墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便 (講談社+α文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (304ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062565158

作品紹介・あらすじ

1985年8月12日、群馬県・御巣鷹山に日航機123便が墜落。なんの覚悟も準備もできないまま、一瞬にして520人の生命が奪われた。本書は、当時、遺体の身元確認の責任者として、最前線で捜査にあたった著者が、全遺体の身元が確認されるまでの127日間を、渾身の力で書きつくした、悲しみ、怒り、そして汗と涙にあふれた記録である。

感想・レビュー・書評

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  • 看護大学の課題図書として配布されました。
    実際に自分がこの現場に派遣されるようなことがあったら、ここまでできるのだろうかと。

  • 当時の科学・医学技術で、ボロボロの遺体の個人特定がいかに大変だったか、の苦労話

  • 前から興味があったが、もう間もなく8月12日になるので、読んでみた。もう事故発生から38年になる。

    1985年に起きた、日航機墜落事故で遺体の身元確認作業に従事した、当時群馬県警の責任者だった著者が、全遺体の身元が確認されるまでのことを書いている。

    日航機墜落事故の発生当時はよくわからなかったが、悲惨な大事故だった。520名が一瞬で亡くなるとは想像がつかない。乗客名簿をネット上で見たが、スクロールしてもしても終わらないその長さに、520名の命が失われる事の衝撃を実感した。
    遺体の損傷が激しく完全遺体がほとんどない中で、部分遺体の身元をどのように確認していったかがよくわかった。過去に例のない数の遺体の確認で、時間が経てば腐敗が進むので、真夏に不眠不休で作業にあたった関係者には本当に頭が下がる。遺体や遺品が見つからなかった遺族も「ここまでやってくれたなら」と納得するのもわかる。
    それにしても、遺体となっても尊厳を持ち、遺族の元に返したいとこんなに一生懸命になるのは、日本人の国民性なのだろうか。
    最後は涙なしには読めない。520名の犠牲者だけでなく、その数倍の遺族がいて、彼らも運命を変えられてしまい、深く心に傷を負った事故だった。

  • この本を手にしたきっかけは二つある。
    ひとつめは「夏になろうとしている」から。
    ふたつめは、映画『クライマーズ ハイ』を観たから。

     映画を観たから、というのは一般的かもしれない。この映画で、主人公と思われる男性記者を演じているのは堤真一だ。この映画を見ると、この地方の新聞社の面々が「日航機の墜落事故」の「事故調(事故調査委員会)」を取材しようとして、その取材合戦の渦中に身を投じた記者たちが悪戦苦闘したことを、語り手(一男性記者)の目線に寄り添う形で、体感することができる。

     「夏になると思い出す」私にとってはこの事故はまさに、これなのだ。あの、1985年8月12日の昼すぎ、私は母と弟がいた長野県のある避暑地から、部活のために一足早く帰京することになった。そのとき藤岡から東京まで、関越自動車道を高速バスで帰ってきた。当時は藤岡までしか高速道路がなくて、そのあとは碓氷のバイパスを通り、国道を行く、それが東京から長野方面に向かうルートだった。12日はお盆ということもあり、道は猛烈な渋滞で、10時間以上バスに乗っていた。つまり、東京に着いたのは山手線が終電になるころだった。生まれて初めて山手線の終電に乗ったのはこの時。帰宅したら、まだテレビががんがんついていて、ひっきりなしに「日航機墜落事故」のニュースをやっていた。私が深夜にテレビを見たのも初めてだった。事故が起きた当日だったので、「藤岡郊外」に「墜ちた」ということばかり言っていたように思う。「え、私がバスで通ってきたところじゃん」と思って、言葉にならないほど、衝撃だった。
     もう40年近く前なのに、あの日、母がお弁当代わりにホットケーキをたくさん焼いてくれて、あと、果物を持たせてくれたのを今でも忘れられない。自分が母に見送られて、一人で東京に無事に戻ってきた日に、たくさんの家族連れ、一人旅行の小学生、たくさんの乗客が恐怖の時間を過ごした末、死んでしまったのだ…。
     とにかく楽しい夏休みの最中に起こった大事故だった。

     筆者は、警察の「遺体確認捜査」の陣頭指揮をとる立場にあった。この本では、筆者の目に映った「阿鼻叫喚のさま」が警察官らしい、ある意味、冷静沈着な目線(視線)で、事実として、述べられている。
     
    さまざまなことが書かれているが、今回、私が目を瞠ったのは、医療従事者の方々のことについて書かれているところだ。特に、日赤の看護婦さん(現在なら看護師さん)の動きを書いたところを読んだときにはなんとも言えない気持ちになった。例えば、「部分遺体」を遺族に逢わせるのに、「ひとがた」を作って(腐食の進む)指の部分だけをそのご遺体となった方の婚約者に見せる話。一塊になっていた皮膚を伸ばしていったらわかったこと。ご遺体を包帯でぐるぐる巻く前にマネキンのようなものを急ごしらえでつくる話。三角巾でご遺体を整える話。
     私が言うのもどうかと思うけれども、若い、医療を志す人たちにもぜひ読んでほしい、こんなことがあったんだ、と知ってほしいと思った。

     これからはこんな悲惨なことはあってはならない。
     と書いたものの、この事故のあとも、阪神淡路大震災や東日本大震災をはじめ、自然災害による大量の死者に直接、接して、検案する仕事は医療従事者はもとより、警察の、自衛隊の大事な仕事の一つなのだ。組織として意識を集中し、ひとりひとり、使命感がなければ決してできない仕事だ。
     
     そんなわけで、このような本を読み、一読者として感じることしかできないけれど、こういう感慨をできるだけ言葉にすることを、これからも大事にしたいと強く思う。

  • 評価は本への感想ではなく、内容と事実への感想です。
    恐ろしさ、悲しさ、辛さ、儚さ、愛おしさ、全ての感情が書かれた壮絶な事実。事故後何十年も経っているから読める本だと感じた。

  • 当時、原因を語る人は山ほど居たが、結末は他のニュースに埋もれていった。
    これは一つの結末までの記録。

  • 3度目の読了。

    1度目は上野村の慰霊碑に行く前に。2度目はその慰霊碑に行った後に。そして今回、日航の安全啓発センターを訪れた後に。

    愛する者を一瞬で奪われた人の悲惨さ、何とか遺族のもとへご遺体を届けたいという関係者の執念。

    何度読んでも涙で本がしわくちゃになってしまう。

  • 本の内容は題名の通りです。
    私のような人間が本書の内容に対して
    評価すべきではないと感じたので
    評価は控えさせていただきます。
    しかし題名から想像する以上の
    内容があります。
    ある意味、想像を絶する本です。
    また医学や歯学、また警察を志す方は
    このような現場に立ち会う可能性がある以上、
    必読であるとも感じました。

  • 作者は本当に優しい人だったんだろうなあ、という印象
    生き残った4名に関してはまったくの言及なし

    あのすさまじい現場の最前線にいらして、まったく臭いの伝わってこない文章
    もちろん検死のプロが「こんなでかいうじはじめてだよ」と言い仕出しの弁当のご飯もうじを食べているようで食べられなかった、みたいな表現はあるけれど
    それでも臭いは伝わってこない、心に刺さるのはご遺体の結婚指輪を紛失してしまったことに対して詫びるとか、頭だけの2歳くらいの女の子の遺体に毎日声をかけるというエピソード

    本当に本当に優しい人だったんだろうな
    坂本九に対する言及もただ一行しかなかった

  • 生きることの大切さというと非凡で稚拙な表現だが、生の尊さや人間の愛おしさといったものを感じた1冊。
    自分が生まれるよりも10年以上も前の事故であり、毎夏のドキュメンタリー番組で見たことがあるくらいの認識だった。しかしテレビだけでは決して知ることのできなかった予想だに出来ない程の凄惨な事故の裏側を知ることができて良かったと思う。
    勿論、現場の狂うほどの蒸し暑さ、様々な感情の渦巻き、生々しいリアルな表現など目を背けたくなる描写もたくさんあったが、それ以上に人間の素晴らしさが随所に散りばめられていた。飯塚さんをはじめとする警察・医療従事者・地域のボランティアの方々。誰ひとり弱音を吐くことなく、被害者に対して人間らしさを尊重しようとする姿がとても印象的だった。恥部を隠したり、身なりを整えたり、時には被害者の気持ちに寄り添って涙したり、、テレビでも是非、無関係な人々のために何日間も尽力して下さった人々にフォーカスを当ててほしい。
    そして、そんなテレビ番組でも何度も見てきた、サラリーマン男性が愛する家族へ遺書を走り書きする場面。自分の命があと数分間で終わると認識しながら、愛する人に向けてあのように冷静で筋道の通った文章を描く。私だったら遺書を書くことを思いついたとしても、支離滅裂で自己中心的な幼稚園児のような文章になってしまうと思う。
    テレビ番組や本で取り上げられなくても、520人それぞれに、明日からも続いていくと信じて疑いもしなかった幸せな当たり前の日々が確かにあったのだと、忘れられないし、忘れてはいけないと思う。

    最後になりましたが亡くなられた方々のご冥福を心より申し上げます。

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著者プロフィール

飯塚訓
1937(昭和12)年、群馬県に生まれる。日本大学法学部卒業。1960年、群馬県警察官として採用され、以後、警察本部課長、警察署長、警察学校長等を歴任。
1985(昭和60)年、高崎署刑事官在職時に、日航機墜落事故が発生、身元確認班長になる。1996年、退官。
著書に、『新装版 墜落遺体 御巣鷹山の日航機123便』(講談社+α文庫)、『墜落の村 御巣鷹山日航機墜落事故をめぐる人びと』(河出書房新社)、『完全自供 殺人魔大久保清vs.捜査官』(講談社)、『墜落捜査 秘境捜索 警察官とその妻たちの事件史』(さくら舎)、『刑事病』(文藝春秋)などがある。
現在は、講演活動などを通じて、日航機事故の語り部として、命の尊さを伝えている。

「2015年 『新装版 墜落現場 遺された人たち 御巣鷹山、日航機123便の真実』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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