星を掬う (単行本)

著者 :
  • 中央公論新社
4.11
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本棚登録 : 11862
感想 : 901
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  • Amazon.co.jp ・本 (328ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120054730

感想・レビュー・書評

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  • 酷い人生を送ってきた人ばかりで、心がかなり抉られます。疲れますが、差し引いても素晴らしい感動作。

  • 母と娘の物語。親の離婚、死別、夫のDV、親の認知症介護とテーマは重い。痛々しく苦しかったが、幸せになってほしいと願いながら読み進めた。育った環境が人生に与える影響は大きく「不幸を人のせいにするな」と一概には言えないが、「自分の人生は自分のものだ」と思えた瞬間、人は強くなれるのだと思った。

  • 「私の人生は、最後まで私が支配するの。誰にも縛らせたりしない」

    自分をだんだん失っていく母の言葉。
    これがこの本を貫いている。

    辛いことだらけの自分の人生を人のせいにして生き続けることは、人生を他人に明け渡すこと。

    難しいけど、自分で乗り越えたり、乗り越えきれなかったりしながら生きようと思った。

    登場する女性みんなに過去がある。
    それを表に出すか出さないかの違いはあれど、みんな抱えるものがある。
    気の毒なのは自分だけではないんだ、人生の舵取りは自分でしなくちゃいけないんだ!と勇気をもらえた。

    表紙の絵はお母さん?千鶴さん?
    読む前はこんなに深く突き刺さる本だとは思っていなくて、でも引き込まれてしまい、私を構成する主成分をグリグリされた感じ。

  • 前作、「52ヘルツのクジラたち」の時もそうだったが、タイトルや表紙から、勝手にハートフルファンタジーを想像して読み始めると、手痛いしっぺ返しをくらう。
    読みごたえはあるし、ちゃんと救いもあるのだけど、そこにいたるまでの展開がなかなかツラい。そして登場人物にあまり共感、好感がもてない…最後を想像しつつ、自分を励ましながら読むのは少し大変だった。
    ただ52ヘルツ…もそうだったが、ラストも手放しのハッピーエンドではない。まだまだ越えなくてはならないものはたくさんあって、決して前途は甘いだけではない、でも人生とはそういうものだ、ということも考えさせられる。
    そこは多分好みがわかれるところだろう。私は星二つで。

  • 子育てについて、考えさせられたなぁ。
    町田そのこさんの本を読むのは3冊目で、人生につまづいた人達が身を寄せ合って生きていく…というテーマの本としては、以前読んだ「くじらたち」よりも、私には刺さった。
    そういえば、この本でも「くじら」がモチーフのインスタ映えスイーツが登場していた。町田さんはくじらが好きなんだろうか。

    主人公は、パン工場でパートをしながら、元夫からの暴力と搾取に耐える日々を送る千鶴。
    小学一年生の夏休み、母と2人で逃避行のような旅行をして、それきり、母は千鶴の前から姿を消した。
    母に捨てられたという劣等感、自分は価値がないという自己否定感が千鶴を苛んでいて、最低の状況から抜け出すことができずにいる。
    ラジオに千鶴の母との思い出が取り上げられたことをきっかけに、千鶴の母を知っている!というエマに出会い、千鶴の母聖子、エマ(両親が早くに亡くなり、見た目が綺麗ゆえに苦労をしてきた男性恐怖症)、介護施設で働く彩子(義実家に娘をとられた、娘に捨てられたという過去をもつ女性)が共同で暮らす家で同居することになる千鶴。

    母聖子は50代で若年性認知症を患っていて、その症状がどんどん悪化していく姿が読んでて悲しかったし、私もいつか年をとってこうなるのかな…と、つらくなった。
    年をとると、ただでさえ「昨日できていたことができなくなる」ことの繰り返しだという。自分が自分ではなくなるような感覚だろう。
    若くしてそうなるだけでもつらいのにさ…。排泄がいうことをきかなくなるって、人間としての尊厳の問題。介護経験のない私には、衝撃的だった。
    しかし、私にとってさらに衝撃だったのは、母聖子が千鶴をつれていかなかった過去のことを理解したときだった。
    仲良し、理解し合えてる親子と周囲から思われていても、子は親にあわせたり、親の言うことだから正しい、従おうという気持ちになることが多い。私も子供時代はそうだった。親の言う嘘も全部信じていた。
    そして大人になって親の教育や人格に反する自分の考え・価値観を持つようになったとき、自分の考え・価値観を、今度は我が子に押し付けてしまっている・・・と気付いた時の衝撃。親から与えられた価値観や生き方ではなく、自分で考えてたどり着いた価値観、生き方なら、自分にとってとても素晴らしいものに違いない。でも、それが子供にとって素晴らしい、合うものかどうかは別だ。押し付けてしまう、巻き込んでしまうのは、結局のところ、聖子自身が抜け出したかった「おかあちゃん」のやっていたことと同じだと気づいたときの絶望たるや。
    私自身、親が結構押し付け系の人で、幼い時から「必ず大学を出て国家資格を取得して手に職をつけなければならない」と言われていた。私はそれにすべて従って、今でも親の望んだ職業についている。ただ、私は自分が勉強や学歴を押し付けられて嫌だったことを我が子にはしないぞ!という決意を持っています。
    それで我が子には「勉強できなくてもいい、大学行かなくていい」と本気で思って、そう言っています。でも、我が子は勉強をしたがるし、将来は医者になりたいとか言う。医者になるにはすごく勉強しなきゃいけないんだよ?と言っても、そうしたいらしい。大卒も国家資格も欲しいらしい。
    小学校入学前までは、将来仮面ライダーになる!中学校卒業したら仮面ライダーになれるかな?と言ってて、私はわりと本気で応援してたんだけど、小学校で勉強が始まってからは勉強が楽しくなってしまったみたいだ。
    こんなふうに、私自身、「子育てを通じて、子どもと自分の違いを目の当たりにすること」が多い。特に、小学校入学というのは、親と子が物理的にも精神的にも離れていくときなんだと実感した。
    この本では、親子三代にわたり、まさに小学校入学のころから親と子の価値観に齟齬が生じ始めて、それを無理に同じにしようとするか、このままでは子が幸せになれないと思って離れるか(離れるのも極端ではあるが…)、二つの選択の場面があった。
    子どもが自分と違ってきたとき、どうするか。これは多くの親(特に母親)が経験することなのかもしれない。
    私と同じにしなさい!それがベストなのよ!と、押し付けることができる人は、きっと一切悩まないんだろう。悩むからこそ、自分と違う子を尊重するべきなのか、それとも軌道修正するべきなのか、色々な選択肢を考えてしまうし苦しい。
    そういう意味では、私は聖子に共感したし、聖子はもっと(千鶴の子ども時代に)親として頑張れたんじゃないかなって思ったけど、自分の人生と千鶴の幸せを両立させる方法として、それを選択してしまったんだろうな。

    町田さんの本て、極端な人、記号のような人(たとえば「→」が「右」という意味しか有しないように、ある登場人物は特定のことしかしない、特定の個性しかない)が登場するんだよね。
    多くの小説には記号のように一義的な人って出てこないから、けっこう戸惑う。
    たとえば、この本では千鶴の元夫は記号のような暴力男。
    千鶴の元同僚は記号のような男尊女卑くそやろう。
    彩子の娘みほにも、彼女なりの葛藤やそれに至る経緯があったように、あの男たちにもそういうのがあるのだろうか。
    暴力も男尊女卑も私は嫌いなので、知りたくないけど、他の人達に対する丁寧な描写に比べて男二人が記号すぎて気になった。

  • 昔勤めてた会社で60歳くらいのおじさんに以下のフレーズを言われました。

    ”成人してからの不幸まで親のせいにしちゃだめだと思うよ”(抜粋)

    私はこのおじさんに人生相談は一切したことないのですが、何かの節にそう言われて。
    毎日悶々と煮え切らない生活を送っていたのを見透かしてたんだろうなぁ、と思います。
    言われた時は、よくわからなかったんですよね。
    このおじさんに私の何がわかるんだ!?
    と、本の主人公(千鶴)のような気持になった記憶があります。

    確かに自分が上手くいかないのは全部親のせいにしてました。
    あの時あれをさせてくれなかったから、とかグダグダ言って、最後はあの地に生まれたのが悪かった、と。
    どこまでさかのぼるんだ?って感じなのですが、とにかく親のせいにしていました。そんな調子なので、自分のことを全く好きになれず、自分が何をしたいのかもわからず、人生に焦りを感じていたのは間違いありません。
    書いてて主人公と全く同じであることに気づいた。笑

    数年たって、このフレーズに再び出会うとは思いませんでした。(私にとって意味のある言葉なんだろうなぁ)
    2度目の出会いは、前回とはちょっと違う感覚なんですよね。

    私、親に甘えていたな、と猛省しました。
    自分の上手くいかない人生を親のせいにするのはものすごく楽なんです。
    それは親は子供を100%愛さないといけないという固定観念を逆手に取った子の暴力なのですが。
    しかし、成人したら自己責任で何でもできる自由が手に入るんです。自分でいくらでも未来を切り開いていけるのに、何したらいいか分からない人にはものすごく苦しい。だから、親のせいにするという思考停止状態になってしまうのです。(私はそうだった)
    そこから抜け出すのは本当に大変なんですけど。

    手に入れた自由の中でどう生きたいのか、真剣に考えて行動している人は、親のせいにしている時間なんてないんですよね。(自分はどう目標達成していったらいいのか、のほうに目が向くと思う)
    そう考えると、成人すぎて自分の不幸を親のせいにするってのは子の甘えなんだってことに気づいた次第です。

    昔なつかしいフレーズは自分の心境を振り返るいいきっかけとなりました。(あのおじさん、どうしているだろう?)

    実は成人しても自分のふがいなさを親のせいにしている人って結構いるのかもしれないですね。(昔の自分もそうだったように。。。)
    痛いとこ突かれた小説でした。

  •  大好きな町田そのこさん、六冊目。今回も無駄がなく読みやすい文章で、心理描写は徹底されており、楽しく、そして時に胸の奥に鈍い痛みを伴いながら読みました。

     まだ幼い娘を捨てた母親と、母の座を義理の母に乗っ取られ、娘に捨てられた母親。
    後にその二組の母娘が再会します。

     娘の方は、母親を憎んでおり、感動的な再会にはなりませんでした。ずっと、お母さんが私のそばにいなかったから、愛してくれなかったから、私はこんなにも惨めで不幸なんだと母親を責めて生きてきました。それが、再会後、少しずつ変わっていきます。

     母親を憎んで、自分の人生が上手くいかないことを大人になってからも母親のせいにする娘…。それは正に自分自身に当てはまります。私の場合は矛先は母と姉の二人ですが…。あー、自分のこと書かれてると居心地の悪い思いをしながら、どう乗り越えていくのか、必死に読み進めました。

    ※「不幸を親のせいにしていいのは、せいぜいが未成年の間だけだ。…せめて二十代の間でどうにかしたほうがいい。」

    ※誰かを理解できると考えるのは傲慢で、寄り添うことはときに乱暴となる。大事なのは、相手と自分の両方を守ること。相手を傷つける歩み寄りは迷惑でしかないし、自分を傷つけないと近づけない相手からは、離れること。

    ※私の人生は、私のものだ。誰かの悪意を引きずって人生を疎かにしちゃ、ダメだよね

    刺さる言葉が続々と出てきました。何でこんなにも説得力があるんだろう。

    勿論、小説の中の母親は、根っからの酷い人間ではなく、きちんと考えを持ち、反省もでき、沢山の愛情もある設定で、現実の私とは違うのだけれど、それでも、心に響きました。

    個人的には町田そのこさんの作品の中で一番響きました。

  • 間違えて、感想をコメントに書いちゃった

    • pさん
      よかったぁ。
      久しぶりにすごい、いいなぁって思った。

      暴力を振るい、お金をせびりにくる元旦那に怯えながら生活し頼れる人もいなく小さい頃に自...
      よかったぁ。
      久しぶりにすごい、いいなぁって思った。

      暴力を振るい、お金をせびりにくる元旦那に怯えながら生活し頼れる人もいなく小さい頃に自分を捨てた母親を恨んで生きてきた主人公。
      なんて、この人ついてないんだろーと思いながらもお話を読み進めた。
      自分の子供の頃の思い出をラジオに投稿しお金に変えたら、それをたまたま聞いていた自分の母と同居している女性が名乗り出てきた。
      ラジオ局を通し、その女性と会うことになったが直前に元旦那から暴力を振るわれたり自転車で転んだりと身体は傷だらけ。
      待ち合わせ場所に行く前に、トイレで具合が悪くなり声をかけてくれた人がまさしくその女性。
      女性は警察へ行こうと言ったが、行かず
      母と女性が住んでいる家「さざめきハイツ」へ。
      そこには、娘に捨てられた彩子もいて四人での暮らしが始まる。
      その女性も見た目も綺麗で何も悩みも無いと思ってたが美しさ故の悲しい過去。小さい頃に両親が亡くなり高校生になった時に自分の母と知り合い「ママ」と慕っていた。
      自分は母と距離を縮めれないなか、二人の関係を羨んだりして酷い態度をしてしまう。

      母は若年生の認知症を患ってて、進行が酷く力が抜けたように過ごしたりする日も多くなってた。
      そんな矢先に元旦那が目の前に現れた時、母が記憶を蘇らせたのか自分をかばい大怪我を。
      自分のことを捨てたの身を挺して守ってくれた母。
      母のことを許せるようになってきたけど、母は施設へ。
      母は母なりに自分と一緒にいたら、娘を不幸にすると思い捨てた。きっと娘は幸せに生きていると思い続けたが目の前に現れた娘は、それとま真逆の生き方。
      やっと二人が母娘として歩み寄れたのにますます認知症がひどくなっていく。

      タイトルの星を掬うってのは、いい思い出を星のように掬うと言う例え。
      ステキなタイトル。
      2021/11/29
  • 「私の人生は、私のものだ!」

    登場する女性たちはみんな他人から自分の人生を搾取されてきた。傷つき、きっかけとなった人物を恨み続け、自分が不幸なのはその人のせいだと思い込んで生きていた。

    しかし、それは違った。
    自分が不幸なのは全て自分のせいだ。他人のせいにして生きるのはとても簡単だった。それを乗り越えて前を向いて生きていこうとする彼女たちの姿に感動し、元気付けられた。


  • 『星』を『掬う』
    それはどういうことなんだろう。
    手の届かない、過去の光の粒をこの手で掬えるはずもないのに。

    手にとって、キラキラと光る表紙をじっと見つめてまず思ったのはそれだった。
    触れられないものを掬えるのか、と。

    最後まで一気に、でも、丁寧にページを捲る。
    最後まで読んで、その意味がスッと指先に降りてくるのがわかる。
    嗚呼、これは、まさに『星を掬う』。

    自分を捨てた母と、その母を『母』と慕う恵真もまた心に傷を負っている。
    心に傷を負ったものどうしが一つ屋根の下に集い、互いの傷を舐め合うどころか塩を擦り込みあうかのように、泥臭くぶつかる。
    そこにホームドラマの美しさはない。
    それでも、彼女たちの家の庭には燦燦と星が煌めくし、希望だって見える。
    人間臭さに溢れている。紙面からそれが香ってくるかのように良くも悪くもどのページからも人間の匂いがする。


    零れ落ちていく母の記憶に、千鶴の求める答えがある。それはまさに手にすることもできない星を掬うようなものだ。
    悲しい、辛い、痛い、寂しい。
    それを誰かのせいにするのは簡単で気持ちがいい。でも、それは自分の人生を殺すこと。
    自分の人生の責任は自分にあるのだから。


    町田そのこの作品は、少しだけしんどいし前に進めなくなるほど痛みをともなう。
    でも決してその痛みを放ってはおかない。

    千鶴の答えと選択に、拍手を贈りたいし杯も交わしたい。


    わたしはこの先おそらく母になることはないとおもう。
    ならば、せめて、昨日よりは良い娘でいたい。
    母や自分にとって都合のいい娘ではなく、わたしがわたしのために、いい娘になろうと思った。

    誰かの手にこの本があってほしいというより、この先の自分の人生に必要な一冊。
    母との関係性が歪んでしまったときに、この本があればきっとわたしはまたこの気持ちを取り戻せるとおもう。
    これは、未来の自分のための処方箋。




    ところで、結城の『ほのたん』デレデレムービーってどこで見れるんですかね?美保のインスタのアカウント探せばいいですか!!!??(前のめり






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著者プロフィール

町田そのこ
一九八〇年生まれ。福岡県在住。
「カメルーンの青い魚」で、第15回「女による女のためのR-18文学賞」大賞を受賞。二〇一七年に同作を含む『夜空に泳ぐチョコレートグラミー』でデビュー。他の著作に「コンビニ兄弟―テンダネス門司港こがね村店―」シリーズ(新潮社)、『うつくしが丘の不幸の家』(東京創元社)などがある。本作で二〇二一年本屋大賞を受賞。
近著に『星を掬う』(中央公論新社)、『宙ごはん』 (小学館)、『あなたはここにいなくとも』(新潮社)。

「2023年 『52ヘルツのクジラたち』 で使われていた紹介文から引用しています。」

町田そのこの作品

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