- Amazon.co.jp ・本 (144ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102074022
作品紹介・あらすじ
雨のそぼ降る森、嵐の去ったあとの海辺、晴れた夜の岬。そこは鳥や虫や植物が歓喜の声をあげ、生命なきものさえ生を祝福し、子どもたちへの大切な贈り物を用意して待っている場所……。未知なる神秘に目をみはる感性を取り戻し、発見の喜びに浸ろう。環境保護に先鞭をつけた女性生物学者が遺した世界的ベストセラー。川内倫子の美しい写真と新たに寄稿された豪華な解説エッセイとともに贈る。
感想・レビュー・書評
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再読。単行本版の森本二太郎さんの表紙の写真の印象が、あまりに強すぎて、今回の川内倫子さんの写真は綺麗すぎるのが気になり、最初はどうかなと思ったが、次第に、これはこれでいいなと思えるようになってきて、川内さんは、「母の友」の連載でもお馴染みだけど、改めて光の表現が上手い方だなと思う。
『センス・オブ・ワンダー』=『神秘さや不思議さに目を見はる感性』の素晴らしさを唱えた本書は何度読んでも、最初のシーンの、嵐の夜の波飛沫を投げつけてくる海を見て、心の底から湧きあがる歓びに満たされて、一緒に笑うレイチェルと、その甥ロジャー(当時1歳8か月)に、限りない共感を寄せてしまい、そこには知識や理屈で考える以前の(知ることは感じることの半分も重要ではない)、何か本能的な、とてつもない大きな力で満たされた圧倒的なものの存在感を、ただただ実感させられるだけではなく、私たちの知らないものに出会ったことへの歓喜の叫びもあり、そうした世界の神秘さや不思議さを感じられることの素晴らしさは、きっと人生を彩り豊かなものにしてくれるであろうことを、本書は教えてくれる。
また、それに加えて、本書の意義深い点として、1962年に彼女が書いた『沈黙の春』の後に、本書を完成させようとしたが、志半ばに未完となった経緯があり(1967年4月14日、56歳で死去)、その『沈黙の春』が、環境汚染と破壊の実態を世に先駆けて告発したことにより、彼女の先見性を証明した作品であることから、本書は、『破壊と荒廃へつき進む現代社会のあり方にブレーキをかけ、自然との共存という別の道を見いだす希望を、幼いものたちの感性のなかに期待している』といった、『環境教育の必要性』を唱えた作品であることに、改めて気付かされたことが、私にとって大きく、おそらくそれは、現代の方が、よりシリアスに考えなければならない重要事項だと感じ、私たちは生きていることもそうだが、その前に自然に生かされているといったことも、そろそろ実感しなければならないのだと思うが、どうなのだろう。
そして、文庫版だけの特典として、新たに寄稿された四人の解説エッセイが、また興味深い。
まずは、生物学者の福岡伸一さんの、『人間は細胞のレベルでみると、つくりやしくみは酵母やハエと殆ど変わらない』が、ひとつだけ人間が他の生物と異なる点は、『ことさら長い子ども時代がある』ことであり、それが脳を鍛え、知恵を育み、文化や文明をつくることに繫がり、要するに、それらがつくられた始まりは遊び心だったということであり、改めて、『大人になるとやってくる倦怠と幻滅』にも納得のゆく思いとなり、大人になること(色気づくこと)は、どうしても闘争、競争、警戒が優先される喪失の物語なのだと気付くことにより、素晴らしき感性を思い出すきっかけを与えてくれるのは、現代社会の真っ只中に於ける、一服の清涼剤から、一生大切にしていきたい、そうした思いへと変わることを期待しているのだと、私は思った。
次は、批評家、随筆家の若松英輔さんであり、レイチェルの眼差しは、自然科学者というよりも『自然詩人』のそれであることから、文学(哲学)と科学は共存しうる点に興味を覚え、そして、『人間の知識ではいまだに説明できない、何かを感じ続けること、それが人間を真の意味で人間に近づける』ことにより、『もう一つの自己発見の道程』に繋がることの素晴らしさは、この後の大隅典子さんの解説、『微小な生物にそれぞれの生活や世界があることを知ることは、人間を相対化できることにつながる』からも読み取れて、『センス・オブ・ワンダー』には、ある種の恐ろしさや崇高さが含まれることによって、自分自身を見つめ直すことができて、そこで新たに生まれ出るのが、自然への畏怖や敬意であり、そこから自分の立ち位置を考えることは、おそらく自分自身への愛おしさも、より湧いてくるのではないかなと思わせるものがあった。
そして、上記でもふれた、神経科学者の大隅典子さんであり、ここでの、『幼い頃に体験したことは、覚えているという自覚が無くても、脳の中に刷り込まれていると信じて良い』に、とても嬉しいものを感じられたりしながら、特に印象的だったのは、『明瞭でディジタルな刺激だけではなく、曖昧でアナログな刺激が子どもにとって(大人にとっても)必要』であり、今は動画で手軽に世界各地で起こる様々な自然現象を見たり聞いたりすることができるが、私はそれと、実際に生で見て聞くことが、全く同じであるとは思わず、それはあくまでも媒体を通したものしか感じ取ることが出来ないが、実際に見たときには、視覚も聴覚もそこの空気感含めて、より感性が際立ち、更には、その生の存在感を嗅覚も含めた五感全てで、ありありと感じられるだろうし、また、その五感の面白さとして、夜の闇だと
それらが研ぎ澄まされることがあり、そこでは視覚が抑えられ、音や匂いに更に敏感になることから、小さな差異に気付きやすくなることも興味深く感じられた。
最後は、童話作家の角野栄子さんで、彼女自身、34歳になって物語を書く仕事を始めて、こんなに好きだったんだと気付いたことにより、『何歳からだって、好奇心を持ち、想像力を育み、創造することができると、信じている』といった思いには、感性を磨くことのみならず、人生に於いても心強い気持ちにさせられ、励まされるものがあった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「沈黙の春」のレイチェル・カーソン。
彼女が、母親を失った甥のロジャーを息子として迎え、彼と共に自然を探索し出会い発見し喜びを見つける。散文的な作品。後書で、未来の私達への手紙の様だと表現している方もいた。
彼女は幼い少年と一緒に行動します。空を見上げて、風を聞き、花を愛でます。知識は押し付けません。そして、私達にも自然に向かうことを勧めます。彼女は大人に知識を求めません。子供達と共に体験して共有することを勧めます。
訳者によるところ「神秘さや不思議さに目を見張る感性」センス・オブ・ワンダー。
柔軟な子供達をその感性で満たしてあげたい。そんな願いの作品です。
私のセンス・オブ・ワンダーとして、生物学者の福田伸一さん、童話作家の角野栄子さんら4人が後書を添えています。川内倫子さんの挿入写真も優しげです。 -
子育てしている今この本を読むことができてよかった。
センス・オブ・ワンダーとは、神秘さや不思議さに目を見はる感性のこと。それがいつまでも失われないようにとの、生物学者で環境保護の先駆者である著者の願いが込められた作品。
知ることより感じること。子どもに花や鳥の名前を教えてあげることよりも、一緒に自然とふれあいながら、驚きや感動を分かちあうことの方が大事だよと優しく諭すように教えてくれる。
子どもが小石やどんくりを大事そうに握りしめていたことも、水たまりを見つけると嬉しそうに踏み込んでいくことも、降り積もった雪を初めて見たときに驚きの雄叫びをあげたことも、彼女らにとってのセンス・オブ・ワンダーになるのかな。
子どものおかげで、日々、喜びや感動を再体験させてもらっている。
ただ、ずぼんのぽっけからダンゴムシが大量に出てきたときには悲鳴をあげてしまってごめんね。笑
もっと、自然とふれあう時間を大事に、自然の美しさを一緒に感じていきたい。-
お父さんせっせとかわいいですね(*´ェ`*)
子どもの頃に近所の家の庭にアリ地獄があったのでよく掘り返してましたwお父さんせっせとかわいいですね(*´ェ`*)
子どもの頃に近所の家の庭にアリ地獄があったのでよく掘り返してましたw2024/02/17 -
2024/02/17
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2024/02/17
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自然を五感で感じることの素晴らしさを、この本によって知りました。
私たちはふだん便利なものばかりに囲まれて生活しているけれど、私たちの住む地球はさまざまな自然に溢れているということを忘れてしまっているようです。
子どもの頃に虫や植物などに触れて遊んでいたことが、懐かしい思い出として蘇ってきます。
何かに導かれるようにしてこの本を手に取ったのですが、海洋生物学者である作者の、美しく偉大なるメッセージに触れることができて、ほんとうによかったです。
書かれてある言葉を読むのではなく、からだで感じ取ることができる。
ゆったりとした気持ちで、心が浄化されてゆくようです。 -
【まとめ】
子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。残念なことに、わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。 この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。
生まれつきそなわっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮にたもちつづけるためには、わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる必要があります。
美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものにふれたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたびよびさまされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。
消化する能力がまだそなわっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切りひらいてやることのほうがどんなにたいせつであるかわかりません。
わたしはここまで、わたしたちのまわりの鳥、昆虫、岩石、星、その他の生きものや無生物を識別し、名前を知ることについてはほとんどふれませんでした。もちろん、興味をそそるものの名前を知っていると、都合がよいことは確かです。しかし、それはべつの問題です。手ごろな値段の役に立つ図鑑などを、親がすこし気をつけて選んで買ってくることで、容易に解決できることなのですから。
いろいろなものの名前を覚えていくことの価値は、どれほど楽しみながら覚えるかによって、まったくちがってくるとわたしは考えています。もし、名前を覚えることで終わりになってしまうのだとしたら、それはあまり意味のあることとは思えません。
人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わたしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘を感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしても、かならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
●訳者・解説者コメント
・レイチェル・カーソンは、地球の素晴らしさは生命の輝きにあると信じていた。地球はあらゆる生命が織りなすネットで覆われている。その地球の美しさを感ずるのも、探求するのも、守るのも、そして破壊するのも人間なのである。彼女は、破壊と荒廃へつき進む現代社会のあり方にブレーキをかけ、自然との共存という別の道を見いだす希望を、幼いものたちの感性のなかに期待している。
『沈黙の春』が、いまなお鋭く環境汚染を告発しつづけているのと同じように、『センス・オブ・ワンダー』は、子どもたちに自然をどのように感じとらせたらよいか悩む人々へのおだやかで説得力のあるメッセージを送りつづけてくれるだろう。環境教育の必要性が叫ばれているいま、この本に託されたレイチェルの遺志は、多くの人の共感を得ると信じている。
・人間にはひとつだけ、他の生物と人間が異なることがある。サルとでさえ大きく違っている。それは何かと言えば、人間には、ことさら長い子ども時代がある、ということである。
これはいったい何を意味するのだろう。
大人になると、つまり性的成熟を果たすと、生物は苦労が多くなる。パートナーを見つけ、食料を探し、敵を警戒し、巣を作り、縄張りを守らなければならない。そこにあるのは闘争、攻撃、防御、警戒といった、待ったなしの生存競争である。対して、子どもに許されていることはなんだろう? 遊びである。性的なものから自由でいられるから、闘争よりもゲーム、攻撃よりも友好、防御よりも探検、警戒よりも好奇心、それが子どもの特権である。つまり生産性よりも常に遊びが優先されてよい特権的な期間が子ども時代だ。
なかなか成熟せず、長い子ども時間を許された生物(つまりヒトの祖先のサル)が、たまたまあるとき出現した。彼はあるいは彼女は、遊びの中で学ぶことができた。遊びの中で発見することができた。遊びを介して試すことができたのだ。そしてなによりも、世界の美しさと精妙さについて、遊びを通して気づくことができたのだ。センス・オブ・ワンダーの獲得である。もともと環境からの情報に鋭敏に反応できるよう、子どもの五感は研ぎ澄まされている。これが人間の脳を鍛え、知恵を育み、文化や文明をつくることにつながった。こうして人間は人間たらしめられた。これが私の仮説である。
・レイチェルがロジャーに伝えようとしているのは、単なる知識ではなく、全身に響きわたる経験である。そうした理知の壁を貫き、「いのち」に直接注ぎ込まれた出来事は不朽のものとなる。そして、幼いロジャーの心中でゆっくりと育まれ、必要なときに開花し、そっとこの世界の秘密を解き始める。そのことを彼女は熟知していた。
・「物事はこういうふうに進化していってほしい、発展していってほしい」という「人の願い」が、想像力や人間特有の力を削いでいっている気がしてなりません。人の願いに、合理性や効率といったものがくっついてくると、危ないという気がします。
でもその進化は、止められないとも、私は思う。だから、それを超えていく力を子どもたちに贈る教育ということを考えないといけないと思うのです。
この『センス・オブ・ワンダー』という作品も、子どもたちが、人々が、見えない世界から何かを感じてほしい、贈りものを受けとってほしいという「願い」にあふれています。 -
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持続可能な社会を子どもたちに。環境問題の嚆矢となった『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンが遺した名作『センス・オブ・ワンダー』待望の文庫化...持続可能な社会を子どもたちに。環境問題の嚆矢となった『沈黙の春』の著者レイチェル・カーソンが遺した名作『センス・オブ・ワンダー』待望の文庫化|株式会社新潮社のプレスリリース
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000303.000047877.html2021/08/25 -
注目新刊:レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』新潮文庫、ほか : ウラゲツ☆ブログ
https://urag.exblog.jp/...注目新刊:レイチェル・カーソン『センス・オブ・ワンダー』新潮文庫、ほか : ウラゲツ☆ブログ
https://urag.exblog.jp/241194270/2021/09/20
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カーソンの『センス・オブ・ワンダー』に美しい写真を添え、さらに4名の方の本書にまつわるエッセイを収録した文庫本。
冒頭、甥のロジャーと共に、真っ暗な嵐の夜の海岸に立つシーンから引き込まれました。
おだやかな日も荒れた日も、自然を全身で感じ、その神秘に、驚異に、心を動かされる体験。
私自身の中にもそんな思い出の断片が積み重なっているからこそ、本書の内容はすんなりと心に浸透してひたひたと幸福感をもたらしてくれました。
「知る」ことよりも「感じる」ことを大切に。
さまざまに感情が動いたことからつながる知識はしっかりと身につくから。
美しいものや不思議なものに目をみはる感性は、一生持ち続けていたいものだと思いました。
寄稿されたエッセイも1篇1篇、『センス・オブ・ワンダー』を大切にされてこられた方々の想いが伝わってきます。
特に、神経科学者・大隅典子さんの「私たちの脳はアナログな刺激を求めている」は現代のテクノロジーを取り入れつつ、子どもたちのセンス・オブ・ワンダーを育むことに言及されていておもしろかったです。 -
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#新潮文庫
#読了
センスオブワンダーをどう訳すかはさまざまだろう。子ども時代には感性を育むことが大事。そういう話。後半はセンスオブワンダーについて訳者や4人の著名人が語る。角野栄子さんの文章はグッとくる。 自然に生かされている、そう感じたい。 -
自然への敬愛に満ちた一冊。
通説ではあるが、大人になるにつれ感性が鈍ると明言されるとやはり悲しい、、
童心を忘れず、何気ない日常に溢れている自然の神秘に目を凝らし、耳を傾けるようにしたい。 -
かなり薄く大きな文字なので小一時間ほどで読める。
詩のような物語のようなエッセイのような科学書のような。上質な哲学書というのが一番正解なのかもと思った。
自分が自然豊かな場所に行った時に出会った、足元の雑草にたまたまやってきた小さくて地味な色の蝶。
苔に溜まった雫を飲むために留まったその蝶の羽が、なんと4枚全て違う色柄だったことに気づいた時。しかも裏表も全て違う。
そして飛んでいると何色の蝶なのか分からない。
蝶なのかさえ分からない。
蛾の胴体の水玉模様が今まで見たことないくらいの深い黒と白であることを発見した時。
とても嬉しく、すぐ人に話したくなる自然の驚異。
いつまでもこの気持ちを忘れずにいたい。
強くしなやかに生きる方法をこれからも教えてほしい。
巻末のエッセイがそれぞれ皆、とても良かった。
福岡伸一さんのが特に良かった。