遠い水平線 (白水Uブックス 115 海外小説の誘惑)

  • 白水社
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  • Amazon.co.jp ・本 (156ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784560071151

感想・レビュー・書評

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  • 死体置場の番人スピーノが運び込まれた身元不明の死体の身元を捜す物語。
    訳が美しく、幻想的な雰囲気の中で進む捜索は最後の何とも言えない結末でも納得できてしまう不思議な本でした。
    曖昧なままだけれどそれでも良いか、と思わせる不思議さ。追う者がいつしか追われる側にある緊張感がゆったりとした土地の景色の描写と不思議と合ってしまう不可思議さ。
    万華鏡みたいな物語でした。

  • ある死体の素性を求め、
    主人公と読者はタブッキに踊らされて右往左往。

  • タブッキの不思議な感覚世界に揺らめき溺れました。天と地の境目にうっすらと引かれる水平線。くっきりと分かれているようで、けれどもその境目は淡く消え入りそうに曖昧で…この作品の現実と幻想の境目でも行きつ戻りつその交わりのところでふわふわ漂ってました。ある夜他殺死体で運ばれた男の正体を探索し始めた、死体置き場の番人スピーノ。その探索の先に到達する結末とは。結末を迎えても気持ちの波紋は広がり続け、その謎と意味を模索しているところ。とりわけ夢の話や最後の場面が印象的。終始曖昧模糊で謎めいていてふんわりした読後感。

  • 私が持っているものは乱丁っていうんですかね、同じ章が二回入ってるんですよ。ってことは、その章がごそっと欠けてる版を持ってる方がいるのかな。で、読み終えたばかりの章がまた始まったんで、敢えてそういうスタイルにしたのか、斬新だな、と思ったんですよ、最初。わざとだって。ストーリーが迷宮めいているから、こういう手法もありかなって。でも冷静に考えたら乱丁ですよね。あ、乱丁ってページが乱れてるのか。でも乱丁が納得できる内容なんですよ。追う者が追われる者に転じる瞬間が鮮やかすぎる。あとインドの美少年とお兄さんのエピソードが美しい。

  • 須賀敦子さんはエッセイをいくつか読んでおり、そ文章のうつくしさは知っていたけれど、訳文としてあらためて触れた。きれいな日本語にうっとりしながら読んでいるうちに最後まできてしまった…。肝心の物語は、最後につじつまがあうエンディングが用意されている、いわゆる「物語」ではないので、おやと思ったら最終ページであった。
    訳者あとがきの一文がちょうどよい説明となるかもしれない。
    「じっさい、私たちは、あまりにも堅固な岩のうえから、ものを見るよう訓練されすぎたのかもしれない」。
    何度か再読すべき本かと思う。

  • ストーリーの理解に関しては力及ばず。
    謎に取り残されて放置くらったような気分。
    ただ、ひとつひとつの小さなエピソードや全体の雰囲気には、また浸りたい味わいがある。

  • 「私の登場人物も、なにかの魔法で、水平線に到達してくれたことをこころから祈っている。彼もまた、遠い水平線を目のなかにもつ人間だったから。」
    アントニオ・タブッキは、あとがきでこのように記している。

    登場の瞬間から、主人公スピーノは、まさに目のなかに水平線を持っている男であった。彼の目のなかにうつっている世界では、水平線は濃くなったり淡くなったり、色合いや厚みをかえたりしながら、スピーノの歩くところどこまでもついてくる。この小説の、唐突とも言える結末で、スピーノは自分のなかにあった水平線にたどりつき、あちら側へと踏み込むのだ。

    タブッキ、という人の書くものには、言葉に神経の束が通っているみたいなイメージがある。ひとことも読み漏らしてはならないような気がして、結構ぴりぴりしてしまうのだが、『遠い水平線』という作品は比較的入っていきやすかった。中盤など、すらすらと読み進めて驚いたくらいだ。
    この本を読む時は少しぼんやりしていることが許されるからかもしれない。集中力は、逆に読書の邪魔になってしまう。

    死体置き場の番人をしているスピーノは、死者と生者のあいだにはそれほど距離があるわけではないと見ている男だ。
    彼は、ひっそりとした夜に運びこまれた身元不明の他殺死体に、不思議な関心の抱き方をする。死者の写真を見たサラが、なにげなく核心を突いている。
    「あなたに、頬ひげがあって、もう二十歳わかければ、あなただと思っちゃう。」

    それから、スピーノは、彼の生命があった頃のことを、憑かれたように探り始める。新聞記事を読み込み、興味のある箇所にアンダーラインを引き、写真をよく確かめる。スピーノは、赤の他人のはずの男の中に、自分を見ている。
    職場を休み(無断欠勤なんじゃないか)、その男がかつて存在していた街を旅する。男が生きていたという痕跡をたどり、そして、歩く、たくさん歩く。

    謎の男の正体を突きとめろ! と力こぶを作って頑張るようなサスペンスではない。謎解きのような場面は、いくら待っても書かれない。前のめりになって真相を追求していると、肩透かしを食うことになるだろう。

    スピーノが思い浮かべることは、どこからが記憶で、どこからが想像なのか、わからない。はっきりと区別できるものごとはなく、境目はあやふやに交わりあう。
    それは、水平線にしてもそう。水と空気のあいだに、決定的な境界線を期待しなければならないものだろうか。海辺の街を歩けば、それは消えかけの虹のようにぼんやりとかかるひとすじのこともあるのだから。

    ただ、見つめるしかない。雑炊屋、薬草店、風の吹抜ける小路、ごみの浮かぶ運河。その風景や、風の匂いを感じ取り、遠くにかすむ水平線をただただ見つめていればいい本のように思えた。

    「日によって、この町のひそやかな美しさが、ふと、表面にあらわれることがある。たとえば、晴れあがった風の日、あたたかい南西風が吹くまえの潮風が、はりつめた帆のように、ちいさな破裂音をたてながら、道路を吹きぬけていく。」

    タブッキの文章こそ、日によって、ひそやかな美しさで、風のように吹き抜けていく。

    訳者の須賀敦子による、少し長めのあとがきがついている。作品から受けていた神経の束みたいなイメージに反して、須賀さんが実際に会ったタブッキ氏は、圧倒されるくらい明るくはずんだ調子で話す、気さくな人だったのだとか。不思議な安堵に胸をみたされて、本をあとにした。

  • タブッキが好きだ。と、つい最近書いたような気がする。須賀敦子が好きなのかなぁ、これも書いた。どっちも、なのだ。巻末に、訳者須賀敦子によって『海底二万里』が引き合いに出されている。彼女が手に取ったという(おそらく)福音館版のなら私も持ってる。ひさしぶりにネモ船長に会いにいこうか、と思った。

  • 何がしかの核があり、その周辺をゆっくりとぐるぐる廻りながら歩いていく…そんな文章。
    何かを目的にして、それを探しに今いる此処から旅立つのだが、本当の目的は単に此処から旅立ちたかっただけかもしれない。
    ぐるぐる旋回した後にまた核となる自分の住処へもどってくる旅は逃避ではないが、その前後に何か変わるものはあったのだろうか。

    旅には目的が必要だ、と考える性質の人には不向きな物語。

  • 幻想的・・・というかなんだか掴みどころのない話。「これで終わりなの?」といったところで終わってしまい、結局物語の全体像は分からず終いです。

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著者プロフィール

1943年イタリア生まれ。現代イタリアを代表する作家。主な作品に『インド夜想曲』『遠い水平線』『レクイエム』『逆さまゲーム』(以上、白水社)、『時は老いをいそぐ』(河出書房新社)など。2012年没。

「2018年 『島とクジラと女をめぐる断片』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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