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感想・レビュー・書評
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社畜で家族思いな人が突然虫になる喜劇。本人が特に深く考えてないのがユーモラスさを出しているけれど、この状況でこの家族の有り様、読む人によって感想はだいぶ違うのではないか。虫になってるのにクビにならないよう支配人を説得しようとする場面はかなり滑稽で、学生時代に読んだ時にはそんなピンときてなかったから、大人になってからじわじわくる小説もあるんだなという発見。今年9月で出版100周年とのこと。傑作。
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カフカ的不条理劇。
私は友人とのインドでの会話を思い出した。
生産性のない人間の生きる価値はあるか。
永遠のテーマである。
経済合理性以外の理由を見つけねば、きっと自分自身の存在に耐えることができなくなる日が来る。 -
最初は人間らしく言葉も言えたのに、最後の方は虫に適性を持ちすぎてしまって物悲しい。彼の犠牲の上で成り立っているのに、更に彼に用がなくなれば(搾取できなくなれば)邪魔であり態度を硬化させるのは人間らしさといやらしさを感じる。
両親が毒親で、妹も似たような状態(虫になるとは思えないけれど)に陥りそうなラストは、悲劇をさらに色濃く書いていると言えるだろう。 -
設定がおもしろい。必死感が伝わってくる。
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【ある朝、気がかりな夢から目をさますと、自分が一匹の巨大な虫に変わっているのを発見する男グレーゴル・ザムザ。なぜ、こんな異常な事態になってしまったのか……。】
〝虫〟に、何も大仰な〝変異体〟を当てる必要はない。「大概からズレている」それだけで充分である。ただグレーゴルの場合は「巨大」だったようだから、其の程度は甚だしかったのだろう。或る朝から一転、「家族から視ても擁護不能な息子」になったというわけだ。
勿論、字面そのままに受け取って読み進めても、それはそれで空想力との時間として愉しめる。「当人の悲劇は他人の喜劇である」ことは、大昔から云われてきた通りだ。悲劇を著して喜劇へと昇華させる——著者自身の苦しい時間の凌ぎ方も、恐らく同じだったのではないだろうか。
救済も断罪も解答もない。ただ事象のみが記されてある。
幾度でも読めるだろう。ときどきの自身に拠って、解釈も変わるに違いない。生きている本。〝虫〟に死は、訪れてくれないのだ。