- Amazon.co.jp ・本 (496ページ)
- / ISBN・EAN: 9784151200915
作品紹介・あらすじ
遠方の息子に会うため老夫婦は村を出た。戦士、少年、老騎士……様々な人々に出会いながら、ふたりは謎の霧に満ちた大地を旅する
感想・レビュー・書評
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息子に会うため旅をする老夫婦の話。道中で、人々の「記憶」を奪ってきた竜退治に向かう。隠されていた過去にこそ真実があり、それにどう向き合うべきかというテーマがこの小説の骨格となっている。ファンタジー小説ではあるが、カズオ・イシグロの重厚な文体によって神話のような重みのある雰囲気が醸し出されている。また、主人公が老夫婦だけあって、幅広い層に馴染みそうな作品であった。展開がよく練られている上に、非常に読みやすいため、長編小説ではあるものの、ワクワクしながら最後まで読めた。
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アーサー王の足跡がまだ人々の意識に残る中世イギリス社会。
人々は未だ鬼や怪物や竜の存在に怯えながらも慎ましく自給自足の生計を立てていた。
サクソン人とブリトン人は互いの交流は少ないものの、互いを侵すことなく平和な時代が過ぎていた。
だが、そんな社会に漂う不可思議な不安。人々は記憶を留めることができないのだ。
そのような不可思議な現象に不安を抱きながら、とあるブリトン人の老夫婦が息子の村を訪ねるべくいま旅に出た。果たして二人の旅にはどのような未来があるのか・・・。
ロード・オブ・ザ何とかとか、ロールプレイングゲームのようなファンタジー溢れる作品です。
主人公が老夫婦なのでファンタジーといってもひと捻りありますが(笑)、旅に出て、仲間が集い、スリリングな展開があり、怪物と対峙し、剣士と戦いがあるとなればこれは本当に視覚的に夢のような世界であったと思います。
修道院からの脱出のシーンなどは本当にハラハラドキドキものでした!
ただ、ラストを考えると凄くシニカルな作品であったと言えますね。あの老夫婦は最後どうなったのか?
これは意見の分かれるところがもしれませんが、やはり記憶が二人の妨げになったのでしょうか?
今回のカズオ・イシグロの作品は一段と明瞭に「記憶」にこだわった作品となっていました。
人々の社会を成り立たせるものは「記憶」が根本であり、「愛」も「憎しみ」も「記憶」を通して継続するものでありますが、その「記憶」が失われてしまったら人々の繋がりは一体どうなるのか?「記憶」はそんなに重要なものなのか?やはり人々は「記憶」を欲するのか?「記憶」からの呪縛から逃れることはできないのか?
明瞭に「記憶」にこだわるからこそ、カズオ・イシグロにはこうしたファンタジーな世界が必要だったのかもしれません。
ファンタジーな世界を見事な筆致で読者をぐいぐい引き込んでおいて、最後にみせるシニカルなラストは、拍子抜けする部分がある一方で、余韻の大きさゆえにわれわれの心に深く食い込んでくる何かがある気がします。
私の「記憶」と上手く付き合う方法は、適度に忘れることですが・・・。(笑) -
なぜか本棚で眠っていた文庫本
読み始めた
〈 ブッカー賞作家の静謐な長篇
遠方の息子に会うため老夫婦は村を出た。戦士、少年、老騎士……様々な人々に出会いながら、ふたりは謎の霧に満ちた大地を旅する 〉
4,5世紀のイギリス
今まで興味もなく、だから分かりにくかった
原題 "The Buried Giant"
直訳すれば「埋葬された巨大な何か」となるらしい
イシグロの言葉
〈『忘れられた巨人』においてわたしが書きたかったテーマは、ある共同体、もしくは国家は、いかにして『何を忘れ、何を記憶するのか』を決定するのか、というものでした〉
平和のために土に埋めて隠した残酷な歴史の記憶
壮大なテーマ
情景描写が美しく苦労しながらも読み進めた
霧に覆われたように静かだった
私たち、何か、忘れさされているような……
≪ 民族の 記憶と思考 霧の中 ≫
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2015年発刊。「わたしを離さないで」以来、著者10年ぶりの長編小説。
カズオ・イシグロさんの小説ははじめて。
ノーベル文学賞のレベルの高さに畏れ入る。
オーディブルで聴いたのだが、なかなか頭に情景が浮かんでこない。もやっとしたままファンタジーの世界が続く。
健忘の霧に包まれた世界で失われた記憶を取り戻そうとする物語。
失われた記憶を取り戻した後、世界はどう見えるのか?
ブリトン人とサクソン人の関係は、某国と某国の関係によく似ていると思った。
世界には残念な直視できない歴史がある。
そして、それは愛する人との間にも。
考えさせられるなー。
静かだが残酷なラストシーンが圧倒的な余韻を残す。
ああ、ベアトリス!
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カズオ・イシグロのファンタジー小説。残りのページ数を考えると、読み終えるのがもったいないと思いながらの読書でした。
5世紀以降、グレートブリテン島の先住民族であるブリトン人の世界に、サクソン人が侵攻してくるようになります。ブリトン人は、アーサー王の下で侵入者と戦い、王亡き後も戦争もなく平和な日々を暮らしていました。
しかし、かつては血で血を争う戦いを繰り広げたブリトン人とサクソン人が、平和理に隣り合わせで暮らせているのは、人々の記憶が忘却の彼方に消え失せてしまう奇妙な現象が関係していました。それは遠い過去だけでなく、ごく最近に起きたことでさえ忘れられてしまいます。
ある時、記憶がなくなる異変に薄々気づき始めた老夫婦が、記憶の片隅を占めている遠い地で暮らす息子に会うため、長年暮らした村をあとにして旅立ちます。それは、2人にとって確かな記憶を取り戻し、夫婦の絆を深める旅でもありました。
そこは、鬼が跋扈し妖精が住む世界。途中、アーサー王ゆかりの竜退治を唱える老騎士、竜の呪いがかかった少年、若きサムソン人の戦士、高徳の修道僧など、さまざまな人たちと出会いや別れを経験し、老夫婦は旅して行きます。はたして二人の行く末は…
最終章だけ船頭が語り手になり、老夫婦と探し求めた息子のことが明らかになります。そこで、最後に老人の言った「霧にいろいろ奪われなかったら、わたしたちの愛はこの年月をかけてこれほど強くなれただろうか。」という言葉が印象的でした。忘れていたからこそ築けた愛と、忘れていた記憶が戻って振り返る過去を思うと、忘れたままの方がいいと自分なら思いますが、夫婦は自分たちの人生を最後に受け入れたところが感慨深かったです。
それにしても、『第二章』の雨宿りに入った廃屋での船頭の発言「そもそも、本来ならわたしたちは今日ここで出会ってはいけなかったんです。」や『ガウェインの追憶-その一』での後家の発言が重要だったんだなと、最後まで読んで気付かされました。
ところで船頭の名前はカロンかも知れないですね。読み終わった後、ロックバンドSTYX(スティクス:ギリシャ神話の三途の川という意味)の名盤Cornerstone 収録『Boat on The River』を聴きながら、いろんなシーンを回想したりしていました。 -
まるでドラクエのよう。記憶を取り戻すための旅。息子に会いに行く旅。
不思議な世界観で、淡々と進んでいく。主人公が老夫婦であるからだろうか。
過去の記憶とどう向き合い対処するのか、と考えさせられる。人が生きていく上では自分に都合の良い記憶が残れば幸せに生きていけそう。しかし、国家にとっては歴史は消せない。都合が悪いことも良いことも。だから為政者は評価や修正を試みる。そこで新たな対立が生まれる。
個人レベルと国家(集団)レベルでは、向き合い方が変わるのだ。 -
記憶は事実と異なり、同じかたちにとどまらない。消えたはずの記憶が戻ってくることもあるし、葬られたままの記憶もある。そんな記憶の覚束なさがベールとなって作品を覆っていた。国の記憶、個人の記憶。歴史の外縁には記憶の霧が立ちこめている。
尊敬すべき隣人も、異民族と知るや憎むべき相手に変える愚かな転換装置をもつ人間。なんのために争うのかもよくわからないまま、「相手を憎め」というメッセージだけ継承し人類は現在まで歩んできた。残酷さは記憶を失うことで影を潜めていたが、巨人として育っていた。
歴史や伝説は、実際そのとき精一杯生きた人間の記憶の部分を削ぎ落とされて形づくられている。アーサー王伝説はある一種の記憶の美化として遺ったが、記憶というものは本来、繁茂するヘザーのように絡み合い、霧のようにとらえどころがないものだ。そんなようなことが物語全体にとてもよく表されている。
(以下、雑記)
老夫婦と騎士と少年がそれぞれの思いを抱え竜退治に向かう。老夫婦は記憶が戻らないのは竜のせいだと聞いて竜は死すべきと考える。
竜を退治してから巨人が現れることになるだろうと書かれているのは、記憶(巨人)を匿っていたのが竜だから。ガウェイン卿は竜を護るため最後まで戦う。ガウェインはアーサー王に仕えるものとして、アーサー王の成し遂げたことが正しいとする信念を貫きたいがため竜を護った。しかし一方で彼は揺らいでいる。迷っている。老夫婦の夫アクセルとはアーサー王のもとで仲間であったかれは、迷える羊として描かれている。