- Amazon.co.jp ・本 (368ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101010045
感想・レビュー・書評
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「この本の要約」
熊本から、東京の大学に入学するため、東京に来た三四郎は、友人の引っ越しの手伝いをしている時、一目惚れした美禰子と出会った。三四郎は好きである美禰子に自分の気持ちを話せなかった。美禰子は三四郎が自分の気持ちを話せないまま、結婚をしてしまった。
「三四郎あらすじ」
熊本から東京の大学に入学するため汽車にのった。車内で夫が満州にいる夫人と知り合う。
そんなことから夫人と同じ宿の同じ部屋に泊まることになった。
翌日、駅で夫人に三四郎は「貴方はよっぽど度胸のない方ですね」と言われた。
学業が始まると同級生である与次郎、与次郎が尊敬している広田先生、光線の研究をしている野々宮と出会いました。
そして、広田先生の引越しを手伝った時、以前自分が一目惚れした美禰子に出会います。
その頃、与次郎は尊敬する広田を帝国大学の教授に就任させようとします。与次郎に協力するうちに三四郎も巻き込まれます。
その後、美禰子から美術展に行かないかと誘われ、美術展に行くとそこには野々宮もいました。
美禰子は三四郎に必要以上に親密な関係に見せようとして、野々宮を愚弄します。
美禰子と野々宮の駆け引きのために利用をされた三四郎は怒りと戸惑いを覚えます。
与次郎から美禰子が結婚すると聞かされた三四郎。
その相手は、野々宮ではなく彼女の兄の古くからの知り合いでした。
その頃、与次郎が暗躍していた広田の教授就任のための数々の工作が露呈。
広田は帝大教授の座に就くことはできませんでした。
美禰子をモデルにして原口が描いた作品が美術展に出展され好評を博していました。
三四郎は、広田、野々宮、与次郎と展覧会を訪れた。
評判の絵には「森の女」という題名がつけられていました。
三四郎は題名が悪いと言い、「迷羊(ストレイシープ)」と何度も繰り返しました。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
明治も最終盤の頃、大学に入るために上京してきた小川三四郎の、学業は兎も角も、次第に広がる交友関係に、そこはかとない片想いもあって、まさに学生生活を謳歌するちょっぴりほろ苦い青春物語!
その後の漱石の小説では、狂おしいばかりの主人公の懊悩と葛藤が描かれるようになりますが、この『三四郎』はどちらかというと、田舎から上京して右も左もわからずに、人並みに悩みはするけれど(笑)、ぼぅ~と流されてあまり深く物事を考えていない、いらいらさせられる系の主体性の無い青年のようですね。(笑)
物語の進行は流石にドラマ仕立ての場面構成になっていて面白いです。それに三四郎の周りを彩る個性的な面々もなかなか魅力的です。「明治」というと欠かせない広田先生や野々宮のような学究肌の人物や、三四郎も惚れた「明治」の女らしい美禰子、そして、学生時代に必ずいるがさらにそのおっちょこちょいぶりに「明治」の拍車が掛かるかき回し屋の与次郎など、三四郎を取り巻く登場人物が魅力的すぎたが故に、逆に三四郎の影が薄くなっているほどです。(笑)あと、「偉大なる暗闇」とか「迷羊(ストレイシープ)」とか物語の要所を締めるキーワードが、持って回った言い方となっていて、これも「明治」のインテリ層の雰囲気が味わえるなかなか楽しい趣向でした。(笑)
交友関係の展開はいいとして、三四郎の片想いの行方が気になるところですが、相手の言動の三四郎なりの解釈や、すれ違いぶりが、どうしても三四郎のぼぅ~とした性格ぶりと重ね合わさって、描写が不十分と思えてしまうのはその後の作品群と対比してしまうからなのでしょうね。
ところで、この作品ではさかんにイプセンのことが語られていますが、「明治」の新しい青年像への漱石なりの指針のひとつだったのでしょうかね?-
mkt99さん、こんにちは!
>三四郎のぼぅ〜とした性格
漱石作品の主人公は大抵ぼんやり君ですね(笑)
『坊っちゃん』はコミュ障...mkt99さん、こんにちは!
>三四郎のぼぅ〜とした性格
漱石作品の主人公は大抵ぼんやり君ですね(笑)
『坊っちゃん』はコミュ障、『三四郎』は草食系男子、『それから』の代助はニート、『こころ』の先生はひきこもり&メンヘル…って、現代の病理をほとんど網羅してる。残りはアル中&ヤク中と性的逸脱くらいで、前者は芥川と太宰が、後者は谷崎と三島が、それぞれカバーしてる。三島はネトウヨにも親和性が高い。
これが、学校では教えてくれない日本文学の要点だったりして(笑)2014/06/03 -
佐藤史緒さん、こんにちわ。
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
主体性のない主人公・・・。確かに、よくもまあ明治にあ...佐藤史緒さん、こんにちわ。
コメントいただきありがとうございます!(^o^)/
主体性のない主人公・・・。確かに、よくもまあ明治にあって受け入れられたものだと思います。(笑)もっとイケイケな時代イメージがあるのですけどね。(笑)
佐藤史緒さんの主人公性格分析、面白いです。(笑)
こういうバランス感覚(?)というか、時代の先取りというか、流石、漱石先生ですね!
本来、文学に親しむということは、杓子定規な小・中・高の学校教育とは相反するものだとは思いますけどね。(笑)2014/06/04 -
mkkT99さん、おはよう
【令和元年5月12日午前5時~過ぎ】
明治は遠くなりましたが、今でも三四郎がすぐ隣にいて、僕も美禰子に思いを...mkkT99さん、おはよう
【令和元年5月12日午前5時~過ぎ】
明治は遠くなりましたが、今でも三四郎がすぐ隣にいて、僕も美禰子に思いを寄せるライバルです。
三四郎に先を越されたと感じたシーン
原口と言う画家の家にモデルとなっている美禰子に金を返そうと訪ねる。道を歩きながら「あなたに会いに行ったんです」
「ただあなたに会いたいから行ったのです」
2019/05/12
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昭和55年3月10日 83版 再読
時代は明治後半、九州(出身は福岡、学校は熊本)から大学進学の為上京した小川三四郎の、東京での青春物語。前期三部作の一つ。
当時も大学の講義は面白くなかった様子。コンパのような集まりにも参加する。文化祭に似たような物もある。少し悪めの友人が出来たり、研究室に閉じ籠りがちな研究者も居たりする。文化は変化していても、現在と似たような生活を垣間見る。そんな東京で三四郎は成長していき、淡い恋もする。
若い頃読んだ時は、見えなかった物が見えたりした。又、これも新聞小説であった事も知り、作中で当時の日本の社会批判を登場人物に語らせている事に驚いた。
stray sheep 迷える羊 が頻繁に出てくる。三四郎も明治日本も漱石自身も迷える時代だったのかもしれないですね。
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授業で取り扱った作品。
『三四郎』は高校性の時に担任に薦められて読んだけど当時は全く理解できなかったし、つまらないと思った。正直表紙絵も好みじゃなくてもし買うとしても新潮社のこれだけは選ぶまいと決めてた。
『三四郎』は私が近代文学を苦手にした原因の一つだった。
結局大学の授業で必要になってこれを買い、数年ぶりに再読。
んで感想。
「え、なにこれ面白いんだけど…」
高校の時と違ってストーリーがわかる!三四郎の言っている意味が分かる!
やっぱり読書のタイミングってあるんだなってすごく実感した。去年一年通して近代文学を克服しようとたくさん読んで近代文学に慣れてきたせいもあると思うんやけど、私の中で夏目漱石が広がってきた。今『こころ』を読んだらまた何か違うかな。
読んでる間ずっと美禰子さんとよし子さんのキャラデザが波津彬子の絵だった。多分二人ともミステリアスな雰囲気の女性やからかな。
本文読んでるだけだと美禰子さんって電波で不思議ちゃんでこの人何考えてんねんって感じなんやけど、授業を聞いてると美禰子さんの一つ一つの行動にちゃんと意味があって、そういう見方もできるのかと感動。
というより現代小説ってきっとキャラクターの心情とかを文章で説明しすぎなんかも。
面白かったのは4章で与次郎が丸行燈とかを旧式って言ってる場面が笑える。だって私からみたらあなたたちも昔の古い人間だから。
そしてこの『三四郎』の中で一番私の心を持って行ったのは広田先生!!
特に11章で持っていかれました!
後半の三四郎との結婚話!
あのたとえ話の男ってきっと広田先生だよね!そうに違いない!←
11章の夢の話からの演出が素敵すぎてもう!
さんざん匂わせといて「僕の母は憲法発布の翌年に死んだ」で11章をバン!と終わらせるなんて。
演出が漫画みたいでカッコいい。
広田先生は確かに母が理由で結婚に信仰を置かなくなったんだろうけど母のことはもう許していると思う。
ひたすら広田先生のことを考えると切なくて(笑)でも広田先生はこんな考えを言ったら「浪漫的」って言うんやろうな。
このことを念頭に置きながら『三四郎』を読み返したら彼の言葉の端々から広田先生の人物像がもっとちゃんとしてくんやろうな。
本当は星五つでもええんやけどなんか悔しいから四つ。
そして与次郎は早く金返しなよ(笑) -
明治の切ない恋愛話。
当時の九州片田舎と東京は今以上に格差があり上京する三四郎は戸惑いがあったろう。
列車で知り合った謎の女性の振る舞いへの冷静な対処など少し背伸びする様子が伺えた。
様々な出会いに対し終始受け身の三四郎と、常に動き回りトラブルの中心のような与次郎はとても対照的で、だからこそ三四郎の「静」が強調されているように感じた。
そんな受動的な三四郎が一目惚れのように惹かれる美彌子に対するポジティブさや様々な嫉妬はいじらしい。
三四郎の気持ちを知りつつ口数少なく切り返す様は小悪魔そのもの。
実らぬ恋の末、その美彌子を描いた絵画を見に行く三四郎の気持ちは幾ばくか。
美彌子とのキーワード、ストレイシープが唯一の救いのようだ。
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3回ほど挫折してようやく読了。
最後まで読むとこれは面白いと思えたけど、
いかんせん自分には読みづらい文章だった。
与次郎や広田先生との会話も物語の重要な要素なのに、文語体の古めかしい表現に馴染めなかった。翻訳物には新訳があるのだから、現代の言葉に置き換えられないものかと本気で思った。
三四郎の淡い恋物語としては、若かりし頃の同じような経験を思い出してこそばゆい思いがした。
若く美しい美穪子は三四郎をどう思っていたのでしょうね?三四郎目線では、美穪子に翻弄されたように思えるけど、最後に美穪子が残した言葉の意味を知ると美穪子目線の別の物語が浮かんできます。
与次郎のようなお節介者がいたからこそ美穪子との淡い恋を自覚できるようになったとも言える。
野々宮が結婚式の招待状を破り捨てたり、ちょっとした表現で登場人物の関係性を浮かび上がらせたり上手いなと思った。
いつか機会があればもう一度読んでみたい。 -
三四郎が好きな人の態度にやきもきしたり、軽薄な友人に翻弄されたり、不慣れな都会で手紙の中に母を感じたり…古風で難解な言い回しが多用されるため、高校以前なら嫌煙したかもしれないが、20手前となった今、するすると読めた。
夏目漱石の作品は、この描写が果たして何を表しているのか、完全に分かる訳では無いが、何度も読み返してみたいような感じがする。もっと年を重ねればわかるようになるだろうか。
解説は…解説の小難しい言葉のせいで、分かりかけていたものを手放してしまったような気がする…もっと素人を気遣ってくれ… -
ずーっと読みたかった本を読めた。
三四郎と一緒に明治末期の青春を過ごして、美禰子に恋をして、そして淡く失恋した。
こういう昔の純文学の醍醐味って、筋を楽しむ云々よりもそこに漠然とある「美しさ」を味わえることなんだろうなぁと思う。
「何も起こらない」小説がここまで時代を超えて読まれているのは、間違いなく漱石の文章や描写力が色んな人に愛されている証拠。
最後のシーンは痺れたなぁ -
美術、哲学、物理学など、漱石がいかに博識か、さらには漱石が捉える景色や心象の描写がいかに的確で多様な表現でなされているかにただ驚かされた。今更なに言ってんのって感じだけど。
ストーリーとしては、いろいろあった結果、何も変わってない。広田先生が偉くなるわけでも、三四郎が美禰子または野々宮妹と結婚するというわけでもない。何も変わらないけれど、三四郎の(美禰子もだと思うけど)ストレイシープな心情が伝わってくる。現代よりもクローズドされた恋愛模様の中での心情の探りあいにリアリティを感じる。
と、なんかそれっぽいように感想を書いてみたものの、ちゃんと理解できてないだろうな。とりあえず、今読んでも全く色褪せず、おもしろいもんはおもしろいし、クオリティがめっちゃ高いということだけはしっかりと受け止めたい。さすが。