- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101006031
作品紹介・あらすじ
新生への希望と、戦争を経験しても毫も変らぬ現実への絶望感との間を揺れ動きながら、命がけで新しい倫理を求めようとした晩年の文学的総決算ともいえる代表的短編集。家庭のエゴイズムを憎悪しつつ、新しい家庭への夢を文学へと完璧に昇華させた表題作、ほか『親友交歓』『トカトントン』『父』『母』『おさん』『家庭の幸福』絶筆『桜桃』、いずれも死の予感に彩られた作品である。
感想・レビュー・書評
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『たんぽぽの花一輪の誠実さを、僕は信じたい。』
詳細をみるコメント3件をすべて表示-
ダイちゃんさんジョアンナさん、おはようございます。ダイちゃんと言います。文豪と言われる作家の本はそれなりに、読みごたえがあります。私は、本棚に載せてありま...ジョアンナさん、おはようございます。ダイちゃんと言います。文豪と言われる作家の本はそれなりに、読みごたえがあります。私は、本棚に載せてありませんが、夏目漱石や遠藤周作の本をよく読みました。ジョアンナさんとは、読書分野が少し違うかも知れませが、色々な本を読もうと思っていますので、参考になります。フォローありがとうございました。2021/08/24
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太宰治の晩年の作品を集めた一冊。
表題作「ヴィヨンの妻」のほか、「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「おさん」「家庭の幸福」「桜桃」を収録。
暗く死の影を感じる作品が多く、もの哀しい気持ちになった。
「ヴィヨンの妻」は、ろくでなしの詩人の夫と、そんな夫を子どもと待つ健気な妻のお話。
家族を蔑ろにする夫なのに会えるだけで嬉しいって、もうなんか愛人みたい。いや愛人なのかも。太宰治自身、不倫してたって話だし。
しかし体験談を元に書いてるとしたら太宰治も相当なものだ。
女の健気さを描くことで男のろくでなし感をあえて引き立たせているように感じた。
そうだとしたら、自身に絶望を抱いていたに違いない。
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少し前にレビューを書いた、「津軽」「走れメロス」は何れも太宰の安定期の明るい作品であったが、今回の「ヴィヨンの妻」は、戦後太宰が疎開先から東京三鷹に帰ってきた、昭和21年から、入水心中を遂げた昭和23年までの作品。
家庭を顧みず、原稿料は自分自身の酒代や遊び代に使い切り、愛人も何人かいる、放埒な生活を送りながら、心の中は苦悩でいっぱいという、その頃の太宰自身の姿を反映させた作品ばかりだった。特に「おさん」という作品は、太宰の死後に夫人によって書かれた?と錯覚するくらい、自身の自殺をそっくりそのまま予告しているようで怖かった。
以下は、標題作「ヴィヨンの妻」についてのレビューです。
主人公、さっちゃんの夫はしょっちゅう家を空けているが、ある夜、泥酔して、はあはあ言いながら帰ってくると、その直後に、激しい勢いで入ってきた客が。それは、小さな料理店を営む夫婦で、話によると、さっちゃんの夫は、いつもただ食いするだけでなく、その日はとうとう店のお金を盗んだので、追いかけて来たという。夫はすぐに相手にナイフを見せて逃げてしまったが、さっちゃんはその客から、いつも夫がどんなにひどいか……華族の勘当息子で有名な詩人らしいが、いつもお酒を煽るように飲むが殆ど勘定を払ったことはなく、一緒にきた女の子や新聞記者がたまに払ってくれる…というような訴えを聞き、何故か分からないが笑いがこみ上げる。
さっちゃんは「わたしが何とかします」というが、お金があるはずないので、その料理店「椿屋」で働くことにした。
さっちゃんの目論見はあたり、クリスマスの日、ルパンのような仮面を付けた夫が、きれいな女の人と一緒に店に現れた。それから、夫は二日に一度くらい店に現れるようになり、お勘定はさっちゃんに払わせて、ふっとどこかに行ってしまうが、店の閉まる頃「帰りませんか」とそっと言いにきて、一緒に楽しく家路をたどることもしばしばあるようになった。
店で働き始めて何日か経つと、さっちゃんは、椿屋のお客は全て犯罪人ばかりだということに気付く。お客ばかりでなく、店にお酒を卸しにくる上品そうな奥さんも水酒を高値で売りつけている。戦後の混乱期、人は皆、生きるためには、何かしら後ろ暗いことをしていたのかもしれない。
さっちゃんと夫との会話で名セリフが沢山あるのだが、一つ挙げるとすれば、最後のさっちゃんの
「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きてさえいればいいのよ」
ああこれが、デカダンって奴かあ。と思った。戦後の混乱した社会と太宰の性格と生い立ちが作り上げた世界っていうのかな。
堕落して、どうしようもないのだが、汚くは感じない。どの作品もピリリとした一言があり、カッコ良かった。 -
ナビにしたがい、まずこの短編集を読んでみた。
いきなり、死に寄りすぎている太宰を読むのは辛かった。
まだそこまで没入できなかった。
読んだタイミングのせいもあるかもだけど。
(引っ越し合間の待ち時間)
女性視点の話が抜群によかった。
想像力がありすぎて、女の気持ちがいやに量られるために、あんなに罪悪感に苦しんだのだろうか。
女なんて意外にしたたかなんだから、そんなに気遣わなくてもいいのにね。
「生きていさえすればいい」のはごもっとも。
だけど世の中、そんな単純じゃないよね。 -
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こんばんは★
ん~!
夫がお酒を飲む、その店で妻が働く。
考えられない。私は我慢できない!
・・・・最後の言葉ですが、“人は人、私達は私達...こんばんは★
ん~!
夫がお酒を飲む、その店で妻が働く。
考えられない。私は我慢できない!
・・・・最後の言葉ですが、“人は人、私達は私達”ということでしょうか?
(。_゜)2021/11/15 -
「人は人にあらず」--->「人間というのは人間の姿をしているけど人間ではない」--->自分のバカ亭主は度を越してダメな人であるけど、生きてい...「人は人にあらず」--->「人間というのは人間の姿をしているけど人間ではない」--->自分のバカ亭主は度を越してダメな人であるけど、生きていてくれるだけで幸せよ~ということかな。太宰の理想の女性像だと思います。
2021/11/15
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なかなか明るい気持ちで読めない一冊。
まず、「親友交歓」
とにかく、読んでいてイライラ~ってなる。自分ならこんな黙って好き勝手言わせておかないなぁって。はっきり断れば良いのにって。
表題作「ヴィヨンの妻」
これは、なんというか結局のところ似た者夫婦だったんだろうな、というのが最後まで読んだ感想でした。ただ、虐げられて居ただけの妻だとばっかり思っていたのにこの先はきっと大谷よりも・・・と想像してしまう。
「家庭の幸福」
この話はもう、最後の一言に尽きる。
無条件に「怖っ!」ってなる。言葉にしてしまうことの怖さというのだろうか?本当は悪いことではないとは思うんだけど。 -
晩年の短編集。表題作と「おさん」の2作、妻の目線が特に好き。太宰が女性性が強かったのではないかといつも勝手に思う。
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『ヴィヨンの妻』
借金してまで酒を飲み人に金をやる破滅的な作家を妻の視点から描く。妻といっても入籍しておらず夫にはあちこちに女がおり家にもほとんど帰らない。子を抱えた妻は、最終的にはそれでも生きてさえいれば良いと前を向く。太宰作品にはこういう話が多いですけど好きです。
『親友交歓』
ド厚かましい男の話。人の家に来て、さんざん自慢話をけちらし、厚かましくし、しまいに暴言を吐く。たまにこういう人と遭遇して殺意すら芽生えることがあるが、まさに人間の嫌らしさが前面に出ている作品。
『トカトントン』
トカトントンの幻聴ですべての情熱が一瞬にして消えてしまう病の話。これに対する作家の答がおそろしい。すべてを無にすること、それが太宰の出した答えだったのか。「ただ一切は過ぎてゆきます」と人間失格で語ったように。
この作品は他のエッセイ的なぐだぐだ感に比べ、トカトントンというキーワードが生きていて印象深く心に残った。
『父』
この父親は最低すぎると思うけど、「義」つまり義理のために子と別れる。それが男のサガ、わからんでもない、せつなすぎる。と思うけどこの父親はやっぱり最低…。
『母』
母の話というより女の話である。主人公である作家を、小生意気な小川くんがうまい具合にけなすのがおもしろかった。この短編集の中では比較的穏やかな気分で読める話。しかし母というのは息子にとって何なのだろうな…
『おさん』
不倫をするなら明るい感じでしなさい、というお話。というわけではないが、思想に酔う男、大義を振りかざして自分を正当化する男の弱さが、生活を抱えた女の冷めた目から語られている。ヴィヨンの妻と正反対のような、似ているような。
『家庭の幸福』
最後の一文を導き出すために延々と妄想しているだけの話ではあるが、現代にも通ずるものがある。核家族化するほど家庭の問題は増える気がする。
それにしても太宰にとって家庭は欺瞞に満ちたものであり幸福であってはいけないものだったのだろうな。
『桜桃』
子供より親が大事、で有名な太宰最後の作品。厭世的なラストがせつない。桜桃の首飾り、作ってあげれば良かったのにね。 -
太宰は、父とはこうあるべき、家庭は円満でなければならない、といった生真面目さに、晩年始終悩まされていたのだなぁと。
父の立場から家庭から逃げていたにもかかわらず、その避難場も避難先としての役には立たず、「死」のみ、自らを匿う場として憧憬したのだと…。
聖書の言葉もところどころに。
死にひきよせられている太宰の姿がうかがえる。
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久しぶりの再読。
太宰って、そりゃ女グセも金グセも酒グセも悪かったでしょうよ。当時だってスキャンダラスな作家だったと思うよ。
自己愛が強くて、自意識過剰で、人間として手放しに褒められる人ではない。
でも、なぜ好きなのか考えてみるに、もちろんその文学的才能はもちろんだけど、どっかにまっとうな、純粋なところがあって、それは本物なんだよなあ、と改めて思った。
「親友交歓」「トカトントン」「ヴィヨンの妻」は素晴らしいと思う。特に「ヴィヨンの妻」は改めて言うまでもないことだけど、傑作。こういう悲哀をのみこんだ人間の強さをさりげなく(これでもか、っていうふうに書かないところがいい。)書けるってすごいよ、本当に。