- Amazon.co.jp ・本 (160ページ)
- / ISBN・EAN: 9784140815229
感想・レビュー・書評
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ヘーゲル 社会派 ←→ ニーチェ 実存派
○超人
○永遠回帰
○ルサンチマン
自分の苦しみをどうすることもできない無力感。絶対認めたくないけれども、どうすることもできないという怒り。怒りを何かにぶつけることで紛らわそうとする心の動き。ルサンチマンこそがキリスト教(神)を生んだ。神を用いることで観念の中で強者になろうとした。
○価値変換
○貴族的価値評価法(ニーチェ)
「高貴」で力強い者たちの「自分たちは力をもっている」という自己肯定が「よい」で、そのような力を持たないことが「わるい」
○僧侶的価値評価法
キリスト教にとっての「善」
他人のため、人々のためを思い行動すること、つまり、その行為を受けた人にとって「よい」であり、自分の「快」や「喜び」を求めるのは「悪」である。
自分が気持ちよくなって自己肯定するのではなく、強い他者を否定することで、自己肯定する。
○ニヒリズム
至高の諸価値がその価値を剥奪されること。目標が欠けている。「何のために」の答えが欠けている。ニヒリズム、ペシミズムの蔓延。末人の登場。
「神との神秘的な合一」安楽譲多いを求める欲望の背後にあるものは<無への意思>である
→能動的な感覚を失わせる。「この条件のもとで、自分はどうやって悦びをくみとっていく道があるか、と自分で考えるしかない。」
○末人
憧れをもたず、安楽を第一とする人。 -
ニーチェのことを知りたくて買ってみましたが、著者の主観も多く例えが普通の日常だったりしてがっかりしました。ニーチェについても「私は違うと思う」とか。
説明もいろいろ織り交ぜすぎてわかりにくい。
言葉やポイントになる部分はよかったので、拾い読みして終わりました。
本日2/8、家人から違う意見の人を聞くのも大事だと促されて再読しました。
いやニーチェ崇拝から少し離れて考えてみるとまた色々考えさせられます。とてもいい本でした。
やはり哲学においては互いの意見を聞き合うということが常に重要なのだと再認識しました。
ありがとうございます -
「ツァラトゥストラはかく語りき」にはどんなことが書かれているのだろう。いきなり読むのは難しそうだしと思っていたところ辿り着きました。
ツァラトゥストラ~をわかりやすく解説している部分と、それを現代社会(今の日本)に則して解釈している部分とあって、とてもわかりやすく読みやすかったです。
解説部分は、たんに翻訳と言うことではなく、ニーチェの伝記っぽい感じで、こんな境遇のときにこれを書いたのだ、というのがわかってますますニーチェが好きになりました。
最後に、ニーチェの本のお勧めリストがあって、次に読む本を提案してくれています。 -
西研せんせー好きとしては一読せねば、ということで。
どのテーマもそうだが、テキストブックよりこちらの方が読み応えがある。 -
まあまあ面白かった。意外とポジティブやね。ニーチェは。
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ツァラトゥストラに再チャレンジする前に読んだ。
わかりやすく、面白かった。
ニーチェは神という絶対的なものを否定し、その代わりに「超人」への道のりを価値観の拠り所とした。
また、彼は永劫回帰という、人生への絶対的な肯定を説いた。さらに、肯定できぬ者の、自己の生への呪いを正当なものとした(チクショー)。
彼は主体性や喜びを奪うルサンチマンを否定し、苦しみながらも、自らの意志で未来に進み続ける人間、さらにはその苦しみも含めて自己の人生を愛せるような、「超人」への道のりを至上のものとしたのだ。
しかし、これはある意味、絶対的な価値観の導入という意味において、神の復活を意味しないだろうか。
私が考えるに、(そして永井均先生の本やカミュから少なくない影響を受けた結果)、もともと人生は肯定される必要などないのだ。
「これが人生か、さらばもう一度。」などという自認はいらない。「これが人生か。そうか。」でよいのだ。そこにあるべきなのは、過去に対する部分的な諦観と部分的な満足感のみである。
人生を愛する必要などないし、そのために努力する必要もないのだ。
なぜならば、人生は一つの長い外部の現象を、内部の別の現象を通じて想起したものに過ぎないのだから。
そこに価値観を設けて、肯定・否定を論ずること自体が恣意的なものであり、十分な客観性・論理性が担保されない以上、いかなる行為もいずれ足元から瓦解してしまうのだ。
その破壊と創造のプロセスを永久に続けるものが「超人」であり(また、「転げ落ちる岩を山頂に押し上げる者」としても良い)、まるで、苦悩しながら一つ一つ積み木を積んでいく幼児のようである。
そこからいじらしい幼児性を引いて考えると、愚かでバカげた人間のように、傍目からは見えないか。
ここで、第三者を考える必要はない。ただ、自己の人生を見つめ直した時に、客観的な価値観を導入したならば、自分の姿がバカらしく見えるだろうというだけである。
この意味において私は、「超人」の価値を否定するのだ。
「超人」のバカバカしさを悟った時点で、合理的な人間であれば、そこで「超人」への歩みを止めるべきである。
神を⚪︎し、「超人」を否定し、人生への肯定を捨てて、無目的に精神の砂漠を歩き続ける人間こそ、真のニヒリストではないかと私は思うのだ。
外部と切り離された場合、そこには一切の慰みも、絶望も、安心も平穏もなく、ただ空間が広がるだけである。その空間に他意なく放たれた孤児こそ、人間の精神の始まりであり、合理的な人間が現実を直視した時に取るべき行動は、無意味な逍遥に他ならない。
ツァラトゥストラ、読みます。 -
ネット上で予習したツァラトゥストラの内容に親近感を覚えていたので、読みやすい文体でおおよそのあらすじと考察を記載されている本書を一読。
入門書に適しておりかなりわかりやすく読めた。
ニーチェの人生を追体験した上で、キリスト教世界における神はどういう存在でどんな価値観だったのか、そこからニーチェの考える価値観、神の死から新たな超人という指針、ニヒリズムや永遠回帰と超人への道に行き着いたストーリーが、筆者の易しい説明で解きほぐされていく。あとはニーチェの悲劇の誕生という処女作では、ディオニュソス的なもの(感情や享楽を前提とした世界)とアポロン的なもの(理性や論理で組み立てられた世界)という概念が語られており、ユングやMBTIにおけるFi(内向的直観)、Ti(内向的思考)のような概念だなと思ったのと、ニーチェは前者のディオニュソス的な思想を持っている点が強く惹かれるポイントだと感じた。全体を通してその人間の深淵たる内面性を肯定し、つらく大変な現実に対して能動的に前向きに立ち向かい続けることこそが人のあるべき道であると諭している。そのリアリスティックな視点が僕は好きだなぁと。 -
ニーチェの入門書として読んだ
生い立ちから、超人とか永遠回帰とかよく聞くニーチェの思想のキーワードとなるような言葉の意味を学べた
4章の「表現のゲーム」は西さんの個人的な考え(哲学)で、この本になくてもいい気がした
大学生のリアクションペーパーからの引用は面白かった
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解説者の解釈がたぶんに含まれているというレビューも多いが、だからこそ非常に読み下しやすかったのではないか。
自分のように特に前提知識も持たない一般人にとっては、かなり平易に噛み砕いてもらったおかげで大変読みやすかった。
自分も「超人」として生きたいが...。