- Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102114018
感想・レビュー・書評
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なんとも短めな小説で、文章自体読みやすくしているのであろうが、何処となく捉えるのに非常に難解さを感じた。
全体を通して鈍色のような重さが一貫しているのと、それを際立たせる対照的な風景描写などがどのように主人公のムルソーに影を落としているのか、そもそもそれらすらも超越しているのかも自分には未だ認識出来ていないから難しかった。
また無論海外文学としての下地であるキリスト教を解っていないところも理由なのであるろうが、弁護士・司祭は(無論検事や陪審員もであるが)当時としての常識としての神の存在から立脚しており、既にそうでない主人公は、もはやこの作品が書かれた時の多くの人や、世界が広まった今日においても、まるで代表者のようでもある。
異邦人とは、他者の存在があり、自身のグループに属さない所謂余所者であるも、この作品は誰であれ自身の中にすら掴みどころのない象徴としての標題であると感じた。
他のカミュ作品も読むべきか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
カミュの代表作の一つ。理不尽さを描く。正常なのは自分なのか、周りなのか。同じ状況になればどう判断するのだろう?
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面白い。この小説を語る上で「不条理」がキーワードとして出てくるのは、どういうことなんだ?そもそも「不条理」ってどういう状態?と思ってググってみたら、「現代的な用法はカミュに端を発する」とあるからここがスタートなんだ。じゃあそのカミュが据えたテーマはどういうものなんだろう。
「不条理主義者の哲学の中では、不条理は人による世界の意味の追究と世界の明らかな意味のなさの基本的な不調和によって生じるとされる。」(Wikipediaから)
とすると、この本の中で主人公は「不条理」に気づいていた人物という設定か。母親の死をはじめ、「〇〇に意味などない」と散々言っているし。
で、ウィキペディアを読み進めてみると上記のようなジレンマの解決法が3つあるんだって。1.自殺、2.盲信、3.受容
カミュは3の受容「不条理を受け入れる(認識する)」ことを推奨しているらしい。
(そもそも解決になってるのか?って感じだけど)
でもそういう風に読むと、なんか無差別殺人を肯定してるとかいって叩かれそうだな。母親の死に意味などないは百歩譲ったとして、人殺していいことにはなんないでしょ、って。
2.盲信は例えば宗教に意味を見出すことで、カミュは哲学的自殺と呼んだらしい。最後に主人公に対して救いを説いた看守はそういうポジション?
でも最終的に主人公は死んじゃうわけだから、解決がうまくいってないってことなのかな。いやーわからん。 -
物事を必要以上に大きく捉えない。感じたことをそのまま自然に捉え、感じるままに行動する。内省など入り込む余地もない。あまりにも純粋で無防備であると思ったが、自由の原石を見たように思う。
演技をしなければ、誰しもが異邦人。 -
150Pほどで文章量はそれほどでもないので、サクッと読もうと思えば読める。
古い作品だが、そこまで読みづらい部分はなく、主人公にも感情移入しやすいのはさすがノーベル賞作家の代表作だと思えた。
全2章で構成されており、1章は特徴のある登場人物たちが物語を動かしていくストーリーでわかりやすい。
2章になると裁判と主人公の内面を深掘りしていく話になり、一度読むだけでは頭に入ってこない箇所もあった。
「異邦人」というタイトルは作中では一度も出てこなかった。
このタイトルは主人公のことを指すのだろうが、読んでいてもそこまで主人公が特異な人物だとは感じられなかった。
周囲の人間たちが、主人公を異常性を持つ人物と仕立て上げ、それに合わせてストーリーを組み立てているだけだった。
全体通して、自分の行動は他人次第でどうとでも評価されるということの恐ろしさが印象づけられた。
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海外の文学作品はやはりまだ私には少し難しい。
なんとか最後まで読了した感覚。
すごく極端に書かれているのでサイコパスかのように感じるけど、ムルソーみたいな人っていると私は思う。不条理。
少し時間を置いてまた読んだらより違う理解ができそう。 -
愚直。理はムルソーにあり。
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薄い本の割に内容が濃く、読み応えがある作品だった。
ムルソーは自分の思ったことに嘘のつけない、純粋な人間なのだろうと思った。それがただ虚無的で否定的な人間だと周囲からは思われた結果、死刑宣告をされたのだと思う。