マイマイ新子

著者 :
  • マガジンハウス
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  • Amazon.co.jp ・本 (325ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784838715312

作品紹介・あらすじ

昭和30年、まだ日本中が貧しかった時代、しかし、季節の手ざわりや家族のつながり、そして生や死を身近に感じながら子供が子供らしく成長できた時代-失われた時代の命の豊かさを、魅力あふれる少女の目で描いた感動的な少女小説。

感想・レビュー・書評

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  • 赤毛のアン より マイマイの新子!

  • そういえば子供の頃は不思議なことがたくさんあったな〜と何かむず痒いような感覚を思い出した。
    祖母と採った田ゼリの香りがどこからともなく匂ってくるような…懐かしさと仄かな哀しみでいつとはなしに涙がこぼれた。

  • アニメを観る前に原作をば。

  • 日本版赤毛のアンを意識して書かれた作品。アンが想像上のお友達と語る行があるけれど、新子の場合は、これがマイマイ(笑)それにしても、水玉子気になる…

  • 読んでいるわたしもすっかり新子。
    戦後の昭和にどっぷり入り込んでしまいました。
    麦畑の匂いや小川のせせらぎが聞こえてきそう。

  • 恋愛小説専科ともいえるような官能的な小説が多い著者にとっては新鮮な小説です。著者が「日本の赤毛のアン」を描こうとして自分の9歳の頃を主人公にしているのですが、その姿が大変懐かしい昭和20~30年代の思い出とともに浮かんできます。またトトロのサツキとメイの姉妹を思い出させるような妹との関係。そしてお爺ちゃん・小太郎の死で小説の最後が終わるのも印象的です。確かにこのような時代がかつてあったのです。TVはなく、外で子供だけの秘密の場所(この小説ではお爺ちゃんと2人の秘密)を作って、「ごっこ」をする。私自身も経験があります。やはりTVの普及が子供を変えてしまったのだということを痛感しました。マイマイ(つむじ頭)のゆえに、ややひねた?少女の位置づけが楽しいです。

  • 新子と友達になりたい!

    「なんでも自分の目で確かめること」、こういう教えの元に育って真っ直ぐに生きる新子はとっても魅力的。

    短編みたいで読み易いのもイイ!

  • 防府、山口などを舞台とした作品です。

  • 少年Hの少女版?さっくり読めた。しかし当時の少年少女はこのような物語をみな持っているのだろうな。物語のない人間なぞいないのだろうが。

  • 新子の前向きな生き方と、おじいちゃんの存在感がとてもよく伝わってきて、なんだか・・・

  • 高樹のぶ子さんの自伝的作品で、昭和三十年代の日本を背景に、当時の暮らしが九歳の少女新子の心を通して描かれる。教訓めいた大人の視点や、奇をてらうわざとらしさがみじんもない。完全に、素直な新子の視点から語られるので、その頃の町のにおいや風の音、流した涙の理由さえも深く共感できた。

     きっと子どもが読めば、「風の又三郎」「赤毛のアン」のように読めるだろう。大人だったら、もう一度子どもに戻ることはできないけれど素直でまっすぐだった頃の自分にふと立ち返ることができるかもしれない。

  • あとがきに昭和30年は特別な年でした。・・・高度経済成長はこの直後から始まります。・・・交通手段も衣食住も今から思えば貧しいものでしたが、季節の手触りや家族の繋がり、生や死を身近に感じながら子供が子供らしく成長できる環境は豊かでした。戦争の傷を片手で押さえながら、それでも日本中が遠く高いものに向かって今にも駆け出そうとしていた時代。・・・日本は見事に高度成長を遂げました。しかしまた何と多くのものを失ったことか。とある。本当にそのとおり、郷愁を感じる。新子は生き生きと成長している。自然の中で毎日発見しまわりの大人から見守られ友達とともに冒険しゆっくりと大人になって行っている。こんな時間が必要な子供たちがいっぱいいるように感じる。だけどそんな時間に育った私たちの子供が今ニートやフリーターやもっと言えば若年犯罪者になってしまったりしている。これは時代のせいばかりだろうか。私たちは何か子供たちに伝えるべきことを忘れているのではないか。不便な生活の中で、例えば外食は特別なことで、コンビニもなかった時代に母たちは食べる為には手をかけなければ成らなかった。毎日、毎食、火を起こしご飯やおかずを作らなければ食べれなかった。その食材も半分は自給だった。いま、我が家では娘は朝6時半に家を出る。朝ごはんはおにぎりかサンドイッチを持っていく。でも時々はコンビニで何か買って済ませてもらう。毎回買っていたのでは家計に負担だから。(今日は昨日の残りのシチュウをレンジでチンしてタッパーに入れて持っていったけど〉結構朝ごはんとお弁当をこの時間に2食持たせるのって辛い。不便な時代どうしても手を掛けることが必要とされたけどそれだけ直接親の大変さや愛情が感じられたのではないだろうか。映画のALWAYSを見て泣いてきたとパート仲間が行っていたが、私たちぐらいの年代は実は一番いい時代に子供時代をすごしてきたのかもしれない。だが、懐かしさや郷愁に浸ってばかりでいいのか。私たちはまだ子供たちに何かしなければならないのではないだろうか。おじいさんが死んでいく。病院ではなく自分の家でお医者さんが往診に来て「親戚に連絡を」と言う。私の祖父がそうだった。いつの間にか蒲団から起き上がれなくなり、いつの間にか仏間に蒲団が移され、体温を測っても34度くらいになり親戚や家族がみんな集まりある日「老衰」で死んでいった。葬式は自分の家だった。私が人の「死」を初めて間近で感じたとき。ある意味とても幸せな死に方。今は老衰では死ねないもの。なんとなく物悲しい気分になった。205/1/15

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著者プロフィール

小説家

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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