多数決を疑う――社会的選択理論とは何か (岩波新書)

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  • 岩波書店
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784004315414

感想・レビュー・書評

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  • みなさん,集団で物事を決めるとき,どうしますか?多分よくあるのは,満場一致か多数決か,力のある人(ジャイアンとか)の一声かでしょう.ジャイアンに決められるのは嫌だし,満場一致が本当はいいけどそれは現実的じゃないから,多数決におちつく.多数決で決まったものは「民主的に決まった」ものだから従わなくっちゃ.となるわけ.でもね,満場一致とジャイアニズムの間には,もっと色々なルールがあっていいわけです.その色々なルールを科学的に見ていくと,多数決ってのはみんなの意見をうまく反映できない仕組みのようなのです.もっとましなルールがあるのはわかってるのに.でもみんなそれ盲目的にを使っている.
    政治家を叩くのもいいんですが,政治家の行動原理であるところの選挙制度を疑ってみる,ってことを感じさせられる一冊です.
    あと,この手の話は一通り大学で学んできましたが,とてもわかりやすかったし面白かった.大学1年生の自分にぜひ読ませてあげたい一冊でした.

  • 多数決がこんなにも信用のならない方法だったとはとても驚き。そして、“民意”を示すことがこんなにも難しいことだと痛感。

  • 積読消化。
    タイトルのとおり、複数の候補から投票で最多得票だったものを選ぶという多数決が、本当に人々の意見をよりよく反映したものを選べるのか、その問題点、どんな条件下でうまく機能するのか、代替案としてはどんなものがあってそれぞれの利点と欠点は、といったテーマを扱う。
    副題にあるとおり、この領域を社会的選択論と呼ぶそうで、その入門書になっている。

    出てくる例はどれも平易でわかりやすい。
    それだけに、多数決の問題点がこんなによくわかっていて、しかもフランス革命の時期からすでに代替案の検討もなされているのに、未だに世の中では多数決が使われてるってのは、いっそ不思議に思えてくる。
    また、多数決がよりよい選択を導く前提になる、ルソーの一般意志の前提はよく知らないでいたのでためになった。
    2018年最初に読んでよかった本。

  • 多数決ほど、その機能を疑われることなく社会で使われ、しかもその結果が重大な影響をおよぼす仕組みは他にない。選挙も、株主総会も基本的には多数決である。本書はその疑問から出発し、多数決がもつ不完全で危険な性質をわかりやすく説明し、他の「選択方法」についてもメリットとデメリットを解説してくれている。大勢の人間のなかでの意思決定方法、選択方法について学んでおくことは、公平で多様な意思をどう汲み取るかを学ぶことであり、組織運営にも必要な知識だと思う。

  • 星蘭祭のクラスの出し物を何にするか、委員会や部活動の代表者を誰にするか、皆で観に行く映画はどれにするか等々、複数の人がいるグループで、いくつかの選択肢の中からひとつを選ぶ場面は日常にたくさんある。そんな時、どんな方法で決めているかと問えば、多くの人は「多数決」と答えるだろう。日本の国政選挙、地方選挙もひとり一票を投じる「多数決」だ。「多数決」は、いかにも常に多数派の意見を尊重する公平で民主的な方法のように思えるが、本当にそうなのだろうか。
    共和党のジョージ・W・ブッシュと民主党のアル・ゴアが戦った2000年のアメリカ大統領選挙では、優勢だったゴアが、政策が近い市民運動家ラルフ・ネーダーの立候補により票割れを起こし、漁夫の利を得たブッシュが当選した。しかしこれではブッシュの勝利は、多数派の意見が尊重された結果とは言えない。これは「多数決」というシステムに問題があるのだ。著者は、「多数決という意思集約方式は日本を含む多くの国の選挙で使われているが、それは慣習のようなもので、他の方式と比べて優れているから採用されたわけではない。民主制のもとで選挙が果たす重要性を考えれば、多数決を安易に採用するのは、思考停止というより、もはや文化的奇習の一種だ」と言い切る。それでは、多数の意見を尊重する選挙の方法はあるのだろうか。
    集団の意思決定のあり方を理論的に考えるのが、著者が研究する社会的選択理論だ。より正確に民意を反映する方法の研究は200年以上前から行われており、様々な集約ルールが検討されてきた。そのひとつのボルダルールは、自分の意に沿う順に1位に3点、2位に2点、3位に1点という点数を付けて投票し、その合計点で当選を決めるものであり、票割れ問題を解決する。本書では、ボルダルールなどのスコアリングルール、統計的手法を用いるコンドルセ・ヤングの最尤(さいゆう)法、決選投票付き多数決、繰り返し最下位消去ルールなど多くの方法が紹介されている。そしてそれぞれの頑健性と脆弱性について具体例を挙げた説明があり、大変興味深い。どれもある意味では理に適っているように思えるが、同じ投票内容でもどの集約ルールを使うかによって結果が全て異なる例もある。集約ルールによって変わるのでは、選挙結果が民意を反映しているとは言い難い。
    著者は多数決の結果が必ずしも民意を反映するものではないことを示し、様々な集約ルールや社会的メカニズムを考察して、現状の社会制度は大きな問題を抱えるものだと教えている。「社会制度は天や自然から与えられるものではなく、人間が作るものだ」との著者の言葉に納得したら、因習や固定観念に囚われることなく、日本の社会制度についてもどんな問題があるのか、どうすればより良い社会になるのかなどを自分の頭で考えてみて欲しい。18歳から選挙権が与えられることになった現在、皆さんはこの問題に関しては、もう当事者なのだ。

  • 難しい理論も簡単なモデル化を行ってわかりやすく説明している。
    憲法改正でまずやらなければならないのが、改憲手続きである第96条であるというのはパラドクスにも感じる。
    新書をオモシロイと思ったのは久々かも。

  • 今日の社会においては、多数決は物事の基本的な決め方として幅広く用いられている。が、本書ではその結果に果たして正当性はあるのか、という疑問を出発点に、ボルダルールとコンドルセ・ヤングの最尤法を軸に種々の選択理論の性質について解き明かし、“民主主義的な”選択方法について考察していく。
    例えば、A,B,Cの三者から一人代表を選ぶとして、ある方法ではAが最も多い票を獲得し、別の方法ではBが獲得するとする。では、この結果の違いは一体何を意味するだろう?実の所、有権者の評価よりも、選挙のシステムが結果に影響してしまっているのである。そうした結果を「民意が反映された」と言ってしまって良いのだろうか?
    本書の後半では、ルソーの社会契約論が現代にあって未だ理想的な輝きを放っていると主張し、一つの可能性として中位選択論をベースに話を展開していき、最終章で実際の問題を例に、民主主義を謳う社会にあって、「民主的な選択」からかけ離れてしまっている現状が示される。
    民主主義という言葉に隠れて実は民意が十分に反映されていない、その状況を解決するための手段を社会科学的な見地から考えていく。解り易い解説と明瞭な考察と相重なって、無批判に受け入れがちな選択の本質に光を当てる意味からも、本書には一読の価値があると思う。

  • 集団における意思決定の方法(社会選択論?)を手法の評価に限定して分かりやすくまとめたもの。
    多数決では、選択肢のあり方により同種の票が分散する事があり、真の先行が反映されない可能性が高い。それにもかかわらず、多数決での評価は民意を反映されたものだとの通念がある。それに対しては数理的研究は進んでおり、それを反映していく事が民意の反映には重要ではないかという理解して仕舞えば当たり前の話が展開される。
    ボルダルール(選択肢の数を最高得点としそこから順に選好順に得点を割り振る)がペア敗者基準、ペア勝者弱基準(選択肢をペアで対決させて行った際での勝者を絶対最下位にはさせない)、棄権操作性、公平性などをクリアし最も適切とする。
    また政策を評価する際は単峰性(一軸の基準で選好が一方向なもの辛い→甘いみたいな)が担保されれば中位選択肢が民意となるが、多数決や政党制では極端な意見が反映されうる。

    知らなければいけないけど知らない事を分かりやすくまとめている今年の新書一位だろう。

  • 新聞書評で見かけて興味を引かれて買った本でしたが、期待以上におもしろかったです。
    単純多数決は、特に選択肢が3以上になると「死に票」が多くなるので必ずしも全体の意見を適切に代表しないということは何となく意識していましたが、それが「社会的選択理論」として定式化されているというのは恥ずかしながら知りませんでした。しかも、より優れた意見集約の方法として、投票者にすべての選択肢に順位をつけさせ、それに等差の点数をつけて集計することで総合順位を決める「ボルダールール」や、あるいはその個々の票の順位を統計データのサンプルとみなして、それらと総合順位との差を最小化するように総合順位を決定する「コンドルセ・ヤングの最尤法」が最も優れた集約法だということが、数学的に結論づけられているというのは、結構驚きの事実でした。
    これまでは、選挙や住民投票のように投票者の数が多い場合には実務的にそのような集計を行うことが難しかったのでしょうが、これだけITが発達した現在、もっとこういう「合理的」な投票方法が取り入れられてもいいのではないかと強く感じさせられました。
    最終章で展開されていた、住民の直接投票による政策決定手法は、代議制民主主義を否定するものではなく補完するものではないかという作者の主張にも共感を覚えます。マイナンバーが導入されれば、本人確認が容易で確実になるのですから、もっとITを活用した住民投票が広まって欲しいものです。

  • ルソーによる『人間不平等起源論』。主に社会不平等が拡大するなかで人間同士が疎外していくプロセスを描いたもの。支配する者の中には高慢と虚栄が、支配されるものの中には卑屈と追従が生まれる。しかし、結局は、富者さえも、欲望の奴隷。

    ー 人間は、欲望の奴隷。
    私も10代だった頃、よくその事を考えた。しかし、欲望に程良く従い、飼い慣らした先に、遺伝子との共創があり、種の連続性があるのだと。これは、個人の話だ。関係性において、この奴隷状態をこれを克服するために『社会契約論』がある。

    人民主権。それを運営するのが一般意志。共通化、平等性を志向する傾向をもつ、民衆の代弁、総括。一般意志は、どのように導かれるべきか。ここまで来ると成田悠輔のデータ民主主義も伏線として、踏まえておきたくなる。いや、社会的選択理論の方が基礎と呼ぶべきか。

    そこで、民主主義的投票、多数決の是非。投票の無い民主制はない。意志の集約ルールにより結果が変わる。集約ルールは、民意を反映できているのか。決選投票付き多数決、繰り返し最下位消去ルール、コンドルセ・ヤングの最尤法、ボルダルールなど、多数の運用方法があるが、性能の良い方法とは。また、多数決をめぐる最大の倫理的課題は、なぜ少数派が多数派の意見に従わねばならないか。

    これは、面白いなー。勉強になった。

著者プロフィール

慶應義塾大学教授

「2017年 『大人のための社会科 未来を語るために』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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