わかりあえない他者と生きる 差異と分断を乗り越える哲学(「世界の知性」シリーズ) (PHP新書)

制作 : 大野 和基 
  • PHP研究所
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784569851570

作品紹介・あらすじ

●多様性が尊重される一方で、社会に広がる分断、同調圧力――。
●私にとって「他者」とは何か、他者とわかりあうことは可能か?
●哲学界の旗手が示す「まったく新しい他者論」!
多様性の尊重が叫ばれると同時に、人々の分断が加速する現代社会。誰もが自分とは異質な存在である「他者」と生きなければならない世界で、哲学者マルクス・ガブリエルは「他者がいなければ私たちは存在することさえできない」と喝破し、従来の哲学における他者認識は誤りだったと語る。
ガブリエルの提唱する「新しい実在論」から見た「他者」とはいかなる存在なのか。他者とともに、我々はどう生きるべきなのか。現代に生きる我々の「アイデンティティ」「家族」「愛」「宗教」「倫理」といった課題における、新たな解決策を提示する1冊。

感想・レビュー・書評

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  • みずからの人間性を否定したいという願望以上に人間らしいものはない ースタンリー・カヴェル

    人間は一生懸命、動物にならないようにしている。たえず他者に訂正される事で、私たちは心を持つ。だから、孤立すると頭がおかしくなるのだという。また、非人間化とは、人間を動物化したり、機械化したりする事。こうした定義、哲学的な人間とは、という語り口が一つ一つ胸に刺さる。

    コロナ禍で分断が露見したのか。元より人間には統一した思想がない事は、民主主義の必要性から自明。思想が異なるから、手続きが必要なのだ。ならば、コロナ禍で表面化したのは、その不寛容という事ではないのか。異なる意見に対して、許容できずに原状変更に臨む姿勢。それはまるで宗教論争のように、異教徒を包括できない。

    避妊を伴うセックスは非効率の象徴であり、従い人間は効率のみを追求し得ない。仕事をする時は合理性や効率を重視しても、それは、非合理や非効率のための手段なのだ。思う存分、動物的にくだらない事をするために、人生の大半を機械的に生きる。その狭間の理性にしか、人間が人間たる領域は存在しないなかも知れない。僅かな人間領域の互いの非同質性に対して、いかに寛容性を発揮し、前後いずれの非人間化を共にするか。動物か機械か。エロスかマシーンか。

  • SNSは良くないということは広く知られていることだがそう考える理由が他とは異なっていて面白かった

  • 新聞の寄稿やインタビューで時々読んで気になっていた、今の"哲学界の旗手"。
    サブタイトルに「差異と分断を乗り越える哲学」とある。差別やSNS上での攻撃や戦争に至るまで、"分断"によって起こっている問題は多い。生きているからには他人との関わりを避けられない以上、どのように考えれば他人とむやみに傷つけ合うことなく過ごしていけるのか?他者とはどういった存在なのか?ということを語った一冊。
    インタビュアーの大野和基さんと話している、その感じをですます調でもってきているので、読みやすい。(質問部分は書かれていない)

    興味深い言葉はたくさんあった。
    ・他者によって訂正され、変わっていけるからこそ私たちは1人ひとり心を持ち、個人として存在できる。
    ・日本的な、みんなが戦いを仕掛けてくるような同調圧力は極端すぎる。"和平条約"が成立する余地、相手の違いをゆるして忘れることが必要。
    ・人生は有限であると理解すれば、ロックダウンは非倫理的。人生に一時停止はないのだから。
    ・倫理や哲学の古典を子どもたちに教え、ともに考える時間をもつべき。さまざまな社会問題について、ブッダなら、プラトンなら、何と言うだろうか?と。

    「違いにこだわらない政治」のところは、なるほど・・・、と思う。理想の政治へのステップとして3段階を示している。
    1.たとえば「女性の扱いに関して問題がある」、と大きな括りでとらえて問題を認識する。
    2.しかし、女性の中にもいろいろな状況があり、究極的にはひとりひとり違う。細部に目を向け、違いにこだわって、それぞれの問題に対処する。
    3.最終的には、女か男か意識する必要のない状況に達する。

    民族についても同じことが言える。大切なのは段階を踏むこと。ステップ3が理想であることにはきっと多くの人が気づいているけれども、ステップ2をおざなりにするとマジョリティにもマイノリティにも不満が残ったままになってしまうんだな、と思う。
    女と男、日本人とそうでない人、そういった違いへのこだわりからいずれ抜け出すんだ、という考え方が必要なのだ。

  • ダーウィンは人種差別主義者だとか、Facebook は2030年までに終わるとか、こども授かる前に絶対合格できる親テストとか、優しい顔して過激な話しで面白いです。
    他者を愛することすなわち、恋愛関係は永久に恋は続いてほしいということは、別の人と恋愛関係になることもできるという話しや他人のためにワクチン接種受けるのは間違いだという話しは納得しました。
    哲学の対義語はもしかしたら科学かもしれないですね。
    あとSNSとロックダウンは倫理的に毛嫌いしているのがよく分かりました。特に宗教に対して無知な日本人に倫理を勉強しないと他者と生きることが難しい時代なんだなぁと思いました。資本主義がよくわかっている人からたくさんの日本人が搾取されていることも気づかずに生きづらさを感じていると、ガブリエルさんはいいます。
    もっと宗教を知り、倫理も学びたいと思います。

  • 面白いし興味深いけど、量が足りない。
    一単元で1冊くらいじゃないと、情報量が少な過ぎて著者の意図している状況や考え方が分からない。

  • 「生きるとは他者に訂正されること」という言葉が印象的ではあるが、そもそも「他者」とは何なのか?本書を読む限りでは、著者はコロナ対策には色々と不満があるようで、リアルな対面コミュニケーションを重視しており、「今・ここ」で生きている人間を対象としているように思える。が、書物でプラトンを通じてソクラテスと対話をすることによって「訂正」されることはどう考えたらよいのか?という疑問も湧きおこる。
    また哲学者がもっと政治に関わることを提唱し「フォーラム」を重視している点などは熟議民主主義を提唱しているようで同意できるのだが、だからといって著者がプラグマティックというわけでもなく、政治的な意思決定や合意の「普遍性」という点において少々わかりにくい部分もあった。
    インタビュー形式のせいか、深い哲学的な議論がなされるわけでもなく全体的には読みやすいとも言えるのだが、他方で少々まとまりがなく相手を悟すように説教しているような印象も受ける。これも「他者」との出会いのひとつと考えれば、何らかの「訂正」がされたとも言えるのかもしれないが。

  • 世の中の問題、世間をにぎわせるニュース、それらについての意見について。
    倫理観崩壊している目を疑うような信じられない意見や、反対意見をねじ伏せようとする不健全な態度を何度も、そして長く見てきて。わかりえないこと、分かり合えない人間は存在するし、自分が正しいと思う意見を他人に押し付けることはできないのだと悟った。

    自分の心の中でそう思ってきただけで、口に出さなかったけど、そのものズバリのタイトルの本に店頭で出逢い手に取ってみました。

    今まで読んできた現代の問題提起の本何冊かの内容に通じるような、またさらに理解が深まるようなものもあり、関連性を感じましたし、それまで読んできた本で自分の理解が及ばなかった部分がクリアになったり一歩進む手助けになったりしました。
    例えば、『スマホ脳』の内容に近いことも著者は考えておりますし『人新生の資本論』のように現在の資本主義を著者も批判している姿勢が見られます。

    この本を読んで自分の中で腑に落ちたのは、黒か白かではなく、二択でもなく、段階を追っていく必要があるという考え方。
    言われてみれば当然なのですが、なぜか視野が狭くなっていて気づきませんでした。SNS、ニュースで世間をにぎわせる問題についてみんなが意見を交わすとき、なぜか二択に大きく分かれてしまう。発言の正当性、情報の正確性を遥か彼方に追いやりただフォロワーが多くRTされるというだけで重宝される薄っぺらい意見が独り歩きし続け、裏付けが取れていない情報がのさばっていく。
    メディアやSNSに二択にされて騙されて振り回されてはいけないなと思いました。
    早速、先日のMr.サンデーの番組の内容は信じられないもので大変恐怖を感じました。ウクライナ侵攻の話題から何故か日本が軍事力を持つか否かの二択でスタジオの有識者(なのか?単なる爺ではなく?)が話していたのですが、一体全体どうして今その話をしているのか、影響力のあるテレビで、と甚だ理解に苦しみました。

    この本の中で、「非人間化」というワードが出てきますが、自身の安全を保障され命令するだけの立場の人間は戦争だけでなく日々の暮らしからも何から何まで国民を非人間化して見ているのだなと思いました。

    私は、たとえ日本が他国から軍事侵略されようが、核攻撃を脅されようが、核保有したくない、日本国に核保有をしてほしくないです。
    広島・長崎と被爆を受けた過去があり、一瞬でたくさんの人の尊厳も命も無残に奪い取り苦しめ続けるあの惨状。壕で負傷兵の救護に当っていたひめゆりの女生徒たちは地上戦が始まって絶望的になり自害のための手榴弾が持たされ、隣で学友が吹き飛ばされるのを目の当たりに…。
    負の遺産として残された記念館・資料館、語り部の方の話。それらを実際に目に、耳にしてきて、二度と繰り返してはいけないと強く心に思い続けてきた。
    防御のためにというのも詭弁だと私は思いますし、人間同士が地上でやり合うことでかけがえのない地球の自然にさらにダメージを与えて取り返しがつかないことを加速させてどうするつもりなのだと思います。
    武器製造販売の人が儲けて、国のトップが権威を振りかざし、多くの罪もなく戦争を望まない人々の命が軽んじられ、自然が破壊される。馬鹿げています。

    いざ、自分にその恐怖が迫った時、武器をもって抵抗したいとならないのか、大事な人を守るために武器をとらないのかと問われれば否定できませんが、そうなる前に「対話」を試みるべき、そこに至れるまでに倫理観の教育と倫理を重んじる意識を世界的に高めていくことが大事だと思います。

    小さな意見の対立で二極化してどちらかにこだわり、そしてねじ伏せて満足するようなことを大人が繰り返して満たされていてはいけません。
    SNSの使い方を誤ってはいけません。
    誹謗中傷、転売、詐欺、著作権侵害など、倫理観の教育をもっと厚くすることで長い目で解決できないものか、とお花畑の頭で考えます。
    小さい頃から子供を一人の独立した人間として接して倫理観についても日々教えることが大事と著者は言っていますが、ここで気になるのは軽犯罪、世間を困らせる問題の大元にあるのは境界知能の人たちが多いのではということ。
    倫理観の教育が大事と言っても、それを理解できるかはまた別の話で、既に学習機会に恵まれている人達の理解がさらに進んだとしても差が広まり分断化が進むだけだと思うので掬い上げるのは大事なんだなと思います。

    段階を踏んでいく理想の政治の在り方(P88)を読んで、人種・男女・LGBTQ差別の問題について、今は世界で段階を踏んでいるところなんだなと思わされました。
    ハリウッドも作品もポリコレなんて揶揄することがありましたが、今は“あえて”それらを表舞台でフューチャーする段階なのだなと腑に落ちました。その時代を超えて、ようやく「違いにこだわらない」段階にいくべきなのだと。
    この段階の考えが人々に浸透していないから反発もあるけれど浸透を待っていては遅いからエンターテインメントの世界からも急いで推し進めて人々に考えるきっかけを与えているのかな。今かなり神経質に業界人の過去の罪も暴かれていることは、いくら作品に罪はないという考えがあるとはいえ、必死に意識改革を推し進めている段階では糾弾するしかないのかなと納得できます。

    前述で日本の武力行使について自分のスタンスを書きましたが、それと反対にいる人に対してSNSやYahoo!コメントで噛みついてねじ伏せようなんてことはしていません。
    多くの人から構成されて社会、国となるからこそ様々な意見が存在するのですから、否定して消すことはできません。
    何をもって良い/正しいとなるのか、自分から見てそうでも、違うスタンスの人からすれば私が信じられない意見の持ち主にうつるかもしれません。
    正しいの綱引き奪い合いではなく、対話をして双方の落としどころを見つけるのが良いのかなと思います。とても難しいですが諦めてはどうしようもないですからね。。

  • 他者をめぐるインタビュー集。
    全くもって理解も共感もできない他者と、時間と場所を共有して生きなくてはならない時、どうすればいいのだろう。ロシアや北朝鮮をどう見ればいいのか、「他者」をどう考えればいいのか、そんな思いから読みました。
    内容的には広く浅く、限りなく平易に語られていたけれど、わかりやすいというのはむしろわかりにくい事なのかもしれない。
    あまりに一般的な言説は精緻さを欠くため、意図していることのコアな部分が見えてこないように感じてしまいました。

    そんな中深く感じ入ったのは、自分のアイデンティティよりも前に他者との関係があるということ、他者がいないと自分の信念を疑うこともなく、その外側に出ることはできない、ということ。今の自分は他者によって形作られているということを理解させられた。
    他者の本質はここにあるのかもしれない。

  • Audibleにて。
    イグノーベル賞にあった惹かれ合う者同士の心拍や発汗の同期は、Zoomによる関わりでも起こりうるのだろうか?著者は、「他者を知るには相手の匂いを感じる必要がある」と述べる。五感(六感も含む)で知ろうとするからこそ同期は生じるのだろうか。
    実感としてはそちらのほうが強いな。電話のカウンセリングが一番抵抗感が強いのは 、分からないことが増えるからだしな。

    「他者の社会的な仮面を超えた所に人間性を見る必要がある」
     →これも我ー汝につながっていくものかな。自分ごとのように他者を考える…利他のためではなく、それが人間の幸福にとって必然だからそうする。社会的望ましさゆえでなく、そうしなければ「私」は顕現し得ないし、その先の幸福もないから。あくまで自分自身のために我ー汝を考える。そのための対話。
    これを教育により理解して貰う必要がある。

    「民主主義服務」の考え方は面白いな。今のままだと偶然そういう環境に行くくらいしか、自分と違う社会的な状況にある人と対話する機会は得られない。可能なのは、せいぜい読書くらいだが、好みによる選別が入るし、匂いを感じるまでには至らない。そういう機会を増やすしかないな。

    「肌の色は意識にフォーカスされるのに、耳の長さに対してはそうではない。」
     →社会的な意味、コンテクストが意識の着目点を作る。これが付与されていないものは自然と「黙過」される。黙過は「社会的な文脈によって共創造されるもの」とも言えるか。黙過は個人の歴史によって否認・抑圧されるだけの現象ではない!

  • 九州産業大学図書館 蔵書検索(OPAC)へ↓
    https://leaf.kyusan-u.ac.jp/opac/volume/1420177

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著者プロフィール

【著者】マルクス・ガブリエル
Markus Gabriel/1980年生まれ。後期シェリングの研究によりハイデルベルク大学から博士号を取得。現在、ボン大学教授。日本語訳に、『神話・狂気・哄笑:ドイツ観念論における主体性』(ジジェクとの共著、大河内泰樹/斎藤幸平監訳、堀之内出版、2015年)、『なぜ世界は存在しないのか』(清水一浩訳、講談社選書メチエ、2018年)、『「私」は脳ではない:21世紀のための精神の哲学』(姫田多佳子訳、講談社選書メチエ、2019年)、『新実存主義』(廣瀬覚訳、岩波新書、2020年)、『アートの力』(大池惣太郎訳、堀之内出版、2023年)など。

「2023年 『超越論的存在論』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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