神様 2011

著者 :
  • 講談社
3.61
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本棚登録 : 965
レビュー : 161
  • Amazon.co.jp ・本 (50ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062172325

作品紹介・あらすじ

くまにさそわれて散歩に出る。「あのこと」以来、初めて-。1993年に書かれたデビュー作「神様」が、2011年の福島原発事故を受け、新たに生まれ変わった-。「群像」発表時より注目を集める話題の書。

感想・レビュー・書評

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  • 怒っているのだな、ということがわかる。川上弘美は、怒って、怒りながらこれを書いたのだな。
    だって、くまと散歩して魚をとったりお昼寝したりする、一読してのんびりとも牧歌的とも感じる「神様」を、いくつもある自作の中からわざわざ選んで、そこに、「あのこと」の後の世界を上書きしてしまったのだから。

    読み比べてみればわかる。そこここに彼女が差し込んだ、「防護服」「除染」「被爆許容量」などの、くまと散歩して魚をとる昼寝をする世界とは、明らかに異質な単語。
    3世帯しか残っていないマンション、子どものいない水辺。
    「神様」には出てくるのに「神様2011」には出てこないものと、「神様」にはなかったのに「神様2011」には当然の顔で居座るもの。

    その異質なものが、いつか日常になってしまうことを恐れる。
    今だって、まだ家に帰れない人々、故郷をうちやったままで断腸の人々がいるのに、そこ以外では、停電もとりあえずなくなって日常を取り戻したつもりになっている。原発も放射線も、何も解決などされていないのに。
    その日常に、かつてはSFの中のものだったガイガーカウンターや除染が、言葉としても実質としても、忍び込んでいる。そして忍び込んでいることに慣れてしまうことが怖い。

    人智を超えているからこそ、触れてはいけないものがあったはずだ。今だってあるはずだ。
    ウランは自然界にあって、ウランの神様はいた、ずっといた。触れずにいる間は牧歌でいられたけれど、でも触れてしまった。触れてしまった後の世界になってしまった。
    知りませんでした、で済ませるには、あまりにも大きな破壊、あまりにも長いこの後の何千何万何億年だ。

    それでも、「大いなるよろこび」を信じて最善を尽くしてゆくしか、手だてはない。
    と、くまの、思ったよりも冷たい体温を想像しながら、やっぱり思う。

  • 川上弘美さんの作品を知ったのはまだ数年前ですが、
    1993年に書かれた「神様」が…ほんわかして優しくて大好きです。
    その後、2011年に「神様2011」が「あのこと」をベースにした神様の物語が書かれています。
    あのこととは、2011年東日本大震災による福島原発事故。わたしは、震災のニュースを見、大きな衝撃を受けたが、原発事故のことは、あまり意識の中になかった(というか、わからなかった)。
    最後の川上弘美さん自身の「あとがき」は、まるで川上さんが話しておられるような語り調で、背筋が伸びる気がした。非常に訴えを感じた。怒りと受容にも似た。

    本の中の前述の「神様」の文は、原文そのまま。
    後の方の「神様2011」は、くまとの楽しい一日が、あのことがあって変ってしまった日常に加えて描いてある。例えばくまが防御服を着ているところとか。

    日本は大きく変わってしまったけれど、日常は続いてゆく。怒りは最終的に自分自身に向かってくるのだが、(中略)それでもわたしたちは、それぞれの日常を、たんたんと生きてゆくし、意地でも「もうやになった」と、この生を放り出すこともしたくない。だって、生きることは、それ自体が、大いなるよろこびであるはずなのですから。
    と締めくくってある、この文章は(よく思うのは、川上さんの書かれるものはラストは生きることの素晴らしさを訴えているように感じる)、原発のみならず、今起きているコロナ禍に向けてのエールにも感じる。

  • 前作ができた1993年は私が生まれた年で、「あのこと」がこんなにも風景を一変させてしまったんだなと感じた。『神様』と『神様2011』を読み比べることで、その変化が一層浮き彫りになった。それでも生きるということを熊の神様が静かに投げかけているように感じた。

  • 川上さんのデビュー作「神様」は、くまにさそわれて散歩に出るという不思議で温かくて、なんか哀しくもなる小さな日常のお話だったけれど、それを今年のあの地震&原発事故を踏まえて少しずつ書き変えたら…。 オリジナルの「神様」で、主人公は三つ隣の305号室に引越してきた くまに誘われて散歩に出る。くまは、たぶん少しシャイながら大人の心を持つ、主人公の見方では、昔気質だったり大時代的だったりする くまなのが、ほんのりと可笑しく、でも、くまはくまなのだから、どこかで全ては通じ合ってない、と思わせるところがまた好きだった。
    同じ人間同士だってとことんわかりあえるわけではない、ということ、でも、人間とくまという間柄で始めから何でもわかりあえる存在になれるはずがない、という前提を基に一緒に時間を過ごしてみると、あれこれ気持ちが通い合うところがとても嬉しく感じられ、うん、それでいいじゃないの、人間だってさ、なんて優しい気持ちにもなれたような気がしたり。

    そして、思うことは、タイトルの「神様」ってなんだろう、ということ。
    小さなハイキングの後に、くまが

    「今日はほんとうに楽しかったです。遠くへ旅行して帰ってきたような気持ちです。熊の神様のお恵みがあなたの上にも降り注ぎますように」と言ってくれ、

    主人公は、眠る前に日記を書きながら

    熊の神とはどのようなものか、想像してみたが、検討がつかなかった。悪くない一日だった。

    と思うところでこのお話は終わるのだけど、川上さんはこのタイトルで何が言いたかったのだろう、と、これは誰でも思うことだろうけど。

    私は、特定の宗教は持たない、いわゆる一般的な日本人だけれど、神様という存在はどこかしらに感じているように思う。神様=おてんとうさま、と言ってもいいかもしれないけど、(川上さんも後書きに書いてらした。)どこか人間たちの知恵の及ばないところに大きな存在があり、普段は優しく見守ってくれているのではないか、なんとか道を踏み外さないように、言い方は変だけど味方(*^_^*)してくれているのではないか、とも。

    だから、熊の神様もきっとそんな存在で、うん、目には見えないけど、私たちは守られているんですよ、人間だけでなく、熊にもその他の生き物にも、いや、生き物以外にも神様っているんじゃないの? という嬉しさをも含むお話だったのでは、なんてね。

    そして、今回の「神様2011」は、一行目から“防護服”が出てくるという、放射能が蔓延してしまった後の地が舞台になっている。でも本文はほとんどオリジナルと変わらず、だからこそ、ほんの少し折々に差しこまれる異変の描写がとても怖ろしい。
    主人公とくまは、「あのこと」呼ばれる3月11日の前と同じように、ハイキングをし、話し、昼寝をし、抱擁を交わしあう。でも、たぶん、人の心も風景も「あのこと」以前とは全然違ったものになっているのが静かな怒りを持って書かれているのがよくわかる。

    川上さんは、声高に何かを非難してはおらず、ただ、当たり前の生活が奪われたこと、そして、その異常事態である今が既に日常になっている悲しみを描かれている。

    私自身、「あのこと」の後の政府や東電の対応には、腕をブルンブルンと振り回したいほど怒りを覚えているけれど、あの事故そのものについては、人智を越えた災厄という認識を持っている。事故が起こってから、後付けで、あれこれの不備や心得違いがあったことがわかっても、今年の3月11日まではそれでよし、としていたじゃん、私だって、あなただって、と思うから。
    それはもちろん、いくら後悔しても後悔しきれないことで、誰に対しても、御免なさい、御免なさいと言いたくなるのだけど・・・。

    こんな小さなお話が今、大きな評判となっており、売り切れの書店も多々ある、という情報に、なんていうか、まだ日本も捨てたもんじゃないんじゃない?と思えるところが嬉しい。
    それこそ、神様っているんじゃないか、何もしてくれなくていいからいてほしい、と思える、とまで言ったら言い過ぎかなぁ。

  •  2011年3月11日に東日本大震災が起こり、川上弘美は3月中にこの小説を書き、自ら出版社に持ち込んだ。掲載されたのは「群像」2011年6月号だから、5月初旬発売で原稿の締切はおよそ4月20日あたり。刊行された小説として福島の原発事故をとりあげた最も早いもののひとつだった。本書にはこの時に発表された「神様 2011」の前に「神様」というタイトルの短編がおさめられている。並置されていると言うのが正しい。ぼくは2012年になったくらいか、当時勤めていた会社の同僚女性に本書を、短いし読みやすいだろうなと考えて、貸した。神戸の出身で阪神淡路大震災を経験していて、東日本大震災のすぐあとに東京へ引っ越してきたひとだった。
     「神様」は川上のデビュー作だ。『神様』(中公文庫)のあとがきから引用する。
    〜” 表題作『神様』は、生まれて初めて活字になった小説である。
    「パスカル短篇文学新人賞」という、パソコン通信上で応募・選考を行う文学賞を受賞し、「GQ」という雑誌に掲載された。
     子供が小さくて日々あたふたしていた頃、ふと「書きたい、何か書きたい」と思い、二時間ほどで一気に書き上げた話だった。
     書いている最中も、子供らはみちみちと取りついてきて往生したし、言葉だって文章だってなかなかうまく出てこなかった。でも、書きながら「書くことって楽しいことであるよなあ」としみじみ思ったものだ。「めんどくさいけど、楽しいものだよなあ、ほんとにまあ」と思ったのだ。
     あのときの「ほんとにまあ」という感じを甦らせたくて、以来ずっと小説を書いているように思う。
     もしあのとき『神様』を書かなければ、今ごろは違う場所で違う生活をしいていたかもしれない。不思議なことである。
     やはりこれもなにかの「縁(えにし)」なのだろう。と、『神様』に登場する「くま」を真似て、わたしもつぶやいてみようか。
    (後略)”
    「神様」の書き出しは、
     
     くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。
    「神様 2011」の書き出しもまったく同じだ。川上はデビュー作を改変して発表した。お茶の水女子大学理学部生物学科を出てから田園調布雙葉高校の理科の先生もしていたひとは、東日本大震災の直後から「原子力」に関する勉強をはじめる。本書のあとがきから。
    〜” 1993年に、わたしはこの本におさめられた最初の短編「神様」を書きました。
     熊の神様、というものの出てくる話です。
     日本には古来たくさんの神様がいました。山の神様、海や川の神様、風や雨の神様などの、大きな自然をつかさどる神様たち。田んぼの神様、住む土地の神様、かまどや厠や井戸の神様などの、人の暮らしのまわりにいる神様たち。祟りをなす神様もいますし、動物の神様もいます。鬼もいれば、ナマハゲもダイダラボッチもキジムナーもいる。
     万物に神が宿るという信仰を、必ずしもわたしは心の底から信じているわけではないのですが、節電のため暖房を消して過した日々の明け方、窓越しにさす太陽の光があんまり暖かくて、思わず「ああ、これはほんとうに、おてんとうさまだ」と、感じ入ったりするほどには、日本古来の感覚はもっているわけです。
     震災以来のさまざまな事々を見聞きするにつけ思ったのは、「わたしは何も知らず、また、知ろうともしないで来てしまったのだな」ということでした。(中略)
     2011年の3月末に、わたしはあらためて、「神様 2011」を書きました。原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段に構えた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりむしろ、日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性を持つものだ、という大きな驚きの気持ちをこめて書きました。静かな怒りが、あの原発事故以来、去りません。むろんこの怒りは、最終的には自分自身に向かってくる怒りです。今の日本をつくってきたのは、ほかならぬ自分でもあるのですから。”
     本書を貸した当時の会社の同僚だった女性は、すこしして、もう一度この本を貸して欲しいと言った。小ぶりで可愛らしい本なのだ。川上はデビュー作を書き換えて、もう一度原点から歩こうと考えたんじゃないかとぼくは思う。原子力開発にまつわる諸問題、あらゆる面からまだいっこも解決していないことを覚えていますか?

  • 2014年の締め括りに改めて読む。
    かの震災から早3年、喉元過ぎれば熱さ忘れると言うがだがそれは被災地復興の労働力を奪うことも知らずにオリンピックだなんだと浮かれている部外者に限ったことであり原発事故が起こった福島の人たちにとっては未だ烈火の塊が喉に詰まったままなのである。
    20世紀の終わりにのほほんと現れてわたしとピクニックをしお土産に干物を残し抱擁をして去って行ったくまが何故また21世紀に現れなければならなかったか?
    目先の利益だけを追い求めるご都合主義の政治家や経済人など放っておいて先ずは私たち一人ひとりがこの国の未来を考えなければならないんじゃないか。
    そんなことも怠り次にまたくまが現れなければならなくなった時、間違いなくこの国は滅びる

  • 1993年に書かれた「神様」を東日本大震災を受けてリライトしたもの。1993年版と2011年版が収録されています。短いのですぐに読めます。非日常は日常に変わりつつあり、風化されずとも薄まる情報や報道に対しての著者なりの怒りや警鐘が伝わってきます。大人はもちろん、子どもにも是非読んでほしい。震災はこれからも続いてしまうのです。評価し難いので、★3にしています。

  • 収録作品は「神様」と「神様2011」。一瞬木で鼻をくくったような内容に戸惑いも。短いし何のこっちゃっ。それでも次第に熊との自然な関わりがじんわり伝わってくる感覚が何だか凄くよかった。原発事故後の2編目も静かな怒りが心に深く染みた。

  • 2013.9.15
    前から『神様』好きだったけど、2011が出てるのは知らなかった。

    書かずにはいれなかったんだろうな。たんたんとしていて、良い。

  • 2011年3月11日東日本大震災。
    直後、「被災地に対して、自分のできることをする」が流行った。
    正しいと思う、でも、選択肢は多くなかったと思う。
    被災地で身体を使い救援にあたるか、多めのお金を出すか。
    実質的にはこの二つしかなかったと思うんだけど、なぜか芸術系のひとたちの「被災地の人を歌で励ます」的なものが流行って、関東の片隅で、自分は、首を傾げながらも、銭湯に行ったり計画停電に備えたり、自分としてはかなり多めの募金を振り込んだりしていたのだった。

    「結果として励ますことになる」なら良いのだけれど。

    川上弘美はもちろん違う。
    励ましでもなく、説教でもない。

    川上弘美の「神様2011」は、1993年に書かれた「神様」を書き直したもの。同じお話である。
    川上弘美らしい、異空間に読者を連れて行く書き出しは変わらない。
    「熊にさそわれて散歩にでる」。
    しかし、散歩に出たはいいが、2011年では、それが、放射線量マイクロシーベルトを気にしなければ成り立たないものと変わってしまっていた。

    これは結構、心を抉られる。
    これは物語内の日常が変わっただけじゃなく、現実の日常が本当にこうなったわけだから。
    福島だけではない。
    新聞には毎日、各都市の前日のマイクロシーベルトが掲載されている。
    これが2011年3月11日から変わってしまった、私たちの日常だ。

    東日本大震災以前に戻ることはできないけれど、では、私たちはこれからどうしたらいいのか。
    自分はどうするべきなのか。
    いつの間にか異界へ連れ去られている、川上弘美の作風色濃いふうわりとした物語に、大変大変重いものを突き付けられた感じがする。

    私は、放射線量を気にして日常を送りたくはないし、どの人にもそんな日常がこれから起こらないよう、ちゃんと考えたい。

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著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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