痴人の愛 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (464ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101005010

感想・レビュー・書評

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  • ここまでのめり込むものだろうか。
    知らないだけだろうか。
    他の作品も読んでみたい。

  • 譲治は離れられないだろうと思っていたけれど、やはりというか結末が納得すぎて、でも飽きずに最後まで読めた。なにより、愛慾、肉体愛を繊密に描いている。「顔色が青みを帯びている」ことを「無色透明な板ガラスを何枚も重ねたような」と表現するその細やかさが、今の小説にはやっぱりなかなかないよなぁと思う。

  •  主人公の譲治(28歳)は喫茶店で見つけた、美少女・ナオミ(15歳)を女中として自宅に引き取り、自分好みに育てて、妻とする。
     どうして、自分好みに少女を育てる必要があったのか。(谷崎自身にもあてはまることだが)純粋無垢な存在に惹かれていったのか、それとも、ただ単に少女が好きだったのか、はたまた、大人の女性が対象外だったのか。理由はどうあれ、少女を自分好みに育てた先にどうなるのか、何が待ち受けているのかあまり考えていなかったのだろう。でも、求めちゃった。

     数年後、妻のナオミは大人の女性として、また肉体的にも豊艶に成熟していく。譲治はナオミに溺愛するあまり、甘やかしすぎて、ナオミは超ワガママになっていく。また、譲治は交際を制限しないがために、ナオミはチャラい大学生たちと深い深い関係になっていく。
     ナオミの妖艶さと魔性さがしだいに露わになっていくのと比例して、自分好みに育てようとしていた譲治の立場と、自由奔放なナオミの立場が逆転し、ナオミが主導権を握っていく。自分が男の立場だったら確実に耐えられない。譲治はナオミの何を愛していたのか。やっぱり、カラダ?それとも・・・
     ナオミと大学生の深い関係が2回にわたって譲治に露見し、1度目は赦しを与え、和解する。しかし、2度目は、譲治も堪忍袋の緒が切れて、ナオミを家から追い出す。しかし、ナオミが恋しくなった譲治は、復縁を画策し、結局、大学生Hから事情を詳しく聞き、一度あきらめる。その後、譲治の母の死を経験し、あれこれあったのちに、ナオミが譲治の家を毎日訪れるようになり、譲治がナオミを求めて「復縁」する。この「復縁」は、元のもと通り、ナオミがワガママの好き勝手、自由奔放な交際を認めるというもの。

     この場合、普通の凡人はナオミとスッと別れておしまい。でも、少女を育てるところからナオミの虜になっていた譲治は、ナオミと一緒に居られるだけで、御の字だったから、どんなに邪険に扱われても、良かった。むしろ、ナオミに邪険に扱われたがってさえいた。
     石田衣良さんがおっしゃってたけど、譲治は(というより谷崎は)、「貴族趣味」なんだね。少し下の立場の者から、きつい扱いを受けるという意味で、貴族の高尚なお遊びなんだって。うーん、頭で一応理解はできるけど、高尚すぎて私は付いていけないなぁ。
    それにしても、いろいろな愛があることを改めて知った。

  • 月給400円。
    ダンスの月謝は20円。
    現代とはまるで異なる大正時代の生活を感じさせられる。
    そのような時代の中で、
    男好きで、自信過大で、人を小馬鹿にした態度をとる女とそんな女の身体に惚れて離れられない男の存在が、
    時代は変わっても人間の性質は変わらないのだと感じさせる。

    極めて読みやすく、当時の生活様式が想像できる。
    日本語も綺麗で、性をテーマにしているにもかかわらず、下品さがない。

    青空文庫で読む。
    止まらず、1日で読み終えた。

  • いやはや、ここまで女性にのめりこめるのは、幸せなのか、不幸なのか?
    夢中になれるものがあるってのはいいことだが、
    何だか身を滅ぼす手前までの、この主人公の入れ込みようは尋常でないし、
    正直おっかない。
    谷崎の手による女性美、主人公ナオミのもたらす妖艶さ、官能性の描写が、
    これまた徹底していて尋常でない。視覚のみならず、嗅覚、触覚なども駆使した描写は、
    まあ見事。文章でここまで感覚的に訴えかける力があるということは、相当なものだ。
    その文体ゆえに、長く読み継がれてきた理由だろう。
    中身・内容を吟味するのでなく(だってこれ若くてピチピチな女に中年のオッサンが振り回される、というだけの話ですよ)、というより、この匂い立つ耽美的な文体を味わおう。

  • 譲治君にとってナオミは神なのでしょう。古今東西あまた存在する神様の例に漏れず、ナオミ神もとても意地悪です。無条件の崇拝を受けながら、与えるものはわずかな恵みと多大な厄災。でもだからこそ、振り向いてもらえたときには恍惚感を覚えてしまうのでしょう。

  • 見初めて引き取った少女を
    「ナオミちゃん、」と、優しく呼びかける譲治に、
    なぜか失笑して仕方なかった。
    その優しさを吸いつくし、
    想像出来ないほどの妖しげな女へと
    成長してゆくナオミに、
    譲治は 翻弄され、破滅の道へ…
    大正時代、当時にはセンセーショナルだったのだろうな。
    意外にもサラサラと読めたけど、
    二人だけの愛の世界、どうぞご勝手に。
    と呆れて本を閉じました。
    女と男で、受け止め方は違いそう。

  • 若紫計画を企てたものの、魔性の紫ちゃんに育ててしまった光源氏の物語。
    いや、主人公は光源氏のようなイケメンでも金持ちでもない、まじめで不細工気味な譲治さんで、若紫は外国人のような顔立ちのナオミちゃんなんだけども。
    ナオミの悪女っぷりがなんともすがすがしい。

    なんだかんだいって、ナオミも譲治が好きなのね、きっと。

  •  妖婦「ナオミ」により主人公譲治が翻弄され、堕落し、支配されるまでの過程を譲治の独白形式で綴った小説。著者である谷崎潤一郎が関東大震災によって関西に移住した翌年、大正13年(1924年)の3月から、さらにその翌14年にかけて発表された作品である。

     驚くほど夢中に読み進めてしまった。ナオミに翻弄され続ける譲治に対し、同情と苛立ちが幾度となく胸に立ち上がる。結局はナオミに支配されるのだろうとわかっていても、「そうだ!ナオミを振り払え!」と応援してしまう。でもやっぱり駄目。ナオミにしがみつく譲治の気持ちは私にはさっぱりわからず、ただただ呆れ果てるしかなかった。
     「養ってやる」とカフェで働くナオミを引き取ったはずが、最後には「養わせていただく」とまで立場が逆転している。ここにもしかしたら谷崎の願望があるのかもしれない。一般的には最後の譲治の姿は情けなく堕落したように映るが、小説は必ずしも譲治に批判的ではない。解説ではむしろ女のために身を滅ぼすことで男の運命が「完成」するとまで書かれている。どんな痛みでも、どんな苦しみでも、どんな不幸でも、どんな堕落でも、そこに「陶酔」さえあれば、谷崎にとっては飛び込む価値のある世界であり、そこに究極の美を見出しているのだろう。
     またナオミの妖艶さにも目を引かれる。さすが発表当時「ナオミズム」という言葉が流行しただけある。彼女の存在は理性を飛び越えて性欲に直接働きかけてくるようだ。学問はできないくせに生きることにかけては強かで、揺るぎがない。呆れかえったその先に、なぜかナオミをかっこいいとすら思ってしまう私もいた。

     「痴」とは、「知恵が足りない、愚か」という意味の他に、「男女の間で理性を失ったさま」という意味もある。まさに作中の「ナオミ」がそれを体現している。しかし実は「痴」には更にもう一つ意味があるらしい。「物事に夢中になること」。身の破滅を知りながらも「ナオミ」という妖婦に夢中になった譲治もまた、「痴人」ということか。

  • 実にくだらない話である。
    だがそれを読み易く面白くシニカルもフィロソフィカルもありおまけに大正モダンの風景まで織り混ぜる谷崎の筆力ときたら件のナオミが裸で逃げ出すそのモンスターぶりは圧巻。
    あれこれ言うのも野暮なのでありきたりの争点乍ら痴れ言ふたつ。
    まず学生に読まして良いのか?これは是、男子は歴史が女によって作られること、女子は己の内に秘められた偉大な力があることを知るべきなのだ。
    次にナオミは天使か悪魔か?これは譲二の恍惚のラストシーンからして天使、奪っても更に余りある与えっぷりは女神と言っても過言でない。
    まこと恐ろしきは女なるかな

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著者プロフィール

1886年7月24日~1965年7月30日。日本の小説家。代表作に『細雪』『痴人の愛』『蓼食う虫』『春琴抄』など。

「2020年 『魔術師  谷崎潤一郎妖美幻想傑作集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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