完訳チャタレイ夫人の恋人 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (575ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102070123

感想・レビュー・書評

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  • 大学で軽音楽サークルに入りました。「オヤジ君は、そうだな、むっつりスケベでしょ?」先輩にこう言われて即座に否定しました。普通にスケベであると自任していたから。

    その点、本作『チャタレイ夫人の恋人』も謂わばむっつりじゃないスケベ、おっぴろげエロです。むしろどぎついかもしれない。

    ・・・
    チャタレイ夫人ことコンスタンスは中流ながら自由な空気の下で教育と経験を積み、貴族であるクリフォード卿と結婚する。しかしクリフォード卿は第一次大戦で下半身が不具となり、いなかの炭鉱町テヴァーシャーの屋敷に夫人と引っ込み隠遁的生活を送る。クリフォードはいくつかの文芸作品で名声を得つつあるなか、コンスタンスは閉じこもった田舎生活・貴族仲間の辛気臭い高尚な議論に飽き飽きし、果ては森番メラーズと不義の愛を交わし、その関係にはまっていく。

    ・・・

    つまり本作はありていに言えば不倫モノであるが、描写が非常に生々しく肉感的。一番印象的だったのは愛し合う二人が互いの陰部を『ジョン・トマス』『ジェイン夫人』と呼ぶところでしょうか。しばしば陰部とは抑制や理性の網の外になりますが別人格として呼ぶところにエロチシズムを感じます。


    とはいえ、これがただのエロ・グロ・ナンセンスかといえば、そればかりではなく、他の切り口があると考えます。それは例えば、人間らしさとは何かとか、自然の重要性とは何かとか、肉体の不自由はどのように克服するか(むしろしなくても良いのか)等々です。

    主人公のコンスタンスは鬱屈した生活の果てに、肉体の満足こそ善でありすべてと言わんばかりに自らの愛の道を突っ走ります。他方で不倫浮気は社会通念上も法律的にも許されないこととされており、そのルールには必ず背景があるわけです。社会と個人との関係、社会にあっての倫理、こうしたトピックを考える上ではよいマテリアルかと思いました。

    コンスタンスのように夢中になるときは忠告も悪口に聞こえますし、見境もなくなります。そういう状態は理解できるものの、もう破滅に向かっていることがわかり、助けてあげたいけど助けられないもどかしさを感じました。

    ・・・
    巻末の解説を読み、筆者ローレンス自身が人妻と不倫して、いわば駆け落ち然の海外滞在を余儀なくされたことを知りました。その点で本作は私小説的作品といえます。ノマド的生活の中で一生を終えた彼が、それでも愛が勝つ、と30年前に流行った曲のように主張したかったかはわかりませんが、作品の終わりはいまだ一緒になれない二人の間の近況文通で終わります。その印象は二人の行く末が明るくないことを示しているようにも見えますし、あるいは『社会』に自分たちの生活を踏みにじられたローレンスのルサンチマンのようにも思えました。いずれにせよ、社会に反して生きるというのは楽ではない、そのことは実感しました。

    皆さんはどう読まれますでしょうか。

  • 性と愛という主題のために、ここまでの切り込んだ表現をする必要があったかはわからないが、読み物として面白かった。なお、現代的感覚からすればわいせつ物には当たらない印象。

  • 姉との対話でコニー自身が言うように、コニーとメラーズは互いに名前で呼び合わない。地の文においても二人のみが登場する場面は、一部を除いて、「彼」「彼女」と称されている。コニーに即して言えば、夫との精神的生活(という名のひきこもり生活)を通して彼女は観念的な言葉など無意味だ、ということを悟った。二人の間では既成の名前も意味を持たない。代りに、彼らは自分らの性器に自ら名を与える。『旧約聖書』「創世記」のように、名を与えるところから世界が始まる。二人にとっては肉体が第一であり、肉体の交合を通して生まれる言葉こそが重要な意味を持つ。

  • ロレンスといへばこれ、といふ作品ですが、安易な機械文明批判を展開してゐたり、或は表現の仕方が過度に感情的であつたり、とかく欠陥の多い作品でもあるため、ロレンス入門としてはあまりおすすめできません。『死んだ男』を読みませう。

  • 20世紀初頭、英国中部。貴族のクリフォード・チャタレイ。夫人のコンスタンス・チャタレイ(愛称コニー)。コニーは、領地の森番メラーズと身体の関係を結ぶ。そして、終盤、それぞれの夫婦関係を精算し、ふたりの生活を築こうと歩み始める。

    巷間では、戦争で不能となった夫、それ故に…という文脈で紹介されがちだ。だが、実際に読み進めると、それが最大の理由ではないように思われた。むしろ、夫クリフォードの理屈屋すぎる感じや、夫婦間の空気の違いが原因のように感じられた。
    思えば「性愛」は、人生の大切な要素のひとつ。だが、文学は人生を描くのを使命としているにも関わらず、性愛そのものを主題に据えた小説は稀である。その意味で、文学の営みとして、この作品が性愛そのものを主題のひとつにしたことは、至極全うなものである。
    しかし、刊行された1928年当時は、この内容・表現は衝撃的であり、それまでの表現の水準からは、唐突な、突き抜けたものであったように思われる。 現代に生きる私の基準でも、この小説の性愛についての表現は、少々驚かされた。腰の動きであるとか、射精という語まであるのだ。さらには、そのものずばりの4文字言葉まである。 

    さて、作品中、炭鉱の町の殺伐とした風景。鉱山労働者達の非人間的な様相。貧しさゆえの希望のない表情。産業社会への不安と警戒感が暗示される。一方で、上流階級の人間達(夫、クリフォードを筆頭に)の、理念や空論に走り、空しく虚ろな姿。血と肉の実体、身体の存在感が希薄さが、印象に残る。
      
    「生」の実感の尊さを呼びかけ、非人間的な工業社会の危機を訴える、そんなメッセージを感じた。

    コニーが、夫の屋敷を離れてすごす、ベニスの夏の日々を描く章もある。意外な味わいポイントで楽しい。
    終章、コニーとメラーズの、往復書簡だけで、ふたりの日々と、その想いが描かれる。内省的で、心に沁みてくる静けさがある。
    性愛についての表現で話題にされることが多い小説だが、落ち着いた深みのある、静謐な趣に満たされた小説なのであった。

  • 20世紀の初め、有閑貴族たるチャタレイ夫人とその使用人で森番のメラーズとの恋愛を、性行為から目をそらすことなく描ききった純愛小説。
    知識人でリベラルな価値観を持つチャタレイ夫人は、戦争で下半身不随となった貴族の夫と、経済的には何不自由のない生活を送っている。
    しかし彼女は、夫を含めた彼女を取り巻く人々の、形而上的、衒学的、かつ虚栄心にまみれた日常に、常に満たされない何かを感じていた。
    ある日、彼女は所有地の森で、戦争で傷つき孤独を愛するようになった元軍人メラーズに出会う。
    何回かの逢瀬を重ねたのちチャタレイ夫人は、メラーズこそ今まで自分が探し求めていた、自分を子宮から丸ごと愛してくれる男だと確信し、夫との離婚、メラーズの子供の出産を決意する。が、そこへ別居していて何の音沙汰もなかったメラーズの妻が突如現れ、狼藉の限りを尽くしだす。

    チャタレイ夫人の性の描写が、精緻かつ説得力満点。卑猥ではあるが、そもそもそれは卑猥なものなのだから、そりゃこう書くより仕方がない。
    困難な道を敢えて選んだ二人の美しい恋人たちの未来に祝福の多からんことを。

  • これ文学なんだろうけど、どうしても下世話な話としてしか受け取れなかったなぁ。
    そうだとすると、誰が悪かったのか、なんて思ってしまう。

  • 名前だけは誰もが知っているけれど、実際には読まれてないって本のベスト10に入るでしょうね。

    私もどんなものかと怖いもの見たさで手に取りました。

    性描写が裁判となったのは今となっては昔の話です。映画の中での突然のラブシーンの方がよっぽど卑猥性が高いと思います。

    肝心のストーリーですが、どうしても行き当たりばったりの印象が拭えません。作者は書き始めにストーリーの終わりまでの流れを考えていたとは思えないのです。

    クリフォードの下半身付随(性的不能)について、メラーズ登場場面、社会構造批判について、その必然性みたいなものが欠けるように思える。何とも唐突な感じがしてしまうのです。

    また一番力を入れているメラーズの手紙部分がハイライトであるとするならば、そこに至るまで何度か出てくる性描写は必然と思えない。また、この手紙の文調が急にしおらしくなって、今までのメラーズとコニーとの関係が随分と変わってしまっていて違和感が拭えない。

    イングランドとスコットランドの違いすら分かっていない者にとっては自然描写を親しみを持って肌で感じられない…そのため、本来ならロレンスの真骨頂であろう自然を謳っている箇所が、逆につまらない、読み飛ばしたくなってしまう読み方しか出来ない自分が、寂しくなる…

    補訳の伊藤礼氏は、原訳者の伊藤整の息子さんなのですね。親子で完訳されたとはある意味羨ましい事です。

  • 新訳が出てすぐに買って、一気に読みました。
    やっぱり精神だけの愛はもろいものだ、と当時は思ったような気がします。
    問題作と言われていますが、今読めばそれほどのものではありません。書かれた当時に思いを馳せながらどうぞ。

    ネタバレは http://d.hatena.ne.jp/ha3kaijohon/20120723/1343041688

  • 再読
    前読んだ時は、逆に全然エロくないと思ったんですが、久しぶりに読むと純愛さ故に、逆にエロく感じられたように思う。女って怖いなあ。

著者プロフィール

D.H.Lawrence.
1885 ~ 1930 年。イギリス出身の作家。
大胆な性表現や文明社会と未開社会の葛藤などを主なテーマに据えた。
イギリスからイタリア、オーストラリア、ニューメキシコ、メキシコと遍歴。
この間に、『アーロンの杖』『カンガルー』『翼ある蛇』などの問題作を
次々と執筆。ローロッパへ戻ってものした『チャタレイ夫人の恋人』が
発禁処分となるなど、文壇の無理解もあり長編の筆を折る。
その他の代表作に『息子と恋人』『虹』『アメリカ古典文学研究』
『アポカリプス論』など多数。

「2015年 『ユーカリ林の少年』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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