- Amazon.co.jp ・本 (168ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062748704
作品紹介・あらすじ
村上春樹のデビュー作
1970年夏、あの日の風は、ものうく、ほろ苦く通りすぎていった。僕たちの夢は、もう戻りはしない――。群像新人賞を受賞したデビュー作
1970年の夏、海辺の街に帰省した<僕>は、友人の<鼠>とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。2人それぞれの愛の屈託をさりげなく受けとめてやるうちに、<僕>の夏はものうく、ほろ苦く過ぎさっていく。青春の一片を乾いた軽快なタッチで捉えた出色のデビュー作。群像新人賞受賞。
感想・レビュー・書評
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1.著者;村上氏は、小説家・翻訳家。両親共に高校の国語教師で、本好きの親の影響を受けて読書家に育った。「枕草子」や「平家物語」等の古典文学を暗唱させられ、反動で海外文学に興味が移り、最初に読んだのは「静かなドン」。本書「風の歌を聴け」で群像新人文学賞を受賞し、デビュー。チェコのフランツ・カフカ賞をアジア圏で初めて受賞。日本作家の中でノーベル賞の有力候補。
2.本書;大学生の僕が夏休みに東京から里帰りし、湊街で暮らした18日間の話。40の断章と後書きの構成。有名な一節、「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」から物語が始まる。「僕は友人の鼠とビールを飲み、介抱した女の子と親しくなって、退屈な時を送る。それぞれの愛の屈託をさりげなく受止めてやるうちに、僕の夏はほろ苦く過ぎ去っていく」。青春の断片を軽快な文章で捉えている。村上春樹が独自の世界観を綴っている。
3.個別感想(印象に残った記述を3点に絞り込み、感想を付記);
(1)『第3章』より、『「何故金持ちが嫌いだと思う?」・・「金持ちなんて何も考えないからさ」・・「奴らは大事な事は何も考えない。考えていフリをしているだけさ」・・「必要がないからさ。もちろん金持ちになるには少しばかり頭が要るけどね、金持ちであり続ける為には何も要らない。・・でもね俺はそうじゃない。生きる為には考え続けなくちゃならない」』
●感想⇒人は生きていく為には、衣食住は欠かせず、金持ちはそんな心配はいらないでしょう。しかし、金持ちも色々です。親の遺産で金持ちになった人、自分の努力でなった人。「金持ちなんて何も考えないからさ」とありますが、そうとばかりは言えないでしょう。一代で財をなす人の中の、例えば会社を起した経営者などは、事業や従業員の将来を始終考えていると思います。それはそうとして、人間は生を受けてから「生きる為には考え続けなくちゃならない」のです。自分を含めて、❝世の為人の為❞に刻苦勉励骨身を惜しまず学び、働く事が良いのだと考えます。社会人なのですから。金持ちではなくても、身の丈に合った生活を心掛け、物質より精神面での豊かさを目指し、努力したいものです。
(2)『第31章』より、「故障した飛行機に乗り合わせたみたいにさ。もちろん運の強いのもいりゃ運の悪いのもいる。タフなのもいりゃ弱いのもいる、金持ちもいりゃ貧乏人もいる。だけどね人並外れた強さを持った奴なんて誰もいないんだ。・・・だから早くそれに気付いた人間がほんの少しでも強くなろうって努力すべきなんだ。・・・強い振りの出来る人間が居るだけさ」
●感想⇒「人並外れた強さを持った奴なんて誰もいないんだ」。同感です。人間は性格の違いもありますが、どこかに弱さを抱えていると思います。人生は良い事ばかりではありません。私事です。振り返れば、受験などの人生の岐路に立たされた時、裕福とは言えない家に生まれた事に託けて、自分の弱さを露呈しました。そうした時、物質両面で支援してくれた人がいて、人生の難局を幾度も乗越えられたと感謝あるのみです。「それに気付いた人間がほんの少しでも強くなろうって努力すべきなんだ」。努力の方法は、色々あると思います。私の場合は、❝信頼できる人達の助言❞と❝尊敬できる作家の著作からの学び❞を支えとして努力してきたつもりです。強くなくてもいいじゃありませんか。人生の難題には、前向きに対処しましょう。その積み重ねが強さに繋がり、きっと良い結果を生むと思います。
(3)『第37章』より、「私は17歳で、この三年間本も読めず、テレビを見る事も出来ず、散歩も出来ず、・・・それどころかベッドに起き上がる事も、寝返りを打つ事さえ出来ずに過ごしてきました。・・・私がこの三年間にベッドの上で学んだ事は、どんなに惨めな事からでも人間は何かを学べるし、だからこそ少しずつでも生き続ける事が出来るのだという事です」
●感想⇒作中の17歳は、「どんなに惨めな事からでも人間は何かを学べるし、だからこそ少しずつでも生き続ける事が出来る」と前向きです。私事です。これまでに、病院生活を2度しました。食事はの喉を通らず、トイレにも行けず、個人的には辛い日々でした。この時は、家族の有難さが身に沁みました。他人には頼みづらい下の世話もして貰い、筆舌に尽きし難い感謝の思いで、胸が一杯でした。入院をすると、気力が徐々に無くなっていきます。しかし、フィクションとは言え、17歳という若さでこんなにも強く生きられるのかと、驚きです。自分だけが辛い思いをしていると考える人もいると思いますが、世の中には想像を絶する辛い思いをしている人達がいます。例を上げれば、知人に筋萎縮症で亡くなった人がいます。彼は働き盛りで、家族を残し永眠しました。さぞかし無念だったろうと思います。心身ともに自分だけが不幸と考えず、何事も前向きに生きたいものです。
4.まとめ;村上氏は、インタビューで、冒頭の文章『「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」が書きたかっただけで、後はそれを展開させただけだった。・・・ 小説を書く事の意味を見失った時この文章を思い出し勇気付けられる』と言っています。本書を若い頃に読んだ際の感想は、18日間の夏休みを過ごした日常を淡々と描いているだけで、読者を引付ける骨組みの無い本だと思いました。しかし、今回読み返して、青春時代の風景を著者の力量で見事に描くだけに留まらず、心を捉える言葉を所々に散りばめた秀作です。私事です。読後に、青春時代の絵模様の数々、中でもアルバイトで知り合った女性への恋心・・・を想起し、余韻に浸りました。ミステリーの様に、謎解きの面白さはありませんが、ある程度の人生経験を積んで読返すと味わい深い作品です。さすがにノーベル賞候補に挙げられる作家の著作だと納得です。(以上) -
「作家の書きたいことはデビュー作に全てが表れている」これは私が小さい頃父に教えられた"裏技"である。本当のところは果たして父から聞いたのかは忘れたが、読書家の父なら言いかねないことなのでそういうことにしている。さて村上春樹のデビュー作である今作で何を伝えたかったのか、読み始めるとまず「芸術を求めるならギリシャ人が書いたものを読め」となんだか怒られた気がした。
作品を通して感じたのは希薄な人間関係と、それでも嫌いになれない登場人物たちの出会いと別れの切なさだ。主人公は全然人に執着しないし、鼠も全然自分のことを話そうとしないし、女の子なんて名前から何まで全て謎のままだ。それでも、人を遠ざけているようで求め合っている様子が随所に伺える。ここに自己矛盾を感じ、全私の共感を生んだ。私も人を限りなく遠ざけながらそれでいて寂しいと感じる自己矛盾を感じているのだ。なのにうかうかしていると時間だけが青春を削り取っていくので誠に遺憾である。のんびりと「よーい」しているといつの間にか周りの人はとっくに「どん」で走り出した後なのである。いくら主人公たちのように隔離された田舎で循環するような時間を生きていても東京はとっくに未来へと進んでいる。
作品中にたびたび登場する音楽を聴くとより懐かしく、とっくに過ぎ去ってしまった取り返しのつかない郷愁の念を感じる。特によく出てくるザ・ビーチボーイズの「California Girls」という曲を聞いていたため、関係ないのに自分の青春とこの曲が結びつきそうである。自分の青春の曲はもっと華々しいはずである。甚だ忸怩たる思いである。
誠に私事であるが村上春樹が私の在籍する大学の先輩であることを恥ずかしながら先日知った。学内に村上春樹ライブラリなるものができたらしいので気が向いたら行ってやろうと思う次第である。 -
村上春樹さんの作品はドライブマイカーが入っている短編小説くらいしか読んでなかった。
どこか自分の中で、食わず嫌いというか、なんとなく敬遠している自分がいた。
でもこのデビュー作は非常にナチュラルで読後感がなんとも言えない感じだった。
今更だけど、どんどん彼の作品を読んでみたい。 -
女性のついた嘘とそれを受け止める僕のからみがいい。
村上春樹さんの片鱗が見えるけど、まだかたさを感じて自分が溶け込めない。
でもデビュー作だから読みたかった! -
学生時代に村上春樹ばかり読んでた時期があります。妙に時間があって、中途半端で社会からの疎外感もまぁまぁあって、そんな気分にぴったりだったんだと思います
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再読。
村上春樹のデビュー作であり、良くも悪くも作者の構文やユーモアの原点を、グッと濃く味わえる。
メッセージや物語の芯は非常に捉え難いが、前述の若かりし作者の構文や掛け合いのユーモアを楽しむ作品だと解釈。
ここから作品を重ねるごとに“分かりやすく”なっていってる事が分かる。 -
高尚過ぎて面白さが理解できなかった。
「ビールを飲みながら、そっけない会話をする」
という話。 -
まさに村上ワールド入門書である。
デビュー作にして心を掴まれました。
久しぶりに再読したのですが、あらためて感動しました。この作品は永遠に僕のフェイバリットブックです。 -
2021/3/23読了。
エモさを感じた。
作中によく出てくるビールのように喉越しを楽しむ作品かなと思った。
純文学的な作品は初めてだったので、初めは「ダラダラ何書いてんだよ」と思っていたけれど、特に際立った物語があるわけでないのに文章により感情が動いていく感じはなんだか新鮮で楽しかった。 -
何度目かは分からないが、ブクログを始めて以来、はじめての再読。
よく読んでいた18くらいの頃を思い出す。内容云々より、匂いとか音楽とか、そういった具合に染み付いているようだ。 -
10代後半で読んだ時は、斬新さに震えた記憶がある。
春樹氏のデビュー作。青春3部作の1作目が本書とは知らず、「羊をめぐる冒険」が春樹氏初読みだった。
章の番号で場面や時間が切り替わる。
僕と友人の鼠、知り合った4本指の女の子。
固有名を描かないで終始するのも新鮮だった。
青春の喪失感と怠惰な雰囲気、余韻をたっぷり残している。1970年8月の18日間の物語り。
すっかり黄ばんだ文庫本は昭和59年発行の第7版、220円。
その頃は気にもならなかったのか⁈ 長い歳月を経た再読では、海に空き缶捨てたり、飲酒運転が頻繁過ぎ!とそんなところが、やけに引っかかった。 -
身近な人から勧められ、この本が村上春樹さん初読みでした。
主人公のひと夏の自伝のような物語で、淡々と進みながらも味のある、不思議と読み返したくなるような本でした。 -
高校時代以来の再読です。 あの頃は「意味」を必死で求めて、何もつかめず放り出したけど、ずいぶん歳を取った今、意味をなさない散らばった断片が、全てビシッと決まっていることに快感を覚える。
なんだ、この感覚は? 何かに似ている、、、そうか、ゴダールだ。 男と女とサンドイッチがあれば小説は書ける、ということか。
そして、その後の作品たちのエッセンスがあちこちに散りばめられ、小説家としての決意も伝わってくる。 何も意味のない作品ではあるが、人が生きることについて確かにコミットしていることが窺える。 -
村上春樹氏と、岸政彦氏『断片的なものの社会学』、ミラン・クンデラ氏『存在の耐えられない軽さ』は、折を見て定期的に読むことにしている。年齢、季節、精神状態、友人関係などいろんな変化が訪れるごとに、読みながら感じること、浮かんでくる景色、共有したいと思う相手も変遷する。今までもこれからも人生を共に歩んでいくような存在であることが、わたしにとっての「素晴らしい本」の定義。
村上春樹氏の作品は、最近になって(『1Q84』くらいから)やっと少し理解できるようになってきた。ような気がする。『風の歌を聴け』を初めて読んだ中学生の頃は、ただ「村上春樹読んだことあります」の称号がほしくてかっこつけて文字面をなぞってみただけ。現代文の通信簿で2を取ったことがある高校時代は、《鼠》は本物のネズミだと思って「これはファンタジー?SF的な作品?」と首を傾げたり、随所に突如として現れる性的なワードや描写に狼狽したりした。いろいろヤケクソだった大学生の頃は、この本に出てくる音楽を聴きながらこの本に出てくる酒を飲むというのを全部やろうと思い立ち、友人を巻き込んで夜な夜な大学のそばの小さいバーに通って、それはそれでかなり楽しかった。あの子、今何してるかなあ。
30代半ばの今、読んだ後の印象として最も深く残った感覚は、”通り過ぎていく“ということ。友人、恋人、音楽、趣味、記憶、さまざまな人やモノが自分とすれ違い、衝突し、交差し、そして通り過ぎていく。10代の頃、喜んで使っていた”BFF“という言葉や、クラスメイトのほとんど全員が聴いていた三木道三『Lifetime Respect』の歌詞のような、いわゆる「一生ものの関係」が、結局のところ幻想に過ぎないということを実感として持ち始めていて、だからこの小説からもそのことを強く感じ取ったのかなあ、と思う。ずっと、とか、永遠、とか、きっとないし、たぶん、なくていい。
主人公と、最も親しかった《鼠》との関係も、この小説が終わったあともずっと変わらずに続いていくような、余韻を残した終わり方にすることもできたけれど、そうはならなかった。人生におけるある一定期間、たまたま最も親しい位置に二人が立っていたというだけのこと。
《鼠》と主人公の関係は、この物語が終わったあと、どうなっていくんだろう、と考える。あるいは、すでに疎遠になってしまった、一緒にバーを巡ってくれた昔の親友とわたしとの関係は。毎日のように顔を合わせ、少ない言葉数でもお互いの思いを伝え合って、相談したり、元気付けたり、ときにぶつかったり、内容があるんだかないんだかわからないような会話を交わしたりしていた時代がたしかにあったという事実は、距離が離れ、そういうことが気軽にできなくなってからの二人にとって、どんな意味を持つんだろう。
「過去の栄光」という寂しい言葉があるけれど、わたしは、たとえ過去のものであってもないよりはあった方がいいと思っている。普通なら持てなかったはずの感覚や、できなかったはずの経験が、自分のものとしてある人生とない人生なら、前者の方がきっとずっと楽しい。
ある時期、非常に親しくしていた相手が時間とともに自分を通り過ぎてしまったあとも、その人と親しくしていた時期があったという事実だけは残る。過去の栄光と同じく、それがあるのとないのとでは大違いだ。今は遠くに行ってしまったり、忙しくて会えなかったりする相手でも、その事実を記憶している人(自分であっても、伝え聞いた第三者であっても)が一人でもいるうちは、その事実はずっと残り続ける。《鼠》と主人公の関係も、一緒にビーチボーイズを聴きながらギムレットを飲んだ彼女とわたしの関係も。
通り過ぎていったかつての親友たちに思いを馳せると、一抹の寂寥感を覚えながら、それ以上に温かい気持ちになれる。一緒にいた時代があってよかった、と心から思う。そう考えれば、ここからもおそらくいろいろなものを通り過ぎ続けることしかできないだろう毎日と、人生と、恐れずに対峙していけるような気がしてくる。 -
再読して星五つに更新。夏に読む「風の歌を聴け」は他の季節では味わえないノスタルジーを届けてくれる。劇的なことなんて何一つ起こらないけどじんわり人の心にキズをつける。「何がいいかわからないけどなんとなくいい」は村上作品のあるあるだと思うが個人的にはデビュー作にして最高純度かと。
村上作品において、男の子が女の子を口説くシーンは常に面白い(と僕は思っている)が本作も例に漏れず面白い。
「ねえ、もしよかったら一緒に食事しないか?」
「一人で食事するのが好きなの。」
「僕もそうさ。」
「そう?」
「じゃあ、なぜ誘うの?」
「たまには習慣を変えてみたいんだ。」
「一人で変えて。」
口説けてるのかどうかもよくわからない体重の全く乗っていない会話。でもどこか惹かれてしまう。
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村上春樹再読。
僕が村上春樹を好きになったのは『世界の果て』以降。初期2作、特にデビュー作である本作は苦手だった。きっと読み方が分からなかったんだと思う。真面目に読み過ぎたんだな。辻褄が合わないとか、、、
後の作品の、双子の女の子や耳のモデルで慣らされていったせいで、多少、現実感が伴わない登場人物がいても気にならない。むしろ、その違和感に全て意味があるような気がしてワクワクしてしまう。面白かったです。
でもなんの予備知識もなく、本作を読んで面白いと思えるかと言うと、ちょっと難しい気がする。なんか、肝心なことほどサラリとしか言わない気がします。村上春樹初読の人にはあまり勧めたくない作品。どんな作家かも分からないままデビュー作を読みこなした当時の人たちはすごいですね。
舞台は1970年。意外と昔。当時の世相はわからないけど、学生が、車乗り回したり、バーに入り浸ってビール飲みまくってたりって、かなり裕福な暮らしぶり。ま、芦屋ですしね。
当時、缶ビールもまだ新しいアイテムだった様です。やたらとビールを飲む僕と鼠ですが、何か意味が込められてるのかな?
二人が事故った鼠の車はスポーツカーだと思ってたんだけど、フィアットの600セイチェントだった。めっちゃレアな気がするけど、当時は日本に入ってきてたのかな?チンクより好きな車です。 -
村上春樹の小説、とりわけこの本は新書のように本から即効性のある新たな知見を得るものでもなく、エンタメ小説のような起承転結を楽しむものでもない気がします。この本の内容がどうであったか、心に残る格言のような文章があったかと言われて思い出せない(本を参照しながらだと可能だのだが)。でもなぜか読後、自分と自分の周りのものが整理されているー村上春樹の言葉を借りると、“ものさし”が与えられているーような気持ちになる。面白い。
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ああ、村上春樹はここから始まったのか。これは、凄いな。「新しかった」し、「鮮やか」だったし、「おしゃれ」だっただろうなぁ。
そして、今でもその「新しさ」と「鮮やかさ」と「おしゃれさ」は、時が止まったみたいに当時のままのような気がする。
だるくて軽くて憂鬱でさらっとしてて、夏でビールでレコードで若くて。
行き止まり。
永遠に止まった時計のような。
世界と自分が他人で、でも一緒だった頃のような。
風の歌を聴け。-
>yuuさん
実は私も「ピンボール」を先に読んで、「??」状態だったのです。この本を読んで、ようやく「あ、こういうことだったのか」って感じで...>yuuさん
実は私も「ピンボール」を先に読んで、「??」状態だったのです。この本を読んで、ようやく「あ、こういうことだったのか」って感じです(^^;)。
映画もあるんですね。この雰囲気が映画になるところは想像できないですねぇ。。
嬉しいお言葉、どうもありがとうございます! 読み終わってみると、不思議と「これしかない」感がするタイトルですよね。2012/05/02 -
映画を撮った大森一樹監督も村上さんの高校の後輩にあたる人ですが、残念ながら映画の中に風は吹いていませんでした。
「羊をめぐる冒険」は、止まっ...映画を撮った大森一樹監督も村上さんの高校の後輩にあたる人ですが、残念ながら映画の中に風は吹いていませんでした。
「羊をめぐる冒険」は、止まった世界が終わる話かも知れません。
お勧めして良いか躊躇いながら、やはり抽斗さんの感想を聞いてみたい。2012/05/05 -
>yuuさん
止まった世界が終わる、ですか・・・!
感想を聞いてみたいと言っていただき恐縮です。yuuさんのお言葉で興味を持ちましたので、近...>yuuさん
止まった世界が終わる、ですか・・・!
感想を聞いてみたいと言っていただき恐縮です。yuuさんのお言葉で興味を持ちましたので、近々読むかもしれません。よろしければ、気長にお待ちくださいm(_)m2012/05/06
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デビュー作だけど既に村上春樹ワールド全開!
こんなに短いのに、読み終わるのにものすごい時間がかかってしまった…。他の彼の作品でもそうだけど、何度も何度も同じ所を読み返したり、一度止まって考えながらで進まなかったりするからだろう。
読書は私にとって瞑想に近いものだと日々感じている。特に彼の作品を読む時はサラッと流す事がなく、自分の忘れていた過去の記憶がポンと出てきてそれに向き合う時間があったり、それによって「キャー思い出したくなかったー恥ずかしい!」とか、「うぅ苦しい」とか、蓋をして見ないふりをしてきた記憶やいろんな感情に戸惑いながらそれを少しずつ消化していくみたいな。デトックスか。
このデビュー作は、私の今の読解力ではどうやら一度で全て消化できそうもない…こんなに時間をかけて読んだのにもかかわらず。自分にガッカリ。(果たしてすっと気持ちよくハマる日はくるのかも疑問だが…)
ただこの世界観はやはり好きなので、積読してあるピンボールと羊の「鼠三部作」読み終えてからもう一度戻ってくることにしようと思う。
でもやっぱり好きです。村上春樹さん。
夜分に申し訳ございません。
ご無沙汰しております、村上マシュマロです。
フォローやいいね!をありがとうございま...
夜分に申し訳ございません。
ご無沙汰しております、村上マシュマロです。
フォローやいいね!をありがとうございます。
ダイちゃんさんは、この作品を若い頃に読まれていたのですね。私もおよそ20代の頃に読了しましたが、内容は殆ど忘れていました。
感想を拝読させて頂き、やはり共感や今の歳で再読したいという思いが湧きました。ダイちゃんさんのように若い頃にトリップですね(^^)
この様な気持ちー若い頃の楽しい良い思い出等を振り返ってみたいーにさせて頂いた事、ありがとうございます。
拙いコメントですが、取り急ぎお礼まで。
追伸 先月の事、私事です。ダイちゃんのプロフィールにあります『われ以外みなわが師』をブックオフでリクエストしましたが、今は在庫が無いというお知らせを受けました。とても残念です。