- Amazon.co.jp ・本 (248ページ)
- / ISBN・EAN: 9784003202524
感想・レビュー・書評
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『阿Q正伝』
辛亥革命(1911年)当時の農村が舞台。阿Qは、みんなから馬鹿にされ、地主や腕力の強いものからひどい仕打ちを打けても抵抗せず、勝ちを譲ってやったのだというほど自尊心が強い。逆に、相手が弱いとわかれば、いたけだかに襲いかかる。そんな彼が革命さわぎにまきこまれ、革命党を気どっていい気になっているところを泥棒とまちがえられ、弁解もできないまま、群衆の眼前で銃殺されてしまう。
当時の中国社会を鋭く描いており、自分のことが書かれたのではと疑った人もいたほどであった。
阿Q正伝を読んで、何だか遣りきれない気持ちになりました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
・阿Q正伝
日雇いの仕事をし、大したビジョンも持たず、だらだらと過ごしている阿Q。
人から笑われ、蔑まれ、殴られても、相手を見下すことで精神的に満足する性格を持つ。その精神的勝利を得られれば、殴られたことはすぐ忘れてしまう。
ちっぽけな名誉を得るために嘘をつき、それが元で捕まり、銃殺される。
しかし銃殺されるのに気づくのは直前になってから。本人は何がなんだか分からないうちに銃殺される。
魯迅は当時の中国人のマイナス面を、阿Qとその他の人で表現した。
そして中国人を変えるためにこの物語を書いた。
果たして中国人は、魯迅が期待したとおりに変わったのだろうか?・・・変わっていないと思う。
文学による精神の変革、は出来ないのだろうか?
また、私にも阿Qの性格があると思う。
自分は大したことをしていないのに、他人を蔑む。人の幸福を素直に喜べない自分。自分より社会的地位が高い人を蔑視し、それで満足感を得ている自分。
他人を落として満足感を得るという、最低の行為。やめるべきだ。
それとも、それがやめられるのは聖人君子しかいないのだ。人間の精神衛生上必要なことなんだと考えて、諦めてしまえるのだろうか・・・。
・狂人日記
なんらかの精神病(統合失調症か)患者の日記、という形式をとっているが、これも当時の中国へ警鐘を鳴らしている作品だと思う。
「あの人達がわたしを食おうとすれば、全くあなた一人では法返しがつくまい。しかし何も向うへ行って仲間入をしなければならぬということはあるまい。
あの人達がわたしを食えばあなたもまた食われる。結局仲間同志の食い合いだ。
けれどちょっと方針を変えてこの場ですぐに改めれば、人々は太平無事で、たとい今までの仕来りがどうあろうとも、わたしどもは今日特別の改良をすることが出来る。
なに、出来ないと被仰るのか。兄さん、あなたがやればきっと出来ると思う。こないだ小作人が減租を要求した時、あなたが出来ないと撥ねつけたように」
この言葉が、魯迅が言いたかったことを端的に表わしているのではないだろうか。 -
ふと思い立って手にしてみました。
この手の固い文体は久しぶりなので、懐かしくもあり、少し読みにくくもあり、まるで、いつか子供の頃、両親や祖父母に食べさせられた、身体には良いけれども必ずしも食べやすくはない食べ物のようです。 -
意外と読みやすかったです。
やっぱり代表作の狂人日記と阿Q正伝が良かったですね。
ただ物語の時代背景とか文化風習みたいなものがさっぱりなので、物事の重要度や意味、恐らく含まれているだろうアイロニーだのメタファーなんかもサッパリ分かってないです。髪の毛の話とか特に。
これを読むためのガイドブックを読んでないとだめだわ。
10.07.20 -
日本を代表されるといわれる作家達と、世界を代表する作家達に、決定的な違いがあるとすれば、それは何か。
ある識者は「行動する思想家であるかどうか」だと指摘していました...
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『吶喊』
の契機である。
元々は太宰の「惜別」を読んで魯迅を知った。
たぶん日本人ではこの入り方が多いのではないかと思う。
考えてみれば、初めて中国の作品を読んだ。
『水滸伝』を読んだことがあるが、文学というくくりで見たときは例外に当たるだろう。もちろんおもしろいとは思うがね。
読んでみて感じたことは、ユーモアというか、皮肉が存分に見られる、ということだ。
さめている、というかなんというか……登場人物たちにたいして愛情があまり見られないのだ。
描いている存在のほとんどが一般市民のことばかりである。だからこそ、『愚かだ』とばっさりと切っているのではないのだが、批判的なニュアンスが時にみえる。
こういう風に書くことが中国ではポピュラーなのかな、とも思ったがそうでもないようで、魯迅であるからこそのこの世界観のようだ。
読み終わってみて一番印象的だったのは「自序」のこの流れである。
【「かりにだね、鉄の部屋があるとするよ。窓はひとつもないし、壊すことも絶対にできんのだ。なかには熟睡している人間が大勢いる。
まもなく窒息死してしまうだろう。だが昏睡状態で死へ移行するのだから、死の悲哀は感じないんだ。いま、大声出して、まだ多少意識のある数人を起こしたとすると、この不幸な少数のものに、どうせ助かりっこない臨終の苦しみを与えることになるが、それでも気の毒と思わんかね。」
「しかし、数人が起きたとすれば、その鉄の部屋を壊す希望が、絶対にないとは言えんじゃないか」
そうだ。私には私なりの確信はあるが、しかし希望と言うことになれば、これは抹殺できない。なぜなら、希望は将来にあるものゆえ、絶対にないという私の証拠で、あり得るというかれの説を論破することは不可能なのだ。】
「寂寞」だ。
魯迅は自分でそういっていた。
彼はいわば閉塞感を感じていたのだ。
そして、それを打破する道を模索していた。
医学、政治、芸術あと何があるだろうか、ともかくその合間を迷い、そうして行き着いたのが文学であり、この作品群なのだという。
歴史的な流れを見て、この人が中国の文学史上に起こしたことはとても大きいようだ。
後書きを読み、魯迅について多少調べてみてようやくその姿が見えた。
正直、物語を単体で見たときにはそこまでの掘り下げや、心に響く部分があまり感じられなかった。
あるのはどことなく怒り、やるせなさ、いや、あきらめ、何だろうか。冒頭で言った意味であるのなら皮肉、というか寂しさ、ややもすれば、あがなえるそれに対して落ちぶれている姿を痛烈に、ではなく当たり前に描いている。
いわば、陽の当たらないものを太陽に“さらす”のだ。
だから読んで「何だこれは、」といった退屈さを感じる。だから、読んでいておもしろくない。
物語を愛するものには退屈で仕方がないようなものになるが、閉塞感を打破する方法としては至極適当なのだろう。
文学は逃避でも娯楽でもないのだろう。よく言われるのは、剣の代わりになる武器だが、ここでは同胞の尻をたたく道具となったのだ。
「自序」がこんな内容なだけに、先に引用した一説を読んだときに一つの予感は得られた。もちろん社会的な背景を暗につかんだなんてことはなかったが、いわばその「寂寞」をね。
だから、おもわずにやついてしまった。
このぐらいの場所に立っている人が、やはり作家として私は好きなのだ。
収められている作品は正直「自序」が一番好きなのだが、ほかをあげるとしたら一番は「狂人日記」だろうな。
【もの事はすべて、研究してみないことにはわからない。むかしから絶えず、人間を食ったように覚えているが、あんまりはっきりしない。おれは歴史をひっくり返してしらべてみた。この歴史には年代がなくて、どのページにも「仁道義徳」といった文字がくねくねと書いてある。おれは、どうせ睡れないから、夜中までかかって丹念にしらべた。そうすると字と字の間からやっと字が出てきた。本には一面に「食人」の二字が書いてあった】。
おもしろいなとおもった
鬼気迫るなんて表現すれば、それは少し言いすぎだ。
確信をつくのがうまい。そして、気概と狙いがおもしろい。
食うこと・食われること。
非常に単純な表現だが、わかりやすいうえにうなずきやすい。
精神的に少しばかり異常をきしているキャラクターを持ち出すことで、オブラートに一枚包んではいるがうまく根底をさらしているのだ。
ほれ見ろ、とね。
いろいろ言ったが果たして「皮肉」なのか「ユーモア」なのかが多少曖昧な場所にある作家だとは思う。
当人にしてみればどちらでもいいのだろうけどね。
ひつようなのは彼が旗手となりあがった声をつかむことだ。
果たして私はどうなのか?
正直な話、あまりに遠い昔の声すぎて、今の私にはあまり効果がない、かな。
しかし、大国を知る上では良いテクストだったか。 -
表題二作のみ。
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上海に赴任して、魯迅公園だとか魯迅博物館に行って以来、
読まなきゃと思っていた魯迅。
魯迅の最初の作品集である『吶喊』(とっかん)をそのまま
再現した短編集。
冒頭の「自序」を含めて15作品が収められています。
中国近代文学の父と呼ばれる魯迅が、20世紀初頭、
清代末期から中華民国の時代までの、中国人民の
苦悩を皮肉も交えて描いています。
どこかで感じたことのある雰囲気だなと思ったら、
日本の明治の文豪、夏目漱石と会い通じるところが
あるように思えます。
古い価値観と新しい価値観の狭間の中で揺れ動き、
世を憂う心。
代表作である「阿Q正伝」だとかは入っているのですが、
日本にもゆかりの深い「藤野先生」は収録されていません。
別の文庫には入っているので、そちらで読みました。
http://teddy.blog.so-net.ne.jp/2008-05-10 -
原語で読んだ。文学界のニルヴァーナだと個人的に思う。こっちのが全然早いけどw
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魯迅が中国社会の救い難い病根と感じたもの、それは儒教を媒介とする封建社会であった。狂人の異常心理を通してその力を描く「狂人日記」。阿Qはその病根を作りまたその中で殺される人間である。こうしたやりきれない暗さの自覚から中国の新しい歩みは始まった。(表紙裏解説より引用)
ふと、中三の教科書に載っていた「故郷」がまた読みたくなってこの本を手にとりました。
読み返してみたら、思っていた以上に暗い話でした。
ルントウは「閏土」っていう字だったんですね。いい名前です。
そういえば私はこの物語で「偶像崇拝」という言葉を学びました。
最後の「道」に関するくだりは忘れたくても忘れらないですね。
1920年代の鬱屈とした中国が舞台となっており、どの物語も悲哀を感じさせました。
故郷以外では「孔乙己」と「白光」が好きです。
「狂人日記」その他は難解というか、1920年代前後の中国について勉強不足で、背景があまりわからずに魯迅の意図するものが汲み取れなかったです。
これはもっと勉強する必要がありそうです。