- Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
- / ISBN・EAN: 9784022513458
感想・レビュー・書評
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苦しくて息がつまりそうでした。子どもを産み育てた経験があれば誰もがそうなるでしょう。
産まれた瞬間のあの世界中から祝福されているような絶対的な幸福感が、自宅に帰った瞬間から日常の中で薄れていく。理由のわからない泣き声にとまどい、二時間ごとに起こされる夜中の授乳にうんざりし、自分では泣き止まないのに祖母に抱かれるとすぐに泣きやむことに敗北感を感じ、保育雑誌との成長の違いに落ち込む。過ぎてしまえばどれもこれも笑い話にできるのに、あのときのあの絶望の深さたるや。その絶望の淵から抜け出せるかどうかは、そばにいる誰かとの関係による。夫や、実母や、義母。その中のだれかとしっかりと手を取り合って助け合っていられるなら、絶望はいつかまた幸福感へと戻っていくのに。ここにいる不幸な2人の母親。なぜ我が子に手を上げるのか、なぜ虐待は無くならないのか。私はそんなこと絶対しない、なんて絶対言えない。
夜中に泣きやまない子どもを抱いたまま、マンションの窓から飛び降りそうになったことくらいあるよね、スーパーでだだをこねる子どもの頭を叩きたくなったことあるよね、言う事をきかない子どもに腹を立てて無視したことあるよね、そう、誰もが彼女たちと紙一重なんですよね。
と書いて来て、ふと思い出しました。この夫たちの許せなさたるや。けど、この夫たちを作ったのはまぎれもない「母親」なんですよね。結局、ぐるぐるとこの連鎖は続いていくということなのでしょうか。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
幼児虐待のニュースが頻繁に新聞をにぎわす現代に、タイムリーな題材で、作家角田光代の凄さを如何なく発揮した傑作。
裁判員になった主人公が、被告人とシンクロしてしまう裁判員裁判が舞台。
ある書評に、「読むのがつらい小説である。つまらないからではない。むしろ面白い。しばしば逃れたいと思うものの結末が気になる。」と、記されているように、読み手を捉えて離さない、凄まじいまでの磁力がある。
それは、主人公と同じような立場の女性ばかりでなく、立場を異にする男性にとっても・・・ -
母親による虐待死事件を巡る裁判員裁判。
被告人の母親と、裁判員(補充)として選ばれた母親の違いなんてほとんどない。
一歩間違えれば、自分が逆の立場になっていたかもしれない。それは子育てを一身に引き受けている母親の大半がそうじゃないだろうか。
母乳神話、成長線に沿った成長、離乳食のペース、排泄の処理、予防接種、乳児湿疹、突発性発疹、夜泣きや卒乳、発達障害の不安…医療従事者でもない、助産師でもない、保健師でもない素人の女性達が、子供を産んだ瞬間に「母親」となる。育児書やネットで調べても理想の子育てしか書いていないし、周囲に相談しても現実的に助けになるわけでもない。他の赤ちゃんとの発達の違いに打ちのめされ、小さな小さな赤ちゃんの命の重圧に押し潰されそうになる。夫や両親達は良かれと思って言うが、心無い一言に苛立ち、突き落とされる。
きっと誰しも少なからず経験していて、その苛立ちが「虐待」まで度を越してしまう事を本当に恐れている。
泣き止まない赤ちゃんの泣き声に、何も考えられなくなるのに「近所から虐待と思われたらどうしよう」なんて恐怖心がいつもある。
読んでいて、凄く共感できて、息苦しくなる話だった。
被告人と環境は違うが、私だっていつだって紙一重だと改めて思わされて、とにかく怖かった。
貧乏より、多忙より、孤独が1番子育てなんてできない。協力よりも本当は理解を求めているんだから。 -
⭐️5つで良いのかどうか…
裁判員制度について考えるきっかけをもらった、と言うことと、事件内容はさておき、登場人物の心理描写が共感できないものの、詳細で揺れ動く感情表現が素晴らしく、恐怖すら感じた、と言うことで5つ。
乳幼児を自宅の風呂場で水の中に落として死亡させてしまう、という虐待事件の判決に関わる。
なんとも重い内容で読み進めるのが辛い。
ただ、被告人と境遇の類似で、主人公の女性が裁判員補佐として関わり、自分と重ねて考えてしまう、女性にありがちなところ、次第に夫や義母にまで猜疑心を抱き、公判なのか、現実なのか区別がつかなくなっていく心理に静かな恐怖を感じる。
読むのが辛いかもしれないが、一読の価値はとても高いと思う! -
正直に言いますと、主人公の心理が丁寧に描かれ、共感するところも多かったのですが、とても読むのがしんどい小説でした
私自身は、人は法で裁かれるべきであり、心情や感情の介入をまねく裁判員制度には反対です
その難しさが描かれているのみならず、「地方特有の考え」やコンプレックスから来る「えらいわね」の評価に、子供に追い抜かれることに嫉妬する親の様
人が気付かない理不尽を悪意の表れと感じて、愛情なのか自身がひねくれているのか判断ができず、六実のように笑って済ませられないために自らが生み出した沼にはまっていく主人公などと、感じさせられる部分は多いです
冷静に考えれば隠す必要がないことに、変な引け目を感じてしまうことなど身につまされる思いがしました
単純で面白い小説ではありませんが、多くの人に一度は読んでもらいたいと感じました -
女性、特に子育てを経験した母である方が読むと、ちょっとしんどいかな(読むとどっと疲れが出たというレビュー多数)と思いました。ワタシも同じく。
乳幼児の虐待死事件の刑事裁判の補欠裁判員に選ばれてしまった梨沙子。彼女も3歳になる娘の子育てに悪戦苦闘する毎日であったので、被告の女性、水穂に自分を重ねつつ、公判は進んでいく。
余談ですが、ワタシはSNSでは、あまり育児系のアカウントが少し苦手です。声高にウチの育児ってこうよ! ウチの子こんな感じ! 凄いでしょ!的な発言を見ると、個人的にどっと疲れてしまうので…(もちろん例外の方もいらっしゃいますし、勝手にワタシが発言読んで疲れると感じるだけなので他意はなく、個人的な好みだと思って下さればいいです)
描かれた育児のエピソードでは、母乳が出る、出ないのあたり、ワタシも似たようなことで四苦八苦したので、なんだか懐かしかったり切なかったり…これも過ぎし日の思い出になってしまったので今は冷静に語れますが、当時はよく泣きべそをかいていたなぁと思い出します。
この小説で描きたかったのは母性ではなく、家族というそれぞれ違った主観をもった個人同士の集まりの中で、何が「普通」なのか、何が「幸せ」なのか、お互いの「人の愛し方」がどう違うのか、なら落とし所はどこなのか、という難しさを抱えているのだ、という事実なのではないかと思います。
それに気づいたときに、ちょっとゾッとしました。
傍目からみたら全く問題のない、「あら、そんなの、よいご主人(お姑さん)じゃないですか」と言ってしまいそうな、夫や義母のおだやかな暴言というフレーズが本当に怖かったです。
でもあるんだろうな、こういうのって。
ワタシは幸か不幸か言葉通りにしか受け取らない鈍感な人間なので、気づいていないだけで、敏感な人だと本当に柔らかな牢獄にいるような感じなのかもしれませんね。
でも、もし自分がそれに気づいてしまったなら…この小説の恐ろしくて悲しいところはそこなのかもしれません。
主人公の梨沙子のこれからは、この小説ではあえて描かれていませんでしたが、どうか彼女が柔らかな牢獄から自由になれていまように、と思わずにはいられません。 -
久々の徹夜本でした。
もうここまでにしよう、と思っても手が止まりませんでした。
3歳になる子供を預け、子供を虐待死させてしまった母親の裁判員に選ばれ裁判へと行く女性。
駄々を捏ねる子供の書き方が物凄くリアルで、
自分の娘と私自身の事を思い出しイライラとした気持ちになりました。
子供って基本イライラするんです。
やって欲しくない事いっぱいするし、小さな体のどこから出すんだってくらい大きな声出すし
言い出したらキリがないくらい。
引っ叩いてやりたい事なんて毎日です。
実際に手を上げてしまった事もあります。
きっと誰もが紙一重なのだと思う。
1日の終わりにリセット出来なかった感情が
次の日に繰り越されて、
その気持ちが溢れた時に何か重大なことを起こしてしまう。
始終胸が詰まる思いで読んでいました。
夫婦間での微妙なズレや子育中の周りからのちょっとしたカチンとくる言葉、
良くここまでうまく書けたなと敬服しました。
【追記】
日々イライラし葛藤しながらも、きっとどうにか子供と笑える道を私は見つけていくと思います。
毎日の疲れが吹っ飛んでしまう様な、嬉しい気持ちになれる事も知っているから。 -
2歳(3歳近かったかな)の子供を育てている専業主婦の里沙子に、裁判員制度の裁判官の仕事が来ます。
その被告人が、8ヶ月の赤ちゃんをお風呂に落としてしまった母親で、裁判が続くと同時に、里沙子がその被告人に同調していってしまいます。
里沙子の気持ちが痛いほど分かり、途中でしんどくなりました。(特に、子供が絡んでくるあたりは、本当にそういう時あるよね。という感じになり)
あーちゃん(主人公の娘)は、自分に何かあっても、ママだけは私の事をまっさきに考えてくれる。という母と子の信頼関係ができているから、あーちゃんはママにたいしてだけワガママになるんだよって、慰めてくれる人はおらんのかーい!(と、思いながら読みました)