思考を哲学する

著者 :
  • ミネルヴァ書房
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感想 : 9
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  • Amazon.co.jp ・本 (332ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784623093922

作品紹介・あらすじ

ロジカルシンキングやクリティカルシンキングなるものが巷にあふれている。しかし、そんなものを身に付けると考えなくなってしまうぞ! と本書は警告する。では、考えるとはどういうことなのか? 本書は、思考についての哲学的な問いから現代の具体的な諸問題までを縦横無尽に論じることで個々人が自らを内省し、現代の諸問題を深く考察するための視座を提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 哲学=知的探求活動全般、学問全般を指す。

    正直1ページ目を開いた時、あまりの文字の小ささとその量から読むのをためらったが、
    ”思考の標準化”
    ”グローバル化とは多様化ならぬ一様化をもたらし、あらゆるものの標準化をもたらす”
    という一文を見て、これは時間をかけてじっくりと読んでいこうと思った。

    結論から言うと、答えが無く難しい内容を仰々しい難しい言葉を用いずに話し言葉で書かれているため、思いのほかスラスラと読める。ただしスラスラと読めるからといって一回で全てを理解できたわけではないので、繰り返し読んでいきたい。

    読んでいてふと思ったこと
    大学生を例に考えてみる。少し前にSNSで見かけたが、まじめな大学で学問のみを突き詰めた人よりも、ある程度サークル活動や人間関係などを活発にしていた人の方が、企業に採用されやすいのだという。
    それは大学での知識の獲得が実は、知識の標準化の元になり、対してサークル活動などの人間関係の構築が結果として個性(多様性)の獲得につながるからではないだろうか?

    標準化について”グローバルスタンダード”という言葉も使ってその危険性を述べている。
    ようは標準という言葉に安心して思考停止していないか?ということであるが、だからといって天邪鬼になれといっているわけではない。あくまでも考えることを止めてはいけないと一貫していっている。
    またそうのような思考の停止(放棄)がカンの衰弱、や一種の洗脳状態ではないのかと述べられていたことが興味深かった。

    終盤のリサイクル等についての考察が、なんでもエネルギーや効率についての話にすり替わっており、そこはやや疑問に感じるところではあった。エネルギーの観点では確かにそうなのだろうが、それは資源が無限に使えることが前提なので、私はリサイクルを行うこと自体は有効ではあると考える。(効率については同意だが)

    また、ネットショッピングの商品の推薦(おすすめ)についての考察が興味深かった。もちろんそれによって新たな出会いを得ることができるが、それこそが何者かに誘導されている結果なのだといわれれば、確かにその可能性は否めない。

    話が少しそれるが、人類が皆情報を発信できるようになった現在、他人の主義主張を容易に知ることができ、その中で、自分が今考えていることは、本当に自身で考えぬいたものだと自信をもっていえるだろうか?変に他者の思想が混じったりしたりしていないだろうか?もちろん影響を受けることは必ずしも悪いことではないが、そういうことも含めてきちんと自身の在り方を考えていきたい。

    最後に作中で印象に残った文をもう一つ

    考えろ!もっともらしい言葉に騙されてはならない

  • 現代人の思考を考察し、スキル化された思考を批判する書籍である。スキル化された思考はロジカルシンキングやフレームワーク、PDCAサイクルなどビジネスシーンで使われている思考法である。本書は、これらスキル化された思考法を画一化し、より深いレベルの思考が奪われると否定的に捉える。

    それが突き進むと人々は奴隷状態になると指摘する。その比喩が生々しい。「思考することすら忘れた恐ろしく従順な群衆は、何の疑問をも抱かずに、実に易々と国家の言う通りに自らの体内に最新の薬物を注入しさえするでしょう」(「まえがき」iv)。

    個人の尊厳を破壊して洗脳して支配する最も悪質な方法は薬物である。「違法風俗や管理売春をさせる犯罪者は、女性に覚醒剤を強要して判断力を鈍らせて逃げないようにさせることが多い」(「「生娘をシャブ漬け戦略」で大炎上! なぜ吉野家の役員は“暴言”を吐いたのか」ITmedia ビジネスオンライン2022年4月19日)。本書が「薬物を注入」と書いた点には薬物に対する健全な拒否感がある。

    ちょうど2022年に吉野家の常務取締役企画本部長がビジネスパーソン向けの早稲田大学の講座で女性向けのマーケティング施策を「生娘をシャブ漬け戦略」と発言して炎上した。自社の商品をリピートして欲しいということは健全な商品戦略である。売ったら売りっぱなしの悪徳業者よりもはるかに真面目である。それをシャブ漬けと表現してしまう点に吉野家役員の思考の空虚さがある。ビジネス用語を並べるだけで本当の思考をしない弊害になる。

    とはいえ管見はスキル化された思考に一定の評価をしたい。著者はスキル化された思考よりも上のレベルからスキル化された思考に甘んじることの不満を述べている。それはそれで正しいが、現実はスキル化された思考以前の状態がある。ひたすら頑張ることを強要する昭和の精神論根性論がある。集団のボスの意見を忖度し、内輪の論理に右へ倣えする昭和の村社会がある。スキル化された思考の導入は、この種の昭和の精神状態からの脱却であり、進歩になる。

    この点で本書が「二〇〇〇年代に入ってからの日本の低迷」とスキル化された思考の普及を重なるものと見て批判する点が気になる。昭和の高度経済成長は輝いていたという先祖帰りになりかねないためである。画一性の強要はダイバーシティの21世紀よりも昭和の方がはるかに問題である。昭和時代ならば「生娘をシャブ漬け戦略」発言は大きく批判されなかっただろう。むしろシャブ漬け批判は昭和の感覚のままアップデートしていない体質に向けられる。

    本書は「あえて当たり前だと思っていた物差しを外してしまうこと」を主張する(5頁)。これはDigital Transformationで言われていることである。スキル化された思考の側にも価値はある。新しいビジネスを考える場合は、往々にして昭和の当たり前を疑うことから始める。

    事業者の都合で消費者に我慢や負担を強いることを当たり前と思っていないか。新規参入業者を排除し、業界横並びで栄えることを当たり前と思っていないか。この種の当たり前を壊せるならばスキル化された思考にも価値がある。逆に昭和の村社会をコミュニケーションという言葉で置き換えて先祖帰りを正当化することに使うならばスキル化された思考は有害である。

    結局のところ、スキル化された思考は道具である。どう使うかが問題である。スキル化された思考が目的化するならば有害である。スキル化された方法論を使ってディスカッションしてプレゼンテーションして何か大きな仕事をしたような気持になっているならば馬鹿らしい。本書のコンサルへの嫌悪感も、その点にあるだろう。しかし、これは会議ばかりの昭和の働き方を表層的なスキル化された思考で糊塗してしているだけだろう。

  • ロジカルシンキングやクリティカルシンキングなるものが巷にあふれている。しかし、そうしたものを身につけるということは思考しなくなることだ、と本書は警告する。では、考えるとはどういうことなのか? 本書は、思考についての哲学的な問いから現代の具体的な諸問題までを縦横無尽に論じることで個々人が自らを内省し、現代の諸問題を深く考察するための視座を提示する。

    (出版社HPより)

    ★☆工学分館の所蔵はこちら→
    https://opac.library.tohoku.ac.jp/opac/opac_details/?reqCode=fromlist&lang=0&amode=11&bibid=TT22193978

  •  本書は哲学の入り口ではあるが、扱われる学問は物理学や量子力学とその子?である経済学や経営学など多岐にわたる。

     中国語の部屋やトロッコ問題などの思考実験を著者とともに考えていくことで、「考える」行為について捉え直すことができた。
     
     巷に流布されている「ロジカル・シンキング」本への痛烈なツッコミも面白く、読んでいて胸がすく感覚と、読む前に私自身も安易な回答を求めていたことを痛感した。

     哲学関係の本として読めると同時に、社会についてや生きること(つまり死ぬこと)についても考えるきっかけになると思う。学生にも是非読んでもらいたい。

     なぜなら、後半になるにつれて学生向けの具体的な話題へと移っていくからだ。

     根っこは「考える」行為について熱情的に語っているところ、誤字があふれるくらい勢いのある文体、そして経済人をホモ・エコノミ「カス」と繰り返し書いているところなど、相当痛快なディスりも面白かった。

  • 私が折に触れてぼんやりと思ったり感じたり考えたりしていることが分かりやすくも分かりづらくも(これは私に教養がないせいですが)説明されていて、この本にあったことをこれから生きていく上で忘れずにというか常に考え続けていきたいと思った。
    考えることは楽しい。
    私のように考えるから私。
    でも私なんていてもいなくてもいい。
    中庸を目指す。

  • 「思考の技術」を金太郎飴とし、ホワイトヘッド曰く19世紀欧州最大の発明とされる「方法論」を否定。そこからイントロダクションがスタートし、最終的には「近代が思考を奪う」とし、西洋近代批判へと議論は展開される。その議論の展開の過程はデカルトの心身問題やカントの認識論等々の純粋哲学から、著者専門の理論物理学、さらには思考の源流とされるフランス革命におけるバークの政治思想まで話は幅広い(尚、P149の第三共和政の年号は間違っているように思える)。そこでは理論や理念中心主義の近代性の過剰による民主主義の崩壊までが叫ばれる。
    たしかに著者の言うように、現代人は「中国語の部屋」のような「口パク人間」化しており(大学の先生も学者ではなく研究者であり、方法論にしたがって論文という名の業務報告をしているだけという辛辣な指摘)、社会のフォーマットによる無思考化やAIやアルゴリズムにより思考がアウトソーシング化されているのかもしれない。この辺の論旨の展開や指摘は大変興味深く説得力もある。しかしながら、その解決策として身体性(そこに刻まれる文化・歴史)に立脚し、日本古来からの智慧や良識を機能させるべきというのは、保守性が強く反動的であるという印象も受ける。
    とはいえ、ロジカルシンキングやクリティカルシンキング等々スキル化された思考にどっぷりつかってしまっているビジネスパーソンや意識体系の学生達にとっては必読の一冊と言えるのかもしれない。

  • 論理思考としての思考の技術
    思考の歴史的・文化的基盤
    奪われた思考
    思考の放棄
    第1部 思考とは何か
    考えるプロセス
    思考のパラドクス
    思考実験
    言葉の問題)
    第2部 どうやって思考するか
    言葉で思考する
    身体の出現と言葉
    第3部 思想の潮流
    自然科学と思想
    情報についての考察からぼーむの物理学へ
    思考の源流をさぐる
    近代性の過剰
    第4部 奪われた思考
    思考が乗っ取られた?
    物理学と経済学における理論と世界像
    自発的な思考にせまる
    思考の放棄
    思考のアウトソーシング
    第5部 狭窄化する思考
    奪われた思考の帰結
    俯瞰とモデル化
    死ぬこととみつけたり
    世界の消滅
    名も無き草木のごとく

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著者プロフィール

近畿大学経営学部教養・基礎教育部門准教授
1969 年4 月24 日,岐阜県岐阜市生まれ.
京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程を経てTheoretical Physics Research Unit, Birkbeck College, University of LondonでBohm-Hiley理論を学ぶ.神奈川大学理学部非常勤講師,山形大学大学院理工学研究科准教授などを経て現職.
物理学の哲学・思想・歴史(その思想史),特に量子力学の解釈,なかでもボーム理論(Bohm-Hiley理論)の専門家である.

「2023年 『社会科学系のための鷹揚数学入門―微分積分篇―[改訂版]』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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