Jポップとは何か: 巨大化する音楽産業 (岩波新書 新赤版 945)
- 岩波書店 (2005年4月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (235ページ)
- / ISBN・EAN: 9784004309451
作品紹介・あらすじ
一九九〇年代、日本の音楽産業は急激な成長を遂げる。CDのミリオンセラーが続出し、デジタル化や多メディア化とともに市場規模は拡大し続け、いまや日本は世界第二位の音楽消費大国である。こうした変化をもたらした「Jポップ」現象とは何か。産業構造や受容環境の変化など、音楽を取り巻く様々な要素から鋭く分析する。
感想・レビュー・書評
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著者が本書を執筆しようと思った動機や目的が,「あとがき」に率直に記載されているので,注目。要は,Jポップという欧米の音楽市場では総スカンであるにも拘わらず,80年代後半から90年代にかけて,国内の音楽市場はおろか,広告・テレビ業界,はたまた政界までを巻き込んだ産業が誕生し,影響力を及ぼしたのかについて,限られた資料や証言の中から実証的に表現されている。
本書の初版は2005年4月刊行なので,もう10年経過している。この間のJポップの動き(主にAKB48やEXILEの音楽産業史)を含めて,改訂版を期待したい。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「Jポップって、一体何?」そんな問いから始まるこの著書では、「Jポップ」という言葉は誰が考えたのか、なぜそんな言葉が生まれたのか、それは日本のポピュラー音楽をどう変えたのか、について述べられています。
「Jポップ」という言葉は、ミュージシャンが始めた音楽上の運動に名前がついたのではなく、音楽産業がマーケティングのためにつくった言葉である、という点は興味深いところ。
カラオケという消費行動についての考察、タイアップがポピュラー音楽に与えた影響など、そのどれもが身近な話題ばかりで読みやすい、かつ読み応えのある一冊。 -
Jポップを取り巻く経済と社会から論述してある。多くの音楽についての論述は、その中身から語るか、その取り巻きから社会心理的に語ることが多いが、多くの取材を通して経済的側面と社会的側面から述べられており、労作であると同時に分析に力強ささえ思える力作である。■旧来のロックシーンでのプログレやそのあまりに技巧に走った音楽に対する反抗としてのパンク現象は、社会の運動であり、また音楽の運動、現象であり、その運動や現象にプログレあるいはパンク、近くはグランジとして実態を表現できる呼び名が付けられた。■しかし、Jポップは、音楽業界が起したカテゴライズしたブームであり、その是非はともかく、仕掛けられたものであるとする。
■デジタル化の影響としてMIDI、CDであり、それらは製作面でも機械とコストダウンと時間の短縮化が現場では図られた。プレーヤーの大衆化によって、一家に一台から一人に一台へとプレーヤーが莫大に増える。楽器を弾かなくても良い音楽製作。
■TVとヒット曲のタイアップとしてのCM。CMに使われる曲は、15秒である。つまりさびの部分だけ印象的に仕上げれば、成功した曲になる可能性が多い。よって、さびの部分と全体が違和感を持った曲が時として製作されることにもなる。TVドラマの主題歌のヒットは、ドラマの終焉と同時に起こる現象、すなわち長く続かないヒット曲現象、が、興味深く具体例を出して論じられる。
■TVタイアップ現場では物議をかもさない曲の選考、最初から表現の多様性を放棄し、最大多数が合意可能な範囲で作ることを目指している。■広告表現と音楽表現は、最終目的がまったく違う。作者は音楽が企業の営利活動と手を結ぶことそのものが商業主義で許されないという極端な主義を取っているものではない。
■「ココロ」の時代の音楽受容
聞き手の変わり方として、カラオケの巨大音楽メディアとして考えられている。通信カラオケによってカラオケボックスという音楽革命がされたとする。一般に、カラオケの利用客は、昼間では主婦層、午後には、学生層が多い。カラオケボックスが、「70年代が「学習社会なら、80年代は「表現社会」だ。学習という情報のインプットばかり続けていた人々は、アウトプットを求めて破裂しそうになっている。いま教養とエネルギーのある女の人達を襲っているのは、自己表現への欲求だ。その上、近代社会の私たちは個性という悪夢に取り付かれているから、誰もが表現すべき自己を持っていると信じ込んでいる。■80年代は自己表現が大衆化する時代だといえる。誰もが即席にシンガー・ソングライターになり、自分史をつづる。」「増補<私>探しゲーム」上野千鶴子
84年には、自分を中流と看做す人が、人工の81%にまで増え、「中流意識の飽和点」に達した時代でもある。二人にひとりが大学、短大、専修大学に通うようになったのは、885年だとされる。日本人が追い求めた「平等化」は、「均質化」へと変貌し、かえって「個性」化への憧れをはぐくんだ時代でもある。違いがわかる「中流」85年度の国民白書はそのように記している。
■カラオケボックスの興隆は、娯楽の多様化のひとつの形態であると同時に「均質化」した社会の「自己表現」の媒体ともなった。自己表現を通じて自分自身になろうと欲する潮流がこのあたりから始まる。自己愛的な自己表現は、「その商品を所有する自分を好きかどうかである」自分がその商品を持つこと、カラオケではその音楽を歌い上げる自分が好きかどうか、自分を是認できるかどうかが基準となる。
■日本という音楽産業のかたち
98年レコード生産額が6074億、10年で市場規模を2倍にした、「Jポップ的セールス」。2004年3773億にまで現象。これは、88年から89年の市場規模である。
■世界第二位の巨大市場としての日本。音楽の輸出はほとんどまったく無い驚嘆な国内市場に依存する日本。洋楽が、全体の1/3を占める。コンサートチケットを買い取ったり、協賛金を出したりする「アーチスト助成費」のカット。レコード会社の出す「事務所助成費」の削減が、「アーチスト」側には相当に響いた。「マネージャー一人とアルバイトで一つか二つのバンドを抱える事務所なら、それだけで食っていけるとされた資金がカットされることになる。
■インディーズの売上額は、日本レコード協会に加盟するメジャーレコード会社からの出荷額のおおよそ5.9%に相当する。
■着メロの興隆、着歌の隆盛。音楽再生機としての携帯電話の普及8466万台。
着メロの著作権使用料徴収額75億
通信カラオケの著作権使用量徴収額55億。
着メロに適した曲の条件、「耳に残るさびの部分が5秒あればいい」レーベル・モバイル社の上田正勝社長(エイベックス出身)
など、Jポップの社会現象を経済的側面からも「冷静」にみている。この手法に賛否あるかもしれない。■しかし、生活が懸かっている音楽家たちがごく一部を除いて、殆どである現状からすれば、音楽家を取り巻く状態を、また音楽の業界の姿を知っておくことも重要なのではないか、「音楽」ファンであればなお更のことではあるが・・・。■欲を言えば、「電通」の広告代理店的な上からの文化創造について、疑問を呈してももらいたかったが・・・。まあ、いいかぁ。
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「エンタテインメント企画制作」中野薫先生 参考図書
https://library.shobi-u.ac.jp/mylimedio/search/search.do?target=local&mode=comp&materialid=01031361 -
細かい部分の誤りや認識の浅さ、勘違い振りでは定評のある著者の相変わらずの仕事ではあるのだが、概観としてはかなりのよくまとまっている(思うに新書というのはそういうものなのかもしれない)。技術革新によって再生機器が安価になりひとり1台、2台という状況になり、さらに録音媒体がヴァイナルからCDそしてデジタルデータへと安価になった。プロトゥールスに代表されるDTM技術によって制作費も大幅に節約することが出来るようになった。
これらの技術革新とさらにバブル経済前後の「本当の豊かさ」からくる「自己表現欲求」がカラオケブームにつながりやがてカラオケは日常に溶け込んでいく。
これらのことが総て結実し、数字に結びついたのが90年代なのだろう(外資系レコードショップの日本進出とフリッパーズやクラブDJに代表されるリスナー体質の送り手の出現も見逃せない)。
音楽不況と呼ばれて久しいがフジロックなどのフェスブームやライヴ会場を埋め尽くす人、貸しスタジオの状況などを見るとCDや専門誌が売れなくなっただけであって、音楽自体は活性化しているのだ。自己表現欲求のあさましい対象(日本人の多くは音楽を聴く耳は持たないがカラオケを歌う喉だけは持ち合わせている)と化した日本はそれでも世界第二位の音楽消費国なのだ(ひとりあたりの購入数だと4位だそうだ。因みにノルウェーが上位なのはへぇという感じ)。
渋谷のレコ村は一時期の勢いは衰えたとはいえ世界最高のレコード屋さんが集まっていると思う。これらの店の品揃えが象徴しているように音楽に対して誠実な聴き手(オタクともいう)は世界トップレベルの層の厚さを誇っていると思うのだが(住宅事情もあって量はアメリカとかに負けると思うけど)。
閑話休題。
政治ですら"J-POP"と結びついた90年代。タイアップという術しか知らないレコード会社はそのツケを払いつづけて倒れるのかもしれない。鎖国に象徴される島国根性がJ-POPという世間知らずの坊ちゃんお嬢ちゃんを生み出してしまったのかもしれない。
最後に“「日本のポピュラー音楽が外国と肩を並べた」というファンタジー”を抱いているのは一部のマスコミ(=おっさん)であって、それこそ著者はその代表たるもんである。 -
三葛館新書 767.8||UG
動画サイトや配信サービスの普及でCDの売り上げが落ちているものの、現在においても私達が日頃から聴き親しんでいるJポップ。本書は、「Jポップ」という言葉が生まれた1988年ごろから2000年代半ばまでの「Jポップ」について、再生装置や録音技術の進歩・テレビとの結びつきやレコード会社の戦略・消費者の心などさまざまな観点から考察し、分かりやすくまとめています。
日本のポピュラー音楽界について、過去を踏まえながら深く知りたい方におすすめの一冊です。
(かき)
和医大図書館ではココ → http://opac.wakayama-med.ac.jp/mylimedio/search/book.do?target=local&bibid=43419 -
日本の音楽がどうしてダサく感じるのか。
この本を読んで分かった気がする。J-POPという言葉の由来からはじまり、レコードから着メロになるまでの日本の音楽業界についてしっかり、書かれていて、音楽のマーケティングとか考えるときに必要な知識ブチ込めたかなと
CDの値段が一律なのあんまり疑問に思ってこなかったけど、今思えば かなり、気持ち悪いな
CDは終わったって言われるけど、今も昔も変わらず 日本の音楽を取り巻く環境は劣悪じゃん(笑)
バブルの頃 J-POPの黄金期って言われる時期に関しても今と音楽の価値は本当に変わってないと思った。
今のマーケットの形態に満足せず、楽曲の質に力をいれて、今後も勉強していきたい -
音楽性だけでなく技術や記録媒体の進歩に基づく作り方・売り方や受け手の姿勢の変化まで含め「歌謡曲」とは一線を画す「Jポップ」。リアルタイムで経験した者としてちょっと違うなぁと思うところもありつつ、分かりやすい。
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J-Waveは洋楽しかかけていなかった。
デジタル化で一番とばっちりを受けたのはスタジオミュージシャン。
CMに楽曲を提供すればレコード業界は広告費を使わずにテレビで大規模なオンエアができる。スポンサー側は広告料を支払う代わりに楽曲使用料が免除される。双方にうまみがある。
テレビが音楽を運ぶメディアになると視覚と聴覚を満たすダンス系、ビジュアル系。
テレビでのオンエアが終わったらCDも売れなくなった。
日本のポップは日本市場しか考えていない。日本で売れないから世界でも売れない。世界は逆で、世界で売れなくても日本で売れるものが多い。