コミュニティデザインの時代 - 自分たちで「まち」をつくる (中公新書 2184)
- 中央公論新社 (2012年9月24日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121021847
感想・レビュー・書評
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ワークショップやファシリテーションの参考になる。
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何かしたくなった。
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地域活性化というのは、その地域の住民一人ひとりの、活性化なのかなと思いました。
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山崎亮さんは情熱大陸で初めてお目にかかり、それから興味を持っていました。私の進路がそちらのほうに向かうことから、この方の本をまとめて借りました。その中でもこちらは入門書で、コミュニティデザインとは何かや、山崎さんのことについて知れます。
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山崎さんはプロフェッショナルだと思うし、コミュニティデザインの必要性には異論ない。
ただ経済の環から外れた幸福論的な考えや市民の自立の方法、専門家との付き合い方には少し違和感を感じる。
都市な農村漁村がないと成り立たない。だから必要性にはついては自明だ。ただどう残すのかはもう少し大局から見直さないといけないように感じる。
本当の自立とはどういう姿なのか。モヤモヤは残る。 -
「コミュニティデザイン」と対になる1冊ということで、こちらも読んでみた。こちらは個々のプロジェクトを通して、横串で感じた時代性や課題、効果のあった提案やワークショップのアイデアなんかを紹介していて、自分たちでも使えそうなものややってみたいことが見つかって、やっぱり得るものの大きな1冊でした。特に、チームの信頼関係を高めるための、椅子から後ろに倒れるのをメンバーが支えるっていうの、盛り上がりそうだしやってみたいなぁ。^^
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街づくりに関する新書は久しぶりまたは初でした。
勉強になったし、端々にメッセージ性があった気がする。 -
話題の山崎亮さん(私の周りでは敬意を込めてヤマリョウ氏という呼称を広めている)の著作。
前著『コミュニティ・デザイン』を読んだり、本人による講義などを聞いたりしても、
山崎さんの先進的な活動の根幹となる思想や価値観などがわからず、
新書の形でまとめられている本書であれば、少しそのあたりがつかめるかなということで読んでみました。
前著と同様にスラスラと読める文体で、(良い意味で)新書的ではありませんでしたが、
私が欲しかった、彼の思想的な背景についての説明が1章でなされていました。
第1章 なぜいま「コミュニティ」なのか
他のレビュワーさんも書いている通り、人口減少社会に対する彼なりのビジョンが明確なのが興味深いです。
中山間地域や地方都市は「人口減少エリート」であり、日本が今後経験する人口減少のひずみを何十年も前に経験しているので、
日本の将来に関する知見はそうした地方から発信されるということ。
その他、『コミュニティデザインの“時代”』というタイトルが示す通り、
今という時代がコミュニティデザインの技法を求めていることの背景が詳細に考察されています。
決して「やっぱり人とのつながりって大切だよね」というような無難な結論に落ち着くのではなく、
つながりによる豊かさ・しがらみの両側面については慎重に考えながらも、
そのバランスについてはまだ結論が出ていないということを明確に述べていたのが印象的です。
第2章 「つながり」のデザイン
第3章 人が変わる、地域が変わる
中の二章は前著『コミュニティ・デザイン』と雰囲気はそれほど変わらない、事例のエッセイ的紹介という感じです。
第4章 コミュニティデザインの方法
単純なハウツーではなく、こうした取組みにあたって必要な、
「ファシリテーション」「つき合い方」「資質」等の各要素についての考察です。
真似して明日から実践!…というものではありません。
行政職員の道に行く自分としては、「行政職員とのつき合い方」のところが印象に残りました。
行政にも熱い人間はもちろんいるが、それが評価されず、熱くなりにくい職場環境であるということ。
単純な感想としては、面白かったです。
“山崎亮さんのやっていることは魔法のようなもので、体系化できないしなんとなく胡散臭い…”
というようなことを感じている人は、特に都市計画の業界には少なくないのはないかと思います。
私も一部疑いの目を持ち、山崎さんの取組みを距離を置いていた一人なのですが、
やっぱり(いろいろな意味での)力があるからこそ注目されている人なんだな、と納得させられました。 -
いま、一番気になる人。
コミュニティデザイナー山崎亮。
まちに住む人の力で、まちをつくる。
参加する人の力で、コミュニティをつくる。
それはまさに、いま、私が取り組まなければならないこと。
最近、朝の情報番組や、夕方のニュースで特集される
「ある町の変わった取組」は、取材の中ではこの人の名前は出てこないけれども、この人の手によるものが多いことに気付いた。
一度、この人が手がけたところに行ってみたいと思った。