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感想・レビュー・書評
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川崎での連続通り魔殺人事件、元農水事務次官による長男殺害事件、京都アニメーション放火殺人事件。
元号が変わった直後、就職氷河期世代が加害者・被害者となる凄惨な事件が連続して発生。
平成の時期に、掬い上げられることの無かったロスト・ジェネレーションの苦しみが堰を切って社会に牙をむいたかのよう。
平成からずっと、「自己責任論」が渦巻く社会で、下層で苦しむ彼らが凶行に及んでしまうのは、彼ら個別の特例なのではなく、社会全体が当事者意識を持って向かい合う必要があるのだろう。
同じ著者が書いた「ルポ・川崎」でもあるように、一度貧困に落ちてしまった家族が這い上がるために、貧困の渦から抜け出すための社会保障・福祉がもっと充実していれば、またそれに助けを求める行為に"後ろめたさ・悪"を感じさせない空気があれば、これらはまた違った結末を迎えていたのではないだろうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
カリタス小学校バスの無差別殺人、
その1週間後に起きた、運動会の音に「殺すぞ」と言った引きこもり中年を殺した元農林水産省事務次官の父親による息子殺し、
京アニ放火殺人について掘り下げられて書かれていた。
共通して家庭環境は不憫だと思うし、殺人は許されないけれどそれしか道がなかったことは理解が出来た。
そのような家庭とは違う恵まれた立場から、そのような事件に興味を深めることは悪趣味だとも自分でも思う。 -
川崎20人殺傷事件、元農林水産省事務次官長男殺害事件、京都アニメーション放火殺傷事件、東池袋自動車暴走事件、令和元年の改元とともに起こったこれらの事件を、はやん店舗で消費されていく報道やSNSの捉え方とは違った腰を据えた筆致で丹念に調査したもの。事件の陰惨さが波状に社会に与えていく影響を考えたとき、広義のテロリズムとしてこれらの事件を検証する余地があるとして書き進められる。
著者の前著「ルポ川崎」の対になる形で書かれる、登戸(川崎北部)の事件。そしてその事件の「死ぬなら一人でどうぞ」という風潮に感化されて答えてしまった、元農水次官長男殺害。
個人的にはこの8050問題が社会問題としてもっと詳らかにされる必要があると思うは、「金がある故に問題が社会からは見えない存在になっている」からである。金が無い家なら、子供は開放されるが、金がある家は子供の自立を失う。 -
刊行記念イベント 「現代日本の〝テロリズム〟――秋葉原殺傷事件と 川崎殺傷事件を繋ぐもの 」に参加するため、手に取った。
川崎殺傷事件(注)、元農林水産省事務次官長男殺害事件、京都アニメーション放火事件の3つの事件を、今の時代を読み解く鍵として考察している。/
人は、外敵から攻撃を受けたとき、暴力を振るう。
もちろん、何らの攻撃も受けることなく、自ら暴力に訴えるケースもあるだろうが…
彼らの場合は、前者なのではないか?
では、彼ら犯人たちは一体どんな攻撃を受けていたのだろうか?
僕は、「生産性なきものは去れ」という思想がそれではないかと思う。
この世間を支配する思想は、引きこもっている部屋の中へも、四六時中、砂のように侵入して部屋中を覆いつくしてしまう。
逃げ場はないし、抗ったとしてもおそらく彼らに勝ち目はないのだ。
ダーウィンの生存競争の現代版が「生産性」だと考えれば、この社会からそうした要素を駆逐するのは難しいのかも知れない。
だが、世の中を勝者と敗者に区分せずにはいられない社会というのが、本当に住みよい、暮らしやすい社会なのだろうか?
水俣病で、アセトアルデヒドの生産過程で出た工場廃液に含まれる有機水銀が、魚介類の中に蓄積されていったように、「生産性」にもまた、ある種の毒が含まれているのではないか?
だとすれば、そろそろその毒を無害化するワクチンの開発に力を注いでもいい頃なのではないか?/
《鬼一人つくりて村は春の日を涎のごとく睦まじきかな》(前 登志夫)
相模原障害者施設殺傷事件の後、僕の脳裏にはこの歌が染みついてしまった。
そろそろ、なんとかみんなで鬼を作り出さないシステムを考えてもいい頃ではないだろうか?
凍った沼のその氷の下に落ちてしまったかのような彼らの生を想うと、胸が塞がれるようだ。
《何故に人間はかくあらねばならぬのか?》(安部公房『終わりし道の標に』)/
(注)川崎殺傷事件:別名「川崎市登戸通り魔事件」。2019年5月28日、神奈川県川崎市多摩区登戸新町で発生した通り魔殺傷事件。結果として被害者のうち2人が死亡し、18人が負傷した。(Wikipediaより。) -
令和元年に発生した凄惨な3つの事件を取り上げ、社会が抱える問題を考察する。5月28日、スクールバスを待つ小学生と保護者が岩崎隆一に殺傷された事件。6月1日、元農林水産省事務次官の熊澤英昭が自宅で次男の英一郎を殺害した事件。7月18日、京都アニメーションが青葉真司に放火され69名が死傷した事件。どれも暗澹たる気分になる。
小学生を殺害した岩崎隆一は51歳。直後に自殺してしまったので動機は不明のままだが、20年以上引きこもり生活をしていたという。父親に殺害された熊澤英一郎は44歳。引きこもりではないが若い頃から定職に就けず、アスペルガー症候群との診断を受けていた。京都アニメーションに放火した青葉真司は41歳。過去に下着泥棒とコンビニ強盗の前科があるらしいが、この人物の家族の歴史はもはやホラー小説かと思うほど悲惨だ。
当時の私は46歳。上記の犯人たち(熊澤英一郎は被害者だが原因は彼だろう)は概ね同世代で、氷河期世代とかロスジェネと言われる。なにかと自己責任が要求されるようになった時代に、やりなおせるほど若くもなく、介護されるほど年寄りでもない。本人の責任はもちろんあるが、場所と時代が違えば、ちょっと変な人で済んでいたかもしれない。そして置き去りにされた人々は、まだ他にもたくさんいる。
これらの事件の前、4月19日には87歳で元官僚の飯塚幸三が池袋で11人を死傷させる重大事故を起こしている。また、この年の終わりには新型コロナウイルスのパンデミックが発生し、今も終息していない。元号が変わったことで突然社会が変わったわけではないだろうが、何か象徴的な印象を受けるのは確かだ。令和があと何年続くか分からないが、あまり良い時代になる希望が感じられないのは何故だろうか。 -
ルポ川崎の流れで手に取った一冊。川崎というローカルに焦点を当てた前作とは異なり、令和元年に起きた3つの事件を掘り下げることで、平成という時代が残した負の遺産をあぶり出している。改元により時代は移り変わっても、目を背けることができない課題が我々の前には山積している