- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784907053123
感想・レビュー・書評
-
2017.4.8
詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
17/3/4
-
決して幸せなんかじゃない育児がここにある。全てにじゃないけど、あたしは頷きながら読んだよ。
-
写真家植本一子さんの日記。前作『働けECD』が面白かったので読んでみました。2人のイヤイヤ期を迎えた娘を抱え、仕事や自分の時間が持てず息詰まる気持ちや、思うような母親になれない葛藤が綴られていて読んでいて辛くなりました。そして好きな人ができ、ラッパーの旦那さんに離婚を迫り。。とても波乱にとんだ内容でした。読んでいてやはり一回り以上年上である旦那さんの石田さんがとても度量が大きくてすごい人だなと思いました。著者の離婚にこだわる気持ちや子供達への対応には疑問も感じましたが、ここまで正直に書いたことはすごいと思う。今もまだふたりは夫婦のようだから良かった。とても惹きつけられる文章を書く方です、次作も期待しています。
-
大半は彼女のブログ「働けECD」からの転載だが、いわゆるウェブライターの書く文章とは一線を画した、美しいテクストであり、それは既にエッセイを超え「日記文学」とさえ言えるだろう。
ただしそこに書かれているものは殆どの人間の共感は得られないだろうし、正しいか?正しくないか?と問われれば、誰もが正しくないと即答するだろう。
しかしながら、冷静に読み返すと、子供に対してはネグレクトという程ことではなく、やや強めに子供に当ってしまうことあるレベルだし、彼女の婚外恋愛とか、母親との確執についても、よくあると言えばよくある話である。
ただ、その書き込みっぷりというか、思いの強さに、しばしは読む側は困惑させられる。
そのことをもって植本一子をメンヘラだ、子供やECD(彼女の夫、ヒップホップミュージシャン。作中では「石田さん」)が可愛そうだ、人でなし.....と言って切り捨てるのは簡単なことだ。
でもそれは表現者としての彼女の評価にはなんらマイナスの影響を与えないし、このヒリヒリ焼けつくような、彼女の「表現したい」「書きたい」欲求にはただただ圧倒されるばかりである。
彼女の本職は写真家であり、家族写真やミュジシャンのライブ写真を得意分野としている。 特に本人がライフワークとまで語っている「一般家庭の記念撮影」は、なかなか素敵である。
一方、彼女のかくテクストには、また質の違う凄みや迫力がある。 もしかしたら(本人は不本意かも知れないが)物書きとしてのほうが大成するかもしれないとさえ思わせる。
そんな中、「あとがき」の前の「誰そ彼」の節はやや異質だ......「彼」を壊したのは「わたし」......意識的なのか、無意識なのかは分からないがそれを認めない。 一言で言えば、他の文章は「みっともなくてもカッコいい」のだけれど、この節だけは「カッコつけててみっともない」のである。
そこには「石田さん」とか「彼」とかに対する配慮があるのかもしれないし、はたまた彼女の無意識の自己防衛なのかもしれないが、いずれにしても、この一節だけは言い訳がましさが前に出て植本一子らしくないし。
因みにこの節はECDにもダメ出しされたと、インタビューで本人が述べていた。
そこらへんも含めて「敵わない」であり「叶わない」なのだろうが......
それにしてもECDはいい人過ぎる...... もっとエキセントリックな人だと思っていたが、妻・植本一子に対する愛は深いし、また知性・教養あふれる人間であることがよく判る。 私とほぼ同世代だけど、全くを持って「敵わない」と思った。 -
イヤイヤ機を迎えた子育ての部分はかつて自分も経験しただけに、子供と自分しかいない孤独感がひしひしと伝わり、辛かった。
子育てにも余裕が出て来て、仕事が増え、好きな人と出会い、自分の過去と内面を見つめ直し、ここまで書かなくてもというところまで、著者は書き続ける。その姿にはかなわない。 -
写真家 植本一子が書かずにはいられなかった家族、母、生きづらさ、愛。
まぶしい世界を追い求めている人、という印象を受ける。
同調はするけれど、同情はしない。
どんな人も大切な物語をもっている。
一子さんが今日も笑っていられますように。 -
多かれ少なかれ、母親はみんなこんな感じであって、がっつり向き合うひと、流すひと、うまくやれちゃうひと、いろいろいて、それは物理的にも精神的にも余裕とかのちがいなのかもしれないけれど、何が正解か幸せかなんてほんとうにわからないな、と思う。苦しいのは深く生きてるからで、一子さんはほんとうにかわいい人だと思うし、すごく魅力的だ。何はともあれ、この本を読めてよかった。この本を思い出すだけで、きっとこの先もたくさん泣けるし笑えるし、怒りを共有できるし。なにもかも詰まってた。
-
植本は写真家で、今は二児の母でもあるのだけど、もう一つ分かりやすい説明を付け加えると「ラッパーECDの妻」ということになる。
ただ、最後のそのプロフィールは微妙で、「昔は良かったけど、最近のECDって反原連あたりとつるんでて、なんかマッチョじゃないですか。その妻だからってなんなんですか」と思って敬遠してたんだけど、パートナーはあくまでパートナーであって、それ以上ではない。相手と人格を同一にするわけではない。
僕がこの本を読もうと思ったのは、知り合いのアナキズム研究者である栗原康が、この植本とイベントで対談していて、それで栗原が絶賛してたから。
読んでビックリしたのは、ひたすら日々の生活が日記として綴られていて、何が面白いのかはよくわからないけど、けっこう読まされてしまうということである。
この本について語る視点は色々あるけど一つは、「311以降の日常」ということで、放射能に怯えながら東京で暮らす人間の生活を切り取ったものと言える。ふたつ目に、子育てに疲れる一人の母の育児日記として、また子どもとの関係から浮かび上がる母との確執に悩む一人の人間の話として。
前半は、とにかく育児ノイローゼみたいな感じで悩み疲れていて、「ああ、こういうの見るとマジ子育てとか無理ゲーだな…」とか思う。つらそう。
後半戦は、自身の性格や悩みの根源として、幼少期の母親との関わりが今の生き方や子どもとの関係にも影を落としている、という話が出てくる。有り体に言えば「愛着障害」というやつなのだろうけど、これまで一生懸命やっていた彼女の苦悩の根幹の謎が解けていくような感動がある。
また、この人はECDと結婚して一緒に暮らしているんだけど、それとは別に、普通に「好きな人」というのが出てきて、恋愛関係になる話など出てきて(ECDはそれについて特に干渉しない)、なかなかに話が混線していて面白い。ていうか、こんなことまで書いていいのか、って話もチラホラある。
なんだろう。後半のところはともかくとして、この人の話というのは、ごく個人的な話でありながら、同時に人の共感を呼ぶような普遍的(あるいは社会的)な話に展開しうる芽があちこちにあって、それが面白いのだろう。
ありそうでないような、変わった本だった。