グレート・ギャツビー (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (262ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784102063019

感想・レビュー・書評

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  • ブックトークテーマ 「憧れ」「成功」

    物語の語り手として、証券会社に勤務している男の目線から
    謎の多い男の姿を明かしていきます。

    憧れの女性と出逢った若き日に
    自分の立っている場所とその女の立っている場所の距離感を感じ
    その女を想うことを忘れずに
    その女が自分が主催のダンスパーティーに来てくれる日を夢見て
    来る日も来る日も財を成してきたのでしょう。

    夕闇の中、対岸の光を眺め
    「やっと、ここまで来たぞ」という思いを胸にしまいこんで
    庭にたたずむギャッツビーの姿がとてもよい場面です。

    この場面、そして健気に事件後にデイジーの家の外で見守るギャッツビーの場面
    そして、葬式の後の語り手の目線からギャッツビーの人間関係を見せる場面
    どれも小説としてよい場面が多いものでした。

    ボクは映画とあわせてみることをオススメします。
    映画のほうはロバートレッドフォードがかっこいいですよ。
    イタリア製のシャツをクローゼットから無邪気にこれでもかと出しまくる場面が最高に素敵です。

  • なかなか読むのに苦労いたしました。

    解説まで読みましてやっと少しの理解を。

    アメリカ事情も知らないわけで。

    誰一人、好きになれないかなぁ。

    ディズィの、ために。すべてをささげた男。

    それを良くも悪くも思うニック。

    一緒だったのか。

  •  「人を批判したくなったとき〜」
     「人として礼にかなった態度に対する感覚というものは〜」
    この2つの言葉を読むだけでも、買ったかいがあった気がする作品です。

  • 最近村上春樹さんが翻訳してバカ売れしましたが
    私は野崎さん訳のほうが好きです、読み慣れているせいかもしれませんが
    この人の作品について語るのはとても難しいのです
    どう表現していいかわからない、でも何度も読み返してしまいます
    人生の光と影について描かれている、その描き方がなんとも美しい

  • 皆がそれぞれ違った思惑を持って生きているんだから、
    世の中に上手くいくことといかないことがあるのは当たり前だなぁと思った。
    ふわふわしてかっこ悪くてどうしようもないけど、それでも生きるしかないから生きる。
    若いー。


    p190 こうしてぼくたちは、涼しくなりかけた暮色の中を、死に向かって疾走していったのだ。

    p253 こうしてぼくたちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れに逆らう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。


    春樹訳もよんでみようかしら。

  • 未読

  • 短編が最高に面白いフィッツジェラルドの代表的長編小説であり、アメリカ文学の代表的な作品でもあります。何でも「20世紀最高の小説」ランキングで2位に選ばれたとか?
    これも大学のゼミでやっと読むことができた作品です。個人的には村上春樹の「ノルウェイの森」の中での扱いが印象深いです。

    純愛小説であり、その人の心のはかなさも描かれています。でももちろんメロドラマな感じでもなく、「ロスト・ジェネレーション」の雰囲気たっぷりです。

    ミント・ジュレップ飲みたくなりますね。個人的にはバーボンはメーカーズかターキーが好きなんですが、小説の中身と合わせてフォアローゼスがいいですね☆

  • 野崎孝 訳/2007.7.30 第70刷

  • 暗いっ! 「ノルウェーの森」の中に出てきたからというだけの理由で大学1年の時、この作品を和訳し、研究するという授業をとりました(レポートを英語で書かされた)。とにかく暗かった。だって、この作品のテーマ色って「灰色」なんだもん。もう、読んでるとcloud、dark、grayばっかり。いっつも空は曇ってるし、いっつも心も曇ってる。

    いいんだけど。ギャッツビーのくらーい感じが、フィッツジェラルドのくらーい人生とリンクしまくり。でも、読んでおいて損はないと思います。村上春樹訳でもいいけど、なんか春樹語って感じだから他の人で読んだ方がいいんじゃないかな。

  • 18歳くらいの頃に読んでいたら、もうちょっと何か感じたかもしれないが。誰にも共感できない…。

  • 村上春樹つながり。

  • ギャツビーがなんかかわいかった。後でもう一度読む。

  • 大好きな小説のひとつ。後半ギャツビイとデイジーが再会してからの息を呑むような展開といったら。ジェットコースターみたいな夢も、富も、愛も、そういうものをわたしはきっと愛してやまない。
    「あんな奴ら、まとめてかかったって君ほどの価値はないね!」ニックがそう言ってくれて本当によかった、そう思ってる。

  • ちょっとくどいような気もするけれど、こちらの訳のほうが好き。

  • 2008年 10月に読んだ。

  • たしなみとしてはいいかなと思います。
    私にはよくわかりませんでした(苦笑)

  • 偉大な本だけど、特にナレーターである主人公と物語の距離感が完璧だと思う。


  • 初フィッツジェラルド。
    ニューヨーク付近のロングアイランドで、経歴不詳の男ギャツビーを中心に、ニック・キャラウェイの視点で描かれる。

    細かいことはもうちょいフィッツジェラルドについて知らないと語れないなぁ。

    「…僕たちはたぶん、僕たちを東部の生活になんとなく適合できなくさせる、何か共通の欠陥を持っていたのだろうと思う。……僕には、東部の世界が何か歪な要素を持っているような気がいつもしていた。」
    「こうして僕たちは、絶えず過去へ過去へと運び去られながらも、流れに逆らう舟のように、力のかぎり漕ぎ進んでゆく。」


    ギャッツビーはまるで時間を支配しているみたいに、本当の姿を隠して、いろいろな自己の虚像を作り出す。
    彼の中にはnow hereしかない。彼にとってthen thereは捏造できるものだ。時間を改変し、今を作り出そうとする。
    しかし、過去を捨て去ることはできないのよねぇ。
    過去は今が存在する以上厳然として存在する(かのように思える)。そして過去は現在を捕らえようとする。

    彼らはみんな、アメリカから脱出できなかったから、過去から逃れられなかたんだろうな。
    アメリカ人はアメリカから出られない、と誰かが言っていたけど、彼らはアメリカって世界の外に出られずに、その世界の時間性の中に囚われていた。
    「今、ここ」の世界に生きようとしたけれど、過去からは逃れられなかった。アメリカの根を抜け出せなかった。
    「今、ここ」だけしかない世界なんて、アメリカのどこにもありゃしないんだ。




    9.11のテロの頃、星条旗が半旗で掲げられた写真を表紙に載せた、何かの雑誌を見た。
    その写真には、こんなキャプションが付いていたことをよく覚えてる―

    now here, no where

    なぜだかわからないけれど、その表紙のことが、今でも忘れられない。

  • 081001(m 090215)

  • ずっとつんどくだった本。
    斜め読みなので、最後まで読んで、やっとうっすら理解できたぐらい。

    うーん斜め読みなので感想でてこない。
    アメリカ人が読んだら胸がきゅんとなるのかしら。
    筆致は好きです。


    09.9読了

  • 2008/08/17 読了。

  • 「華麗なるギャッツビー」の邦題のほうが、なじんでいるのですが。
    1920年代という狂騒の時代と、もの狂おしさとか、ひたむきさだとか、若さだとか。上手くはいえないけれど、切ない。〈2008/08/05)

  • シンセミアの合間に息抜き?にはなってないけど読んでみた。
    思ってたのとは少し違った。でも、きちんと話に落ちがついてくれたことにまず安心。執着愛を見せるギャツビーは正直好きでなく、なら誰か他の登場人物は好きだったのかと問われればそうでもない。
    なんだかな。最後にデイズィが出てこないことが結構不満。そして結局語り手であるニックは何の役どころを与えられていたのか。語り手以上の何者でもないのか。
    何行も続くような細かい細かい描写は、話の筋を追うのに問題が無い限り読み飛ばしてしまう癖を直したいなと思った。

  • (再)授業で使い、気になり先に読破
    友人達に不思議がられるも後半泣きました

    「人を批判したいような気持ちが起きた場合にはだな」
    「この世の中の人がみんなおまえと同じようにめぐまれているわけではないということを、ちょっと思い出してみるのだ」

  • この本は村上春樹に大きな影響を与えた作家で、村上春樹の小説にも出てくるし、彼が翻訳したバージョンも売られていますが漏れはこの新潮文庫のを読んだ。というのもブックオフで安かったからであるw。ギャッツビーは身分的には付き合えるわけもない高尚なある女性に好意を抱いてしまい、虚構の自分を作り出し彼女に没頭していき最終的には自殺してしまう。その真相は読んでください。虚構の自分を作り出したというのは自分にも経験があるのでとても身にしみて共感した。悪くない本だった。

  • 久しぶりに初恋の人と会ったときのギャツビーのキョドりっぷりになんか共感してしまった。

  • 高3の時の感想文から引用。

    -------

    このギャツビーの悲劇は「アメリカンドリームの終焉の物語」として読めるだろう。この小説の舞台である1920年代のアメリカはある意味、近代史上の繁栄の一つの頂点であった。それ故に、そのきらびやかさの裏で起こる悲劇にはいっそう悲壮感が感じられる。

    アメリカ文学の翻訳家でもある川本三郎はある小説の解説で、無垢は米文学の重要なテーマだという意味のことを言っていたが、このことは『グレートギャツビー』についても言える事ではないだろうか。この作品には子供が出てこないので、一見無垢とは何ら関係も無い。でも僕は、語り手であるニックが「無垢」というテーマを背負っているのではないかとふと思った。ニックは年齢的にも精神的にももう大人であるから、普通の意味で彼が無垢だとは言えない。でも中西部の人間である彼は、東部の文化や風俗に対しては無垢だったと言えるのではないだろうか。東部の文化風俗の例としては、例えば、ビュキャナン夫妻の不仲は東部の上流階級にありがちな(もしかしたらありがちではないのかもしれないが)精神的荒廃の一例だろう。そしてニックは確かにこういった殺伐とした雰囲気に敏感に反応しているように読める。

    つまり、フィッツジェラルドは(意識的にしろ無意識的にしろ)無垢というテーマを年齢的なものではなく、東部と西部というアメリカが抱える隔たりに置き換えて取り入れたのではないのかという事だ。こういった置き換えは東部を「成熟(熟爛)した地域」、西部を「(ある意味で)未熟な地域」と捉えることで可能だろう。

    こう考えてゆくと、この考えは結局はこの物語を「アメリカンドリームの終焉の物語として捉えるという考えにつながるし、アメリカンドリームという神話が実にいろんな物語を含んでいる事を示唆している。

  • アメリカ文学の代表作のひとつ。今更僕が語るまでもない有名な小説ですが、人間の夢や想いに対する儚さ、虚しさの表現の傑出っぷり、そこから来るだろう切ない読後感、僕は好きです。

    ギャツビーの「美しい破滅」的生きかた、物事に対する病的な執念を含んだ感覚や身のこなし、話しかた…等、まさに村上春樹文学の原点を見る思いです。

  • ノルウェイの主人公が一番好きだという本。ただ僕は何回チャレンジしても30Pぐらいまでしか進められなかった。何か、全くもって読めん。

  • 未読。

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著者プロフィール

1896年ミネソタ生まれ。ヘミングウェイとともに「失われた世代」の作家として知られる。大学在学中から小説を書きはじめ、『グレート・ギャツビー』を刊行して一躍時代の寵児となる。激しい恋愛の末、美貌の女性ゼルダと結婚、贅をつくした生活を送る。しかし、夜ごとの饗宴を支えるため乱作をはじめ、次第に人気を失い、ハリウッドの台本書きへと転落の道を辿る。1940年、再起をかけて執筆していた『ラスト・タイクーン』が未完のまま、心臓発作で逝去。

「2022年 『グレート・ギャツビー』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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