ケーキの切れない非行少年たち (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
3.74
  • (779)
  • (1635)
  • (1252)
  • (178)
  • (60)
本棚登録 : 17448
感想 : 1632
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106108204

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 知的障害のある児童と非行の関係性について記されている。今思うと、小学生の頃同じクラスだった彼は知的障害があったのでは…と感じた。忘れ物が多く、字も汚い、漢字が読めない、宿題をしてこない、ぼーっとしている、同級生と会話ができないなど。近所に住んでいたし、かなり印象的だったので今でも覚えている。中学にあがる頃には、学力差が圧倒的になり、中学生にも関わらず小学校低学年といつも遊んでいたっけ。彼は今どうしているのだろうか。小学生の時点で、彼はなんらかの支援を受けておくべきだったのではないかと強く感じた。
    p168に記されている感情のペットボトルはとても分かりやすく、自分が怒りに支配されそうになった時は、思い出してみようと思った。怒りのペットボトルは投げつけるのではなく、そっと渡す。あとは、鏡を見てみようかな。

  • ずっと気になっていて、早く読もう、と思っていながら、なかなか心の準備ができずにようやく読めました。
    下手なホラーよりも怖い。と同時に、深く納得するものでした。
    同じものを見ても見え方が違う。
    それは異なる文化や境遇で生きている者同士でも言えることですが、見る力、聞く力の足りなさにより歪んで認知されることによる見え方の違い、というものもあるということに思いを馳せられる人がどれだけいるでしょうか。

    著者は、病院に繋がるような子はまだいい、と言います。
    家では虐待を受け、学校では問題児扱いされ、何の支援にも繋がらず、放置された子の行く末は、ほぼほぼ非行。
    誰か1人でもその子の能力ときちんと向き合い、継続して関わり続ける大人がいるだけで、その後の人生が大きく変わると思うのですが、ただそれだけのことが、本当に難しい。

    全ての人がそうとは言わないけれど、課題を抱える子の親もまた課題を抱えていることが多く、境界性と言われるグレーゾーンで生きづらさを抱えていたりする。
    どこまでその親と繋がれて関係が築け、子の支援へと繋げていけるかは乳幼児期からの丁寧な関わりに尽きるのかもしれない。

    褒めるばかりではなく、基礎的な力を伸ばすトレーニングこそ根本解決には必要、というのは最もですし、教育現場がその要になるのもわかります。
    けれど、担任だけにそれを求めるのは酷でしょうね。
    一朝一夕で変わるものではなく、なんと根気が求められることか。現場で頑張る先生たちには本当に頭が下がります。

    手帳取得もできない軽度の知的障害や発達障害の子や親は、制度的な支援には繋がりにくいけれど、困ったときには(お金がない、とか、具体的な例も伝える必要があるかも)SOSを出してね、と伝えていくこと、また伝えてもらえる関係を作っていくことが福祉の現場でできることの1つなんじゃないかと感じてます。
    教育と福祉の連携、まだまだですが、今後も邁進していきたい。改めて危機感を覚えつつ気持ちを新たにしました。

    • naonaonao16gさん
      yocoさん

      こんばんは^^
      わたしもなかなか覚悟ができず、手を出せずにおりました…
      教育と福祉の連携、難しいですよね。
      親御さんが軽度知...
      yocoさん

      こんばんは^^
      わたしもなかなか覚悟ができず、手を出せずにおりました…
      教育と福祉の連携、難しいですよね。
      親御さんが軽度知的障害なのかなと感じた時に、親御さんは子どものSOSを上手にキャッチできないこともありますし、そうすると外部へは子どものSOSが届きにくい。
      なので学校での子どもの行動というのは支援を検討する上で、とても大きいですよね。
      わたしは第一線を離れてしまいましたが、大変なお仕事です。
      応援しています。お身体を大切にしてくださいね^^
      2020/07/04
    • yocoさん
      naonaonao16gさん

      こんにちは、コメントありがとうございます^^
      naonaonao16gさんの書かれていたように、「何か...
      naonaonao16gさん

      こんにちは、コメントありがとうございます^^
      naonaonao16gさんの書かれていたように、「何か”困る”ような出来事があっても、それに対して”困ってる”と判断できるかどうか、がまず最初の関門」っていうのは本当にそのとおりだなと頷くばかりでした。
      周りがどれだけ改善した方が良い、あるいは支援に繋げた方が良い状況、と思っていても、困り感や必要性を親御さんが感じていないと、なかなか先に進みづらいですね…
      そして、学校というのが子どもの成長にいかに大事で大きな存在かというのを、この仕事をするにつけ感じるばかりです。
      私自身が力不足でもどかしい思いをすることも多いですが、少しでもいい方向に進めるように精進していきます^^
      お気遣いありがとうございます。
      2020/07/05
  • 全ての学校関係者は読むべき、と強く思います。表題のケーキを等分に切り分けられない子どもとは、著者が医療少年院で出会った、境界知能であったり発達障害であったりして、認知機能の弱い子どもたちのこと。認知機能の弱さが、対人関係の歪みにつながり、自己評価の歪みにつながる。全ての行動の基盤であり、教育支援を受ける土台である認知機能の底上げの必要性を説かれていて、そうなんだよ!と拳を握るような気持ちで読みました。勉強ができない」ことの意味を、私たち教員は、大切なサインとして重く受け止めなくてはならないと改めて考えさせられました。教員が負うべき大きな責任と、特別支援教育の可能性とその責任を考えさせられる一冊です。SSTもいいけど、なんかもうちょっと…と感じている人にもオススメです。

  • 本が付箋だらけ。

    「はじめに」から衝撃なんだけど、発達障害の専門外来は、申し込んでから初診まで4年待ち……って、正気?
    もはやなんの為の、誰の為の病院なんだか。

    少年院の子供達は、反省以前に見たり聞いたりする力「認知機能」が弱い。
    このことを著者が世間に発表したことは、とても大きな意味があると思う。
    何となく、非行に走る子は悪いと思っていないし反省もしない、多分また同じことをするだろうという気がしていたけれど、それが何故なのか?ハッキリと言葉にできた人は世の中にそんなに居なかったんじゃないか。
    だから、本当はこの本に興味がない人、本自体に興味がない人にこそ読んで、気付いて欲しいと思った。

    この本は主に少年院での出来事から考察されてはいるけれど、これはそのまま学校に置き換えても同じことが言えるのでは無いかと思う。

    と言うより、本当は小さい頃から何らかの機能に障害を持っていて、でも気付かれないし自分でも気付かなくて、小学生になると「できない」が表に現れてきて、それでも何も対処されなくて、中学生にもなると、もう人によっては手遅れなぐらい生き辛くて、でも放置されて、ありあまるエネルギーを負の方に使って、犯罪者になってしまう。
    それでも「反省」ができないのだから、もちろん善と悪もよく分からないまま大人になって、やはり放置されて、取り返しのつかない大きな事件を起こしてしまう。

    見たり、聞いたり、考えたり、何かの機能がうまく使えない人は絶対に存在するのに、無いものとされる。
    私の子供の頃を思い返しても、じっとしていられない子やすぐにキレる子、勉強が全くついていけない子など当たり前のようにいたし、私だってどうしても出来なかったことがいくつかある。
    クラスで下から5人なんて誰でもなり得るし、IQはあてにならない。問題を起こす可能性のある子は、特別な子じゃない。

    子供の頃に既に芽が出ていたのにそれを放置して、後で大事件になるのは当たり前ではないのか。
    誰かが「普通」に生きていて、誰かは「我慢」して生きているとしたら、我慢している方が爆発するのは当たり前。
    事なかれ主義で見て見ぬふりをした方にも責任があると言えるし、そのせいで被害者になる可能性もある。それでは遅い。

    驚いたのが、それを改善しようとするシステムが学校には全く無いにも拘わらず、先生が学習面、身体面、社会面の中で最終的に子どもに身につけてほしいために行う最も大切な支援は「社会面」なのだとか……
    ちょっと思い返してみても、そんなことを教わった覚えは無いし、先生からもそんな思いは伝わってこなかった。

    それでもこの本を読んで、できないことをできないまま放置することは恐ろしい事だと思う人が増えれば、教育も変わっていくのか。

    読んでいる間、何回も『新世界より』を思い出した。こっちは新書、あっちは小説だしSFだけど、なぜか似ている。


    持っている、できる人が、持っていない、できない人を無条件に助けたり、与えられるような社会は、理想的過ぎるのだろうか。

    20200803

  • この本では、児童精神科医である著者が、その経験に基づき、どうすれば非行を防げるのか、非行化した(またはしそうな)少年たちに対してはどのような教育が有効なのかについて言及しており、それにより非行少年による被害者を減らし、犯罪者を納税者に変えて社会を豊かにすることを目的としている。

    前半部分(第1章〜第3章)では、非行少年の実態や彼らに共通する特徴について、第4章、第5章ではその特徴があるにもかかわらず、気づかれずに知的障害の枠からはみ出た子供達について、第6章では現在の教育の実状とその問題点についてが提言されており、第7章ではこれまでの教育とは別の方法で非行少年をアプローチする、筆者が考案したコグトレ(認知機能強化トレーニング)について紹介されている。


    この本を読んで、非行少年のほとんどがイジメや虐待の被害者だったことを知り、被害者が被害者を生む負の連鎖を断ち切るには、子供たちが毎日通う学校の教育が重要だということを切に感じた。

    また、刑務所にいる1人の受刑者を納税者に変えれば、およそ400万円の経済効果になり、日本から犯罪をなくすことができれば、年間5000億円の損害をもなくすことができるそうだ。

    これを知れば、「非行少年なんて自分とは全く関係のない世界の人間だ」なんて呑気なことを考えている人も、いかに犯罪者を減らすことが日本の国力を上げるために重要かを理解できるだろう。

  • 非行って「グレる」と同義だと思ってた。何かに対する反発の意思表示なんだと。愛されたい。必要とされたい。でもこの本に出てくる非行少年たちは「欲しいから盗んだ」「触りたいから異性に触った」という驚くほど単純な思考で動く。「反省すらできない」とはまさに。
    著者は「認知が歪んでいる」と表現する。見えない。聞こえない。想像できない。だから勘違いをするし、後先考えず衝動で動く。
    もっと複雑な医学的療法を施すのかと思ってたら、案外単純なものだった。歪んだ認知を正していく。気づいてないことにひとつひとつ気づかせる。必要とされているんだと自己評価を高めてあげる。
    認知が歪んでる人なんて、きっと社会に出てる大人でもたくさんいる。自分もどこかきっと歪んでる。でも気づかない。事件が起きるまで誰も教えてくれない。もっとこういうことが身近で気軽に受けられる「大人のための保健室」があったらいいのにな。

  • 児童精神科医である著者が
    非行少年の多くが「反省以前の子供」だという事に気がついた。

    彼らの多くは認知力が弱く
    ケーキを三等分に切る事や
    絵を模写する事も上手くできない。

    実際普段の行動は 特別な行動をとっていないので
    学校でも家でも 認知されていないため
    いじめにあったり 教師や親などに
    どうして何度言ってもという具合に怒られてしまう。
    こういった 少年たちを
    早期に発見して 上手く導くことが
    犯罪の抑制になるという事である。

  • 帯の、非行少年が描いたケーキの三等分の図の衝撃がまずすごい。私の回りでこの本を読んだと言う人はこの絵の衝撃で手にとった人がやはり多い。そして「すべてがゆがんで見えている」と言う惹句。帯の力、すごい。

    目から鱗でした。自分には知的障害もある自閉症の身内がいますが、彼の行動に大変当てはまっていてそのままズバリとは言えないでしょうが、今まで彼の行動がよくわからないことが多かったので彼を理解する一助になるように感じました。
    認知が歪んでいる、なんて発想もしたことがありませんでした。(当然ですが)
    そう考えると彼はこれまで大変苦しい思いをしていたのかも、というように考えることができました。

    ここに書かれていることを、未成年からはるか遠ざかった彼に対して自分が実践することは難しいですが、彼が怒りに苛まれ続けている理由は少しわかった気がしました。

    教師をしている友人はいつも「教科書より社会性」と言っています。
    追いたてるように教科書を消化したり、道徳という名ばかりの「教科」カリキュラムを消化したりするような空疎な指導ではなく、社会に出たときに生き抜ける力をつけられるような個人の資質にもっと寄り添った指導の方針に変わっていってほしいです。

    日本の義務教育の現場は、この本に書かれているような知見を実践できる、先生にも子供にも良い環境と言う意味でのゆとりのある学校にしてほしいものです。

  • 〈児童精神科医である筆者は、多くの非行少年たちと出会う中で、「反省以前の子ども」が沢山いるという事実に気づく。少年院には、認知力が弱く、「ケーキを等分に切る」ことすら出来ない非行少年が大勢いたが、問題の根深さは普通の学校でも同じなのだ。人口の十数%いるとされる「境界知能」の人々に焦点を当て、困っている彼らを学校・社会生活で困らないように導く超実践的なメソッドを公開する。〉という本書。
    帯に掲載されているケーキを等分した図にはかなりの衝撃を受けるけれど、でも本当に彼らの目にはこういう風にすべてが歪んでみえているのだろう。
    本来であれば福祉で守って適切な治療を受けねばならないはずが、誰からも気付かれずに社会からはじかれ、犯罪を起こして逮捕されてからようやく認知力に問題があったことが分かる、というのは残念でならない。早い段階からの支援が必要なのだと痛感した。

    「自尊感情が低い」という紋切り型フレーズに頼ってはいけない、というのも目から鱗だった。
    問題なのは自尊感情が低いことではなく、自尊感情が実情と乖離していることにある。等身大の自分を分かっていないことから問題が生じる。自尊感情は無理に上げる必要もなく、低いままでもいい、ありのままの現実の自分を受け入れていく強さが必要。

  • 題名にひかれて、すごく楽しみにしてた本。普段目を当てないようなところに注目しているのでなるほどなと思った。どこかで聞いたことがある気がしなくもなくはないが。続編どうしようかな。

全1632件中 31 - 40件を表示

著者プロフィール

立命館大学教授、児童精神科医。一社)日本COG-TR学会代表理事、一社)日本授業UD学会理事。医学博士、日本精神神経学会専門医、子どものこころ専門医、臨床心理士、公認心理師。京都大学工学部卒業、建設コンサルタント会社勤務の後、神戸大学医学部医学科卒業。大阪府立精神医療センターなどに勤務の後、法務省宮川医療少年院、交野女子学院医務課長を経て、2016年より現職。児童精神科医として、困っている子どもたちの支援を教育・医療・心理・福祉の観点で行う「日本COG-TR学会」を主宰し、全国で教員向けに研修を行っている。著書に『教室の困っている発達障害をもつ子どもの理解と認知的アプローチ』『性の問題行動をもつ子どものためのワークブック』『教室の「困っている子ども」を支える7つの手がかり』『NGから学ぶ 本気の伝え方』(以上、明石書店)、『身体面のコグトレ 不器用な子どもたちへの認知作業トレーニング【増補改訂版】』『コグトレ みる・きく・想像するための認知機能強化トレーニング』(以上、三輪書店)、『1日5分! 教室で使えるコグトレ』(東洋館出版社)、『ケーキの切れない非行少年たち』『どうしても頑張れない人たち』(以上、新潮社)、『境界知能とグレーゾーンの子どもたち』(扶桑社)、『境界知能の子どもたち』(SB新書)などがある。

「2024年 『身体をうまく使えるためのワークブック』 で使われていた紹介文から引用しています。」

宮口幸治の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×