- Amazon.co.jp ・マンガ (364ページ)
- / ISBN・EAN: 9784061859937
感想・レビュー・書評
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再読。
水木しげるさんご自身の実体験が描かれてるだけに兵隊目線の日常が淡々と。
玉砕も悲劇だけど自決も悲劇。
絵が細かくてお上手。
生きて帰って漫画家になって、このような作品を残してるのは素晴らしいと思う。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
戦争で死ぬということが、こんなにも理不尽かということ。
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怒りと哀しみと虚しさと諦観が交互に襲ってくる。妖怪作家による戦争漫画は、自らもいた戦地、南太平洋のニューブリテン島を舞台とし、上官の命令よって最後は玉砕の突撃をしていく兵士たちの、それまでの日常と凄惨な最期を描く。
玉砕、ってなんなんだ。この戦中の精神論はなんなんだ。戦争自体やるもんじゃないという前提だが、それはそれとして、戦争とは味方の兵士を効率よく殺すことだ、という非情な論理がある。玉砕はそれにすらもとる狂気の行為だ。
歴史は繰り返す。だが繰り返さぬよう、先人の描き残した警鐘を噛みしめたい。 -
図書館で。
文庫本だからまた大丈夫だったけど、新書だったら結構キツイ絵も多かった。
絵でこれなんだから現実はもうそれは酷かっただろうと思う。悲劇の中でもね、歌歌ったり、冗談言い合ったり、皮肉言ったりがなんだか響いた。
2018年33刷だった、読みつないでいきたい本。 -
妖怪ものじゃない水木作品。勧められているのを目にする機会も多く、今更ながら初挑戦。実体験者だけに、興味深い作品だった。
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水木しげるの実録的戦争漫画。著者によれば90%は実話だという。ラバウルでの日常がときにコミカルに、ときにシリアスに描かれている。飢えた初年兵が魚を喉に詰まらせて死んでしまったり、古兵に理不尽にビンタをされたり。地獄に居ながらも、主人公はやけに能天気だ。戦争で使い捨てされる兵隊たちの悲哀。著者のあとがきが全てを物語っている。
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水木しげるの成し遂げてきた偉業の数々を見てあらためてすげーと思う。
一兵士が戦争に行くところから始まり戦後の生活も含めて描いた自伝。戦闘の展開とか史実はある程度他の本で知識があっても、戦闘中の兵士の様子をここまで詳しくは見聞きしたことがない。今なら人によっては直接体験者に聞くこともできそうだが、これからまた数十年と経った後のことを考えると誰でも触れられる形として残されている資料の価値は高まる。
細かい戦闘部分に感慨はなかったけど水木しげるという人柄に惚れた。味方の船が攻撃受けてるのを報告せずにおもしろがって観察してる場面は尊敬した。ただし味方にそんなやついたら自分の生死に関わるのでぶん殴る。
でもそういう性格だったからこそ生き残れたといえる。軍隊なんて真面目にやってたらすぐ死ぬだけだ。特に多大な援助をしてくれた現地住民たちとの交流の話には色々考えた。たまたま戦地がそこになって巻き込まれた住民と、たまたま兵士にさせられて戦争に行った人間があの時代に出会うことの巡り合わせとか縁の不思議さを思わずにはいられない。 -
戦争で死ぬこと、殺すこと、どちらもむごい、悲しいことだけど、WW2の日本では、玉砕、特攻、集団自決といった作戦とは呼べないような作戦で、多くの人が命を落とした。あの戦争で本当に怖かったのは敵よりも味方だったのでは。うまく言葉で言い表せないが、とにかくやるせない。
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再読。圧倒的な迫力と彼の絵が醸す独特のアトモスフィアに言葉はありません。名作です。
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2015年11月に亡くなった水木しげる氏が、自身の戦争体験を基に1973年に発表した長編戦記マンガ。1995年文庫化。2009年にフランス・アングレーム国際マンガフェスティバル遺産賞を受賞している。
物語の玉砕は、ニューブリテン島ズンゲン(物語ではバイエン)で成瀬大隊(物語では田所支隊)が行ったものとして、戦史上も有名な事件である。二度目の玉砕は現実にはなかったことなど、一部に創作を加えているが、水木氏によれば「90%は事実」だという。水木氏自身は同大隊に所属していたが、空襲による左手切断とマラリアによって生き延びて帰還した。
太平洋戦争時の日本軍において、軍上層部が下した玉砕や特攻などの合理性のない命令(作戦とすら言えない)は100%批判されるべきものであるが、その命令を受けた兵士がどのような行動をとるべきだったかについては唯一の答はないのではあるまいか。“潔い”か否かという基準で見れば、本作品の1回目の玉砕を生き延びた兵士も、ベストセラーになった『永遠のゼロ』の宮部久蔵も(宮部は最後には特攻を志願して戦死するが)、“潔くない”のかも知れないが、“正しい”か“正しくない”かについては、誰も解答を出すことはできないだろう。
ただ、偶々生き延びて帰還した水木氏が、マンガという受け入れやすい表現形式で、戦争で起った悲劇を多くの人々に知らしめたことの意義は間違いなく大きく、それに関しては我々は幸運だったと言うことはできよう。
(2016年1月了)