- Amazon.co.jp ・電子書籍 (198ページ)
感想・レビュー・書評
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宗教にのめり込む両親の元、不幸な少女の話しだと思っていた。
しかし、主人公の少女も宗教内に友達が沢山いたり、楽しんで行事に参加している話だった。
中学生になってから、他から両親がどう見られているか、宗教信者がどう見られているかを知るようになるが、それに反発する様子もない。
最後、両親と流れ星を探し続ける場面が何を意味するか読者に考察を委ねる感じで終わった。
自分としてはどっぷり宗教にハマらず少し両親と距離を置いて大人になって行って欲しいと願わずにいられない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ページをめくったら終わってて、え?ってなった。このラストから考えるのかと、ちょっと憂鬱でちょっと嬉しかった。
宗教2世、おそらくは多くは疑問もなく受け入れて生活するんだろう。どの程度宗教と生活が密接してるかの違いだけで、実家が仏教だったり神道だったりってのと大して違わないという当たり前のことに思い至った。
でも、ちひろの幼さはどこからきてるんだろう。悪い意味で無邪気すぎる。この後、自分が求めるものを知ることが出来るんだろうか。 -
子供が病気がちだったことから、宗教にハマり始めた両親。
信じるものは救われる???
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新興宗教に傾倒する両親のもとで生活する女の子の成長録。
昨今の統一協会の問題が燻る中、タイムリーな一冊。
両親が次第に宗教にのめり込んでいき、側から見るとちょっと危ない人達に変貌していく。
しかし、周囲の心配とは裏腹に、その環境で育っていく幼い主人公は、その宗教自体には不信感はそれほどなく、宗教を上手く生活の一部に取り入れていく。とはいっても、やはり他の人達とは違っているということは感じていて、結局はどのように対応すればよいのか、悩みを抱えていることがうかがえる。
ストーリー的には、特に事件が起きることもなく終わるので物足りなさは感じるものの、何も発展や解決されることがないことに、現代の信仰宗教のリアルさが、逆に伝わる。
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カルト宗教にハマっていく両親。でもそれは愛する娘の病気を治すため。彼らの根本には少し歪んだ愛と依存と暴力の存在。そんなことにもあまり気づかず少しづつ大きくなっていく【わたし】が、純粋でもあり悲しくもあり時に切なくなってくる。今村さんの作品面白い!もう書くことがないって対談で正直に言ってるのがまたいい。次は何を読もうかな〜
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試写会で芦田愛菜が語った「信じるとは何か」の解答が話題になった2020年の映画化の原作である。
今、ニュースやSNSで何かと取り上げられる”宗教”。それの背景を覗けるような話なのではないかと思う。どうして宗教にのめり込んでしまうのか、どうして宗教から抜け出せないのか、宗教を信じる家族は幸せになれるのか。肯定することもなく、否定することもない一定の視点で描かれた物語である。
⬇要約⬇
お父さん、お母さん、姉のまーちゃんの家族のもとに生まれた主人公のちひろは生まれたときから身体が弱く皮膚病を患っていた。しかし、ちひろの病気は何をしても良くならず家族全員困りはてていた。ある日、お父さんが会社でそのことをポロッと言ったときに同僚の落合さんが「水を変えたらいい」と教えてくれて「金星の水」をくれた、さっそく試してみると、それによって皮膚病が治り、みちみるうちにちひろが健康になっていった。そこからちひろのお父さん、お母さんは「ひかりの星」という怪しい宗教団体にハマっていく。 -
不穏。ひたすらに不穏。真綿で首を絞められていくのを眺めてるしかないかと思いきや、ちゃんと気づいているところがまた不穏。読まずにはいられない。めちゃくちゃ良かった。
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物語の終わり、ちひろの目に映っていたであろう光景が頭から離れない。大宇宙に包まれながら、少女から大人への階段を登り始めようとする彼女は、何を思ったんだろう。
両親の、世間とは大きなズレのある信仰のために、ちひろは生きづらさを感じている。姉のまーちゃんは、その生きづらさに耐えきれずに家を出る。妹のちひろは、家庭と世間とのギャップに何とか折り合いをつけて生きている。
同じ両親に対する姉と妹の生き方の違いはどこから来るんだろう、と考えると物語の始まりを思い出した。“私のために”必死になったが故の両親の生き方を、ちひろは否定できなかったのだろう。
子は親を選べない。
我が子に対する思い、愛のない親に対して、他者が否定することは容易い。だけど、ちひろの両親は、我が子に対する思いをしっかり持っている。問題、世間との摩擦を生むのは、信仰に基づいた生き方の方だ。信仰の外に住む人たちから見ると、その言動は風変わりで特殊にみえてしまう。特に日本では、信仰をもつ人に対する信仰をもたない人たちからの風当たりが強い。
親は自分で選んだ信仰だけれど、子は親に従い、半ば強制的に、物心ついた時には信仰を刷り込まれている。それが問題なのだろうか。
同じ信仰をもつ人たちが、マジョリティである国。来日して4年が経つイスラムの20代の女性に聞いたことがある。「日本に来てから母国に帰ったことはありますか?」「一回も帰ってないけど、サウジアラビアに行きました」イスラムの人たちは、聖地メッカを巡礼することが人生の大きな目標だそう。彼女は、若くしてその大きな目標を達成したことを、誇らしげに語った。
彼女の信仰は自ら選んだものではなく、親や家族から受け継いだものだろう。同じ親から受け継いだ信仰でも、彼女がちひろのような心的葛藤を抱くことはないだろう。家族だけではなく、その周囲を取り巻く社会にも同じ信仰をもつ人たちが多くいるから。だけど、外国である日本では、その信仰がマイノリティになる。もしかしたら、彼女たちの心中に、母国では湧くことの無かった疑問や葛藤が生まれているのかもしれない。
人間にとっての信仰とは何だろう。僕は、特定の宗教を信仰しないが、大自然やご先祖さまに畏敬の念を感じる。神社を参拝すると姿勢が正されて、心が整う感じがする。そんな生活上の体験から、信仰の本質は、人知の及ばないものへの”畏敬の念”にあると思う。
人知が及ばないものに畏れや敬意をもつことが信仰であれば、信仰の内と外でズレや葛藤が生じることも少ないんじゃないかと思う。物語の最後にちひろが眺めた星空を想像したら、こんな考えが湧きおこった。
ちひろと同じ年代の娘をもつ父親なので、娘の世代の雰囲気をリアルに感じることができて新鮮だった。家族に対するもやもやした思い、恋と失恋、友達との距離感、社会と家族のギャップ、身の回りの世界が未知なるものに囲まれていた中学生のころを思い出すことができた。
平易な言葉での会話が多く、説明や思考がほとんど無いのがとってもよかった。行間が多いから、ちひろの年齢から30年ほど経ち、世界に既知なものが増えたおじさんは、そこにいろいろな想像をはたらかすことができて面白かった。