コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書 2184)
- 中央公論新社 (2012年9月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121021847
感想・レビュー・書評
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すばらしい
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都市生活を謳歌していたつもりが、気づいたらつながりがなさすぎて「生きにくい」社会の中にポツリと立っていたというわけだ。さらには、そんな孤独な家族に生まれる子どもがいて、彼らが成長してさらに孤独な社会をつくることになる。これが何世代続いたのだろう。いまでは地方都市でもつながりがないことによる弊害が顕在化するようになってきた。孤立死は東京だけの問題ではなくなっている。
しかし、この流れが変わろうとしている。理由はいくつかある。ひとつは「まちのことは行政にお任せ」とはいってられない状態になってきたということだ。もう「いたれりつくせり」の行政はない。地域に住む人たちが力を合わせてまちのマネジメントに参加しなければならない。
(中略)
とはいえ、「昔に戻ろう」というスローガンが必要なのではない。
(中略)
しがらみの多い社会に戻りたいわけではない。現代を生きる人たちにとって、つながりがなさすぎるのは生きにくいが、つなありがありすぎるのも生きにくいのである。どれくらいの強度であれば快適なつながりなのか。
僕たちはいま、コミュニティーデザインという方法を使って「いいあんばいのつながり」がどれくらいの強度なのかを探っているところだ。自由と安心のバランスを調整しながらコミュニティーデザインに取り組んでいるといえよう。
(「コミュニティーデザインの時代」より)
確かに僕たちは行政に期待しすぎていた。この本の中にも登場する「すぐやる課」は市民をお客さん化させたし、現代の政治に対するポピュリズムもどうだろう?政治家を芸能人のファン投票のようにはやし立て、首相がくるくると変わる。全てを政治家と官僚の責任にして話を帰結する、毎度のことです。何か変わったのだろうか?
もしかしたら、変わらなければいけないのは僕たち国民自身なのかもしれない。それは本当に小さなことからしか始まらない、そして果てしなく長い時間を要するだろう。僕たちの子どもや孫の時代でもまだその変化の兆候が見られないくらい、気の遠くなる作業になるだろう。それでも動かなければ始まらないのだ。
「いいあんばいのつながり」なるほど、そんなものを求めていたのかもしれない。そして、そういうデザインは僕たち自身で創らなければいけない。さあ、やってみようか。のんびりでもいい、気がついた時だけでもいい、まずは始めなければ。 -
図書館で借りた。
著者が名乗っている職業のコミュニティデザインとはどのようなことをするのか説明している。
よそものがある地域へ入り、ワークショップを通じて住民のつながりをデザインする仕事だと読めた。
コミュニティという言葉から受ける印象が時代により異なるとあり、自分の持っていた印象が共有されない世代があることを初めて知った。
何でも行政に頼るようになっていく住民について「お客さん化」する社会と表現していたのに共感できる。
著者がどのような点に気をつけてワークショップを進行しているかも書いてあり、参考になる。海外のワークショップに関する本が日本でそのまま役に立たない理由にも触れており、いきなり1冊の参考書を読む前に軽く知識を入れたり、ワークショップの意義をつかむのにはいい本だった。 -
相変わらずのクオリティ。コミュニティの本を同時多発的に読み進める中で、自分の中で仕事とか自分のあり方のイメージが少しずつ固まってきている気がする。
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新着図書コーナー展示は、2週間です。
通常の配架場所は、1階文庫本コーナー 請求記号:318.8//Y48 -
前著のときは、おどろきながらいろいろな事例を読んだが、今回は、文章で説明しているので、やや違和感も感じながら読んだ。
人と人とのつながりを回復する仕事は大切なことだが、結局どう自立するかだと思う。
山崎さんも、3年に限っているようだが、自立する仕組み、それは、結局善意だけではなく、ビジネスとしてまわっていくことだと思う。
その意味で、p82にもうけ仕事の話がでてくるが、この論点をもっとつっこんでいく必要があると思う。
また、ワークショップの方式もどこでもやるが、本気でお金をかけてでもやる気にある人をつのって先に始めた方がいいと思う。
最後に、兵庫県の有馬富士県営公園の住民参加型が山崎さんのこの手法の先駆けとなったようだが、ぼくは担当部長としてそのような試みを全く知らなかった。神戸にいる人間には知らせたくなかったのか、知らせたらうまくいかないと思ったのか、当時の担当者の気持ちを考えると、複雑な気分になる。
もっと全庁的なプロジェクトとして、発展できる可能性があったのに残念。反省もする。 -
偶然聞いた講演で著者の山崎さんのファンになり、手にとった一冊。悲観的に語られることの多い地方の過疎化だが、人が少なくても楽しく活気の町にしようという取り組みは、これから各地でおこるくる人口減少社会においては、最先端の取り組みだという。この発想の転換には目がウロコだが、確かにその通りだと感じる。
印象的だったのは、コミュニティやシェアという言葉は、年代によって受け入れられ方が異なるというところ。年配の人は嫌悪感を示すが、若い人は好意的に捉える。所有することがステータスだった世代には、シェアハウスやカーシェアリングなどは、受け入れにくいのかもしれない。 -
心のもやもやを少し晴らしてくれた本。
地方へ来て、山間部の過疎地や、さびれた市街地や商店街、人の集まらない温泉街などいろいろ取材でまわり、
それぞれが集客に励むんだけど、人口減の社会においては最終的な解はそこではないな、と感じていた。
それは経済的なものしか見えていなかったからで、
グローバル競争とか産業とかGDPとかを抜きにして考えれば、
人と人のつながりがあれば社会はなんとかなる。
デザインがコミュニティを規定するようなモノ作りの時代ではないというのが前提。
コトを起こすために、地域の人を集めて彼らが主体となって実際に起こす。
結果、町が元気になり、さらに人のつながりも残る。
あくまで前提は前者だけど、後者の方が長期的には大事なのでは。
ああ、そのためのワークショップとファシリテーターだったのか。
ワークショップってなんじゃいって思ってたけど少し姿が見えた。
今後、多くのモノを残しながら人の数はどんどん減っていく日本の中で、
どんな生き方が、人のつながりが、地域のあり方がよいのか考えたい。
何の気なしに手にとってよかった。 -
地方都市が寂れて行く姿を目の当たりにすることが多いが、地域社会のコミュニティデザインに取り組むこの人の試みは面白い。医療コミュニティ作りにも参考になります。寂れて行く街を復興せねば。