あまりにも騒がしい孤独 (東欧の想像力 2)

  • 松籟社
4.05
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  • Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784879842572

作品紹介・あらすじ

20世紀チェコを代表する作家ボフミル・フラバルの代表的作品。
 ナチズムとスターリニズムの両方を経験し、過酷な生を生きざるをえないチェコ庶民。その一人、故紙処理係のハニチャは、毎日運びこまれてくる故紙を潰しながら、時折見つかる美しい本を救い出し、そこに書かれた美しい文章を読むことを生きがいとしていたが……カフカ的不条理に満ちた日々を送りながらも、その生活の中に一瞬の奇跡を見出そうとする主人公の姿を、メランコリックに、かつ滑稽に描き出す、フラバルの傑作。

感想・レビュー・書評

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  • 山のように積まれたあらゆる本を圧縮機で潰す仕事をしているハニチャ。そんな仕事でも小さな喜びを見出しつつ潰し続ける。

    汚物と美とが切り貼りされたような混沌とした文章だが、少しずつ物語が浮かび上がってくる。

    知の結晶である本が人が街が圧縮され、垢まみれになりながらその中で生きて行く。抑圧。息苦しく、久しぶりに特異な読書を体験した。

  • 不思議な騒がしい世界。ひたすらに改行もなく独白を続ける主人公。記憶と現在、リアルと不思議が混ざり、彷徨うように移動していく彼に着いて行くだけで目眩がする。共感するような生温かい物語ではないがハッとする比喩の美しさに度々メモを取った。本の世界って広い。

  • 1に全てが詰まってる

  • 老子とキリストの対比が面白かった

  • 世界のありとあらゆる著作が『』付きで登場し、また数多の西洋美術も『』付きで散りばめられ、そしてだめ押しの『』聖書引用。これらはペダンティックに使われているわけではなく、シュールリアリズム上の「具」として撒かれているのだけれども、個人的には味わいを楽しむところまで至らなかった。

    地下の孤独な作業場に、延々と文字入りの紙類が雪崩のように捨てられてゆくイメージは面白い。番人である主人公が、捨てるべき文字と残すべき文字を選別し続けている、という世界観が秀逸。

    チェコという国について「十五世代に渡って読み書きのできる民族」という説明がされており、心に留まった。チェコ文学を解するためのキーワードのような気がする。

  • いわゆる世間の底辺にいながら、古紙処理係として紙屑をプレスする毎日の中で、魅力的な本を見つけては持ち帰り読むことを生きがいとしていたハニチャ。
    時代の流れ、支配者と被支配者との関係によってそんなささやかな幸せさえも得られなくなる絶望と不条理に陰鬱な気持ちになりながら迎えたラストに、私は希望を見た。人によって解釈は変わると思われる、面白い作品。

  • 現時点で日本語で読めるフラバルの長編の中では一番好きだ。憂鬱で先がなくて抒情的。それと同時に、幻想が過剰でお高く留まっていないところもよい。美しくまとまっていないところがよい。

    55歳前後であろうハニチャが青年のような口調で話すのに違和感がなくて、自分がこの物語に取り込まれているのがわかった。ハニチャのように誰の注目も受けず、求めず、自分だけがうれしい何かをこつこつ続け、辛ければ怪我をした野生の生き物のようにじっとして過ごし、という生き方。それは寂しいかもしれないけれど、自分の生を完全に自分のものにできる生き方であるように思える。過去にかかわりのあった女性たちのことを至極大切に思い出せるのは、やはり男性は名前を付けて保存をするものなのだなと羨ましいようなあきれるような気持ちになったけれど、最後の最後に思い出せる人がいるというのはよいものなのかもしれない。

    結末については訳者解説(この解説もよい、チェコ文学の特徴とフラバルの位置づけがわかる)で戸惑うことになった。あれは読む人によって解釈がかわるところらしい。読んだ人にどう思ったか聞いてみたい。

  • 淡々と孤独に地下にある古紙圧縮機械を作動し仕事をする主人公。心のなぐさみは材料として送られてきた本の中に良書があり、その世界に陶酔する。友達はネズミ。再生される物は、かつて意味を持っていた物なのに現在は不要とされてしまった物で、チェコのプラハの春後、同僚は次々国外脱出する中、古紙=人間の再生を、生の体験によって書き綴った。

    重く暗い生活を表現するというより、体制によってくずれてしまう、世の中のはかなさを表現している感じで体制批判はしていないので、背景を知るか知らないかで大きく印象が変わる。

  • 文学

  • チェコの作家ボフミル・フラバル(1914~1997年)は、池澤夏樹さんの文学コレクション(『わたしは英国王に給仕した』)にもエントリーされていてとても面白い。少し悩みましたが、どちらかといえば私は本作『あまりにも騒がしい孤独』がより楽しめましたのでレビューしてみます。それにしても魅力的なタイトルをつけてくれる作家でわくわくしますよね♪

    ***
    ひたむきに古紙処理の仕事をしてきたハニチャは、毎日大量に捨てられる古紙をつぶしながら、ときおりそこでみかける美しい本たちを救い出し、仕事そっちのけで読みふけります。まばゆい作品たちを読むのを唯一の生きがいとしてきたハニチャでしたが、あっというまに時は流れ、なにやら外ではざわめきの予感が……滑稽で悲哀の漂う孤独な男のみじか~い物語。

    「……僕は心ならず教養が身についてしまい、だから、どの思想が僕のもので僕の中から出たものなのか、どの思想が本で読んで覚えたものなのか、もうわからなくなってしまっている。こうして僕は、この三十五年の間に、自分や自分の周りの世界と一つになってしまっているんだ。というのも、僕が本を読むとき、実は読むのじゃなくて、自分のくちばしに美しい文をすーっと吸い込んで、それをキャンディーみたいになめているからだ」

    あぁなんて可愛らしいこと、なんだか『エセー』のくだりをパロっているようで思わずにんまり。棄てられた美しい本はきっと禁書になった本たちなんだろうな……学者や知識人たちがボイラーマンや肉体労働をしながらひっそりと隠れるように生きていたり……そこここに言いようのない愛惜と切なさが散らばっていて、冒頭から読む者をとらえて放しません。

    「……そもそもまともに休暇をとったことなんかなくて、休暇は交代勤務を休んだ日の埋め合わせでほぼ使い果たしていた。まともな理由なしに交替勤務を一日休むと、ボスは休暇から二日を差し引いたし、何日が残っても、僕は仕事をして賃金に替えていたからだ。だって僕にはいつも仕事が残っていて……だから僕のためにサルトル氏が見事に、そしてカミュ氏がもっと見事に書いていたように、三十五年間、毎月僕はシーシュポスコンプレックスを経験し生きてきたわけで……要するに切りがなかったんだ」

    はたからみてもハニチャは貧乏暇なしで、それこそ大きな石、いやいや紙の山に押しつぶされてしまいそうな日々を過ごしているわけですが、そんな悲哀を滑稽でシニカルな笑いで包みこんでしまうフラバルの魔法にうなってしまいます。

    それにしてもチェコにはフラバルのほかに、カフカやハシェクあるいはチャペックやクンデラといった優れた作家が多くて、いつも驚きと感動の連続です。その目線はつねに庶民的で気取りがない。長い歴史の中で翻弄された人々、ひどく不条理でカフカ的な国、ナチズムとスターリニズムの両方を経験した悲壮で滑稽ともいえる現実を、あえて笑い飛ばそうとする陰りを含んだ明るさとユーモアがあります。そこにはどこか東欧イディッシュ(ユダヤ)文学に通底するような悲哀にみちた笑いが感じられて感銘をうけます♫

    素頓狂なおしゃべり好きの作者フラバルは、ハシェク『兵士シュベイクの冒険』、セルバンテス『ドン・キホーテ』、ラブレー『ガルガンチュアとパンタグリュエル』といった先達の作品に霊感を受けたようです。なるほど、読む人をあきれさせるほどしゃべりまくる面々で、豊かな笑いとペーソスが溢れています。
    そして、わかりやすくひもといてくれる解説にも感激します(^^♪

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著者プロフィール

20世紀後半のチェコ文学を代表する作家。
モラヴィア地方の町ブルノに生まれ、ビール醸造所で幼少期を過ごす。
プラハ・カレル大学修了後、いくつもの職業を転々としつつ創作を続けていた。
1963年、短編集『水底の真珠』でデビュー、高い評価を得る。その後も、躍動感あふれる語りが特徴的な作品群で、当代随一の作家と評された。
1968年の「プラハの春」挫折後の「正常化」時代には国内での作品発表ができなくなり、その後部分的な出版が許されるようになるものの、1989年の「ビロード革命」までは多くの作品が地下出版や外国の亡命出版社で刊行された。
代表作に『あまりにも騒がしい孤独』(邦訳:松籟社)、『わたしは英国王に給仕した』(同:河出書房新社)などがある。

「2022年 『十一月の嵐』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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