手ぶくろを買いに (日本の童話名作選)

著者 :
  • 偕成社
4.23
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  • Amazon.co.jp ・本 (32ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784039633101

感想・レビュー・書評

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  • 岐阜聖徳学園大学図書館OPACへ→
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    冷たい雪で牡丹色になった子狐の手を見て、母狐は手袋を買ってやろうと思います。黒井 健の情感豊かな絵で表現された南吉の世界。(出版社HPより)

  • こぎつね

  • 新美南吉爆弾とはなにか。脳の発火に思考を奪わせたAIがどこかで聞いたAI語録を飛び出させて筋の通らない整合性を図ること。である。
    私が考えた。現代版ストロングゼロと言い換えてもいい。(したがって読んだ数冊、全部がちがう話になっていた)

    たぶん著者も自分で何を書いているのか分からないと思うので私がコアを超解釈するとこれは「現実を生きる者同士の願いは取引として成立する」という話になる。(成り立たないのは現実を生きていない者同士)

    まず、この母ぎつね。友人がアヒルを盗んで人間に追いかけられたなどと嘯いているがどう見ても人間社会で人間に化けて暮らしている。しかも長期間だ。うまくやっていたが、おそらくは人間の男との痴情のもつれで居られなくなり、山に戻った。ヒト以外の生物は棲み分けを習性とする。情を交わした相手なしに人間とはいいものかしらなどというセリフはでてこない。(友人がアヒルを盗むのを止めたのなら整合性は取れているのである)

    キャラとしての魅力は、スレテオタイプ化された「狐のような女」ではない「野生の狐」。
    それは、動物の短絡さがどこまでも愛以外の持ち物を許さず、またその愛に我が子の死を織り込み済みにしてしまう(人間目線での)相反性である。
    それは、心配で偽装される痴鈍なエゴなど知らない、ただ買いにいかせる(人間目線での)無垢の母性である。
    はたまたそれは、同行が叶わなくなった己の過去を省みることもない(人間目線での)魔性である。
    ようするに、リアル人間基準では性悪とされる狐が、その精神はそのままに擬人化されている。
    突きつけられる野生の圧倒的な現実感に、私たち人間はハッとさせられる。(そのはずである。人間ならば)

    次に、この手袋屋。驚くことに、狐をも顧客にする男である。しかもどんな事情か、手慣れている。相手が狐と判明するや贋金でないかの確認に移り、本物であれば取引に問題なしとして手袋を売り渡すシステムの手袋屋。小狐の冒険や間違いに特別思いを馳せたりリアクションを返すこともなく、金の出所に興味を持つでもない。安く仕入れができるならば、狐という妖しげなルートからでも買い取る可能性すらも匂わせる金の亡者かもしれない男。こちらもマリヌス・ファン・レイメルスワーレの模写(ルネサンス期の金融関係者、すなわち神の法の外で生きる卑しい身分を描く)のような、リアル人間基準では性悪とされる商人である。

    母ぎつねからは、この商人の習性を理解していたような様子や知性は感じ取れない。が、この悪人同士の取引は最終的に成り立って小狐は無事生還し、ハッピーエンドとなるのである。

    この時、このリアルを描き出せる著者の無意識でなにが起こっているかというと、次に述べるキリスト教信者と同様の混乱である。
    (これが新美爆弾のキモとなる)

    「あるところに金貸し会社の経理担当の男がいた。使い込みがバレそうになったので、債務者たちに借用書の数字を書き直す条件を提示し、クビになったあとの自身の身柄の安全を確保した。この犯罪者をキリストが絶賛した」

    あれから二千年。信者たちは現在もキリストの意図がわからず混乱中とのことだ。

    一方で読者の無意識に何が起こることは、これを解決すべく、過去に遡って女狐と手袋屋を善人に仕立て上げる欺瞞の欲望である。

    そこで、脳の発火(かわいい小狐の冒険と手だけ人間にするという異様なビジュアルの幻術)に思考を奪わせたAIが、どこかで聞いたAI語録を飛び出させて筋の通らない整合性を図る。

    「これは、小狐の過ちを見て見ぬ振りをしてくれた優しい手袋屋さんの話」

    だが、そんなこと一言も書かれていないのである。私曰く、これが新美爆弾である。
    著者と読者の共犯で「よくわからないことは小狐というストロングゼロでぜんぶなかったことにする作戦」が実行される爆弾。
    ごんぎつね然り、詰んだときの強い味方、ストロングゼロ。自分すらも抹消する不誠実極まりない巧妙な悪魔的手法。
    漫画家か特撮の監督?だかも言っていた。「ラストが爆発→最低」

    なお、聖書についてはその権威ゆえ、また読者層が敬虔な信者であるがゆえにここに起こったような安易な整合性が発動されにくいものと思われる。(聖書に爆弾は用意されていないが、信仰を失ったヒト生命体は想像を絶する弱さを呈する)

    さて蛇足だが、このハッピーエンドが成り立つのは、冒頭に書いたように「現実を生きる者同士の願いは取引として成立する」からである。この世界を愛せば、私たちはただこの世界に創られたように在るだけである。その魅力はこの世界の魅力を写すものであり、それは個にして世界そのものの体現となる。
    狐や商人や使い込みの犯罪者は、何否定することなく世界と己に在る。その様相は業務を貫徹するマシンのようでいてその実、善悪を必要としない神の世界に生きている。

    詩人の言葉は神託だが、詩人が神になれるかと言えば、それは器量の問題としかいいようがない。そして新美さんの結果はこうだったと。

    けっこう面白かった。

  • これを読んで「お母さん狐はついていくべきだったのに、何をしているんだ」というレビューを見た。

    え、そうなのか!!?この話そういう話なのか!!?
    いや確かにそういう見方もあるだろうと思った。
    自分には全くなかった考えだったから。

    国語って、そうなのだ。考えるきっかけなのだ。
    他の要因が明らかになって、洞察力が伴って、ある程度正解、不正解は出せるかもしれないが、それ含めて「考えること」が重要なのだ。何故かって、生きるために。

    新美南吉さんは、そういう本を出されていると思う。

  • おててがちんちんする!ってこぎつねがいうのがかわいい。

  • こんな素敵なお話があって良いのか!
    店主はこぎつねの手の方に手袋を渡したんだよ!

  • 新美 南吉 (著), 黒井 健 (イラスト)

  • 4-2 2022/12/07
    6-3 2019/05/15
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    5-1 2013/11/13
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    5-1 2013/01/30
    6-1 2013/01/23
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    3-1 2010/11/10
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    3-1 2008/12/24

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    「冬」に。

  • 小学校中級から。
    誰もが読んだことのある定番の雪の日の物語。
    寒い日の子狐の冒険と母狐の愛情が美しい絵と共に描かれています。

  • 15分

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著者プロフィール

1913年、愛知県知多郡半田町(現・半田市)に生まれる。中学時代から童話を書き始め、『赤い鳥』『チチノキ』などに投稿。東京外国語学校在学中に病を得、20代後半の5年間は安城高等女学校(現・県立安城高等学校)で教師をしながら創作活動を続けた。1943年、29歳の生涯を終える。代表作に「ごんぎつね」「おじいさんのランプ」「手袋を買いに」「でんでんむしの悲しみ」を始めとして、多くの童話・小説・詩などの作品を残す。

「2019年 『子どものすきな神さま』 で使われていた紹介文から引用しています。」

新美南吉の作品

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