反知性主義 (新潮選書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106037641

感想・レビュー・書評

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  • 大変興味深い内容だった。
    アメリカのニュースを見ていて理解できなかったことがいくつかわかった。

  • いまを知るためには歴史を知る必要があるし、歴史を知るためにはその中で大きな役割を果たしてきた宗教について知ることが欠かせない。アメリカがなぜ「アメリカ」なのか、本書を読んでようやく理解することができた。
    サンデー以降、現代につながる流れや、他国での思想についても学びたい。

  • 反知性とは、その訳のとおりアンチ知性なのだということが分かった。最近使われているような知性がないということではなく、それはノン知性になってしまうわけで。権力への反抗であったり、知性と権力が結び付くことへの嫌悪感というものなのだということがわかった。
    アメリカ社会に通底する平等主義、独立主義、それは一見夜郎自大にも思えてしまうような自己主張の強さ、正しいと信じてやまない姿勢のうらにこの反知性主義があるのだなということが分かった。
    キリスト教がなんというかアメリカでアメリカ教のようになっているのがおもしろく、アメリカでいうところの「政教分離」は、政治が宗教の影響を受けないようにという発想ではなく、どの宗教を信じても政治に邪魔されないようにという発想のもとに制定されたというのが興味深い。日本の感覚とは異なるところ。

  • アメリカの反知性主義について分かりやすく書かれた1冊。キリスト教の流入から端を欲し、平等な社会であるアメリカだからこそ、知性と権力に反したリバイバルが反知性主義につながる過程が分かりやすく書かれている。

  • タイトルは「反知性主義」だが中身はアメリカにおけるキリスト教(主にカトリックの歴史や変容)の話で面白かった。「反知性主義」はもともとはエリートと権威や権力の結びつきに対するカウンターだったのがやがてトランプ政権を産むような影の部分を生んでしまったというようなことかな。
    平等と民主主義の闇の部分。
    最近「多様性」が分断を加速させているのではないかと考えてるからそれにも繋がるかも。多様性と不干渉は表裏一体で不干渉から分断や自己責任論まではほんのあと一歩。多様性自体は良いことだと思うけど、そうがゆえにどうすればいいのか?「ダイバーシティ」「SDGs」みたいな何となく分かったよう気にさせる単語は自らの中に入れる前にきちんと考えてから中に入れること。そして中に入れても(仮)みたいな状態に留めておいて定期的にチェックすること、くらいしか思いつかない。

    自分もある面では反知性主義に陥っていないかもしれませんがトピックや場所、話す相手などが変われば反知性主義がもたげてくることもあるかもしれないことが恐ろしい。

  • 進化論否定、トランプを信用など、アメリカで起きていることが理解し難いが、この本を読むとそこに至る経緯がわかる。かと言って、進化論否定を肯定する物ではない。

    アメリカには、ヨーロッパ階級社会から逃れてきたスタートがある。特定の知識階級が正しさを決めることへの反発。
    それに対して、その正しさの拠り所が聖書であるなら、聖書を読むことは自分でもできるわ、となっていく。この過程の説明はとても面白い。なるほどな、と納得する。

    一方で、この場合、聖書の存在が大きすぎる。聖書にさえしたがっていれば道徳的に社会的に問題がない。というのは無理な話で、多くの書物にあたって多角的に物を見ることか望ましいと思うけれど、それはなされない。その結果、進化論が否定されてしまう。
    著者は,アメリカ国民が否定してるの進化論ではなく、家族の教育分野まで政府が口出しすることだと,言っているがそれは違うと思う。
    勉強はしない、出世もしていない。でも私は全くもって問題がないという自尊心の拠り所が無くなっているのではないか。そこに聖書が入り込んでいる。
    毎週教会に行けば牧師が教えてくれる聖書は、唯一我慢できる勉強なのだとしたら、それだけは理解できるから、それで教養は充分であり、自分には自分なりの考えや,意見があると言えるとなっているのでは?その結果、進化論が否定されている気がする。

    平等を求める心理はわかる。でも、平等でなくなっているから、その社会で生き抜くのに、命綱がいる。それが聖書という人が多い国なんだろうか。

    書かれていることは理解できるし、面白い。反知性主義とはなんだったかも理解できた。
    でも、それで今の状況が説明し切れるとは思えない。反知性主義が生まれた経緯とその本来の意味から、現実は乖離してるのではないか。
    また、宗教=学問に絡んだ権威が強いアメリカで、反知性主義が生まれるのはわかるが、そもそも親が食べなくても子供に学問という価値観の日本では、反知性主義なんて出てこないと思う。また日本の方が序列好きな印象もある。平等が大事なアメリカとは違うと感じた。

  • またこれもトランプ支持を理解したくて読んだ本。反科学
    や陰謀論など理解し難い主張を反知性主義で説明できるのか、あんな人物を大統領にしてしまう人々のことをこの言葉で理解できるのか、と思い手に取った。
    まず序章で反知性主義の定義からなんとなくの理解を覆される。大衆化しおよそ知性と考えられるものに何にでも反対する姿勢のことを日本では反知性主義と呼ぶが、アメリカでは異なる意味合いを持つ、として、アメリカという独特な環境でどのように反知性主義が育ってきたのかの説明がはじまる。

    最終章を先取りしてまうと、『反知性主義とは知性と権力の固定的な結びつきに対する反感である』というのがエピローグでのまとめだ。既存の知識体系を古いものとし、常に批判を加えながら新しい考えを呼び込む。平等を尊び反ヨーロッパを旗印にして国を興したアメリカならではの思想である。
    このように書くと止揚的で理想の社会発展のように聞こえるが、筆者は必ずしもこの思想を手放しで礼賛するわけではない。曰く、こうした考えはキリスト教のリバイバリズム(復興運動)によって強化されて来、リバイバリズムはその支持を拡大するために平易に既存権威(カトリック)を批判し、そうした大衆的な語り口が熱狂を起こし、反知性主義を強化してきたとする。
    このアメリカ特有のキリスト教の広がりは、そもそもアメリカ建国という偉業に立ち向かう人々が求めた結果、世俗の成功を善とする単純な二元論に変質して起きたものであり(宗教の「土着化」)、その語りは過剰に大衆化されてきた。

    反知性主義がアメリカ特有の歴史に根ざしてきた容易には変え難いものであり、これこそがアメリカの強さであり危うさの源泉なのだなと思った。権力への批判的な視線やオープンな議論といったプラスの影響は大いにあり、アメリカで働いていると一度立ち止まって本当に必要なのか議論するのを推奨しようと言われるが、文化的土壌にはまさにこうした新国家建国に向け旧体制に追従しない議論の姿勢があるのだなと感じる。一方で、それが行き過ぎると反科学であったりトランプのように既存権威をただばかにしているような言い方に支持が集まるのだと思う。(トランプ支持には新自由主義とリベラル政治により尊厳を奪われた国民の支持があったわけだがそれは別の話として)最近のキャンセルカルチャーやゼロトラランスもこうした過剰な既存体制への批判、実践を重んじる思想が表れているのかなと思う。日本人的にはなんでそんな極端にやっちゃうのかと呆れてしまう面もあるが、その背景としての思想を知れたように思った。ヨーロッパ等他のキリスト教国とも違う社会なのだろう。


    他の点で行くと自然崇拝が平等意識と反権力意識を育んだという点も触れており、人文的な観点からは自然信仰がこの国にもあり社会の基盤に影響しているというのはとても興味深かった。また、やはり宗教を理解できないと社会の成り立ちがわからないなと改めて痛感。

    語り口が予想外に軽妙、、というか軽薄?笑なところがあり、読み物としても楽しかった。リバイバリズムの興隆でで反知性主義が生まれるところでは、『反知性主義の原点とは、...このぴちぴちとしたコーラスダンサーが振りまく魅力であり、その若い娘たちに見とれている亭主の心持ちなのである』(p83)と言い切っており、タイトルの最重要ワードを死後で説明するそのカジュアルさに笑ってしまった。


    次はアメリカの強さの源泉を探って本を探したい。

  • キリスト教を軸にしたアメリカ史。カトリックの学校で得たキリスト教と、果たして同じ宗教だろうか、と思うくらい、本書で説明されているアメリカの新教は違っていた。プロテスタントを同じ宗教だと思ってはいけないなあ。

  • 2017/06/20読了
    反知性主義について色々と読んだ頃の一冊。
    これが判りやすかった。

  • ●反知性主義という言葉には、特定の名付け親がある。それは「アメリカの反知性主義」を著したリチャード・ホフスタッターである。1963年に出版されたこの本はマッカーシズムの嵐が吹き荒れたアメリカの知的伝統を表と裏の両面から辿ったもので、直ちに大好評を博して翌年のピューリッツァー賞受賞した。日本語訳が出たのは40年後の2003年である。
    ●ハーバード、イエール、プリンストンといった大学はいずれもピューリタン牧師を養成することを第一の目的として設立された大学である。
    ●ピューリタン社会は極めて高い知的統制。日曜日には長い礼拝。いつまでも服したままであるはずもなく、反知性主義が芽生えてくる。
    ●万人の平等を説いたジェファーソンからして、自分自身は広大なプランテーションを所有しており、多くの黒人奴隷を使用し、そのうち1人の女性と関係を持って子供を産ませていたことを知られている。言っていることとやってる事は正反対。
    ●ピューリタンは、イギリス本国の宗教的迫害を逃れて、アメリカ大陸と渡ってきた。ところが新大陸では自分たちが主流となり、世界を建設する側に立つことになる。すると彼らはまるで、学生時代は全共闘で鳴らしていたのに、就職して出世するといつの間にか体制側に変わっているオヤジのようになったのである。批判はたやすく、建設は困難だ。 
    ●アメリカにはヨーロッパ(旧世界)のように「知的特権階級」が存在しない。ヨーロッパは貴族の伝統があり、財産や知性においても代々受け継がれる特権階級が存在する。アメリカは限りなく平等に近く、初等教育を誰もが受けられるが、高等教育にはほとんどの人の手が届かない。反知性主義の原点にあるのは、その徹底した平等主義である。
    ●反知性主義とは、知性のあるなしと言うよりその働き方を問うものである。

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著者プロフィール

1956年、神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)学務副学長、同教授(哲学・宗教学)。専攻は神学・宗教学。著書に『アメリカ的理念の身体‐‐寛容と良心・政教分離・信教の自由をめぐる歴史的実験の軌跡』(創文社)、『反知性主義‐‐アメリカが生んだ「熱病」の正体』(新潮選書)、『異端の時代‐‐正統のかたちを求めて』(岩波新書)など。

「2019年 『キリスト教でたどるアメリカ史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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