ごはんのことばかり100話とちょっと

  • 朝日新聞出版
3.75
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感想 : 141
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  • Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022506573

感想・レビュー・書評

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  • 久しぶりに吉本ばななさんの本を読んだ。
    やっぱり好きだなぁと思った。
    美味しそうな文章ばかりで…
    でもなんか切なくて…
    正直で優しい方なんだろうなぁ

  • よしもとばななさんの小説が好きで、いつも食べ物の描写が好きなのだけれど、そのシーンが全て詰まった様な本。
    高級で美味しいものというより、作る人働く人料理のバランスが大事だよね。モリモリご飯を食べたくなった。

  • 食べ物の話をずっと読んでいられる。
    新潟のゆめやに行ってみたい。

  • 料理を作る上でのヒントや食材などが、たくさん載っていて、とてもお得な本だと思います。
    読んでいると、料理が作りたくなります。

    よしもとさんのファンでなくても、実際に料理することが好きなら堪能できるし、よしもとさんのファンでも、料理しない人、食に興味がない人は、深く入って来ないかもしれない、そんな本だと思います。

  • 正直に告白すると、よしもとばななさんの文章は、大好きだけど、大っ嫌い。小説は『キッチン』と『とかげ』以外は、嫌い(今のところ)。だけど、彼女のエッセイは大好き。『ごはんのことばかり100話とちょっと』は、線を引きながら、何度も繰り返し、繰り返し読んだ。今は日本語の紙の本を手軽に入手できる環境にはないので、彼女のブログを片っ端から読んでる。やっぱり、よしもとばななさんのエッセイが私は大好きだ、と再認識している。
    なんでかなー?とちょっと考えてみたけれど、たぶん彼女のこう、見たものを素直にそのまま“ことば”へ下ろす感じが、「エッセイ」という形式にはしっくりくるんだろう、と思う(私の考えでは)。反対に、練り上げて、精緻に組み立てられた「小説」という建築物の中では、彼女の“ことば”が少々乱暴に見える時もある(別に「エッセイ」が練り上げられていない、という意味ではないけれど)。その点、『キッチン』と『とかげ』は、よしもとさんの素直な言葉遣いと小説の世界観がぴったりマッチしていて、成功している、と僭越ながら勝手に思っている(苦笑)。特に、『キッチン』はスペインにも持って来ていて、毎晩寝る前に、ベッドで寝転がりながら開いているほど、好きだ。いつでも、どこでも、自分の心がどんな状態でも、読める。もう数十回は読んでいるのに、飽きない。
    嫌い嫌い、と思いながらも、中毒になりそうなくらい好き。そこが、よしもと作品のすごいところだと思う。

  • 図書館を歩いていて通り過ぎた棚にあった一冊。’食べ物’ネタが目についちゃうのよね~w

  • 1964年生まれ、よしもとばななさんは、本名吉本真秀子(まほこ)さんで、女性の方なんですね。「ごはんのことばかり100話とちょっと」、2009.12発行です。食に関する読みやすい軽い感じのエッセイです!

  • ■これ文庫版よりこっちのほうがデザイン的に好きだなぁ
    クドカンエッセイが面白かったのもあってちょっと小説じゃない本を読むことが増えた気がする。これは話の長さもバラバラで読みやすくて、ちゃんと美味しいもの食べたいなって思えて好き。読み終わってこそ買いたいくらい笑

  • 図書館で借りたもの。

    有名な有名なよしもとばななさん。
    小説より先にエッセイを読んでしまった。
    おいしいものが好きなんだな~っていうのがよく分かる。この人の作品は、食べ物の描写が素晴らしいに違いない!と思った。
    早く小説を読まねば。
    (まずは「ジュージュー」。タイトルからしてもう素敵!)
    読んでるうちに、ベトナム料理やタイ料理が食べたくなる!!

  • ばななさんのさりげない短編集。
    案外よかった◎
    読めるのかしら?と思ったけど、サクサクサク~とね。

    今は実家の両親も年老いていて体も不自由になり、姉が両親の介護にあたっているので、子供を育てながら家事を全部やり仕事もするkとはとてもできない私は、いろいろな人にちょっとずつ手伝ってもらっている。自分は現場監督で、家はいつでも人がどたばたと出入りして作業している工事現場のような感じだ。未だにそれに慣れることはないし、もちろん創作にとってはあまりいい環境とは言えない。でも、人生全体という観点で考えれば、こういう時期もあっていいと思うし、こんなに意味もなくにぎやかなのは子供が小さい時期だけのことだろうと思うので、いいと思っている。→人生全体で考えて、こういう時期もあっていい。っていうのはいいなぁ。

    子供を持っていちばんおそろしいと思ったのは、そういうことも含めた母親というものの絶対的な権力だ。この権力をいくらでも悪いほうに使おうと思えば使える。思い通りにならなかったらごはんを作らないとか、逆に毎日逃げられないくらいひたすら作る事で食卓にしばりつけるとか、なんでも可能だ。なんてこわいことなんだろう。まあ、権力があることを己が知ってさえいれば、おぼれることもなく、落ち着いていられるのではないかと思う。もしも自信がなかったり、自分のことをおろそかにしていたら、なにかのときに変な力をふるってしまうだろう。→たしかに。親は子供になんでもできるってある意味こわいな。自分自身をうまくコントロールできないと危険ではある。

    家庭のごはんは力を抜いて、だれもそんなにむりをせず、食べたいときに食べたいものを食べるのがいちばんということなのだろう。

    葬儀を終えてひと息ついていたご家族に電話しておいおい泣いてしまった。元彼氏と別れるときもめてしまったので、そのご家族と私の間にももちろん複雑なことがいろいろあった。でも、電話口に出てきたみんなといっしょにおいおい泣いているうちに、わだかまりがなくなってしまった。普通、ただ泣くためだけにその遺族に電話するなんてこと、私はしない。迷惑だろうし、他人にそんなことされてもいやだろう、と思うからだ。でも、そのときはもうなんのためらいもなく、ただ電話して泣いた。他の感情も気遣いも一切なかった。それがたまたま相手にも通じてしまった。あれは、天国の◎さんの計らいだったのだろうとなんとなく想っている。

    ネパールに行ったとき、道ばたで、おばあさんがチャイをであった。道ばたの低い位置で古そうなアルミの鍋でがんがん作られ、そこを牛や馬がほこりをたてて通っている。おばあさんの手は真っ黒。でも、素焼きのかわいい茶碗に入っていたその熱いチャイは、考えられないくらいおいしかった。あの乾いた風、馬糞の匂い、土埃、からりとした薄い高地の空気、真っ青な空、はるか向こうにはきらきらと光る雪山…みたいなところでないと、あの味にならないのだろう。→そういうのわかる。旅行先で食べた物とか。景色とセットだよね。

    うんと若い頃、気持ちが外へ外へと向かうときにはわからなかったおいしさだった。外へ外へ向かっていると、お金を出して買えないものはないというふうに錯覚してしまうことがある。でも、家庭料理というもののものすごさは、それこそがこの世の中を作って回し、育ててきたおいしさだ、そして唯一絶対そこにしかなく、その人が死んだらもう残せない味わいということだと思う。

    人生がきれいごとだったらどんなにいいだろう。みんないつまでもいけないところは改善しあって、かばいあって、守りあって、笑顔で接し合って、生涯孤独を感じないでいられたら、どんなにいいだろう。そう思っている人が宗教に入ってしまうんだろうな、と思う。でも人間はそのようではないし、きれいごとを創るためのエネルギーはけっこうばかにならないので、そんなことはどうでもいいからそっとしておいてくれ、だめなままでいさせてくれ、胸が苦しくてもすれ違ったままでも愛してると思わせてくれ、と私はきっと老後にも思うだろう。

    リタイアしてそこを管理しているアメリカ人のご夫婦は、ハワイに住み始めてからフラを知ったり毎朝お料理を作ったり、庭にパッションフルーツやパパイヤを植えたりしたという。朝の光がいっぱいのリビングで、もう老年にさしかかろうとしている奥さんは一年前に始めたというフラを踊ってくれた。この年になってダンスを始めるなんて思わなかった、全く新しい扉が開いて、こんなすばらしいことがあるなんて思わなかった、と彼女は微笑んだ。これまでに3回も結婚したという彼女。あまりにもいろいろなことがあって、眠ってばかりいた時期があった、だからあなたの小説を読んでびっくりした、私と同じことを経験した人がいたんだ…あの頃は、眠りの中にしか逃げるところがなかった、と彼女は言った。どんな人生だったのかほんとうにはわからないけれど、彼女たちはここに漂着した、そう思った。そしてまだハワイの新しい夢を見ている。その夢が全部朝のテーブルにつめこまれている、そう感じた。

    塗り重ねられた思い出はなかなか透明にはならない。なんとなくねばっとした重い液体として、人生の檻として、沈んでいく。時間がたつと発酵して、切なく足をひっぱる。それでもやっぱり思い出はあったほうがいいと思う。切なければ切ないほど、私たちの足跡には深みが出るのだと思う。

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著者プロフィール

1964年07月24日東京都生まれ。A型。日本大学芸術学部文藝学科卒業。1987年11月小説「キッチン」で第6回海燕新人文学賞受賞。1988年01月『キッチン』で第16回泉鏡花文学賞受賞。1988年08月『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で第39回芸術選奨文部大臣新人賞受賞。1989年03月『TUGUMI』で第2回山本周五郎賞受賞。1993年06月イタリアのスカンノ賞受賞。1995年11月『アムリタ』で第5回紫式部賞受賞。1996年03月イタリアのフェンディッシメ文学賞「Under 35」受賞。1999年11月イタリアのマスケラダルジェント賞文学部門受賞。2000年09月『不倫と南米』で第10回ドゥマゴ文学賞受賞。『キッチン』をはじめ、諸作品は海外30数カ国で翻訳、出版されている。

「2013年 『女子の遺伝子』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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