むらさきのスカートの女 (朝日文庫) [Kindle]

著者 :
  • 朝日新聞出版
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感想・レビュー・書評

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  • 紫のスカートをはいた女を主人公が観察(ストーキング)し続ける。最後の方で主人公が誰なのか分かるが、紫のスカートをはいた女についての描写ばかりで結局主人公がどういった人物なのかほとんどわからなかった。こういった書き方はあまり馴染みがなくて面白いなと思った。
    最後まで読んでもどういうことだったのか結局よく分からないまま、なにか腑に落ちないような不思議な読後感だった。

  • 最初から最後まで気持ち悪いな。なんでむらさきのスカートの女をストーキングしてたのかわからん。

  • 淡々と語り手がむらさき色のスカートについて語っていく。
    語り手の違和感を感じつつも、読み進めてもなかなか正体が掴めず焦ったくなって読むのをやめてしまった。
    冗長というか単調で自分にはあまり合わなかったかも。。

  • すっかりハマってしまった今村夏子さんの中長編。
    今村夏子さんだったなぁ・・・
    むらさきのスカートの女と、どうしても彼女とお友達になりたいわたし。
    むらさきのスカートの女よりも、読者としてはわたしのほうが痛々しくて気になる。
    いわゆる"お前が言うな"な状況なのだ。ハラハラが止まらない。

    英語版翻訳者の解説がまたとても興味深い(多くの言語に翻訳されているらしい)。
    日本文学は欧米文学とは、一概には言えないけれど結構雰囲気が違うと思う。ドラマや映画では本当に顕著だけど、本でもそう思うことが多い。うまく言えない感じを、この訳者さんの解説が上手くいってくれている。翻訳は言語だけでなく、その時々の時代背景や文化習慣などを本当に理解していないと、というかしていても、難しいんだろうな。翻訳家さんはすごいなと改めて思いました。
    個人的には日本語から多言語への翻訳は逆よりも難しいのではないかと思うのだけど、どうなんだろう。日本語は主語や細かい小さな一文字の違いでなんとなくその人のキャラクターがイメージされるけど、英語などでは主語は基本Iだけだし、一つの音ではなく、話し方のトーンとかしぐさで推測?されると思うんですよね。私は英語や他の言語ののネイティブではないから、感じ取れない部分があるのかもしれないけど・・・。

    話がそれました。

    巻末のエッセイがすごく共感度が高かった。
    指定席、わかります・・・
    "自宅で集中できないぶん、今日は思いきりがんばるぞ。そう意気込みながら、二階のフロアに足を踏み入れた。と、ここで、想定していなかった光景が目に飛びこんできた。私の席に、誰か知らない人が座っていたのだ。スーツ姿の男性だった。誰だろう、ひょっとして、ご存じないのだろうか。「すみません、そこ、私の席なんですけど……」  喉まで出かかった言葉をグッとのみこみ、仕方がないので、そのへんの空いている席に腰を下ろした。ノートを開いてみるも、先ほどまで漲っていたやる気は、どこかへ消えてなくなっていた。"

    今村さんの作品は、どこかいつも今村さんの経験から感じたことが入っているんだなぁ。。

  • 不思議な本を読んだ

    主人公はむらさきのスカートの女?
    それとも、わたし?

    この話はどこへ辿り着くのかと読み進めたら、加速して急展開

    途中から一気読みした

    読了後は、1人不思議な世界観に取り残されていて、気が付いたらむらさきのスカートの女を探していた

  • kindle unlimitedにて。
    少し変わってる「むらさきのスカートの女」をつぶさに観察する「黄色いカーディガンの女」。
    この人の主観で語られるので「むらさき-」が変で「黄色-」が正しいかのように進むけれど、いやいや「黄色-」さん、かなりヤバいやつやん。
    と、ふと我にかえる。
    「黄色-」を観察している自分。
    自分だって人から見たら変なやつかもしれん。
    その事に思い至り、ぞわぞわしました。

  • かなりおもしろかった。
    小説にはだいたい一人称と三人称(神の視点)があるけど、一人称で書くなら、その人の見たこと聞いたこと以外は書けない。三人称なら神の如くなんでも知っててなんでも書けてしまうが、一人称の本人の切迫感はちょっと失われてしまう。
    そこでこの小説だが、その人称の問題を、物語全体のギャグにしてしまっている。こういうやり方があったか、と膝を叩きつつ笑った。ほかにこんな小説はあったのだろうか?

    帯に"何も起こらないのにおもしろいとTikTokで話題"みたいなことを書いていたが、嘘です。ちゃんと何かは起きます。

  • 最初はむらさきのスカートの女に焦点が当たるが、徐々に語り手のおかしさに気づき話に引き込まれていく。語り手は自分と似た境遇のむらさきのスカートの女と友達になろうと画策していくがなかなか成就しない。ブラックユーモアの中に30代半ばの独身女性の孤独を描いている。

  • 今村先生の観察眼がするどすぎます。
    人間のいやなところを面白いエッセンスとして小説に組み込んでいるのが狂気の沙汰じゃありません。
    映画化するなら園子温監督とかがメガホンをとりそうな雰囲気で、穏やかな風にたゆたう白い布にじわっと血がにじむ感覚。これがなんともいえない背徳感。

    深夜に読むのがおすすめです。

  • なんかはじめてのタイプ
    ずっと第三者の目線から見てる感じ

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著者プロフィール

1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で「太宰治賞」を受賞。『こちらあみ子』と改題し、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で、11年に「三島由紀夫賞」受賞する。17年『あひる』で「河合隼雄物語賞」、『星の子』で「野間文芸新人賞」、19年『むらさきのスカートの女』で「芥川賞」を受賞する。

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