TRIP TRAP トリップ・トラップ (角川文庫)

著者 :
  • KADOKAWA
3.47
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感想 : 36
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784041006610

作品紹介・あらすじ

中学校にも行かず半監禁状態の同棲生活。高校は中退しヤクザに怯えながらもナンパ男を利用して楽しむ沼津への無銭旅行。結婚後、夫への依存と育児に苦しみながら愛情と諦念の間を揺れ動くパリ、ハワイ、イタリアへの旅。そしてふと生きることに立ち止まり、急に訪れる江ノ島への日帰り旅行。少女から女、そして母となりやはり女へ。転がる石のようなマユがたどる6つの旅の物語。第27回織田作之助賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • 圧倒されました。

  • めんどくさい。そして、それにもかかわらず、心を動かされる小説です。
    特に前半の主人公はめんどくさい。一部は読み手である私にも通ずるような気もしながら、主人公のほうがずっと面倒で、ただそこに、人に対しても物に対しても事に対しても私よりよっぽど自由で、いつも自分の斜め上あたりに冷静でやる気のない(つまり何にも縛られていない)自分をもつ主人公を見出して、私はこんな生活も心の乱高下も嫌だけどどこか羨ましくもなる。
    そして何度も生まれ変わりながら、何かを捨てて捨てて捨てて、たぶん同時に何かも得ているんだけど、どっちかというと得るより捨てていく主人公の姿のほうに、羨ましさとともに妙な安らぎみたいな感情で胸がうずめられるような気分になりました。私も女である以上、人生に苦しい段階があろうと甘い段階があろうと、捨て去り脱皮し生きていくのかもしれない、と。

  • 女女していますね。

    払ってもいい金額:500円

  • ”多分彼らは、幼稚で愚かな者に対する哀れみに近い愛情によって、そういう目でわたしを見ているのだろう。でも、あと三年で有無を言わさず自分が消滅すると知っている私の気持ちが、いくつ歳を重ねても今の自分の延長線上を辿って成長していくだけの男に分かってたまるかと思った。女は人生の中で何度も、完全な別物に生まれ変わる。”

  • 久しぶりに金原ひとみ読んだら、前よりもずっととっつきやすかった。
    作風なのか私の変化なのかはわからないけど。
    「マユ」という不良少女の成長?と変化を描く連作短編。
    面白い、っていうか、「あぁわかるわ……」っていうことが多くて、女ってこんなに生きづらいいきものなのか、そうだな、ってつきつけられた感じ。「女の成長を描く」とかそんな美しいもんじゃねーなって思う。
    マユはただ生きてるだけ。その生き様ってだけで、成長とか変化とかそういうポジティブなものだけじゃないっていうか。折々出てくる夫の描写が「よくある夫」で吐き気がする。こっちの身体的精神的しんどさなんて微塵もわかってねーなコイツ、っていう。
    そういう意味では依存したり泣き喚いたり怒り狂ったりするマユに親近感を覚えた。
    印象に残ってるのは「私は侮られようとしている」っていう15才のマユの言葉。
    そういうことやるよね。解ってやってるんだよね。そうそうそうなんだよ、っていう。そのほうが相手(男)はわかりやすく接してくるし、利害関係で付き合いやすい。それって本当は全然健康的じゃないし、自分の価値を落とすことなんだけど、そういう風に振る舞うことで凌いでいる女は多いだろうな…と思った。

  • 金原ひとみの書く「わたし」に圧倒される。もうわたしわたしわたしわたしでこの人の世界にはわたししかない。わたしとわたしのことを好きといってくれる男。たまにわたしの子供。それも結局わたし。なんかもうほんとうに凄い。ここまで清々しくわたしなら、もうわたしだけでいいじゃん、なんにも迷うことも心配することもないよ、って感じだけれども、わたしがわたしだからこそ、イライラしまくってるわけで。なんだか「わたし」がゲシュタルト崩壊しそうだけれども、そのくらい「わたし」が全開だったし全面に出ていた。ちょっとアンバランスさも感じて(ただの自分大好き女の小説ではない)、この人もなにかと色々いきるの大変そうだな、と思った。

  • 旅は時々、自分時間と自分のいる空間の殻を破ってくれる。「女の過程」「沼津」では帰る場所のないままの旅だったが、母となり帰る場所に制約される現実を受け入れていく。

     金原ひとみの作品があまり好きになれないのは、動物的感覚の強さかもしれない。危うい均衡さでズブズブと堕落しながらも、最後はつま先で踏ん張ってしまうような、そんな感覚がある。
     「女の過程内」の「可愛い」という言葉に含んだ軽蔑のニアンスにはニヤリとしてしまった。便利な「可愛い」と言う言葉の多様性を見せてくれた。
     期待していた「沼津」が拍子抜けした。沼津は潮の香りが強烈な町だよ。ただこの作中で、四人がサークルになって手をつなぐ4次元旅行の体験遊びが、祈りにもにた精神状態から現実にもどり、一番旅らしく思った。
     社会に迎合しない強さが不気味で、読了後、不快感になってしまうのかもしれない。
     

  • 普通に真面目に学生時代を過ごし、
    普通に結婚し、子を育ててる自分からみると、
    なんだコイツは…
    が感想。
    子供の頃に変に大人びていて、大人になったら変に子供じみていて。
    フワフワ、地に足がついてなくてイライラ。
    そんな気持ちにさせる、文章力は流石。

  • "私たちは、サラダスピナーの中に放り込まれた菜っ葉のように
    ぐるぐると回され、遠心力で壁にへばりつき、
    運命という力に抗えないまま身動きが取れなくなっているようだ。"





    刹那主義、破滅願望、男性依存、作家。


    著者の作品に共通するいつもの「私」

    今作の「私」も「Hawaii de Aloha」の中盤から一度落ちる。
    しかし「フリウリ」の彼女はマユに戻っていて、
    むしろ彼女は「母性」を身につけている。
    「夏旅」の「私」もTRIPすることもになく旅行から戻ってきており、
    「マユ」のままで終わる。
    ドロドロとしたものを抱えて終わることが多い著者だが、
    今作の終わりは割と意外。


    ”大抵、人と人との関係は、相手が伝えようとすることを悪意からであったり
    保身からであったり、理由は色々あるだろうけど、誤解してみせたり、
    勘ぐってみたり、ねじ曲げて捉えたり、他の話にすり替えたりして、
    結局相手の伝えたい事は分かっていても分からない振りをしたり、
    本当に伝えたい事とは別の事を主張してみたり、
    そういう回りくどい事をするばかりで結局話も関係も何一つ進まない”

  • 祝文庫化。「成長」とか「旅立ち」と言う言葉に弱いかも、、、

    角川書店のPR
    「ハワイ、パリ、江ノ島……6つの旅で傷つきながら輝いていく女たち。凝縮された時と場所ゆえに浮かび上がってくる興奮と焦燥。終わりがあるゆえに迫って来る喜びと寂しさ。鋭利な筆致が女性の成長と旅立ちを描く。」

    TRIP TRAP トリップ・トラップ|金原ひとみ
    http://www.kadokawa.co.jp/sp/200912-06/

  • 主人公は精神的に幼くて依存心が強く、最初はイライラしてました。
    人に甘えすぎでしょ…と読むのをやめようかと思ったこともあります。
    だけど読み勧めていくうちに、心の何処かで感じていた、抑圧の存在に気づきました。

    きっかけは、彼氏とパリ旅行する章。
    主人公が、他の男性から強引に二次会に連れて行かれるのを、彼氏が阻止しなかったことに不満を感じる。
    もっと私に執着してよ、とストレートに彼氏に言うが、彼氏は面倒になり適当に返事するようになると、主人公は大人しくなるどころか「私の話を聞いて、理解して」と激しい感情で怒る。
    (私は、彼氏に見捨てられるのが怖くてこんなこと言えないよ…)とハラハラしたり不安になりながら読んでいたが、話は急展開。
    主人公は牡蠣に当たって寝込むが、彼氏は観光に行く。
    主人公はそのことを知ると、彼氏に理解されていない、愛されていないと大暴れする。
    しかし、彼氏が戻ってきたら吹っ切れてケロリとする。

    愛情を相手に要求する主人公の行動に心を動かされました。
    私は、相手の愛情を確かめることが怖く、愛されたいという感情に気づかないようにしてやりすごしていたのだなと気づきました。

    読後は、愛情を確かめたい欲求は抑圧しなくてはいけないという呪いが解けたような気がしました。

  • 『最後の音楽:|| ヒップホップ対話篇』という本で菊地成孔氏が紹介していて気になったので読んだ。著者の小説は昔は熱心に読んでいたが久しぶりに読むと自分が歳をとったこともあり理解できる感情が多く楽しめた。
     短編が6作収録されており主人公はいずれも女性かつ一人称。タイトルどおり国内外問わず旅行に行ったときの感情の機微が丁寧に描写されている。こないだエッセイを読んだ際にも感じたが日常における小さな違和感を見つける観察力とそれに対してぶわーっと感情が溢れだしていく文章の連なりがユニーク。引き算して行間で魅せるというより足し算でゴリ押しスタイルなので活字中毒者には心地よくグイグイ読んだ。
     菊地氏が紹介していた「沼津」や「女の過程」といった短編はヤンキーの生息する社会が文学という形で表現されている稀有な例であった。氏が言う通り濃厚なヒップホップの匂いがそこにある。著者自身の出自もあいまって「中卒の言葉にやられちまいな」というAnarchyのラインを引用したくなる。

     一つ目の短編から家出というトリッキーな旅行から始まるあたりに一筋縄ではいかない著者を垣間見た。短編はいずれも直接はつながっていないが、中学生、高校生から妻、母と読み進めるにつれて主人公のライフステージは変化していく。登場人物の名前も一部重複しているので、一つの世界線として読むこともできるだろう。その観点でみると若い頃はとにかく異性に依存していたい気持ちが悪びれることなく全面に表現されているが、子どもを持つ主人公になると破綻してくる。異性に依存する側から子どもから依存される側への移行に伴う心情描写がかなり正直だった。特に男性が育児に関わらないことで女性が育児に「トラップ」され自己犠牲を極端に強いられることに対して懐疑的であり「育児も当然大事だが自分の人生が押し潰されるなんておかしい」という主張が2009年時点で放たれている点がかっこいい。タバコを吸いながら泣いている子どもが乗ったベビーカーを押しているシーンがその際たる例で小説だからこそできる表現だろう。未読の作品がまだまだあるので時間見つけて他のも読みたい。

  • いくつものテーマを織り込みながら、一つのストーリーとして描ききる力量に感服した。
    少女から女、女から妻、妻から母への変身に伴い、人として成長し男との関係も変化していく。
    主人公マユの成長が文体にも表れており、最初と最後の章ではすっかり別人が書いたのかと見紛うほど。
    個人的にはパリ旅行編の慌ただしさがコミカルで楽しく読めた。

  • うーん。。
    金原ひとみさんの本は何冊か読んだけど、これはいまひとつ。。。。
    途中で読むのやめてしまった。°(°´ᯅ`°)°。
    話に盛り上がりがないし、主人公の人柄もいまひとつわからない。

  • 金原ひとみの作品は何を読んでも共感度ゼロだけど、つい読んでしまうのは、自分の知らない世界を覗き見たいからかな。
    ただの不良少女だと思っていたマユが、急に小説家になっていて、更に急に母親になっていた。その過程は描かれていないので、少し戸惑う。
    私は子供を育てていないので、マユの夫と同じでその大変さを味わっていない。そんな意味で何となく後ろめたさを感じてしまう。

    「女は人生の中で何度も、完全な別物に生まれ変わる。それは青虫が蝶になったり、蛆が蝿になったり、猿が人間になったりするのと同じだ。」
    青虫から蝶になる過程の蛹の中ではドロドロになるらしいので、何となくグロテスク。

  • 2016.3.15

  • 著者は自分の経験した事を小説にしているのでしょうか。もっと大人になってからの作品が楽しみです。登場人物は私の敬遠してきたタイプの人が多く、でも不思議と違和感も不快感も感じない。違う作品も読んでみたいと思います。

  • 150509

  • 旅をすることで、自分の成長を確認できるのだとおもった。

  • 憂鬱たち、オートフィクションと金原作品を読み続けているのだがここにきて、もうこの著者はいいかなと感じつつある。憂鬱たちの鬱の世界のブラックユーモア、別世界の滑稽な行動。オートフィクションの斬新な表現力など2作品ともに若者向けというか読み出したら一気読みできるくらいどっぷりと金原作品に浸ってしまうのに、今回は最初の2作品は面白かったのだが、パリからはもうページをめくるのがしんどくなっていた。とりたてて面白い表現、行動もなく平行線のまま話が進んでいく。
    特に最後の2作品はおそらく著者の実体験をそのままに書いているだけでただのエッセイか日記のように感じた。

  • 金原ひとみ作品は初めて読んだ。
    文体自体は読みやすく、流れも入りやすかった。
    ただ、女性視点の旅に関する話だったため、
    内容としてはイマイチ。
    他の作品も読んでみたい。

  • 当たり前のことなんやろうけど、この人の小説を読むたびにいつも才能を感じる。ほえ〜ってなる。

    好きな内容でも好きやない内容でも、
    ほえ〜ってなる。

  • 物語の最後、海のシーンで夫が私を助けに来たんじゃないのか、と「私」がぼんやり考えるところが好きです。
    珍しく幻想的なので。
    あと、表紙がおしゃれ。

  • 金原瑞人の娘?ということは何となく知っていたが、この人の本は全く読んだことがなかった。たまたま文庫棚にあって、借りてみた。

    マユという子が主人公。15の中学生だったマユは、パチンコ屋で働く年上の男の寮に潜むように同棲していて、学校には行ってない。男に縛られ、自分も縛りつけているような。そんなマユの生活は、あとの章で、少しずつ年齢が上がっても、あまりかわらない。携帯をいじって、タバコを吸って、酒を飲んで、男をひっかけているのか、ひっかけられているのか。何かに依存することで、やっと生きているようにも感じられる。

    マユが夫とパリに行く章、ハワイへ行く章、そして子どもができたマユが子連れでイタリアへ行く章…男への依存、エキセントリックな行動、そういうのを読んでて、加藤和彦と結婚したあとの安井かずみが、こんな感じやったんかなーと、かってに想像した。依存というのか、加藤を縛り、自分を縛りつけるように結婚後を生きた(ように読める)安井かずみ。

    マユの姿は、それに似てる気がした。

    パリでのマユは、夫に「フランスにいる間、片時も私から離れないでね」などと言う。

    ▼…とにかく一人で何かしなければならない状況が私は嫌で、いつも彼と二人で共同責任でなければ嫌だった。私は彼の保護下にあって、私の責任は私ではなく渠にあるという状態でなければ真っ当ではいられなかった。
     …(略)依存している私を責める彼に、依存させた責任はそっちにある、と私は苛立っている。あなたがスポイルしてくれると言ったから、私は一人で生きていけなくなったのに、今更自立だの何だのと言われたところで、そんなのは受け入れられない。(p.130)

    マユは、そうして依存して、男を自分に縛りつけるようにして、でも、そのなかで、自分が何を見て何を感じているかを省みてもいる。

    ▼彼といると、他の人が色々な面を持っている事が分かる。決して自分の感じた事が全てではないのだと分かる。彼と知りあって、そうして二人で色々な経験をしてきたのに、どうしてだろう私は彼の事を偏見にまみれた目でしか見れない。彼が女と話していると気が狂いそうになるし、彼は私の事を大切にしてないと思い込むし、彼が携帯で話しているのを見ると女じゃないかと疑うし、一緒にいない時は浮気か浮気でなくとも何か私の事を裏切っているんじゃないかと不安になる。彼と一緒にいると、色々なものが見えてくるのに、私の目から見える彼という生き物は、どんどん現実の彼とはかけ離れていって、歪んでいっているような気がする。(pp.163-164)

    子連れで初めて出た旅がヨーロッパで、その行きの道中の十数時間で、もうマユはへとへとになっている。子どもをなんとか泣かせまいとし、泣き出す子どもに泣きそうになり、ずっとずっとずっと、腱鞘炎になりそうなほど子どもを抱っこし続けている。そこに、マユの変化が垣間見える。

    ▼…生まれてこの方自立を拒み続けていた私が、とうとう何かを出来る人間になりたいと思うようになった。何も出来ない女でいたい、いつも誰かに何でもしてもらえる人間でありたい、そう望み続けていたのに、もうそういう女であり続ける事が出来なくなってしまった。…(p.223)

    子どもをもって、多くのものを得て、多くのものを失ったと思うマユ。「少なくともあらゆるものを捨て去って、女は母になる」(p.215)と思うマユ。マユがぶるぶるとするほど抱っこを続けているあいだに、隣の席で夫は本を読んだりもして、それにストレスを感じるマユ。

    ▼…この21世紀に於いても母親が育児の90パーセントを受け持つ風潮が生き残っている現実への憤りを皮肉に笑ってやり過ごすために、私は出産してから何度も頭の中で繰り広げてきたバカみたいな押し問答を繰り返していた。(pp.207-208)

    これは、マユの自立だろうかと、思いながら読んだ。一人の男に自分を縛りつけていたマユの関係のとり方が、少しずつ変わっていく。ほとんど目の前の男のことしか見ていない(見えていない)かのようだったマユが、変わっていく。

    その変わっていくマユに、私はちょっとほっとしたのだ。

    (6/7了)

  • 【472】

    読みやすい。
    別の作品と絡んでるらしいが、覚えてない。
    女のどろどろしたところを、あっさり軽く書いてる感じ。

  • 『蛇にピアス』以来10年ぶりくらいにこの人の文章を読む。
    何せ2冊目なのでこれまでの過程は知らないが
    平凡なことを書けるようになったんだなぁという印象。
    毎日同じようなことをして退屈で窮屈でそれなのに忙しく目まぐるしくて、生きているってそれだけで大変ですごいこと。そういうことを書くのって、インパクトで勝負するよりずっと難しいんじゃないかな。
    途中から、マユの付き合ってる男の名前が出てこなくなったのがおもしろかった。男に依存して生きたい、そうしないと自分が分からないと言っていたけどそんなことはなかった。だって名前の分からないどの男と付き合っていても、彼女はいつもしっかり彼女だった。
    人生のいろんな段階で、女は変わる。
    変わることでそれまでの自分が分からなくなろうと、他の何かに依存していようと、自分は自分でしかあり得ない。

  • 主人公マユの中学生時代から母になるまでの各過程を描いた短編集。

    でも私は、5つの短編全てがマユのことを描いていると、解説を読むまで気付かなかったのです、あり得ない。。


    >彼といると、他の人が色々な面を持っている事が分かる。
    >決して自分の感じた事が全てではないのだと分かる。

  • この一文、どこかで一回切れたでしょ!っていう、
    長ったらしい文章がとても好きです。

    奇しくも
    「わたくし率 イン 歯ー、または世界」を読んだ後だったので
    なんというか、長く、苦しく、爽快な文章のお話が続いたなあと。

    たくさんの積読本の中から、導かれるように手がのびるときって、
    そういう、あ、これ前読んだ本にもあった!みたいな、
    デジャブ、ではないんだけど、そんなものを感じることがあるから不思議。

    話がそれた。

    自分がもう戻ることができない青春ぽい話がベタに好きなので、
    「女の過程」が一番好きでした。
    「沼津」はなんか、日記を読んでるようで、なんか、うーん。

    今の私は三年で消滅する、はずだったのに
    十年たってしまった。そんなもんなんだな、人生って。

    とても生き急いでいる自覚があるので。

    以下引用

    ---「女の過程」------------------------------

    人のことをバカにしながら本当は羨んでいたり、怒っている振りをしながら本当は喜んでいたり、そういう所が透けて見えるのが気持ち悪くて、私は祥のそういう所を目の当たりにするたびに祥にうんざりしていった。

    ---------------------------------

    可愛いね、彼女の言葉に、はっとした。そういうポジティブな言葉に隠されたネガティブな感情に、冷たい手で心臓を鷲づかみにされたようにぎょっとした。

    ---------------------------------

    女と女の出会いというのは、いつも戦いだ。彼女と話し終えて、私は勝った気持ちでいた。そもそも、負けたことなんてない。それが、地球上で可愛いのは私一人、的な若さ故の先走った自意識に裏打ちされているのも分かっているけれど、その客観性に対してもだから何? ってくらいの無頓着ぶりでいられる。自分より美人な女がいるなんて事はもちろん知っている。でも自分が一番美人だと思っていた。(中略)十八を過ぎた私と、今の私は、全く別の生き物だ。今の私は、約三年後に消滅する。

    ---------------------------------

    女は人生の中で何度でも、完全な別物に生まれ変わる。それは青虫が蝶になったり、蛆が蠅になったり、猿が人間になったりするのと同じだ。女は何度でも生まれ変わって、美しくなったり、醜くなったりする。

    ---------------------------------

    可愛いねという言葉が、私にとって単純に嬉しい言葉だろうと思っているから、そう言うのだろう。同じ可愛いでも、ユイさんの言う可愛いと、この人の言う可愛いは全然違って、多分ユイさんは私が可愛いという言葉を単純に可愛いという意味に受け取らないと知りながら、そう言ったのだろう。そこに籠められた侮辱や嘲りを感じ取る事を知りながら、彼女は可愛いと言ったに違いない。男の言う可愛いにも見くびりが交じっているのは分かるけど、それはほとんどの男に共通する、バカな女ほどいい、という気持ちが出ている好意的な見くびりであって、ユイさんの可愛いは、バカな振りをしたり、幼い振りをする事でしか自分を売り込めないくせにという、そういう嫌みの籠った可愛いだった。分からないけど、多分そういう軽蔑が籠っていた。

    ---------------------------------

    女っていうのは何で一番に感情で二番に言葉で三番に理性なのだろうと、自分の悪癖をまた性に転換する。

    ---------------------------------

    何となくそういう意味のない事を考えながら、私は自分が知らない事がたくさんあって、たくさんありすぎて、だから自分が何なのかとかどこにいるのかとか分かっていないだけなんじゃないかと思った。いつも誰かの何かになる事でしか自分を作れなかったけれど、結局そんな風にして作られた自分はその誰かとの関係の中で簡単に消滅してしまうわけで、そう考えると今私がすべき事は、このど田舎でドクターペッパーを飲む事じゃないのかもしれない。でもすべき事なんて考え方時代がバカげているように思う。すべき事って何だろう。私は何をしたいんだろう。でもそんなの状況によって変わるものだし、本来の自分が求めてる事、って言ってもその自分っていうのも結局周囲との関係性によって象られた自分でしかなくて、って考えていると頭が悪くなったようになって、結局秋晴れの空を見上げて目を瞑った。

    ---「Hawaii de Aloha」------------------------------

    「……どうしたの?」
    「馬鹿みたい」
    「なにが?」
    「私一人で喜んだり悲しんだりして、馬鹿みたいだね」

    ---「フリウリ」------------------------------

    子供の靴下が脱げた事にも気つかず、子供が泣いてると怒られるんじゃないかとびくびくしている、テンパった自分が情けなかった。四ヶ月で完璧な母親になるのは無理にしても、四ヶ月経ってもなかなか身につかない自信や体力や精神力が、いつになったら手に入るのか、さっき隣の席に座っていた落ち着いたお母さんを思い出して泣きたくなった。

    ---------------------------------

    子供を産んで、私もあらゆる事に関して恥を感じなくなったのは事実だった。恥ずかしいなどと言っていたら何も出来なくなる。この子が生まれてすぐ、その事実を感じ取った。恥ずかしいなどと言っていたら、赤子と共に引きこもりになるしかない。だから世の母親たちがどんどん周りを気にしなくなって、女でもないものになっていくのも、仕方のない事のように今は思える。自分はそうなりたくないと思うけれど、子供が生まれる前の自分と比べると、今の自分がどんどん自意識を捨てどんどん強くなっているのが分かる。

    ---------------------------------

    放っておけば一日スナック菓子で飢えをしのぎ、一日に三箱煙草を吸い、眠くなったら寝て、予定がない日は十二時間以上眠って起きてテレビを見ては「疲れた」を連呼していた私が、毎朝赤ん坊に起こされ、飯やトイレや風呂や病気や、つまり一人の人間の全ての責任を負う事になろうとは、妊娠するまでは思いもしなかったし、言って見れば妊娠中もこんな自分になれるとは思っていなかった。赤ん坊の泣き声という暴力的なまでの強制力をもってして初めて、私は責任を負う立場に立つ事となった。

    ---------------------------------

    生まれてこの方自立を拒み続けてきた私が、とうとう何かを出来る人になりたいと思うようになった。何も出来ない女でいたい、いつも誰かに何でもしてもらえる人間でありたい、そう望み続けていたのに、もうそういう女であり続ける事が出来なくなってしまった。

    ---「夏旅」------------------------------

    どんどん汚くなっていく部屋、どんどん溜まっていく洗濯物洗い物ゴミ袋、どんなに溜めてもいつかは自分がこの手で全て片付けなければならないのだと思うと死にたくなった。家事を溜めれば溜めるほど、自分の中に腐った生ゴミが溜まっていくように感じられ、汚い部屋や溜まったゴミや洗い物洗濯物を見るだけで思考回路がばつんと切断され頭のてっぺんが雑巾絞りのように絞られていくような螺旋状の狂気が襲った。水道の蛇口に届きそうなほど積み上げられた皿を放心して見つめながら、何度涙を流しただろう。何度、泣きながらゴム手袋をはめ、洗い物をしただろう。

    ---------------------------------

    母親業というのは、一種のプレイだ。家事も育児も、M女に求められる母親プレイという演技だ。私は確固とした自分を保ち、その上で母を演じているだけなのだ。鼻で笑いながらそう自分に言い聞かせ、私は幾度となく発狂を免れた。

    ---------------------------------

    子供と話していると、自分が下らないセオリーに身を投じてしまった下らない大人に思えてくる。世間を知らない子供に下らない常識、歪められた現代の世論を押しつけているような、そんな罪悪感が残った。

    ---------------------------------

    むずむずした感情が湧き上がり、しばらくしてそれが羨みだと気づいた。私はこと、自由気ままな彼のキャラクターや生活が羨ましいのだ。何をしているんだろう。我に返ったように、自分の行動が分からなくなる。私は子供を保育園に預け、江の島に来て、水着姿で何故、見知らぬ男と話しているんだろう。一瞬考えた後、少なくとも見知らぬ男と話す事に、もう少し若かった頃は違和感など持たなかったと、自分の変化を思った。

    ---------------------------------

    こんなにも満たされない思いを抱え、蒸発するように日帰り旅行に出たにも拘らず、私には特に祈る事も願う事もないのだ。そう思った瞬間、絶望と共に強烈な安堵が襲った。

    ---------------------------------

    引用終わり。
    一文を切り取る、ってのが難しくて、
    なんかカタマリで引用したからすごい長くなっちゃった。

  • 15歳の不良少女マユの成長を描いた連作短編集。今時の若い女性は、こんな感じなのかなと思いながら読み進む。マユは17歳になり、作家になり、結婚して… 作者の自伝的な要素もあるのだろうか。マユの人間的な成長は感じられなかったし、物語が平坦過ぎて、TRIP感も無かった。

    『蛇にピアス』『アッシュベイビー』のようなスリルや起伏が無い。

  • 読んでいるとき、ずっと黒板に爪を立てる音を聞かされているような気持ちだった。それが読み進めるにつれて徐々におさまってきた。
    それは、十五歳で男と同棲する不良少女のマユが、徐々に普通の女性に変わっていく過程とリンクしていたと思う。彼女の達観したような、世界をはすに眺めているような感じがだんだん薄れてきて、感情を爆発させ、まわりと折り合いをつけ、仕事をし、子育てまでするようになる。
    これを成長したととらえるか、平凡になってしまったと思うのかは人によって違うのだろう。

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著者プロフィール

1983年東京都生まれ。2004年にデビュー作『蛇にピアス』で芥川賞を受賞。著書に『AMEBIC』『マザーズ』『アンソーシャルディスタンス』『ミーツ・ザ・ワールド』『デクリネゾン』等。

「2023年 『腹を空かせた勇者ども』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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