一心やったのはわかる。文は思いやからな」−『ぽけっとの、深く』

    「染井の桜」、読み始めたがなかなか入り込めない気がして一度本を置く。別の本を先に読もうかとも思うが、一晩置いて改めて読み始めた。時代ものは少し苦手だ。しかし、その最後の頁で急に泣けてきた。本当に急に。あれ、なんでこんな感傷的な気持ちになるのだろう、と考えて、それが言葉に託されることの無かった思いに対して沸いてきた感情であることに気がついた。

    一篇毎にゆるやかに時代が下ってゆく。少しずつ現実の出来事とリンクしながら。そういう手法には実は身構えてしまうのだが、徐々に気にならなくなっていく。時間という次元だけが変化して、その他の次元がそこに在った物質的な存在以外の一切合切を全て包括して漂ってゆく、というイメージが沸いてくる。思いが、人という媒体を通してではなく、その人の存在した空間に染み込むというイメージを最初に自分に教えたのは保坂和志の「カンバセイション・ピース」だった。久しぶりにその時に体験した感覚、それは鳥瞰図のように地平を眺めるような感覚で四つの次元の外に立ってしまうような感覚を、味わう。

    この本の中では時間という次元を越えて受け取る人を待っている(いや恐らく待っているという言い方は余りに希望的すぎる言い方だろう、それはむしろ誰に伝えるでもなく残されたという方が現実的であるだろう)思いが溢れている。人は、符丁のようなものを其処彼処に容易に見つけ出してしまう生き物だ。見出してしまっては自らの思いにそれを重ねてしまう癖がある。だからこそ、この本に溢れている語られることのなかった思いたちが、あたかも時を越えて受け取る人が現れるのを待っているかのように見えてしまうのだろう。そして、そう思うことが希望的に過ぎると解っていながら、思いの空間への定着という考え方に心が動くのだろうと思う。そのオートマトン的脳活動を止めることはできないのだ。

    もちろん、思いを言葉にしてみることはできる。しかしその行為に、託す、という要素がある限り、思いというのはいつも言葉に正確に乗っていくということを前提と置くことはできないだろう。それにもまして、思い、とは意味ではないだろうという思いも自分の中には強くある。

    今では滅多に耳を傾けることはないけれど、10代の頃に傾倒していたある歌手の詩にこういうフレーズがある。「例えば此処で死ねると叫んだ君の言葉は必ず嘘ではない、けれど必ず本当でもない」。つまり思いというのは、何か一つの確定した意味を持つものではない、ということをこの詩は端的に言い表している。しかし言葉は受け取る者に意味を要請する。内田樹が言うように、一つの意味しか表わさない言葉(「メタ・メッセージ」)と「多義的解釈に開かれている」言葉があるとはいえ、いずれも意味を読み取ることを要請するのだ。その読み取りは大概において、開かれている、と思うのである。そこに思わぬ狭間が生じてしまうことも珍しくない。

    まして時が経てば、その意味を成り立たせるための前提(コンテクスト)も変化してしまうだろう。でも何故か、時折、出会うのである、確かに受け取ったという感覚のする思いに。その言葉に託された思いが、時間も空間も、あるいはもっと根本的に言語すら越えて伝わってきたと、時に、思うのである。

  • ちょっと哀しくて、でも慈愛のある連作短編。

    表題作と、隠れる、がよかったです。

  • 2009.5.10読了

  • なんと言ったらよいのか。
    読み終わりたくなかった本。
    妙な残照が短編それぞれにあり、それがリンクしてゆく。
    100年の時間をとおして語られる市井の人の陰影。
    著名な作家を思わせる人物も登場し、ただものではない「名も無き人々」が独特の人生を紡ぎだす。

    • Michiruさん
      読み終わりたくない本って、すごいですね。
      読んでみます。
      読み終わりたくない本って、すごいですね。
      読んでみます。
      2009/05/06
    • lovefigaroさん
      なんだかすごく不思議なんです。
      とにかくなんだか。
      なんだかすごく不思議なんです。
      とにかくなんだか。
      2009/05/06
  • さゆり

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著者プロフィール

1967年生まれ。出版社勤務を経て、2004年『新選組 幕末の青嵐』で小説家デビュー。08年『茗荷谷の猫』が話題となり、09年回早稲田大学坪内逍遙大賞奨励賞、11年『漂砂のうたう』で直木賞、14年『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。他の小説作品に『浮世女房洒落日記』『笑い三年、泣き三月。』『ある男』『よこまち余話』、エッセイに『みちくさ道中』などがある。

「2019年 『光炎の人 下』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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