- Amazon.co.jp ・本 (344ページ)
- / ISBN・EAN: 9784152092762
感想・レビュー・書評
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ネットが個人の情報を元にフィルタリングされているお話。最近始まったものと思いきや、事例をみると割と前からすすめられているようです。
広告でみれば、ユーザーが食いつかない広告を出しても意味がない訳で、企業の活動は利益をうまなけばならないことを考えると、ますますこれから強くなることでしょう。
すべての人のめに止まらないといけない情報までフィルタにかけられてしまうのが心配。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
情報がパーソナライズされ触れる情報の傾向が限られて行くことを「閉じこもる」と表現している。その「フィルターバブル」という独立した世界により何が引き起こるのかを考察した本。
システムが原因で何か問題が起こるのならシステムで解決できるのではないかとも思うが、ともかくインターネットが持つ影響力から出る不安点の1つをきっちりと指摘している。 -
GoogleやFacebookの隠されたフィルタリングシステム。インターネットの普及で世界中のことが何でも即時に知ることができるようになった気がするが、現在個人情報がフィルタリングに使われ、気が付かないうちに「自分だけのブラウザ」で情報を制限されている。さらには思いがけないところで利用されている。うすうす気づいてはいたが、このフィルタリングバブルが、経済性の追求へ利用されていくことにより、資本経済の失敗がwebでも繰り返すことが明らかである。オンライン世界の企業はその責任を大きく受け止めてほしいが、まずは自分の身を守るためにも賢くならねば。
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ネットフィルタリングの危険性は、今や教養と言うか基本知識として知っておかなければいけない。
本書のエッセンスは漫画にして教科書に載せる位しても良い。
本文がやや冗長、後書きが良くまとまっているので最悪それに目を通すだけでも良い。
読みながら考え付いた対応法のほとんどが終章できちんと提示されていたことにも感心。
オープンソース・フィルタリングとでも言うべきものがそろそろ出てくるのだろう。そういう健全な揺り戻しに期待するし、それが無くてはいけない。 -
面白いというか興味深い内容だけどついていくのが結構難しくなるし、一度呼んだからといって頭の中にポイントが残るような内容ではない。
でもこの業界の人にとっては重要な情報が含まれているので、テーマやメッセージだけでとらえておいた方が良いだろう。 -
Web2.0で大きく花開いたインターネット、様々な情報に接し、双方向に誰とでも繋がれるのがその大きな特徴であったのだが、いつの間にか目にする情報に偏りが生じている。そこに警鐘を鳴らすのが本書だ。
Google検索のパーソナライズ化についてから始まり、Twitter、facebook等での人間関係の同質性などへ話を進め、人々がフィルターバブルに覆われ、異質な文化や考え方から遠ざけられ分断される危機感を訴え、邪悪にならないGoogleや透明性の高いfacebookの今、そして将来の企業姿勢を問う。
とても興味深い言説でGoogleやfacebookを含め、これからのインターネットを考えるのにとてもよい燃料になる好著です。 -
間損に地元書店と同じ雰囲気はないと思うかもしれないが、パーソナライゼーションはうまく働いていることは間違いない。アマゾンはユーザからデータを集めている。
FacebookはWebにあるどんなもので、いいねボタンを押せるようにした。
Facebookの情報宇宙はどうにもならないほど不透明で毎日のように変化していると感じられる。 -
ある日Googleである商品を検索すると、その日を境にやたらとその商品の広告をネットで見るようになった。
Facebookにおんなじ友達がいるのに、タイムラインで見た人と見なかった人がいる。
最近インターネットを使っていて、そんな経験があったことはないだろうか。
パーソナライズされたインターネットの世界で、人々はそのフィルターの膜(バブル)に包まれつつある、というのが本書の要旨。
「聞きたかろうが聞きたくなかろうが、君に必要だから教える」というアプローチから、「あなたが聞きたいと思っている(とプログラムで判断された)ことを話してあげる」という方向へ動きつつある。
探検・発見指向の世界から、検索・取得を中心としたウェブへ移行する中で、検索・取得されようとした私がしたい、知りたい、買いたいと思ったものを収束し、いつの間にか「貴方はこういう趣味指向がありますね。だからこういう情報がほしいはずです」というものしか示されなくなる。閉じこもっていく。
GoogleやFacebookがどんな風にこんな状況を作り出しているのか、そんな技術はどんな人たちが作り上げているのか。そしてその世界から抜け出すために、企業は、個人は何ができるのか、何をしなくてはならないか、を述べる。
特に面白かったのはウェブの世界の立法者たる「ギーク」と呼ばれるような技術者、プログラマーたちの生態の話。「技術決定論者」たちは技術に善悪はない、と考えがちだが、著者は、生み出している以上、責任があるのでは、と指摘している。
「人が検索を行う前に何を調べたいのか、わかるように」したいというグーグルの目指す次の段階。果たしてそこで示される検索結果は「本当に」自分が知りたいと思ったことなのか。消費社会の中で、僕たちはいつの間にかスーパーマーケットにあるものから何かを選ぶ、ということにあまりにも慣れてしまっている・・・といったようなテーマは、哲学・思想の世界などでは目新しいものではないと思うが、ここへ来てあまりにも露骨に、というか、はっきりと、パーソナライゼーションの名の下にフィルターに包まれつつあるのは確かだろう。
こういうことが行われている、という認識があるかないか。現代を生きていく上では大きな違いになるのではないだろうか。 -
検索のパーソナライズ化により、自分が望む情報だけがネットの全てだと誤認しやすくなっている。自分が興味を示さない情報は、目の前から消えていく。なので、人により、同じ検索語で全く異なる結果が現れる。そして、その検索情報がGoogleのサーバに蓄積され、検索者の嗜好がデータベース化され、商売のタネとなる。難しい内容だった。