「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?
- イースト・プレス (2018年2月11日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (240ページ)
- / ISBN・EAN: 9784781616384
作品紹介・あらすじ
選択肢が多様に広がったからこそ、生き方が定まらない。リアリティと現実のギャップに戸惑う人びとへ、新たな指針を示す人生論。「成熟のロールモデル」が見えなくなった現代において、「若者」を卒業し「大人」を実践するとはどういうことか?
感想・レビュー・書評
-
大人の条件
世代や立場が違う人に、違いを踏まえて対応すること
大人の役割=他人の世話をすること
若者のうちはなんでもやってみることが有効な場合が多いけど、中年になって時間や体力が限られてきたら守備範囲を絞ってエネルギーを自分にとって大切なことに集中投下することで中年以降楽に生きることができる詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
とりあえず、著者はCLANNADが心から好きなことはわかった。
前半にかけては、年をとるあるあるみたいな気持ちで読んだ。一方で、歳をとることに対する打ち手は結構少ないようにも感じた。大人を始めるというよりは、そうだよね、そんなもんだよね〜みたいな感じで進んだ印象。
個人的には、歳をとるってもっと自由で、もっと楽しいことなんじゃないだろうかとも思う。劇的なことはないし、自由が効かないことも、新しいことを始めるのが億劫なのもあるけど、制限がないのも大人だと思った。 -
普段ぼんやり思っていることが言葉にされていたので、共感するところも多かった。
まだ30代半ばなのでわからないところもあるか、概ね理解できたので私もそれなりには大人なのかなと思えた。
似通った内容が繰り返されるというか、強調されて別の言い方で書かれている箇所が少しあったように思い、章の途中で飽きてしまい読むのに時間がかかってしまった。
『金しか見ていない女性、胸しか見ていない男性はなんにもみていない』とゆうパワーワードは的を射ていて面白くニヤッとしてしまった。 -
これから「成熟した」大人になる若者、おそらく20代~30代に向けての心得のようなものが書いてある。お説教一歩手前というか、若者を諭しているかのようだ。かつての自分に向けて書いたようにも読める。全体としては真摯で誠実な印象を受けた。
そもそも「大人の定義」が難しい時代だと思う。大人の定義がわからなければ大人に成りようがない。かつては「大人像」が明確だった気がするし、若者が大人になるようなシステムが社会の中に用意されていたのだろう。大人が当たり前だったが故に、「大人の定義」が問われることも殆どなかったのではないか。80年代末、大人になれないことに自覚的だった松尾スズキが立ち上げた劇団名が「大人計画」だったのは象徴的だ。
いろんな人が多様な大人像を提示する中、この本では、自分の自由や成長、可能性はある程度あきらめて、自分の後に続く子供や後輩等を世話する者を大人として定義している。本の中でこの「大人」の定義が若干ゆらいでいる部分はあったが、数あるまっとうな大人像の中の一つだと思う。思想的にはマイルドな保守の印象も少し持った。そもそも「大人」とリベラルは相性悪そうだ。
恋愛の章は少々お説教くさいかなと思った。興味深かったのが趣味の章。趣味の捉え方が私と違っていて興味深かった。単に飽きたり、おもしろさよりも負担の方が苦しかったらやめたらいいだけの話だと思うが、かなりの葛藤を抱えたような文章になっている。自分はあっさりしているのかもしれない。ここで書かれた文章は、ゲームやアニメ等のサブカルチャーとそのコミュニティが念頭にあるのだろうが、他の趣味には当てはまらない部分も多いだろう。例えば釣りとか。
巻末に大人になれなかった人向けの慰めっぽいことが書いてあるが、私は著者よりも少し年上で、後に続く誰かの世話をする機会もなく、したがってサポートする喜びも感じたこともない、何者にもなれなかった独身中年だ。この本の定義する大人にはなれなかった。しかしこの本で定義されたのと異なる大人像を体現することはできるかもしれない。そういう意味では自分にも大人になる道は残されている。
人生が迷子になっている元ITエンジニアとして、「教える」を仕事にできるかどうか迷っている身としては、そこに進む道を補強する話でもあった。ITエンジニアと「大人」は相性が悪い。この先、自分はどうすればよいか?を考えているだけなのだが、教えることを仕事にすることで、成熟に繋がる可能性はある。教える立場は自己肯定感も上げるだろう。うまくいけば。 -
◎信州大学附属図書館OPACのリンクはこちら:
https://www-lib.shinshu-u.ac.jp/opc/recordID/catalog.bib/BB25800846 -
今の私にぴったりの本だった。歳をとることの怖さがやわらいだ。むしろ大人をやってみたいと思った。過去を踏まえてわたしは私なのだから、まわりへの感謝を忘れず、わたしの歴史を紡いでいきたい
-
個人の能力は個人のものとされる世の中で、子どもや後進を育てることに好き嫌いや義務感以外の動機が存在するとは想像しづらい。しかし別の動機が実は存在するという。それは他人の成長に自分が関与することで得られる充実感である。大人になればなるほど、自分の成長にかかる労力は増え、リターンは減る一方だが、子どもや未熟な人には大きな伸びしろがある。そこに労力を投入することは、成長への寄与感(喜び、嬉しさ)という形で、実は自分へのリターンも大きくなるのである、ということが書いてある。
そういうことはその立場になってみないと分からない事実であろう。実際、私も目からうろこであった。結構、衝撃的ですらあった。私は可愛い子ではなかったが、それでも両親が子育てを投げ出さずにいてくれた理由が初めて分かった気がした。
好きなことを極めること、個性を極めることなど個人最適が至上とされている社会で、このような他人に労力を投入することの重要なメリットを言ってくれる人は貴重。他人の成長に純粋な喜びを感じる人もいると知ると少し安心する。また、実際に自分がそちらの立場に立っても義務感だけでやっていかなくていいんだと思うとそれだけで肩の荷が下りた感じがする。
ーーー以下引用ーーー
ところが、「大人」の目線で「大人」を評価するとそうはならないのです。
私が実際に歳を取り、子どもの世話をしたり、年下に対して年齢や立場の違いを意識しながら向き合ったりするようになって気付いたことは、自分自身の変化や可能性を多少犠牲にしても、世話をした相手が成長し、変わっていくのを見ていると、そこに生き甲斐やモチベーションが強く生まれてくるということでした。p46
さて、そうやって「若者」の成長に驚き、彼らが現在の自分よりもあとの時代を生きていくことが肌で感じられるようになると、同じ時間、同じコストをかけてより成長できるのは、 自分ではなく年下のほうであり、同じ時間やコストを投下するなら、自分自身の成長にあてるより後進の育成に同じコストを投下したほうが、組織全体や社会全体で見れば伸びしろが大きく、新しいノウハウも蓄積させやすいと気付くときが来ます。p146
この心境のシフトチェンジを終えて、「大人」の側に辿り着いた人にとって、中年になってからの日々は悪いものではありません。むしろ、人生のなかで経験と体力のバランスが最 も取れた時期を、実り多いものとして体験できます。しかし、中年でありながら「若者」の側に留まるなら、自分自身の成長がだんだん停滞していく、喪失に満ちた時期として体験せざるを得ないでしょう。p151 -
大人とは?
若者とは?
僕は30代なので、世間からしたら大人なんだろうけれど、まだ、諸先輩方からしたら、若者部分もあったりするのだろう。
様々な着眼点から「若者」と「大人」に対して論じられており、難しくは無く、なるほどと気付かされたり、考えさせられたり。そうそうと納得したり。
非常に面白い人生論だった。
また、歳をとってから読み直してみたい。 -
タイトルに惹かれて読書。
テーマや導入部はとても興味深かったけれど、
「大人」を始める方法はあまりなく、
なぜ「大人」になれないのか、
どういう態度が「大人」なのか、といったことが中心。
ゲームサブカルに通じた精神科医という筆者の体験談も多いけれど、共感する部分も少ない。
導入部が全てで、あとは期待してた分、尻すぼみ感が否めない感じでした。
そのなかでも印象的だったもの
・若者であり続けることには限界がある。歳をとるにつれて、最新のコンテンツを空気を吸うように取り込めなくなる
・大人とは「世代や立場画違う人に、その違いを踏まえて対応すること」
・若者が終わって大人が始まると、幸福とは何か人生の価値とは何かといった、土台がひっくり返ってしまう
・アイデンティティが確立してない人ほど否定に打たれ弱い。社会が流動的な現代はアイデンティティが確立しずらい。何か1つにアイデンティティを頼るのは危険。確立すると、安定するけど、フットワークの軽さがなくなり、若者感はなくなる。 -
「大人」とは
世代や立場が違う人にその立場を踏まえた上で対応すること。
恋愛そのものに年齢制限は無いが、若者ならではの恋愛にははっきりとした制限時間があって、今の年齢で経験できる恋愛は今しか経験できない
誰だってこれまでの諸事情や背景、歴史を背負って今日を精一杯生きてるのだから、生きてるだけで立派で素晴らしい
読んでよかったなぁ
22歳記録。