- Amazon.co.jp ・本 (272ページ)
- / ISBN・EAN: 9784791775996
感想・レビュー・書評
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「その水になじめない魚だけが、その水について考えつづけるのだ」
書評で紹介されていたこの言葉にうたれた。タイトルもいい(読み出したら、予想とは違って、「口の立つやつ」とは著者自身のことだったが)。難病による困難を抱えるなかで書かれたエッセイ。なるほどと思うところがいろいろあった。
・差別に関わる物語によくあるのが、能力があるのに差別ゆえにその力を発揮できない人が、その状況を克服していくというパターン。差別は理不尽だ。しかし、能力のあるなしで社会的評価が決まるのは、それでいいのか。そこにためらいがほしいと著者は書く。「ためらい」という言葉がやさしい。ファンであるメッシについてふれながらこうも述べている。
「能力は美しいし、人を惹きつける。それはたしかだ。しかし、綺麗事ではなく、実際に、人は人を能力だけで評価しているわけではない。それもまた、たしかだと思うのだ」
・「『感謝が足りない』は、なぜこわいのか?」と題された章には、我が意を得たりという思いだった。今の世の中、感謝感謝という言葉があふれている。それ自体は美しい言葉であり感情であるのは間違いないけど、どうにも気持ち悪くて仕方がない。他者を思いやり親切にするのが当たり前であったら、過剰な感謝はいらないだろう。特に子供に感謝させようというのは、はっきりおかしいと思う。二分の一成人式とやらで、親や周囲に感謝させる。「育ててくれてありがとう」とか。いやそれは当然の権利でしょう。ことあらためてありがたがらせようというのは、何を狙っているのか。
・「『かわいそう』は尊い」という章でも、モヤモヤと思っていたことが言葉にされていた。「かわいそう」という言い方が、高みから見下ろしている感じがするのは間違いないけど、だからといって、その感情自体を否定したくはないと思うのだ。
「『障碍者はかわいそうではない』という認識は大切だし、社会を変えていかなければならないのはもちろんだ。しかし、まだ変わっていない社会にあって、同情してくれる人の存在はとても尊い。 『かわいそう』や同情をよくないこととしてしまっては、そういう人たちの気持ちも行動も萎縮してしまうのではないだろうか」
・著者には「絶望名人カフカの人生論」というヒット作がある。
「カフカによって救われたというのは、病気でも平気になったとか、いわゆる『病気を受け入れる』ということができたわけでも、まして『病気になってよかった』と思えるようになったわけでもない。今でも、病気は受け入れられないし、こんな人生はいやだし、嘆き続けている。しかし、ともかくも、生きている。立ち直ってはいないが、倒れたままで生きている」
この言葉には実にリアリティがあると思う。とても納得したし、うまく言えないが、救われたような気もした。誰の人生にも痛苦に満ちたことが起こりうる。それを受け入れよ乗り越えよというメッセージは多いが、自分はそんなに力強く生きていけるような気がしない。「倒れたまま」生きることならできそうだ。
・「あなたは本当はこう思っている」というよくある指摘を、著者は「無敵の心理学」と名付けていた。深層心理のことは本人にもわからないので、そう言われたら否定のしようがない。一種の暴力では?と常々思っていた。ほんと、無敵。
・「言葉とがめ」は無益だと述べているくだり。
「『こういう言葉は使わないようにしましょう』と言われて、『気をつけなきゃ!』と思うような人は、そもそもひどいことは言っていない。ひどいことを言っている人は、どう注意されようと、それが自分のことだと思わないし、直すことはない」
これは言葉の他にも当てはまることが結構ありそうだ。人権啓発とか交通安全のスローガンなどを見るたびに、誰に向かって言ってるんだろうと思う。
・覚えておこうと思った文二つ。
「弱さとは、より敏感に世界を感じとることでもある」
「どうか - 愛をちょっぴり少なめに、ありふれた親切をちょっぴり多めに」
(ヴォネガット「スラップスティック」から) -
タイトルがいいと思って手に取った。
たしかに暴力や腕力で物事を決めようとするよりは言葉で、話し合いで解決を望むことは絶対的に正しい。だけど口が立つヤツの方が勝つ世界も、力で優劣をつけるのと同じくらい理不尽だと、小学生時代の喧嘩から気付いた著者がすごい。
言葉でしか伝わらないことと言葉にできないことの問題は、生きる上誰しも直面しうる。ビジネスの世界でなら言語化や理路整然であることが求められるのが当然なのかもしれないが、何でもハキハキとわかりやすく話せる人はどこか胡散臭いというのは同感。言葉にすることは確かに大事だけど、言葉にできないこともあるのは確かで、迷い、口ごもり、うまく話せない人は話せる人より劣るわけではないし、そういう人も尊重してほしいという思いに力づけられる。
言葉にできない世界があることをスープに喩えられているのがわかりやすく、またMさんという人の魅力が伝わってきてよかった。
他にも感謝という見返りがなくても親切が当たり前な世界もあること、お互いに迷惑をかけて当たり前な世界も成り立つことが実際に著者が移り住んだ宮古島での体験から綴られる。
また20歳で難病を患った著者が普通に生活できないことで、周りから「自分だったら死んだ方がまし」と言われる人生をそれでも生きる価値があると言う。これだけは失ったら生きていけないというものを失ったときに「死んだほうがまし」は安易に口に上るかもしれないが、前向きでもなく、大いに嘆きながらでも、その後の人生を生きる。その生きることに価値があると言える強さというか尊さというかは、それこそ言葉になかなかできないけど、いろいろ考えさせられた。 -
親に悪態ついて心にも無いことを口にしてしまった経験‥身に覚えがありすぎてグサグサ刺さる。
人はよく“言葉にしなければわからない”とか、“言わなきゃ伝わらない”と言うけれど、では自分が口にした言葉はぜんぶ本当なのか?と問われると
そうとは言いきれない。複雑にこんがらがった身の回りの“言葉の問題”。本書を読み進むうち、視点を変える方法や考え方のヒントがなんとなく浮かび上がってきたような‥。理由はわからないけどなんだかモヤモヤしてる〜という人におすすめしたい。
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著者名とタイトルで購入即決。
表題のエッセイを巻頭にしたエッセイ集で、日本経済新聞夕刊コラム「プロムナード」(2021年下半期)にnoteでの執筆と単発のいくつかの文章を合わせて構成されている。
文学アンソロジーなどを出している著者が、もともとは活字を読むのがそれほど好きなわけではないというのは意外で軽く驚いたが、だからこそ読むのが好きじゃない人でも読めるような工夫に余念がなくいつも読みやすい本を出せているのだろう。
子ども時代は「口の立つやつ」の側だった、というのもまたやや意外だったが、口で負かしてしまえてた子ども時代の居心地の悪さを忘れず、青年時代に病を得て「言語化」のむずかしさや至らなさを体感したというので、あれこれ説得力がある。
読み終えて、カート・ヴォネガットを読みたくなった。
「違和感を抱いている人に聞け!」では、池内紀の「二列目の人生」を思い出した。
表題の件については、少し前から子どもにつきあって「ちいかわ」を読んでいて、心に思うことはいろいろありそうなのに言葉がなかなかでない「ちいかわ」にいちばん親近感を感じているのだけれど、家族のだれにも共感してもらえなかったのが最近の残念なことだったので(ちなみに家族の好きなキャラは、見事にバラバラで、それはそれで興味深い)、やはり「言語化ができない」ことへの理解を得るのはなかなかむずかしそうだと思った。 -
タイトルにつられて。
うまいなぁと思った。口の立つやつ、嫌いなんです!笑 嫌いっていうかこの人生で口喧嘩で勝てた試しがないので理屈捏ねて横柄な態度で威圧してくる、所謂「口の立つ奴」に煮湯を飲まされてきたオタクです。30分くれれば、メールなら、ちゃんと反論できるのに!!口の立つやつ大抵雰囲気が怖いからびびっちゃうんですよね。私情がすごい。
そんなわけで、序盤は作者の紹介エピソード読む度にこういう人嫌いだな……とかうっすら雑念を避けきれずに読んでいたのですが本としては面白いです。
というか、編集者とか文学者に時々いる、活字は苦手で本は読めないみたいなタイプの人、どうしてそういう職業につけるんだろう? この本の中盤に出てくるみたいな、「どっぷり浸かっている人や染まってる人より違和感を抱き続けている人の方がその気持ち悪さを言語化しようと思考し続ける分視点が鋭い」ってことなのかなぁ。
途中で気付いたけどエッセイ集というよりWEBや雑誌連載をまとめたもの、みたいな感じなので一冊のまとまりとしてはちょっと欠けてると思う(何回も病気の話されるとRPGの村人か?みたいな気持ちで勝手に食傷気味になる、みたいな。こういうのこそ編集でどうにかなると思うんだけど)のと、話の面白さにばらつきが多いかな。前半の面白さに比べて後半の失速はなんだろう?
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思わず口走った言葉は本心なのかというトピック。作者は少年時代に自分でも思いもしなかったことを感情的に言ってしまったことを今でも不思議に思っていて、けれど他者からそれを無意識下の思考と言われることを過剰に嫌がっててそれがちょっと面白かった。この人占いとかに全部当たってないって思うタイプの人かもな、みたいな。
というか、いわゆる口の立つ人って常に相手を論破する思考スタイルになっていることが多いから口論という感情的なシチュエーションだと確かに自分の考え、言葉ではなくとも「目の前の相手を打ちのめすことができる」というそれだけでトドメの一手になる言葉を武器として選んじゃうのかもしれないなと思った。会話目的が言葉を交わすことじゃなくて相手の意思をやりこめることになっていて、その目的の為に手段を選ばなくなっている戦闘状態であることに思考も感情(理性?)が追いついていない、ということなのかな。口の立つやつって思考と同時、もしくは思考より先に言葉が出るタイプなのだろうからまぁ一理あるかも。
そのシチュエーションだとどんなに言い訳しても本心だとしか思われないだろうからもう自分を律するしかないと思うけど。
なんかこういう深層心理のあたりを「途方に暮れます」とか「無敵の心理学と呼んでいる」とか書いちゃうあたりにこの人、こんな本出すわりには自分の受け入れたくないことを「こわい」という言葉に落とし込んじゃうんだなと思った。この文脈の怖いは弱者の恐怖ではなく強者の糾弾だし。でもこのエピソードのおかげで日頃から思ってた「口の立つやつを追い詰めると思考の時間稼ぎの為に怖いって言ってくる」説を強化できた気がする。普段キツいこと言って論破してくるやつに「怖いから」って言われたら傷つく必要はなく、逆にあと一歩なんだなと思うことにします。この瞬間に矢継ぎ早に叩き込め!(でもこっちは口が立たないから失敗しがち)は〜……自己保身が強くて卑怯な奴を敵に回すと大変だ。
作者と合わないな〜〜〜と思いながら読んでたからこそ面白く感じるというよくわからない読み方をしてしまったけど、途中で出てくるツイッターの事例とかが私も目にしたことがあったので、もしかしたら有名な人なのかな?と思ったらツイッターで見たことあるアイコンの人だった。この人かぁ。
最近「共感するとはどういう状態か」ということをよく考えていたので、「親切が当たり前の宮古島」のエピソードが興味深かった。親切でゆったりとした宮古島イズムが現地に向かう飛行機の中から始まっていて、しかもそれは空気でまんべんなく伝わっていくというのが面白い。
共感というのは感動と同義ではなくて、いかに自分ごとにできるか、相手に寄り添えるかという、……相手との距離感を自分の経験や想像で近付ける能力のことだと思ってるんだけど、言葉という上辺の下に、言葉にできなかったいろんな想いや背景事情を想像することが歩み寄りに繋がるし、それって基本的に自分が弱者として扱われた傷の経験から生まれるスキルだよな、とも思った。
指摘されることで気付く偏見も自分の中に沢山あって、たとえば女性というだけで不利な立場に置かれていた女性がその能力を正当に評価されるのは素晴らしいハッピーエンドだけど、では能力の低い女性は弾圧されたままでいいのかと言われると……、みたいなことは多分全員がずっと考えていかなければならないことなんだよね。全てを自分ごとにはできないから、目に映る範囲、手を伸ばせる範囲だけでいいと私は思うけど。
でも自分の視界に入った「変なやつ」を変な人!で終わらせるのは意識的にやめようとは思った。なんか事情があるんだな、と思うのは無関心と似てるようで少し違って、いざという時には大切な思考だと思う。
ライトな書き口なのでさらっと読めるし、本の内容は面白かったです。noteで同じ内容が公開されていると記載があったので、気になる人はまずそちらを読むのがいいのかも。確かに本というよりはnote読んでる感触で読めました。
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ためらいがほしいってのは、ほんとそう。
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勝つ、負けるってなんなんやろう。勝ち組っていう言葉嫌いなんやけど、なんか私が知らんルールのスポーツもいっぱいあるんやろうや。その土俵乗りたくないな〜〜
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めちゃくちゃ面白いと聞いていたけど本当にめちゃくちゃ面白かった。
とりとめのない話が淡々と続いていくのだけど、本当に淡々と続いていく感じが良い。
大きなピンチもドラマチックな演出も作られた結末もないけど、ただ、ありのままに綴られた言葉がここちよかった。
思ってもいないことを言ってしまう話は自分にも思い当たる節があった。
それはいつもどこかで仕入れた誰かの物語のパロディーを演じていて、それもいつも大事な局面で。
だから私はいつも自分の人生から逃げて誰かの人生をパクってなんとかしようとするよなぁなんて思っていたから人の全然違う話聞くの楽しかったな。 -
スープのような人、のくだりすてき◎
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