星を掬う (単行本)

著者 :
  • 中央公論新社
4.11
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本棚登録 : 11863
感想 : 901
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120054730

感想・レビュー・書評

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  • 今の自分の状況を、過去のできごとや他人のせいにしていては、いつまでたっても変われない!本書より、過去を受容しながら前に進む勇気をもらいました。

    ”自分が幸せでないと、他人も幸せにできない” と言われることがあります。この本に登場する母も、家族よりも自分らしさを選び、自分の気持ちを尊重し家を去りました。しかし、子どもの気持ちを考えると、理解し難い気持ちにもなりました。

    若年性認知症、介護、DV、若年妊娠、SNSなどの社会問題が山積。

    クジラのクッキーは52種類もあって、、、どこかで聞いたような(笑)。
    2021,10/28-30

  • はじめは内容も重く辛く感じてしまったけれどドンドン引き込まれて読むことができたのはさすが町田さんの作品だなぁと思いました。星を掬うのタイトルの意味がわかった時にすごく素敵だなぁと思いました。例えが素敵過ぎる。最後は号泣でしたが、読了後は、すがすがしく感じられました。

  • ずいぶん肩に力の入った作品だなぁ!と思ったのが読後の感想。
    小1のひと夏の母娘の思い付きの旅は濃くて楽しくてサイコーだったのに、その直後に母に捨てられたとしか想い出の無い千鶴は、ず〜っと自分を卑下し嫌悪し 母を憎み続けた苦しみから抜け出せないでいる。
    挙げ句には良かれと一緒になった男は酷いDV男で逃げても逃げても毟りにやって来るのだ。
    自分のふとした気まぐれで、そんな母とひょんな事から同居する羽目になって 母を慕う人々との関わりに戸惑う日々が緊張感を保って展開して行くのだが、今は若年性認知症を患う母との暮らしは果たして母娘の距離にどんな影響をもたらすのだろうか⁉️
    この作品に感情移入出来る読者も多いようですが私には今までの町田作品と少し距離感を感じてしまいました♪
    ともあれ、ちゃんとクジラや福岡の宿もちょこっと出番がありましたね!

  • 「52ヘルツのクジラたち」に次ぐ傑作!!!
    とても読み応えがあり感動しました。
    家族の在り方などをあらためて考えさせられた
    作品だと私は感じました。

  •  また素敵な本と出会うことができた。

     『星を掬う』。どういう意味なんだろうと読み進めてみたが、なるほど。そういう意味だったんだ。

     母親に捨てられた千鶴は、元夫に暴力を振るわれ、金を毟り取られるボロボロの生活をしていた。
     ある日、賞金目的で応募したラジオの企画。『あなたの思い出、売ってみませんか?』で見事準優勝になった千鶴の思い出は母との楽しかった旅行の思い出だった。
     そのラジオをたまたま聴いていた女性から、『もしかしたらママのことかもしれない』、是非会いたいと言われ、会うことに。

     その女性、恵真は千鶴がDVに遭っていることを察し、一緒に暮らそうと、さざめきハイツに連れて行った。

     さざめきハイツには認知症を患っている母親の聖子。そして誰もが羨む美貌を持ちながらも、過去のトラウマから男性が苦手な恵真。娘に捨てられた彩子との共同生活が待っていた。

     母親を許していない千鶴だったが、母親が認知症を患っていることで、ますます埋められない溝に苦しんでいく。

     果たして、千鶴は母親を許すことができるのだろうか。

     この物語は、千鶴と聖子を軸として進むのだが、傷を抱えた女性たちがそれぞれどう向き合っていくのかも読み応え十分。

     これだけ素晴らしい物語を読ませてもらった読者としては、少しでも多くの星を掬っていって欲しいと願うばかりだ。

  • 母娘ってどうしてこんなにもぎくしゃくするのだろうか。私は両親、妹と4人家族で育ち、結婚し2人の息子に恵まれた。自身が母親に抱いてきた感情に比べ、息子との間柄は実にあっけらかんとしている。18歳で進学を機に私も夫も実家を巣立ち、そのままずっと離れて暮らしている。だから息子たちも同様に、家に居るのは18までと思っていたはずだ。
    主人公は母親・聖子に捨てられた娘の千鶴だろうが、どちらかと云われると、聖子に興味がいった。
    『家族とは、母とは何だろう。わたしの思う家族というのは何があっても切れることのないものだ。それは「血」というものであり、「家」という空間と「生活」という時間を共有するもの。つらい時には支えあい、幸せは分かち合う。思い出を重ね、存在を許しあう。でも母は違う。家族という繋がりの前に「自分」がいる。「自分の人生」がある』
    千鶴が小学1年生のときに家を出ていった聖子。家を出る前に聖子は千鶴と2か月間旅行(逃避行)するのだが、このことは聖子にとって新しい自分に生まれ変わるために必要なものであり、気まぐれで千鶴を連れていったわけではなかった。再びめぐり逢った後に、そのことを知った千鶴は、自分がこれまでつらい、哀しい、寂しい思いをすべて母のせいにしてきたことに気づく。母のせいにして思考を止めてきたわたしが、わたしの不幸の原因だったんだ」と思い至る。
    その後、聖子が若年性認知症を発症していると知り、千鶴は母の面倒を自ら看ると言い出す。聖子がはっきりと拒絶する場面が描かれている。「自分の手でやることを美徳だと思うな。寄り添いあうのを当然だと思うな。ひとにはそれぞれ人生がある。母だろうが親だろうが、子供だろうが、侵しちゃいけないけないところがある」「家族や親って言葉を鎖にしちゃだめよ」「鎖でがんじがらめになって、泥沼でみんなで抱き合いながら沈むのが家族だっていうの? 尊厳も何もかもはぎ取って、子供たちに死ぬまでぶら下がるのが親だっていうの? 私はそんなの認めたくない」と、施設に入る道を選ぶ。見事だこと!
    聖子さんはけた外れで自分の人生を生きてきた人だ。
    ここまで言い切れるとは・・・。甘ったれるんじゃないと自分に喝を入れたくなった。
    『締め殺しの樹』で主人公だったミサエは、昨年亡くなった母と同時代に生きた人だった。母もミサエと同じく保健師で似た要素を持っていた。ミサエが縛られてしまったのは彼女の人柄だったのだろうか、血縁だったのだろうか、それとも時代だったのだろうか? 
    聖子が「人ってのは水なのよ。触れ合う人で色も形も変わるの。黄にも、緑にも。熱いお湯にも氷にも。真白いかき氷に熱いいちごシロップなんてあわないでしょう。離れるなり、タイミングを変えるなり、姿を変えるなりよ」も印象に残った。

  • 52ヘルツのクジラは中々重かったなぁと思いつつ、あとからじわじわ印象に残っている作品で読み終わった後に自分の中で評価が上がっている感じた。
    町田そのこさんの作品をまた読みたいなぁと思っていたところで本屋大賞ノミネート作品のこの本を読んだ。

    帯の『辛かった、哀しかった 寂しかった。痛みを理由にするのは楽だった。でもー。』を見て、色々ありそうだなと思い読み始めたが、重い内容だった。母もひとりの人間で、もちろん過去もあって。
    出会う人によって人は変わるのだなと思うし、わたしもわたしの道を進む大人でありたいと思う。

    自分が母になった時にまた読みたい。




    ★家族だからって、固執しちゃだめよ。一緒に家族を運営できないと思った時点で別れて正解。あんたは間違ってないんだから、引きずるのやめなさいよ。

    ★そして、わたしの悩みに耳を傾けて、わたしを認めてくれる存在が、欲しかった。明日への不安ではなく、明日への希望を語ってくれるひとが、欲しかった。

    ★「自分の人生を、誰かに責任取らせようとしちゃだめだよ」

    ★誰かを理解できると考えるのは傲慢で、寄り添う事はときに乱暴となる。大事なのは、相手と自分の両方を守ること。相手を傷つける歩み寄りは迷惑でしかないし、自分を傷つけないと近づけない相手からは、離れること。

    ★「ひとってのは、水なのよ」
    ★「触れあうひとで、いろもかたちも変わるの。」

    ★「辛かった哀しかった寂しかった、痛みを理由にするのって、楽だよね。」

    ★「自分の手でやることを美徳だと思うな。寄り添い合うのは当然だと思うな。ひとにはそれぞれ人生がある。母だろうが親だろうが、子どもだろうが、侵しちゃいけないところがあるんだ」

    ★「家族や親って言葉を鎖にしちゃだめだよ」

    ★「あたしの人生は、あたしのものだ。誰かの悪意を引きずって人生疎かにしちゃ、だめだよね」

    ★嫌だと思ったこともあった。憎んだこともあった。でも、あなたはいつだって、愛すべきわたしのお母さんだった。

  • この作品を読めて心から良かったと感じました
    私は養子です
    母親が18歳の時に私を産み「育てられない」という理由で手放した
    と聞かされました

    よく「手放された子供側」の話はありますが
    「手放した親側」の話は今回初めて読みました

    「親が子供を手放した」時って実際親はどう思うのか
    私には理解できず……
    主人公である「千鶴」と同じ気持ちで
    親を責めるというか憎んでしまう
    「どうして?」「なんで?」
    と一方的に考えてしまっている自分がいました

    けど、「星を掬う」を読んで少し心が軽くなりました
    千鶴のように母親には再会したことはありませんが
    どこかで聖子さんのように私のことを想ってくれたらいいな
    と純粋な気持ちになりました

    いつか私も母親に会ってみたい
    元気に暮らしているのかな

  • タイトル『星を掬う(すくう)』はある意味で認知症も表しています。
    偶然一昨日『認知症の私から見える世界』を読み始めて
    中断してこちらに移ったところでした。
    (待っている人がたくさんいるほうを優先)
    その本を読んでいて、私はもしかしたら認知症を誤解していたのではないか、と思い始めていました。
    ですから認知症については、その本が終わってから改めて書くことになると思います。
    (でもまだ、先に読む本が2冊待ってる…)

    この『星を掬う』では、家庭に問題を抱えた女たちが5人で暮らし、時にぶつかったりするのです。
    自分なら面倒でできないなあと思う。

    〈誰かを理解できると考えるのは傲慢で、寄り添うことはときに乱暴となる。大事なのは、相手と自分の両方を守ること。相手を傷つける歩み寄りは迷惑でしかないし、自分を傷つけないと近づけない相手からは、離れること。〉

    そのなかから学ぶことは確かにあります。
    5人目にこの家にはいってきた美保は、本当に困った奴でした。
    でも本当に悪いのではなく、自分でどうしていいかわからなくて、そういう言動をしてしまうのだと。

    自分自身のその年頃を思い出し、ああ、そういうことだったんだなあと。
    そして、もし自分がそういう子と関わる立場になったら
    おとななんだから温かく接してあげたいなと
    『北風と太陽』の太陽のように。

    そう思って年下の子たちに接しているのですが
    いまのところ自分より酷い子に関わることはなく
    「いい子だなあ」と感じることばかりです。

    なんで私はあんなに酷かったのか。
    母のせい?
    なんて思っちゃいけません。
    この本を読むとわかります。

  • 題名の意味が分かった時にこのお話が大切にしていることが伝わって本当に感動しました。

    あまり元気がない時には読めないかもしれません。衝撃的なシーンがあまりにも多いので。
    辛い事が起こると誰かの、何かのせいにしてやり過ごせれば一時は楽になるけれど、それで終わり。前に進めず、ずっと留まって結局は苦しむ。
    加害者もとことん悪者にならなくては。謝って許されて楽になるのは本人だけ。された側の苦しみは癒されない。

    読んでみて思ったのは、句読点の使い方が秀逸だなと。
    登場人物の戸惑いや苦しみなどの感情がとても伝わってきました。

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著者プロフィール

町田そのこ
一九八〇年生まれ。福岡県在住。
「カメルーンの青い魚」で、第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。二〇一七年に同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。他の著作に「コンビニ兄弟―テンダネス門司港こがね村店―」シリーズ(新潮社)、『うつくしが丘の不幸の家』(東京創元社)などがある。本作で二〇二一年本屋大賞を受賞。
近著に『星を掬う』(中央公論新社)、『宙ごはん』 (小学館)、『あなたはここにいなくとも』(新潮社)。

「2023年 『52ヘルツのクジラたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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