- Amazon.co.jp ・本 (416ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101034065
感想・レビュー・書評
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2020年8月、「黒い雨」訴訟のニュースを目にした。原爆関連のニュースであることは分かるものの、自分はそれ以上に詳しいことを知らない。
そこで本作、黒い雨を手に取った。
果たして、内容は事前の予想とはやや異なる。広島を、原爆を描いていることは確かなのだけど、徹底的に市民目線だ。
大きな爆撃が起こった。今回の爆弾は何かが違う。不安感が止まない。
そのような観察や心理描写が続く。
それはとてもクリアな追体験だった。道端に打ち捨てられた死体の、その臭気が音を伴って匂い立つような、とても深い読書体験。
また、これらの描写は「被爆日記」の清書という形で為される。戦後の視点から過去を振り返るという手法は、ある種ユニークだった。
総評。とても重たくディープな一冊。けれど、恣意性を排しているので、誰もがあの時代のあの場所に降り立つことができる。
本書の紹介文はこのようにある。
原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。
なるほど。「無言のいたわりで包みながら」というのは非常にしっくりくる形容。
(書評ブログもよろしくお願いします)
https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E3%81%84%E3%81%BE%E8%A2%AB%E7%88%86%E6%97%A5%E8%A8%98%E3%82%92%E8%AA%AD%E3%82%80_%E9%BB%92%E3%81%84%E9%9B%A8_%E4%BA%95%E4%BC%8F%E9%B1%92%E4%BA%8C詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
意外と掴みどころが無い井伏鱒二の作品の中で、本作は克明な描写と確かなリサーチが合わさったかなり骨太な作品。
第二次世界大戦につき記した作品が林立する中、原爆と被爆者に触れた本作は戦争文学の金字塔と称されている。
内容的なヘビーさを排して、言葉選びが平易でとにかく読みやすさが目に付いた。
当時の惨状・敗戦の歴史を後世に伝えなければならない昨今、間口が広いこの作品が文学的に重要である事は間違いない。 -
タイムリーになってしまった。
大切な姪の結婚の為の覚書として書いたという所が良かった。死ぬも地獄生きるも地獄。ピカドンの一瞬で全てが変わってしまい、何が起きたか分からない死体だらけの中大混乱の日常。不安で、それでも何とか生きていく人々の姿に応援したい気持ちになる。
横の繋がりで幾らか救われ、大事だと思った。
終わり方もよかった。 -
残酷な、悲惨な描写はあるのに、そこに作者の感情・感傷は入り込まず、1日1日が続いていく。そのことが原爆投下の結果をまざまざと見せつけてきて、なによりも苦しい思いを感じさせる。
何が起きても、とにかく毎日を生き切るしかないのだと、きっと原爆や戦争だけでない世の中の不条理への人の在り方を痛感させられた思い。 -
課題で読まされた本
描写がリアルで読み進めるのがしんどかった
一生のうちで読んでおきたい、知っておきたい話ではあるけど中学生のうちに読むのは少し辛かった…… -
高校三年生の時に感想文を書く宿題を結局やらずにやり過ごしてしまった本をようやく読んだ。
黒い雨というタイトルから凄惨な原爆投下後の広島の姿が描かれるかと思いきや、まさしくその通りなんだけど、語りの構造が、原爆投下の頃の日記を終戦後に清書するという形で間接的になっているせいか客観性が強まっているし、終戦後の生活に原爆が与えた不自由さが物語の大きな主題になっていると感じられるので、原爆被害そのものよりも、戦争に翻弄される市井の人々の押し殺された感情が浮かび上がる。とても技巧的な構造だけど文章は平易で明るさと鷹揚さのあるもので、広島の惨状がとてもよく伝わりつつもあまり暗くならないのが不思議に感じるほど。とはいえ決して軽いわけではなく、日常に入り込む悲劇というのは実際はこのようなものなんだろう。広島で起こったことと井伏鱒二の技量の双方に恐れを抱く。 -
2度目の広島訪問を前にして、それをより意義あるものとしたくて手に取った。
戦時下の淡々と進んでいく日常生活を破壊した原爆。しかしその中にあっても日常を生きる他ない、生き残ったものたちの現実が描かれていた。
戦争を直接は知らない私は、東日本大震災の惨事やコロナ禍の窮屈な生活と絡めて読んだが、戦争は人為的に引き起こされるもの。なぜそれを止めることができないのか。歴史から学べない人間の愚かさを思った。 -
#読了 2021.9.18
学生時代の国語便覧などで作者と作品一覧に必ず上がっている、誰もが知る作品。
一生に一度は読まなければ!と10年前にチャレンジしたけど途中断念しており、今回再チャレンジで読了。
(読書というエンタメは好きだけど、純文学のような文章がとことん苦手でして…。センター試験英語の最後の長文問題みたいな。あれ?また同じとこ読んでる?ってなる笑)
重松と妻シゲ子、重松の計らいで重松夫妻と住み、徴用逃れに重松と共に働いていた姪の矢須子。戦後数年経ち、矢須子に縁談が来るが原爆症ではないかと疑われる。そのために8/6から8/15終戦までの過ごし方をメモした重松日記の清書(読者はこれを読みながら進む)をし縁談先に提出しようとしていた矢先、矢須子が発症する。直接の被爆はなかったはずの矢須子は爆撃直後の黒い雨に打たれていた。
被爆者・重松静馬の『重松日記』と被爆軍医・岩竹博の『岩竹手記』を基にした作品。
感想を言葉にするとすべてがチープになるような気がして憚られる。爆撃直後の様子はこの世とは思えないほど。まるでフィクションのようなのに事実の描写なのだから本当に恐ろしい。このような記録がこうして残っていることは重要なことだと思う。
この先75年は広島に草木も生えないと言われていたようだが、今年で戦後76年。
広島は随分前に復興を遂げたと言っていい。素晴らしいことだと思う一方で、戦争が忘れられてしまうのではないかと心配になる。
はだしのゲンなどの作品が昨今トラウマになるなどと言われ、なかなか人の目に触れられなくなっているのもなんだかなぁと思う。もちろんわざわざトラウマになることをしろと言うつもりはないが、学生時代のうちにどんな形であれ、「歴史」上に出てくる戦争だけでなく、二度と戦争がないようにと心から願えるような機会があってほしいなと思う。
性別も年齢も分からないほどの焦げた屍体に幼い子供がしがみついてるなんて、胸が痛い。こんなこと二度とあってはいけない。
◆説明
一瞬の閃光に街は焼けくずれ、放射能の雨のなかを人々はさまよい歩く。原爆の広島――罪なき市民が負わねばならなかった未曾有の惨事を直視し、“黒い雨"にうたれただけで原爆病に蝕まれてゆく姪との忍苦と不安の日常を、無言のいたわりで包みながら、悲劇の実相を人間性の問題として鮮やかに描く。被爆という世紀の体験を、日常の暮らしの中に文学として定着させた記念碑的名作。 -
井伏鱒二が実際に広島で被爆した重松静馬氏と岩竹博氏の日記を元に、広島で二次被爆した姪の縁談を破談にさせたく無い思いから、当時の状況を記した日記を清書して、提示する事で、姪が被爆者ではない事を示そうとする顛末を物語として描いたもの。
重松が日記清書する現在と、清書される日記の語る原爆投下の8月6日から終戦の15日までが、入れ替わり立ち替わり描かれる。
原爆投下直後の、焦土と化した広島の街並みとあちこちに溢れる遺体、そしてそこに黒い覆いのようにたかる大量の蝿、遺体の目や口、鼻から溢れ出てくる蛆、、、日記の中で淡々と語られる悲惨な状況は自分達の想像力を超えてしまう。
一方で、数年が経った今、そのような悲惨な姿は無くなったものの、健康であった姪の体調に異変が出始め、原爆症という恐怖が再び静かに重松とその家族に迫ってくる様子が描かれ、これはまた被爆直後の悲惨さとはまた異なる恐怖として迫ってくる。
「黒い雨」を他人の日記の引き写しだとして否定する評価をする人もいるようだが、この作品は単に日記を書き写しただけではない。
そこに数年経っても原爆症に脅かされる人々の今を織り込む事で、原爆の悲劇が形を変えて続いている事を示している。これは当時の日記からだけでは決して語る事はできない。 -
原爆の悲惨さを目に見えて分かりやすく表現していて、井伏鱒二様の、細部に渡る表現で大変、広島や長崎の酷い状況が分かりました。
登場人物の矢須子さんについては、原爆の影響で日常を失われる辛さがあり、どうしても抗うことが出来ない現状に、私自身も悲しくなりました。