菜食主義者 (新しい韓国の文学 1)

制作 : 川口恵子 
  • cuon
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  • Amazon.co.jp ・本 (308ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784904855027

感想・レビュー・書評

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  • もしヨンヘに人間関係が全くなかったら、
    社会と全く接点を持たずに生活していたら、
    違う結末があったのだろうか。
    例え肉体は同じ変化を辿っても、強烈な思想と共に幸福に時を過ごしていけたのだろうか。
    ヨンヘの内面は周囲の受け止めた言葉のみで表現され、最後まで窺い知ることができない。

    この著者の本を読んだのは初めて。作品に流れる空気と日常と地続きになった異世界を覗く感覚を、私はとても好ましく読んだ。

  • ハン・ガン、3冊目。
    『すべての、白いものたちの』、『そっと 静かに』はエッセイ集なので、彼女の小説はこれが初めて。

    彼女が心温まる物語を書くだろうなどとはもちろん思っていなかったんですが、予想以上に壮絶で、中編三作のそれほど長くない小説のわりには読むのに時間がかかりました。

    『菜食主義者(ベジタリアン)』という言葉のやわらかさとは裏腹に、主人公ヨンへは肉を食べることを拒絶し、植物になりたいと願い、やがては食べることも放棄する。

    訳者あとがきでは「私たちの中でうごめいている動物性と静かに揺れる植物性との葛藤」と説明されているのだが、そんなことを言われてもよくわからない。

    三作の中ではヨンへの姉の視点から語られる『木の花火』が比較的共感しやすいのですが、ハン・ガンの描く「なにかを失った人の孤独」というものに私は強く引かれるようです。

    ここ近年、注目されている韓国文学ですが、「新しい韓国の文学」シリーズ第一作としてこの作品を日本で出版しているクオンの活動はすばらしいですね。

    以下、引用。

    バスはスピードを上げて雨の中を走る。彼女は何とかバランスをとりながら奥のほうに進む。二つ並んだ席の空いているところを探して窓側に座る。かばんの中からティッシュを取り出して、曇った車窓を拭く。長い間孤独だった人間だけが持つことのできる堅固な視線で、車窓を叩く激しい雨脚を眺める。

    さほど時間が経たないうちにふと気づいたのは、彼女が切に休ませたかったのは、彼ではなく彼女自身だったかもしれないということだった。十八歳で家を出てから、誰の力も借りずにたったひとりでソウルでの生活を切り開いた自分の後ろ姿を、疲れた彼の姿に照らし合わせていただけではなかっただろうか。

    生きるということは不思議なことだと、その笑いの末に彼女は考える。何かが過ぎ去った後も、あのおぞましいことを経験した後も、人間は飲んで食べて、用を足して、体を洗って、生きていく。

  •  ある日突然ベジタリアンになっちゃった女性ヨンヘと、それを受け止めきれない旦那や父母、兄弟たちの話。別に最近話題のヴィーガンとかベジタリアンにハマって周りが困ってるとかそういう話ではなく、彼女自身が植物になってゆくのだ。見た目は心の病気にかかってしまった人とそれと上手く向き合えない家族の話、という感じだろうか。

     ヨンヘが菜食主義者になった理由ははっきりと語られないが、幼少から現代に至るまで抱えてきた家族の問題が爆発したように見える。
     彼女の家は最近の日本の小説ではまず見られないような家父長的家庭。親父は平気で暴力振るう。日本の昭和を描いた映画でどこぞの親父が「戦争にも行ったことないくせに!」と叫んでいたが、今の韓国は徴兵制度ある。日本にかつてあった価値観が、国家の暴力装置(社会学的な意味で)になることが当たり前であることによって、何らかの理由で存続しているのかな?なんて思った。それとも、儒教的には暴力もオッケーなんだろうか。
     また、ヨンヘが肉を食べるのを拒んだ際に家族みんなで彼女に無理矢理肉を食わせようとするが、そのやり方も超アグレッシブで、なんと「酢豚を顔に押し付ける」のだ。その光景を見たヨンヘの旦那は「胸に染みる父親の愛情に、思わず目頭が熱くなった。多分、その場にいた皆がそう感じていただろう。」(p.62)と反応。ギャグかな?とは思ったけど、こればかりは他所の国のことだし何とも言えない。キチガイ一家のコメディなのかもしれないし、韓国ではたまに見られる光景なのかもしれない(馬鹿にするわけではなく)。

     とにかく、ヨンヘを取り巻く人間はこんな感じで、旦那が彼女と結婚したのも、魅力のない女と結婚すれば自分が矮小な人間であることを意識しなくて済むからというもの。それは人間やめたくもなるだろうと思う。
     じゃあクソな旦那と離婚して別の人と結婚するなり結婚とは別の幸せを得ればいいじゃん!と思えれば良いのだろうが、彼女の場合は家族も上述のとおりであり、何というか逃げ場がない。幼少期から自分という一個人の芽を摘まれ続けてきたとするならば、その傷を癒すことなどできるのだろうか?しかもそうした暴力が「親の愛情」という言葉に守られていたら、もうどうしようもないではないか。

     ……と、個人への暴力を軸に想いを馳せていたけれど、そうして菜食主義者になったヨンヘに対し周囲の面々が様々な反応を見せていくのがまた面白い。翻弄され破壊されてゆく周囲を他所に、物理的にはボロボロになりながらも静かに植物へと変わってゆくヨンヘが、皮肉にも力強く映った。

  • ヨンヘがなぜ突然菜食主義者になってしまったのか、理由は最後まで判らない。読者の想像に任され、答えは読者の数だけあるということなのだろうか。私にはヨンヘの抑圧された人生のせいに思われた。夫からヨンヘは決して目立つ美人ではなく『女として平均よりちょっと下』ぐらいに見られ、それが夫がヨンヘと暮らしていて『緊張せずにすむ』理由なのが、もう痛々しい。それは常にヨンヘを自分よりも下の存在として見てたという事じゃないか。夫当人に悪気なく無意識だとしても、きっとヨンヘは日常的に言葉の端々に侮蔑を感じさせられたことだろう。夫以前にも支配欲の強い実父は肉を口にしないヨンへに対し業を煮やし、力ずくで口に押し込んだりする。いくら心配だからといって、これが愛情から来る行動なのか。従わないヨンヘが気に食わないだけなのではないか。この場面だけで幼少時のヨンヘも、父を止められなかった実姉のインへも、実家での姿が容易に想像出来る。ヨンヘが壊れてしまったのは大きな理由なのではなく、積み重なりなのだろうと思う。物語の主人公を義兄に移しても、この義兄もやはりヨンヘを一人の人間としては見ない。性か芸術の対象。更に実姉インへが主人公となった3章では物語は沼の様だ。「生きてはいなかった。ただ耐えていただけだった。」が全てを表していたのかも知れない。とにかく全く光が見えない物語で、私の心にも沼が広がった。

  • 最後の数十ページの才気ほとばしる言葉の密度に、息をするのも忘れて読みました。入り組んだ心の隙間を、右に左にぶつかりながら、肉をえぐって暴走する列車が通り過ぎて行ったかのよう。このシリーズは表紙がとても美しいので、手にするうれしさもあります。

  •  夢を見たことをきっかけに肉を一切口にしなくなったヨンヘを巡って、ヨンヘの夫、ヨンヘの姉、姉の夫(ヨンヘと関係を持つ)を軸に話が静かに進んでいく。
     怒った父親から殴られ、肉を無理やり口に押しこめられナイフで手首を切って自殺を図ったり、雨の中森に分け入って立ち尽くしたり、ビデオカメラのまわるなか、姉の夫と抱き合ったりと、かなり激しい場面も多いのに、無声映画を見ているような印象が強い。
     ヨンヘ自身がほとんど何も語っていないので、はたして原因が何なのか、何を考えているのか推察するしかないが、この小説の中で自分のやりたいことを貫く強さを持っているのは彼女だけかもしれない。痩せさらばえて死に近づく彼女を見つめることで、自分の生を思い返さざるをえなくなってしまった姉も、ヨンヘを早々に捨て去った夫も、失踪した後も子供に会いたいと電話をかけてくる姉の夫も、みんな妥協し矛盾を受け入れながら現実と折り合いをつけている。そうでなければ生きていられないと知っているから。その弱さを持たないヨンヘは、すでに彼女自身が望んだ植物に近い存在なのかもしれない。

  • なめていたわけじゃないけれど、ショックを受けた。いい意味で。
    ハン・ガン(韓江)の連作中編というべきか。3作は2002年から05年の間に書かれている。
    夢を見ることにより、急に肉が食べられなくなった女性の話のタイトル作から、その女性がボディペインティングしてビデオ撮影にのぞむ『蒙古斑』。病院に入れられる『木の花火』と、徐々に人が壊れていくというか、素に戻っていくような姿が書かれている。
    最初はちょっとごつごつしているなあ、と感じながらも、三編それぞれ一気読み。小説らしい小説を読んだ気持ちと、韓江という新しい作家を知った喜びを味わえた。そんなにたくさん韓国作家を知っているわけではないが、この新興出版社(韓国から来た人が経営?)が、この新しい韓国の文学のシリーズの1作目にこの作品を選んだことになぜか納得。父も兄も作家だそうである。

  • 桃山学院大学附属図書館蔵書検索OPACへ↓
    https://indus.andrew.ac.jp/opac/volume/762830

  • 全3編の連作から成る長編小説。妻が突然肉を食べるのを辞めてベジタリアンになり、その影響で周囲の人間も大きく変わっていく。植物になりたい女性、動物になってしまった男性、自分自身にさえ成りきれなかった女性。一見、到底考えられない思考が多数登場する作品に見えるが、彼らの過去を遡っていく内に、それが根本に抱える「痛み」から脱却する手段であると分かってくる。

    地の文の表現力がとにかくすごい。原作もそうなんだろうけど、これを日本語に落とし込んでる翻訳が素晴らしい。得体の知れない異様な雰囲気が冒頭から漂っていて、村上春樹っぽい耽美的な表現もある。でも作品の世界観的に合っている。

    韓国文学って面白いですね。

  • タイトルと簡単なあらすじから想像していた内容とは全く違い、かなり強烈な内容だった。

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著者プロフィール

著者:ハン・ガン
1970年、韓国・光州生まれ。延世大学国文学科卒業。
1993年、季刊『文学と社会』に詩を発表し、翌年ソウル新聞の新春文芸に短編小説「赤い碇」が当選し作家としてデビューする。2005年、中編「蒙古斑」で韓国最高峰の文学賞である李箱文学賞を受賞、同作を含む3つの中編小説をまとめた『菜食主義者』で2016年にア
ジア人初のマン・ブッカー国際賞を受賞する。邦訳に『菜食主義者』(きむ ふな訳)、『少年が来る』(井手俊作訳)、『そっと 静かに』(古川綾子訳、以上クオン)、『ギリシャ語の時間』(斎藤真理子訳、晶文社)、『すべての、白いものたちの』(斎藤真理子訳、河出書房新社)、『回復する人間』(斎藤真理子訳、白水社)などがある。

「2022年 『引き出しに夕方をしまっておいた』 で使われていた紹介文から引用しています。」

ハン・ガンの作品

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