異邦人 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102114018

感想・レビュー・書評

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  • 感情移入とか全くなかったけど
    考えさせられる作品
    何度か読み返す作品になりそう
    海外の作品は読みづらい事が多いけど
    読み易かった
    2022年新潮社文庫の100冊のうちの1冊

  • 読み始めは難しく感じましたが、二部から大きく展開が変わってきます。
    一読して解説まで読んだ感想としては、最初の難しいという印象はなくなり、寧ろ理解しやすさと問題意識の深さから名作と言われるのがよくわかりました。

    死を受け入れられるか?とまでは言わずとも、時代柄似たような境遇の人は多いのではないでしょうか。

  • 何だろう…主人公の正直な行き方や法廷での検事の発言など、世の中の欺瞞や阿諛する人々を刺しているようだった。胸が締め付けられた。
    真実を知ろうともせず正義の側に立っているつもりの輩がこの世に多すぎる。(この本の主旨とは違いますが、この本のを読んで思ったことです)
    沈黙を守ると偽りの事実で裁かれる。

  • 私たち人間は、少なくとも個のつながりを持っていくらかの輪が生まれる、つまり1人だと思っている時でさえも他人と関わりを持って生きている。それゆえに、感情は常に情報によって調理されている。
    しかし、主人公の言葉は全くを持って他人の貫入、情報による調理がなされておらず、個が個のままの感情で発せられていた。
    本物の感情を語ることはある意味、理想なこと。
    しかし、個を許さない大衆は、主人公を異邦人と呼んだ、ということなのだろうか。

  • 「普通はこうだ」みたいなものを取っ払って、自分を素直に生きている人間をそのまま描いてくれていた。
    内容がどうのこうのっていうより、モノの捉え方?と書き方がすごいよかった
    後半部分もう一度ゆっくり読み込みたい、

  • 文章がすごい
    再読ゆっくりしたい 意味は分からないままでいい

  • 表立った感情が見られないことを理由に無感覚な人間だと決めつけてしまう心理に恐怖を感じた。少なくともムルソーは自分なりの信念があったと思う。
    表面上の態度が必ずしも思考と一致しないことを知り、放っておく寛容さが誰かにとっては有難いものになることを感じた。

  • 「真実何かを悔いるということが私にはかつてなかった」「私はいつでもこれから来るべきものに、たとえば今日とか明日とかに、心を奪われていたのだ」


    ムルソーは感情のない、衝動的なサイコパス?
    けど自分を偽らず人と違うことを怖がらず欲に忠実ってむしろ感情(思考?軸?)がある人にしかできないことでは?無欲に(自分が本当は何が欲しいかすら考えたことないが故の)、周りに合わせて生きることの方がよっぽど感情の死んだ思考停止人間にしかできないのでは。

    それともムルソーのそれは、「生まれつき臆病な人なんていない」というような子供的な無邪気さ?それだったらほんとに怖


    はあ分からん。けどおもしろかった

  • 個人的にはカフカより面白かった

  • アルベール・カミュ(1913~1960年)は、仏領アルジェリアに生まれ、第二次世界大戦中に発表した本作品(1942年)、エッセイ『シューシュポスの神話』などで「不条理」の哲学を唱えて注目され、戦後発表した小説『ペスト』はベストセラーとなった。1957年には史上二番目の若さでノーベル文学賞を受賞したが、1960年に自動車事故で46歳の若さで死去した。
    カミュの作品は「不条理」という概念で特徴付けられるが、日本大百科全書では、「不条理」とは「人間と人間、人間と世界との関係が条理・道理にあわないこと。つまり、必然的な根拠が不在であり、すべては偶然に基づくということである。フランス語のアプシュルディテabsurditéの訳で、この語の現代的な用法はカミュに端を発する。彼は『異邦人』において、現代の不条理の状況、現代的な不条理の人間を小説の形で提示し、さらに『シジフォスの神話』においてそれに哲学的、論理的な解明を与えた。」と説明されている。
    本作品は、二部構成となっており、第一部は、主人公ムルソーが、ママンの死を告げる電報を受け取ってから、アラブ人を殺害するまでの18日間の経緯、また、第二部は、ほぼ1年に亘る獄中生活と裁判の様子が記されており、各所に「不条理(≒偶然)」が散りばめられている。
    例えば、母の葬儀の数日後、隣人レイモンに「偶々」会って、殺人事件の発端となる手紙を書くことになる件や、レイモンと共に友人の別荘へ行き、三度目に一人で散歩をしていたときにアラブ人に「思いがけずに」会い、ピストルで撃ってしまう件(ムルソーが、それを「太陽のせいだ」と答えたのは、我々人間はその偶然に抗えないのだということを意味している)、更に、裁判の審理が、ムルソーが起こした犯罪そのものではなく、ママンの葬儀やその後数日間のムルソーの様子や行為に関して為されているかのような「不条理」である。
    そして、死刑が確定した後、司祭がやってきて神による魂の救済を説くが、無神論者のムルソーは、「君は死人のような生き方をしているから、自分が生きているということにさえ、自信がない。私はといえば、両手はからっぽのようだ。しかし、私は自信を持っている。自分について、すべてについて、君より強く、また、私の人生について、来るべきあの死について。そうだ、私にはこれだけしかない。しかし、少なくとも、この真理が私を捕らえているのと同じだけ、私はこの真理をしっかり捕らえている。・・・私はこのように生きたが、また別な風にも生きられるだろう。私はこれをして、あれをしなかった。こんなことはしなかったが、別なことはした。」と叫び、不条理な世界の中で神に反抗し、地上の生を肯定して、物語は終わるのだ。
    不条理な世界であっても、我々は地上の生を否定することはできない、という強いメッセージを感じる作品である。
    (尚、本書は1954年の窪田啓作訳であるが、読み易い新訳が出ることを期待したい)
    (再読/2022年6月)

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