終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)

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制作 : Julian Barnes  土屋 政雄 
  • 新潮社 (2012年12月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (188ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105900991

終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)の感想・レビュー・書評

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  • R40いや、R50の作品だと思う。若いときに読んだら、こんなに心に響かなかっただろう。まずまず穏やかで平均的な人生を歩んでいると思っていた初老の男に、1通の遺言書が届く。かつての恋人に老いらくの恋か?などとと少なからずワクワクしたら、驚きの事実が待っていた。。。一見友人に話しかけるような、気負いのない親しみやすい語り口なのだが、一文一文がじわじわ心に沁みてくる。そして、問いかけてくる。自分で勝手に人生を都合よく書き換えてないか?と。読了後も「終わりの感覚」の余韻が頭の中巡っている。忘れられない作品だ。

  • 高校時代の歴史の時間、老教授の「歴史とは何だろう」という問いに、主人公トニー・ウェブスターは「歴史とは勝者の嘘の塊です」と答えている。斜に構えて見せたつもりだろうが、紋切り型の使いまわしにすぎず、主人公の凡庸な人となりを現している。老教授は「敗者の自己欺瞞の塊であることも忘れんようにな」と生徒を諭す。同じ問いに主人公の親友エイドリアンは「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」と、先人の言葉を引用して答える。この問答が、この小説の主題である。

    今は引退し、平穏な生活を送っていた主人公のところに、かつての恋人の母親から遺産として500ポンドとエイドリアンの日記が遺されたという手紙が届く。エイドリアンは高校時代の憧れの人物であったが、別れた恋人ベロニカが自分の次に選んだ相手でもあった。何故エイドリアンの日記がベロニカの母の遺品となっているのか?また、その日記がなぜ送られてこないのか?主人公は疎遠になっていたベロニカの消息を尋ね、やがて衝撃の真実を知る。

    60年代に青春時代を過ごし、一流とまではいかないが、二流の上くらいの人生を生きてきて、今はボランティアなどしながら余裕のリタイア生活を送っている。良くも悪くもない平均的な人物の代表のようで、同世代の読者からすればまるで自分のことを描いているように思わせられる。

    たとえば、彼女のチェックを受けるレコード棚の話。彼女が毛嫌いするチャイコフスキーの『序曲一八一二年』と『男と女』のサントラ盤は隠してある。問題は大量のポップスだ。ビートルズ、ストーンズは許されるが、ホリーズ、アニマルズ、ムーディーブルース、それにドノヴァンの二枚組みアルバムは「こんなの好きなの?」と言われてしまう。このあたりでニンマリするご同輩も多いのではないだろうか。

    齢を重ねれば、誰にだって一つや二つ心に突き刺さった棘のようなものがあるにちがいない。ただ、それは時の経過とともに記憶の劣化作用を受け、尖った角はまるく削られ、その上を幾重にも皮膜が被い、かつてあれほど感じた痛みを感じなくなってしまっている。

    この小説は、それを一気にひっぺがす。小説は読者を問い詰める。いかに矮小であったにせよ一人の男の人生もまた歴史である。おまえのそれは「敗者の自己欺瞞の塊」ではなかったか、「不完全な記憶が不備な文書と出会ったために生まれた確信」に過ぎぬのではないか、と。臆病で、面と向かって真実に向き合う勇気がなく、日々を無事に送ることだけを念じ、面倒なことに背を向けて生きてきた結果としてある平和な老後。それが如何に欺瞞に満ちた偽りの平穏であるかを暴き立てずにはおかない、これは残酷な小説である。

    周到に準備され、張りめぐらされた伏線、後の事態を暗示する象徴的な事件、結末に用意された衝撃のどんでん返し、と上質なミステリを読むようなサスペンスフルな展開。『フロベールの鸚鵡』などで知られる、どちらかといえば既成の小説の枠を越える小説を書いてきたバーンズだが、それまでの実験的な作風を封印し、人生に真正面から切り結んだ実に小説らしい小説である。2011年度ブッカー賞受賞作。

    蛇足ながら、ドノヴァンの二枚組LPのタイトルが『花から庭への贈り物』と訳されている。“a gift from a flower to a garden”だから、訳としては正しいのだが、発売当時の邦題は『ドノヴァンの贈り物/夢の花園より』だった。当時のファンとしては、邦題でないと、あの民族衣装風の装いをしたドノヴァンの姿が浮かんでこないのだが、今の読者にはどうでもいいことなのかもしれない。

  • 先日ラジオの書評を聞いて、矢も盾もたまらず買ったジュリアン・バーンズ「終わりの感覚」。
    直ぐ読みたいのに、読んではいけないような気がして、数日躊躇していたけど、結局は3日をかけて読んだ。

    未読の人の興を損なわぬ範囲でどんな物語か紹介すれば、60歳代となった男性の、自分でも無意識に封印していた40年前の旧悪が遠回しに他人の手によって暴かれるというものだ。

    どんな小説も基本的なテーマは人生の意味を問うものだろうが、切り口は様々。
    ここでは、「記憶」や「時間」がそのツールだ。

    その中から興味深いセリフを抜書きしよう。

    ●歴史の先生の質問に主人公トニーが答える。
    「歴史とは勝者の嘘の塊です。」と私は答えた。少し急ぎすぎた。
    「ふむ、そんなことを言うのではないかと恐れていたよ。敗者の自己欺瞞の塊でもあることを忘れんようにな。」

    ●秀才エイドリアンの同じ質問に対する答え。
    「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である。」

    ●晩年のトニーの述懐
    「記憶は、飛行機事故を記録するブラックボックスのようなものだ。墜落がなければテープは自動消去される。何かがあって初めて詳細な記録が残り、何事もなければ、人生の旅路の記録はずっと曖昧なものになる。」

    -----------------
    自分の経験や問題意識とも重なっているので、これはていねいに読んだ。一晩で一気呵成に読んでしまうこともできるボリューム(180P)だけど、あえて、一呼吸置きながら、ジグソーパズルのピースを慎重に嵌めこみ自分なりに物語を再現していった。

    2部構成で、
    前半は、主人公トニーの20歳代の思い出が語られる。
    後半は、40年後(の今)。トニーに思いがけない人から一通の遺書が届けられることで、彼の平安は破られてしまう。
    最初は謎だらけだが、前半に敷いてあった伏線が、後半に至って新しい意味を持って回収されてゆく。
    少しずつ糸がほぐれるように、過去が明らかになってゆく。

    明快な語り口。巧みな構成。人間性への鋭い考察。そして予断を許さぬ展開。

    すべてを読み終えた時、僕のジグソーパズルは一幅の絵として完成する…はずだった。

    しかし、最後のピースが嵌らない。想定外の展開に、最後のピースの収まるべきところが分からない。
    ということは、終盤にかけて、僕はいくつかのピースを既に間違って嵌め込んでいたのかもしれない。
    読みこめば読み込むほどミスリードされる陥穽が仕掛けてあったのか。
    いや、そこまで、意地悪く計算して書かれているとは到底思えないので、僕の「ていねい」さが不足していたのだろう。
    人間観察力や想像力が不足していたのだろう。
    しかし、腑に落ちない。納得できない。

    人間関係図(というほど複雑ではなく名前を覚えるため)は書いてある。
    これに時間軸を加えた2次元図解でも作らないと完全征服はできないようだ。

    仕方がない。もう一度最初のページからやり直すとするか。
    ----------------------
    実に巧みに構成されて、書かれている。
    どの行も、どの言葉も、うっかり読み飛ばしたのでは重要なメッセージを読み落としてしまうだろうし、何よりも周到に貼られた伏線を見逃しては大切な物語の核心を衝撃を以って味わうことができない。

    人生の意味について、これまでの来し方についての、具体的な言葉で書かれた含蓄のある箴言は、それ自体いちいち心に突き刺ささって、もう、僕のような凡庸な人間をこれ以上責めないでくれ、と叫びたくなるほどに力を以って迫ってくるのだけど、この本の面白さは、やはり、そこにとどまらない。
    教養小説とか哲学的小説とか言ってもいいかもしれないけど、それを超えて、「物語」としての巧さを味わうためにも、どの行も、どの言葉も読み落としたり見逃したりしてはいけない。

    久々に「物語」を読む面白さにやや興奮してしまった。

    だから、ていねいに読んだつもりだった。
    自分の怪しくなっている記憶力を確かめながら読んだつもりだったが、いよいよ大団円というところで、想定外のドラマが突き付けられ、心の準備はあったが脳内整理ができないでいたところに、さらにラスト数ページで仰天のドラマが続いて、僕のジグソウパズルは完成寸前でバラバラになってしまった。

    それで、もう一度、読み返した。
    全部ではないけど、重要な部分は付箋を貼り、人間関係図に推定年齢を付け加えて、いちいち確かめながら、彼女が何歳の頃彼は何歳だったのか、そんなどうでもいいようなことまで、確認しながら、再読した。

    それでも、どうしても全体像が完成しないのだ。
    どこに嵌めて良いのやら分からないピースが幾つか手許に残ってしまう。

    ネット情報を渉猟した。
    この本に関する書評・感想をできるだけ拾って読んでみた。
    しかし、どこにも僕の知りたいことは書いてない。

    物語のミステリー性から、何かを書けばネタばらしになってしまうという理由もある。
    書いて未読の興を削ぐのはマナー違反だ。
    しかし、誰も書いていないのはそのせいだけだろうか?
    このドラマの全体像をしっくりと心の中に再現できた人はどれほどいるのだろうか?
    そこが疑問だ。

    でも、その点は、本筋からみて、少なくとも作者が書きたかったことに比べると枝葉のことだという、とても俯瞰的な括り方ができるかもしれない。
    当面、そうしておこう。
    僕自身が、三読でもして、スッキリ腑に落ちたら、感想-2として書こうと思う。
    その頃には、既に興味を持って読みたい人は読んでしまっているだろうから、ネタばらしの罪も小さいだろうから。

    ----------------
    些細な事も、納得したい、という性格だから一部に引っかかりが残っているのだけど、大所高所から俯瞰的な括り方をすれば、この物語は、「序」にも書いたように「記憶」と「時間」を切り口にした人生の激辛批評として、すこぶる刺激的だ。

    人は、歩んできた人生の記憶をどのように形作っているのだろう。

    トマス・ハリスが「レッド・ドラゴン」で引用しているアルフォンス・ベルティヨンという人の「人は観るものしか見えないし、観えるのは既に心の中にあるものばかりである。」という言葉は「観る」ということに関してまことに言い得ている。
    そして、それを詰め込んだ集合体としての「時間」は「記憶」の中に整理されて閉じ込められる。
    その「記憶」はその所有者にとっては「歴史」である。

    エイドリアンが看破したように「歴史とは、不完全な記憶が文書の不備と出会うところに生まれる確信である」。
    不完全と不備が掛け合わされて無意識に自分の都合の良いように捏造される。
    それだけなら良い。
    その記憶を大切にしながら不安のない人生をまっとうできればそれに越したことはない。

    しかし、ある時、自己記録から完全に漏れていた記憶と文書が他者から提出され、そこに他人の人生を狂わせるようなことを自分がしていたという事実を突き付けられては、一体、どのように身を処すればよいのだろう。
    すべては時間の経過とともに過ぎ去り、戻すことも修復することはできない。

    この物語の語り手は、作者自身に比べて、知性も才能も人間としての真摯さも劣る者として設定されているが、そうはいっても二流の上を生き抜いてきた人物だ。勝ち組といっても良かろう。
    おそらく、この本を手に取る読者の多くは、容易に主人公に自分を重ね得るのではないだろうか。
    どちらかと言えば、誠実に生きているつもりだし、人を積極的に傷つけるようなことはなかった。
    しかし、真実に向き合う勇気には欠け、それを自覚し、できるだけ波風を立てない生き方を心がけてきた結果として今ある平和な日々を送っているかもしれない(主人公は自嘲的に自己防衛能力と呼んでいる。)。

    この物語は、しかし、その生き方に隠れて、ひょっとしてその中に罪深さを隠蔽しているのではないか、と、暴き、責め立てるのだ。

    「終わりの感覚」とはそのような状況に置かれた者が人生の終盤まで差し掛かって味わう煉獄かもしれない。

  • とても「イタい」小説。主人公自身が。
    そして、自分の身につまされる、という意味でも。

    年老いたトニーが過去を振り返り語り始める物語が、現在の彼に思わぬ形でつながっていく――。

    一人称の語りを読み進めるうちに、記憶というものの持つあやうさが徐々に浮き彫りになっていきます。
    人間の持つ「業」のようなもの、人生が問いかけてくるものについて考えさせられてしまいます。

    読んだ後の気持ちがなんともいえない。・・・苦い、苦過ぎる。
    でもきちんと受け止めるべき何か、のある小説です。

  • 大好きなジュリアン・バーンズ・・・といっても例によって過去作をあまり覚えていない。しかし本作でブッカ―賞受賞したが、これが彼のベストではないとは思う。ひねった仕掛けのある、ユーモラスで、怜悧なエッジの効いた小説を書く作家というイメージがあるが、本作は「けっこう普通」に話が進む。もっともそこはバーンズ、ラストに二段落ちを用意し、ミステリー的な仕掛けを見せるのだが。
    テーマは記憶。初老の男が若い時の恋愛や友情に裏切られる物語。誰も痛すぎる思い出を抱えて生きていけない、都合よく歪めたのち片隅に追いやっている。ごく平凡な男のそんな不都合な記憶の恐るべき顛末を、薄暗がりからずるずると引き出して見せるのは、バーンズの切れ味だ。

  • 久しぶりに、小説らしい小説を読んだ、とかなり満足した。

    まず翻訳が素晴らしい。あまりに自然な日本語なので原文ではどうなっているのか確認したりしたが、これがプロなんだと恐れ入った。
    というわけで、現代英米文学は原則的にはオリジナルで読むのだが、これは翻訳で読んだ。わたしの英語力だとこれを原文で読んだら伏線を見落としていた気がするので、翻訳を主体にして正解だった (ただ原文でもまた読み直したいが)。

    内容は、最終的にほんとは誰が誰とどうなったのかははっきり分からない状態で (語り手は「信頼できない語り手」だし)、そういう意味では謎がとけた、パズルのピースがはまった、という達成感もなく?、ミステリではないのでは (ジャンルとして) と思った。

    わたしは、実は誰が誰とどうなったか、というのは実はどうでもよくて (どういう解釈でもよくて)、人間は自分の都合のいいように過去を記憶し、都合のいいように書き換え、それが結果として大事な人びとを傷つけ、そのことに気づかない、ということに老いてから気づき、その取り返しのつかなさに愕然とする、ということなのかと思った。

    小説らしい小説でした。
    こういう体験?のために小説は読むのだと思う。

  • 2011年ブッカー賞受賞作。

    思えばこの40年人との連絡方法やつながり方が随分変化した。

    ジュリアンバーンズは、連絡方法の進化が精神に与える影響について 内省的な主人公の思いを通して 見事に描いてみせた。

    男はいつの時代も独善的で、またそれ程女性のこころの支えになれない。

    なぜあのとき 彼女はという 疑問が

    読み進むにつれて  私(主人公)はあのときなぜあんなことを
    と言う悔恨に変わっていく。

    精神小説ですが、なかなか読ませます。

  • 埋まらなかったピースが最後に埋まった後、浮かび上がった全体像は衝撃的でした。

  • 読了後、薄ら寒いものを感じた。知らず知らずのうち何気ない一言で人を傷つけてしまうこともあるし、ましてやその逆で傷つくこともある。
    年を重ねるごとに昔友人知人に話したことは適切だったのかとふと思った。
    それにしても、若干哲学書を読んでいるような気分に陥ったが、ストーリーの構成はよかった。

  • 記憶と悔恨の物語。次の一節が胸にしみた。

    「人は若くて感受性の強いときにかぎり、やたらと傷つくことをする。一方、血液の流れが弱まりはじめ、感覚が鈍り、まとう鎧が強化され、痛みに堪える方法が身についてから、やっと用心深く歩きはじめる」

    若い頃は、自分や周囲の人を、つまり世界を、軽々しく扱って畏れることがなかった。愚かであることは若者の特権かもしれない。年をとって自分の愚かさをごまかすのがうまくなっただけという気もするが。

    クレストブックスは全くどの本も美しい。全部買って並べておきたくなる。

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終わりの感覚 (新潮クレスト・ブックス)の作品紹介

穏やかな引退生活を送る男のもとに、見知らぬ弁護士から手紙が届く。日記と500ポンドをあなたに遺した女性がいると。記憶をたどるうち、その人が学生時代の恋人ベロニカの母親だったことを思い出す。託されたのは、高校時代の親友でケンブリッジ在学中に自殺したエイドリアンの日記。別れたあとベロニカは、彼の恋人となっていた。だがなぜ、その日記が母親のところに?-ウィットあふれる優美な文章。衝撃的エンディング。記憶と時間をめぐるサスペンスフルな中篇小説。2011年度ブッカー賞受賞作。

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