- Amazon.co.jp ・本 (381ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122043046
作品紹介・あらすじ
全世界の欺瞞を呪詛し、その糾弾に生涯を賭け、ついに絶望的な闘いに傷つき倒れた"呪われた作家"セリーヌの自伝的小説。上巻は、第一次世界大戦に志願入隊し、武勲をたてるも、重傷を負い、強い反戦思想をうえつけられ、各地を遍歴してゆく様を描く。一部改訳の決定版。
感想・レビュー・書評
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ジッドはセリーヌの作品に対しこういう指摘をしているらしい。「セリーヌが描き出すのは現実ではない、現実が生み出す幻覚」なのである、と。
そう言われるとこの本の声の出どころはずっと熱にでもかかっているように思える。治癒の方向へ向かうという予兆すらない。全800ページぐらいに渡ってずっと…
最初そういえばおとぎ話のようだと読んでいて思ったのである。エピソードが語られるがどれも浮遊感があって、落ち着いた読みをこちらへ許さない。しかしふわふわしながらも話は一応進んでいる(ように見える)。自分のここらへんのイメージがどこから出てきてるのかと考えると「不思議の国のアリス」かな?などと思うのだけど、実際にアリスを頭の中で横に置いたら全然違う。なんだかわからない。
「熱に浮かされている感じ」というところに戻ってみる。この熱は戦争がもたらしたものなのだろうか? 『夜の果てへの旅』のあらすじ的な説明を書いてみると「第一次世界大戦に志願入隊し、武勲をたてるも、重症を負い、強い反戦思想をうえつけられ、各地を遍歴してゆく」ということになる(表紙裏より)。
「戦争」について書かれたものを、世代的に私は「古典的な名作」としてまず受け取る。「戦争が悲惨であること」にはどうしても想像力が及ばないところがある。「戦争の凄惨さを思い知った」というような感想を書いてもいいものなのかどうなのか、そう書いてしまったことでいったん決着をつけてしまったことにならないか。でも、想像が及ばなくても限られたリソースの中から絞り出そうとすることは必要だろうとも思う。あくまで自分にとって、であるけれども。
個人的に仕事で憂鬱な状況が続くことがあって、しかもそれが自分ではどうにもならないところで動いているような気にとらわれ、朝起きると全く状況が好転していないことに気づいて愕然とする。『夜の果てへの旅』は「絶望」という言葉とよくセットにされるけれど、寝ても覚めても状況が変わらない時に至る境地があるのだろう、ということについてかすかながらに身に覚えがある者として、少し響くところがあった。ふとした折に、明けない夜の果てにあるものについて考えてみたくなることが、また出てくるだろう。-
「明けない夜の果てにあるものについて」
喰わず嫌いと言う言葉がありますが、私がセリーヌについて勝手に抱いているイメージからずっと読めずにいま...「明けない夜の果てにあるものについて」
喰わず嫌いと言う言葉がありますが、私がセリーヌについて勝手に抱いているイメージからずっと読めずにいます。多分これからも、、、
(弱虫と言うか臆病者なので、とことん暗そうな話は身に近づけないようにしている)
しかし、先の見えない世の中に対して何か思うコトが出来たら読むかも知れません(読むとしたら、反ユダヤ主義繋がりの方が可能性あるかな?)2012/07/05 -
とことん暗い話ですねこれは。
反ユダヤ文書などは、本国でも出版が差し止められていて、国書刊行会の全集でないと読むことができないとwikiに書...とことん暗い話ですねこれは。
反ユダヤ文書などは、本国でも出版が差し止められていて、国書刊行会の全集でないと読むことができないとwikiに書いてました。国書刊行会グッジョブですね!(←話ずれてる)2012/07/05 -
「国書刊行会グッジョブですね!」
それは知りませんでした(ちょっぴり読む気が芽生えたかも)。。。
某ツイート「全国3000人のガイブン熱烈...「国書刊行会グッジョブですね!」
それは知りませんでした(ちょっぴり読む気が芽生えたかも)。。。
某ツイート「全国3000人のガイブン熱烈愛好家の皆さん、我らが国書刊行会の40周年を言祝ぎましょう!」ホント目出度い。。。2012/07/06
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『ところが、あの時分と現在の僕らとでは、こうして、いきなり挨拶ぬきで、道のど真ん中で、どたまをねらい合ってあるぼくたちとでは、ひらきが、いや断絶がありすぎる。あんまりな違いようだ。戦争は要するにちんぷんかんの最たるものだ。こんなものが長続きするわけがない』
人生は長いのだろう、と、ある歌姫は歌った。それは正しいとも言えるし、間違っているとも言える。その判断は、今現在の自分の置かれた位置によって、あるいは、その位置についての自己認識自体によって変わり、常に刹那的だ。自分自身の人生がいつ終わるのか、我々には知る術がない。そしてそれが長いと判断されるもののか短いのか、答えは定まるべくもない。人生は常に賭けだ。賭けに勝ったものだけが、その長短を語る資格を得る。負けたものにとって、人生の長さを計る尺度は何ひとつとしてない。あるいは、負けたと思い込んでしまっている者にとって。
セリーヌの長い長い悲嘆に満ちた回顧録のような文章は、その時々が人生の最終場面であるかのような嘆きに満ちつつ、いつ果てるともなく継続する。独りよがりの嘆きである。
独りよがりの価値観など、あるいは聞くに絶えないものであるかも知れない。しかし、そこに一縷の真実があるかも知れないと考え始めた途端、独りよがりは第三者を意識した言明のように響き、壁に落書きされた賢者の言葉の持つオーラに似たものを一瞬の間だけ纏うことができる。しかし、落書きは所詮落書きでしかない。独りよがりの価値観も、またそれ以上の価値を持つことは無い。
ここに縷々として連ねられているものは、愚痴や泣き言ばかりのように見える。しかし、そこには鋭い社会批判の目も備わっている、などと言われることはセリーヌにとった本意ではないのだろうと思う。逆に、愚痴泣き言ばかり、と批判されるのも本意ではないように。
こういう本は、基本、ただ読むしかない。そこに時代を感じるのも、個人の価値観を見出すのも勝手ではあるけれど、その普遍性を主張したり、まして、それを作家に還元したりすることは、差し控えなくてはならないことのような気がするのだ。いみじくもある歌姫が、「人生は長いの《だろう》」と答えを宙に流し遣ったように、それが正しい態度なのだろう、と思うのだ。
ただ、無意味に身体の中から出てくる言葉に、ホンの少し人生を重ねて書くと、それは半自動的に自伝的物語と見做される。そのことに辟易とする作家は、やがて口をつむぐ。先日、ツイッターでポール・オースターが、自分は恐らくクローゼットを一杯にするために書いている、と呟いていたけれど、セリーヌも同じようなことを言いそうだ。であれば、この文章を余り深掘りして意味を炙り出すように読むのではなく、少し冷静な立場で読むべきなのだろう。 -
フランス20世紀の作家・セリーヌの手になる長編。第一次世界大戦に出征した青年バルダミュは世界中を飛び回り、この世の闇を目の当たりにして失望するが…。挑戦者募集中。
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3.81/922
内容(「BOOK」データベースより)
『全世界の欺瞞を呪詛し、その糾弾に生涯を賭け、ついに絶望的な闘いに傷つき倒れた“呪われた作家”セリーヌの自伝的小説。上巻は、第一次世界大戦に志願入隊し、武勲をたてるも、重傷を負い、強い反戦思想をうえつけられ、各地を遍歴してゆく様を描く。一部改訳の決定版。』
冒頭
『ことの起こりはこうだ。言いだしっぺは僕じゃない。とんでもない。僕に水を向けたのは、アルチュル・ガナートだ。アルチュルも、やっぱり学生、同じ医学生で、友人だ。クリシイ広場で、またばったり出会ったものさ。昼飯のあとだった。』
原書名:『Voyage au bout de la nuit』(英語版:『Journey to the End of the Night』)
著者:ルイ=フェルディナン・セリーヌ (Louis‐Ferdinand C´eline)
訳者:生田 耕作
出版社 : 中央公論新社
文庫 : 381ページ(上巻)
受賞:ルノードー賞
メモ:
・20世紀の100冊(Le Monde)「Le Monde's 100 Books of the Century」
・世界文学ベスト100冊(Norwegian Book Clubs)
・死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」 -
下巻にまとめます
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不眠に悩まされる男の旅。
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長い詩を読んでいる気分。
「パルプ」がおもしろくて、だからブコウスキーが好きだった作家ということでセリーヌに挑戦してみましたが…わたしにはまだ早かったようです。
途中までしか読めなかった…アフリカでの熱波の日々まで。 -
文学