センス・オブ・ワンダー

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (60ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105197025

感想・レビュー・書評

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  • 私の子供たちがまだ産まれる前、もしくは幼い頃までに出会い、読んでおくべきだった。小さいお子さんをお持ちの親御さん達に是非とも読んでもらいたい珠玉の一冊です。たとえ私のように遅れて出会ったとしても、決して無駄ではない。なぜ感じることが大切なのかを、安らかで明るい灯火をすっと心にともすように教えてくれる。

  • 子供に読ませたい。

  • この本を読んでから携帯の画面ではなく日常の中の自然に注目するようになった。
    世の中を憎んでずっとイライラしていたけれど、雨の音や鈴虫の音、満月の柔らかな光など世界はこんなに美しかったんだって驚嘆した。この本に出会えてよかった。

  • こんなに瑞々しい感性に驚いた。なるべく自然を見て、聞いて、感じてということはするようにしているけれど、カーソンのようにより素直に、深く感じられたらどんなにしあわせだろうかと思う。センスオブワンダーが世界を広げる一端となり、それは永続的に積み重ねられていくもので、つらい日常があったとしても支えとなるものという記述があったがその通りかもしれない。日常のなにげない虫の合唱や風の音、緑をもっと感じてみようと思える素晴らしい一冊だった。

  • 私が写真を撮るのが好きなのは、自然の美しさに圧倒され、この瞬間を残し、誰かに伝えたいと思うからだ。田舎暮らしで育ち、もっと田舎の山奥にあった農家の祖父母の家が大好きで夏休み2ヶ月間は親元を離れてずっと祖父母の家で過ごしていた。そんな私は自然がすごく好きだ。でも大人になるにつれて「知りたい」と心から胸を弾ませる瞬間がすごく小さくなっていることを残念に思う。センス・オブ・ワンダーに関して幼い頃の記憶として強烈に残っているのは、小学校の校庭の草むしりだ。草むしりの目的はより多くの草を取り、校庭が学校の授業に適しものになることである、という認識の下、限られた時間内でより多くの草をとっていた私の隣で、今も理系の道を歩んでいる姉はとてもゆっくりのんびりと草の根が最後まで抜けるように一つの草を抜いては、その葉と根をじっくり観察して「これは髭根だね」「葉っぱと根は同じくらいの長さになるんだね」と話していたことだ。筆者が言うように、自然をつぶさに見て虫の音や鳥の声に耳を傾け、植物たちの感触や構造に触れると、社会にあるものの見方から解き放され、大きな自然のうちの中に取り込まれ、人間を超えた存在を認識する内面的な満足感や生きることへの新たな喜びを感じらようになる。筆者は自然ついての発見、喜びや感動を導く大人が必要だと書いているが、私にとってそれは姉だったように思う。私自身は同じものを見ているのに、私とは全く違う景色を見ている姿に、自然の神秘だけではなく、人間の営みの意味についても考えるきっかけをもらったと感じる。人間自身も自然の一部であり、私にとっては人間の認識や感じ方の違い、人が人を導く過程にも発見や喜びがあり、人間の営みを観察しているが、本書は人間社会に偏りすぎ見過ごしているものの多い私に立ち止まって耳を澄まして匂いを嗅いで、雨の日も真っ暗な夜も目を凝らしてみることを思い出させてくれる。本書を読むと朝と夜が繰り返される毎日が発見の喜びに変わり、また朝を迎えることが楽しみになる。

  • タイトルの『センス・オブ・ワンダー(神秘さや不思議さに目を見はる感性)』という意味がよくわかる、自然への畏敬の念、愛情、関心に溢れた一作。

    『沈黙の春』で世界へ多大なる影響を与えたレイチェル・カーソンの最後の一冊。彼女の原点が見える一冊。今更ながらでも、読めてよかった。

  • 子どもたちは本当に
    世界のあらゆることに興味関心を持ち、
    本当にいろんな視点で
    様々なことを発見している。
    毎日の一瞬一瞬が
    驚きに満ち溢れている。

    誰しもが持って生まれたはずの
    センスオブワンダー、
    いつしか大人になるにつれて
    気づけば失いかけている。

    大人になって、"当たり前"や"つまらない"
    ばかりが転がっている世の中にだって
    本当はきっと無数の驚きが満ち溢れてる
    おもしろい世界が広がっているはず。
    それを感じ取れるかどうかは
    いつだって自分次第。

  •  一日6時間スプラトゥーン2をやっている最近のわたしには、ただただ耳が痛くなるような本だった。

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    p.23
     子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれています。わたしたちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しいもの、畏敬すべきものへの直感力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
     もしもわたしが、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」授けてほしいと頼むでしょう。
     この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠感と幻滅、わたしたちが自然という力の源泉から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ解毒剤になるのです。

    ---

     いやぁ、辛い。本当にどうもすみません以外の言葉が見つからない。ときどき家族とキャンプに行って自然の中で数日生活することはあるけど、果たして「夢中」かって言われると正直なところそこまででは、、、楽しいけどね。スマホとか、ゲームとか、洋服とか、コンビニ弁当とか、結局つまらない人工的なものにしか夢中になってない。

     でもなんだろう、わたしはスキーに行ったときだけ、そういうくだらない人工的なもののことを限りなく忘れた状態になるかもしれない。雪山も自然よね。レイチェル・カーソンさんは生物学者だから、生き物を見て、触れ合っている瞬間に一番心が躍るみたい。わたしは生き物にはあんまり興味ないけど、雪山にいると心躍るし、泣いたり笑ったり些細なことが幸せと感じて、いつもより感受性が豊かになる感じがする。漠然と東京クソだなとかリフトの上で毎回思うし。著者のいう「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見はる感性」がまだ私の中にまだ微かに残っているとしたら、そういうことかもしれない。

  • 自然に夢中になっていた感覚をありありと思い出すことができた。
    疲れたら読み返したい。

    林や野原、田んぼで遊んで育ち、それが今の自分を作っている。
    日々の生活で忘れていたけれど、最近釣りやキャンプにハマっているのはその頃のキラキラとしたものを覚えていたからだ。

    これからも、じっと生き物や自然を見て聞いて感じていきたい。

  • この本は、阿川佐和子×福岡伸一「センス・オブ・ワンダーを探して」(だいわ文庫)で知っていた。古書店で見かけたので購入(「『センス・オブワンダー』を探して」いたわけではないが、たまたまである)。

    センス・オブ・ワンダーがどういうものであるかは「~探して」で語られていたので、この本を読んで新しい発見はなかったが、文章も写真も美しいので、時々眺めるのによいだろう。

    訳者あとがきによると「現在ロジャーは、コンピュータ関連のビジネスマン」だそうだ。自然に触れて育てたからといって、自然を相手にする職業につくとは限らない。

    かくいう自分も田舎の山育ちだが、大人になってからは何十年もシステムエンジニアをやっている。一日中、モニターを眺め、キーボードとマウスしか触らない生活を続けていると「自然とふれあい」に飢えてくる。最近は、休みとなると、雑草だの野鳥だのを観察しに出歩くようになった(読書傾向にも反映されている)。結構、楽しい。ロジャーもそんな風になっているのだろうか。

    センス・オブ・ワンダーは、決して子供だけのものではないはずだ。思えば、詩人の故まど・みちお氏などは百年以上、センス・オブ・ワンダー全開ではないか。自分も、まだまだ感受性を磨いていきたいと思う。

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