- Amazon.co.jp ・本 (336ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061595910
作品紹介・あらすじ
密教の実践的研究を通して、チベット高原の仏教思想と現代思想が幸福な邂逅をとげる-。物質に対する執着に眼を曇らされた闇を抜け、いまだ顕れ出ることのない純粋な未発の光に満ちたもう一つの夜を渡る旅へ。"精神の考古学"を駆使して新たな知の時代を切り拓き、思想の大海を軽やかに横断し続ける著者の代表作、待望の文庫化。
感想・レビュー・書評
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見えるってなんだろう?
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中沢新一の初期の作品集で名著。のちの中沢学の片鱗がみえる
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【貸出状況・配架場所はこちらから確認できます】
https://lib-opac.bunri-u.ac.jp/opac/volume/740349 -
本の調律、極楽論、ヌーベル・ブッディスト、砂漠のランボー 「チベットのモーツァルト-クリステヴァ論」 のみ読了/かろやかさ、微分、差異、運動といったキーワードが散りばめられ、身を打つ天上の音楽が奏でられる至福に思いを馳せつつ。「雪片曲線論」の読後感とおなじく、身体の中をさわやかな風が駆け抜けていくような。ただ前に読んだ時より読めなくなった。特に、表題作は途中から目がすべり言葉がこぼれ落ちていくようだった。
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秋葉さんのオススメ
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仏教におけるチベット・タントリズムと、ポスト構造主義におけるドゥルーズ的な生成の思想をつなぐ、著者の知的冒険が展開されている本です。
著者は、みずからの思索の軌跡を説明するにあたって、ヤキ・インディオの呪術師のもとで修行した体験を記述したC・カスタネダの議論を参照しています。カスタネダは学生時代、シュッツの現象学的社会学をラディカルに推し進めたガーフィンケルのエスノメソドロジーを学んでいました。エスノメソドロジーでは、この現実は相互主観的に構成されたとみなされることになります。彼らにとって社会学調査は、人びとが当然視していることを疑問に付し、そこに亀裂を入りこまる「現象学的苦行」の場だと考えられます。しかしカスタネダは、あらゆる常識に対して疑問の目を向けるエスノメソドロジーとは逆に、呪術師との対話のなかでみずからのよって立つ足場が疑問の淵に投げ入れられるという体験を記述しています。
とはいえ、意識変容の体験を通して「現実」の根底にある無意識の領域にめざめたとカスタネダが語っていると理解するならば、それは誤りといわなければなりません。むしろ、そうした二元論を宙吊りにし「世界を止める」ことの会得がめざされていたというべきでしょう。幻覚体験は根源的な世界経験などではなく、そうした二元論を抜け出すための「戦術」だと理解される必要があります。
そして、チベット・タントリズムにおいてもこれとおなじことがめざされていると著者は考えています。チベット・タントリズムの修行を通して著者自身が獲得した経験は、クリステヴァのことばを用いて説明するならば、フェノ=テクストとジェノ=テクストのたえざる往還運動が起こっている意味生成の「場所」(khora)へと身を開き、さらにはみずからの身体をそうした「場所」とすることだということができるでしょう。
著者は、本書のなかで仏教の中観を論じつつ、「誰でもできる脱構築」ということばを使っています。そのことばの安易さには正直なところ同意できないのですが、仏教の「戦術」的な性格をそれなりにうまくいいあてているように思えることもじじつであるように思います。 -
意識の深部を 著者と一緒に探検しているような本。映画「マトリックス」のように 現実の多層性を感じながら、ミクロの世界で 意識の深部には何があるのか探検している。宇宙のような無限性も感じる
「極楽論」の章は、生存と非生存の間(あわい)にある 無限の 天国、浄土を 横断している。点としての 天使、極楽浄土の音楽を感じながら
「病のゼロロジック」以後は 本のテーマから少し外れるが、聴きなれない哲学用語も少なく 読みやすいし、面白い -
私たちが考える「意識」よりずっと高次元にある、深遠で微妙な「意識」。その状態に自分を持って行くことができれば、日常の「現実」とは全く異なる高次の「現実」を体験することになるという(いわゆるトランス状態)。
イスラーム神秘主義やヒンドゥー教の本、あるいは心理学の本などを読んでいると、しばしばこのような境地について語られるのに出くわす。そういう神秘的な心の状態について、とても興味はあるものの、やはり自分とは遠い世界の話のように思ってきた。
しかし、自らチベットで修行をした経験のある中沢氏の描くそれは、圧倒的な臨場感と迫力に満ちていて、説得力がある。とはいえ、私の想像力をはるかに超えたもので、そういう意識の状態にある時どんな感じがするのか、見当もつかないけれど。
本書で中沢氏は、神秘的な高次の意識や、それを通して見る現実のありようを、哲学の言葉で語ることを試みている。本書を読んで、私にとって想像することがむずかしい境地について、考えてみるための指針のようなものが与えられたような気がする。