美しい距離 (文春文庫 や 51-2)

  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167914264

作品紹介・あらすじ

芥川賞候補作島清恋愛文学賞受賞作死ぬなら、がんがいいな。がん大国日本で、医者との付き合い方を考える病院小説!ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。病室を訪れるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい――がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説。解説・豊﨑由美

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、『がん』で死にたいと思いますか?

    2021年の厚生労働省”人口動態統計”によると、この国で亡くなった方の死因は
    第一位: 悪性新生物 26.5%
    第二位: 心疾患 14.9%
    第三位: 老衰 10.6%
    という順位になるようです。悪性新生物、つまり『がん』が死因の四分の1を占めるという現実。60歳代に限るとその割合は45.2%にも上ると言いますから、『がん』という病が私たちにとって極めて身近にあることがよく分かります。この大きな割合を考えるとあなたの周りにも『がん』で亡くなられた方がいらっしゃるのではないでしょうか?

    そんな『がん』は昔から小説の題材にもなってきました。不治の病という言葉と一番に結びつく『がん』は、その診断がなされてから亡くなるまでに一定の期間ができることから、物語として描きやすい側面はあるのだと思います。そんな運命に抗い、やがて諦めの感情の中に結末を見る『がん』。そんなある意味わかり切った結末に、それでも人が惹かれるのは、この世に生きるあなたにも、そしてわたしにも、決して他人事と言い切れない『未来』だからなのかもしれません。

    さて、ここに、『四十代初め』という若さで『がん』になった妻を看取る一人の『夫』の物語があります。そんな『夫』が『来年まで生きられると思っていないのだろう』と妻の心情をさまざまに思いやるのを見る物語。そしてそれは、『がんは、それほど悪い死に方ではない』という思いの中に『夫』の人生観の変化を見る物語です。

    『ターミナルにある三番乗り場から「新田病院行き」のバス』に乗ったのは主人公の『夫』。『終点に着く直前に、菜の花畑が左手に見え』たことに、『初めて会ったときの妻は菜の花模様のワンピースを着ていた』と振り返ります。『会社の上司の子どもだった』という妻との接点は、『夫』が就職した『生命保険会社』に起点がありました。配属された営業職の『体育会系のノリ』が、『大学ではフランス文学を専攻した身にはつら』いという中に『五年目にして辞めたくなって』いた『夫』に、新しく『赴任してきた』支社長が転機をもたらします。『部下を苗字に「さん」付けして呼』び、『叱咤激励ではなくて冷静な問いを投げ』てくれる支社長の下で『だんだんと仕事を続けられるような気がしてきた』という『夫』。そんな中、『ある日曜日』に、街で『支社長とその家族にばったり』遭遇します。『こんにちは。父がいつもお世話になっています』、『こ、こちらこそ、いや、こちらの方が、大変お世話になっております』という挨拶だけでその場は終わるも『一ヶ月ほど経った日の終業後に、支社長から自宅に招かれ、夕食をごちそう』になった『夫』。『連絡先を交換し、それからは自然とデートを重ねた』二人は『翌年には結婚し』ました。そして、『子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきた』という二人。『結婚当初』『大手食品会社の事務職に就いていた』妻は『二年後に退職し、ひとりで店を始め』、今に至ります。『来たよ』、『来たか』と病室に入った『夫』を迎える妻に『今日はあったかいよ。菜の花が満開だった』と道すがらの景色を話す『夫』は、『手の動かし方や、匂いなどが、おばあさんじみてきている』と『この病気に四十代初めでかかるのは稀らしい』目の前の妻のことを思います。『新しい物語を見つけなくては。年齢のことは忘れよう』と思う『夫』は、『じゃあ、梳かすね』と『ロッカーから鼈甲色の櫛を取り出し』、妻の髪を『そおっと梳か』します。『二週間前からやってあげるようになった』という髪を梳かす行為は『抗がん剤治療で髪が抜けるかもしれないということを聞き』『肩に付かないくらいの長さに切っ』て以降行っています。しかし、『意識が混濁してせん妄と呼ばれる状態に陥』ったことで『抗がん剤治療は二回で中止にな』りました。そんな後にトイレへの付き添いに車椅子で病室を出た二人は『大きな窓』のある『デイルーム』へと向かいます。『あ、菜の花畑だ。見える?』と『はしゃいで指』を指す『夫』は、『駅前には、桜も咲いていたんだよ。大通りの桜並木の。来年は、一緒にお花見をしよう』と誘います。それに、『…うん、そうだね』と答える妻は『曖昧に頷いて笑顔を作』りました。そんな妻を見て『良い科白ではなかった』と後悔する『夫』は、『未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない』と思います。そんな『夫』が、妻の最期の日まで、さまざまに思いを巡らす様が静かに描かれていきます。

    “死ぬなら、がんがいいな。がん大国日本で、医者との付き合い方を考える病院小説!”と内容紹介にまずうたわれるこの作品。そんな内容紹介には、かなり詳細に、この作品の概要が語られています。この作品はそんな前提としての”あらすじ”をネタバレと考える作品ではないと思いますので、ここでも敢えて引用しておきたいと思います。

    “ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。病室を訪れるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい ー がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説”

    どうでしょうか。これだけの前提でこの作品が非常なもしくは非情な重みを持った作品であることがわかるかと思います。また、ネタバレ以前の問題として、結末に何が起こるのか、これも改めて説明するまでもありません。しかし、この作品の読みどころは、そんなある意味予定されたストーリー展開ではなくて、そこに私たちにさまざまな問いかけがなされていく点にこそ意味があると思います。

    そんな作品で、まず注目したいのはこの作品の”視点”です。物語は終始”末期がん”の妻に付き添う『夫』視点で書かれています。しかし、そこには『私』、『わたし』といった表記が登場することなく、また、登場人物の氏名が全く登場せず、主要登場人物の四人は『妻』、『元上司』、『妻の母』、そして主人公の『夫』という記述のみで展開していきます。700冊近い小説ばかりを読んできた私にとってこれは初めての体験です。どうしてそんなことが断定できるかと言うと、私のレビューには定番で、レビューの最初に物語の冒頭部分を引用で繋げて、この作品の概要をお伝えするというパートを用意しているからです。そこに今回私は、”主人公の『夫』”と記しました。普通は氏名を書くか、物語中に記された『わたし』等の表記を使います。この作品ではそれが使えないということにまず驚きました。

    ・『子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきたと思う』。

    ・『夫婦も十五年もやると、どこまで相手の体に触っていいのかわからなくなる』。

    ・『余命など聞きたくない。聞く必要がない。病名は聞きたかったし、妻に聞かせたかった』。

    これらの表現はまさしく『夫』の内面以外の何ものでもありません。しかし、『わたし』といった言葉なしに紡がれていく物語は、読者が『夫』の内面に入り込んだような印象を受けます。『夫』と共に、”末期がん”の妻をリアルに見る、そんな感覚で進んでいく物語は読書中に他のことに気を取られる時間を与えてくれません。元々文庫本205ページという分量の作品であることもあって、短い時間に密度感濃い物語の中にどっぷりつかった後になんとも言えない余韻が残り続ける、なかなかに印象深い読書を体験させていだきました。

    そして、この作品では”末期がん”の妻のそばに付き添う『夫』の姿が描かれることから『介護』というテーマにも向き合っていきます。それは、

    『この国には育児・介護休業法が定められていて、介護をしながら働く人向けに介護休業制度という仕事と介護の両立を支援する仕組みがある』。

    そんな大前提の提示がなされることに始まります。

    『「介護が必要な状態」の家族のいる人は、九十三日を上限に休むことができる』。

    いわゆる”介護休職”についても語られます。『制度を利用する権利があるのなら、行使したい』と思う一方で、『仕事への意欲が低下した』とか、『人事評価が下がるのではないか、と不安になる』『夫』の姿が必然的にそこには描かれていきます。”介護は突然やってくる”と言われるように、昨日まで他人事だと思っていた『介護』の当事者に一夜にしてなるという急展開。育児のように”予習”ができない分、当事者になった時の戸惑いが大きいのが『介護』だと思います。しかもこの作品では、『四十代初め』という若さで”末期がん”となった妻を看取る『夫』の姿が描かれていきます。

    ・『仕事には支障が出てきた』。

    ・『上手くいかなくなってしまう人間関係や、溜まってしまう仕事』。

    そんな現実は会社員である読者に厳しい現実を突きつけます。その中で作者の山崎ナオコーラさんは幾つかの箇所に『感受性の問題』という言葉を使われています。『こちらの感受性の問題なのだろう』、『こちらの感受性の問題なのかもしれない』、そして『こちらの感受性の問題だ』と使われていくこの言葉は、あまり他の小説の中で見たことがないものです。今回、山崎さんの作品を初めて読んでこの言葉同様に独特な言葉選びがなされていることにもとても興味が湧きました。『介護』というものをどう捉えていくかは最終的には個々人の問題とも言えます。山崎さんのこの作品は、そんな問いかけに一つの答えを提供してくれるものでもあると思いました。

    そんなこの作品では、”末期がん”となった妻を看取る中に、すぐそこにある死とさまざまに対峙していく『夫』の姿が描かれていきます。印象的な場面が多々登場しますが、例えば『花』というものに対する感じ方によって、変化していく『夫』の心持ちが描かれた箇所は、うるっとくると思います。『世の多くの花が、人の気持ちを高揚させる』と思う『夫』は、『初めの頃は、院内へも季節の風を吹かせることが妻の喜びに繋がるのではないか』と考えていましたが、やがて『季節の花』を妻に見せなくなっていきます。それこそが、『季節の話をする』こと自体が『こちらだけが季節を味わっていると自慢している』もしくは、『妻がいなくても季節は巡るということを肯定している』、『そんな科白になってしまいそうで怖くて、口を噤むようになっ』ていったという
    『夫』の心持ちです。来年の今はもとより、次の季節さえ見ることの叶わない”末期がん”の渦中にある妻のそばにいるからこその感覚だと思いますが、『花』一つとってもそこに意味を考えていかねばならぬ状況に、『夫』の胸の内がよく伝わってきました。

    そして、『次の季節』とは『未来』ということにもなります。この作品では、『未来』という言葉に絡めてこんな問いかけが幾度にもわたって投げかけられていきます。

    『これまではずっと、未来を生きることで明るく生きてきたのだから、未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない』。

    人は、今が辛くても『未来』にはきっといいことがある、今よりもきっと良くなるということを信じて誰もが生きていると思います。今が幸せという人だって、もっともっと幸せになる、と上を見て生きていると思います。それが私たちが生きていく意味でもあるように思います。しかし、”末期がん”によって、そんな未来が否定されてれた場合に、いったい何を喜びに生きたらよいのか、この言葉は、そんな心の戸惑いを正直に表していると思います。

    『未来がもうすぐ消えることは知っている。だが、未来が消える瞬間を見届けたくて今を過ごしているわけではない。希望を持って、ただ毎日を暮らしたい』。

    『希望』というものは人にとって最後の砦だと思います。『希望』を失った瞬間、そこには生きる意味さえ失われてしまうようにさえ思います。妻の死が刻一刻と迫る日々、いつ何どき訪れるかわからない厳しい現実を前に、それでも『希望』にすがりたくなる『夫』の心持ち。この作品では、上記した通り、読者は『夫』の内面に視点が固定されたままに物語が最初から最後まで展開していく分、そんな『夫』の慟哭が切々と伝わってきました。そして、〈解説〉の豊﨑由美さんは、この作品の結末を踏まえ、またこの作品の書名にも絡めてこんな風に鮮やかにこの作品のことを説明されています。最後にご紹介しておきたいと思います。

    “人との距離は、生きている間だけでなく、たとえ相手が死んだ後でも動き続ける。それが、人と人とをつなぐ’美しい距離’なのだ。動き続ける関係こそが愛なのだということを伝えて胸を打つ”

    “末期がん”の妻を看取る主人公の『夫』が、妻と知り合った時からその最後までを『夫』の内面視点で描き切ったこの作品。そこには、確実に迫り来る妻の『死』に向き合う『夫』のさまざまな感情の推移が極めて淡々と描かれていました。結末が分かり切った物語の中に、それでも『夫』と共に『希望』を見出したくなるこの作品。『介護』、『余命』、そして『延命治療』といった言葉の重みを改めて噛み締めるこの作品。

    予定されていた展開を見る結末にも関わらず、読後、『がんは、それほど悪い死に方ではない』という言葉に妙に納得をしてしまう素晴らしい作品でした。

    • Sayuriさん
      さてさてさん、はじめまして。いいね、とフォローありがとうございます。
      毎週3つのレビューの投稿とのことですが、継続は力なり、でしょうか。素晴...
      さてさてさん、はじめまして。いいね、とフォローありがとうございます。
      毎週3つのレビューの投稿とのことですが、継続は力なり、でしょうか。素晴らしいレビューですね。私の父はガンを2回克服しています。また、介護休暇も1カ月とったことがあり、レビューされている本を読みたくなりました。
      私は仕事柄、記録や文章を書くことが多く、要約する、文章力を鍛えることを目標にしてブクログ感想を書いています。どうぞよろしくお願いいたします。
      2023/07/17
    • さてさてさん
      Sayuriさん、こんにちは!
      こちらこそフォローいただきありがとうございます。三年半前までは読書の経験が全くなかった人間ですが、一度週間...
      Sayuriさん、こんにちは!
      こちらこそフォローいただきありがとうございます。三年半前までは読書の経験が全くなかった人間ですが、一度週間になると止まらなくなる性格もあって継続した読書&レビューが続いています。
      この作品はショックでしたね。ガンというものにたいする考え方が180度変わりました。読書からはさまざまなことが学べると思っていますが、がんというような大きなことについて考えを変化させることができるというのも驚きました。
      文章力を鍛えることを目標…というのは私も同様です。週に2万字近い文章を書いているので作文が苦にならなくなりました。継続ということの大切さを思う日々です。
      こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。
      2023/07/17
  • 帯のコピーに騙されて買った。

    ー がん大国日本で、医者との付き合い方を考える病院小説!

    全然違うじゃん…

    でも、そんなことどうでもいいくらい地力がある小説だと思った。
    と言っても、圧倒的な主張や展開があるわけではない。淡々と末期がんの妻を送りだすまでが綴られている。

    妻との最期の生活を過ごしながら、「美しい距離」を獲得していく物語。
    辛い時期だと、どうしても想像してしまうが

    ー 死ぬための準備期間のあるがんという病気に、妻のおかげで明るいイメージを持てるようになった。

    という。
    なんだか、深くて大きくて、言葉を失う。

    解説で豊﨑由美さんは言う。

    ー いい小説が備えている美点のひとつに、読む前にはなかったものの見方を与えてくれるという効能がある。『美しい距離』はその見本のような素晴らしい小説だ。

    全くそのとおりだと思った。

  • 悲しい、切ない、美しい思い出という感傷的な部分ではなく、病身の妻に寄り添う夫側から見たシビアな日々。
    この物語の夫婦には名前がでてこない。男性目線の捉え方であり、闘病記録のような
    重さがあり、最後には明るい気持ちになりたいと思いつつ読む。
    諸事にかかわる価値観の違いがいくつかあった。ここに出てくるお見舞いに関しては疑問を持った。よくない例として挙げられてるんだな。でも考えはそれぞれ(?)
    闘病については共感して、読んでいて辛いところもあった。
    人との間には距離が必要、夫婦であっても夫は夫、妻は妻、離れているからこそ関係が輝くことだってきっとある。<離れることを嫌だと感じている。でも、嫌でなくなるときがいつか来る。そんな予感がする。>
    <未来を見ることで明るく生きてきたのだから、未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない。>

    山崎ナオコーラさんの小説は、時代と共に緩やかに変わりゆく価値観に寄り添い、やさしく訴えかけてるんだな(まだ少ししか読んでいないけど)。

  • 山崎ナオコーラさんの著作を読むのはこれが初めて。もちろん、「人のセックスを笑うな」はあまりにも有名。作家として気にはなっていた。

    ブクログで見かけたレビューを良い機会と思い、手にとって見た。

    まず、言わなければいけないのは文体が独特だということ。本作だけが特殊なのか、他の著作もそうなのか分からないけれども、難しさを感じた。たびたび主語が省略されるので、油断していると誰の発言・行為なのか分からなくなる。

    著者紹介では「分かりやすい文章を心がける」と書かれていたけど、ちょっと行き過ぎている気がする。

    それはさておき、内容については可もなく不可もなく、かな。

    若くして癌に罹ってしまった妻と、その看病をする夫の物語。夫の視点で話が進んでいく。

    決して安易な感動モノにならず、夫の思いや考えがつらつらと描かれる。

    例えば、妻を見舞いにくる知り合いが登場する。彼らは遠慮もなく「痩せたね」と言ってくる。それに対して夫は「太ると言うことは明らかに失礼なことなのに、人は平気で痩せたと言う」などと憤る。

    他には、「未来のことを考えることが、必ずしも明るい気分になれるわけではない」や「忌引について、死んでから休んだって意味ない 死ぬ前に休みがほしい」など。

    病気を中心に巻き起こる数々の不条理に対して、夫の独白という形式を通じて、山崎ナオコーラさんの私見が述べられる。それは少し新鮮な発見をもたらして、病気の現場への認識を少しだけ改めてしまった。

    さらに、介護保険法など、現実の制度や実態が物語の中に自然な形で組み込まれている。そういう意味では少しノンフィクションらしさも感じる一作だった。

    ネタバレになってしまうけど、妻はあっさり死んでしまう。それに対して、夫は淡白。そう、この物語はどこか淡白な空気が漂っている。

    だけど、冷静になって考えてみると、事故死などの急死を除けば、人の死に際して、取り乱す人間の方が少ないような気もしてくる。

    この物語では、夫は着々と妻の死が現実になっていくのを見ていた。来たるべき未来として死が織り込まれたとき、人は激情に飲まれないものなのかもしれない。

    そのように理性的に死と向き合っていくことが「美しい距離」を取るということなのかな、と自分を納得させた。

    また、夫は最終的に「死ぬなら癌がいい」と独白する。最後に小綺麗にまとまった感じ。

    さすが芥川賞の候補作だけあって、単純ではない。読者に考えさせる感じ。だけど、やっぱり★3つかなぁ。

    (書評ブログも宜しくお願いします)
    https://www.everyday-book-reviews.com/entry/%E5%A4%A7%E5%88%87%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%AD%BB%E3%82%92%E7%B9%94%E3%82%8A%E8%BE%BC%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%8F%E5%B0%8F%E8%AA%AC_%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E8%B7%9D%E9%9B%A2_%E5%B1%B1

  • 沁みゆく一冊。

    命の灯消えゆく妻を包む夫を描いた物語は終始号泣はさせない。
    じわじわと心に沁みゆく作品だ。

    家族は妻だけと言い切る夫。
    そんな彼が妻の"今"を丁寧に掬い、その時々で一番最良と思える距離を裁量し向き合っていたことが溢れんばかりに伝わってくる。

    顔を洗うその距離も、見舞い客、余命と向き合うその距離でさえも。
    自分の本音を時に呑み込むことさえも厭わずに。

    近過ぎたら眩しいも一歩離れたら輝かしいに変わる。

    それを知り得たからこそ構築できた自由自在の二人の距離を思う。

    たとえ永遠に離れようとも心の時間距離は秒、一瞬。

  • 老いは穏やかだ。
    抑揚の無い日常の繰り返しも穏やかだ。
    だが、病気により、その繰り返しや日々の穏やかな積み重ねも急に歪み、加速し、取り戻せなくなる。美しい距離とは儚さの事か。手を伸ばしても次第に届かなくなる、過ぎ去りし幸せな思い出が、やがて遠い過去になる。

    この小説はそんな世界観を描いているような気がした。どこにでもありそうな平凡。日常を破る、また、どこにでもありそうな闘病。しかし、当事者にしか気付かない、不可逆的な穏やかな日々。

    心臓がドキドキするのは、その日がいつか来ることに気付いているから。人間は何度も、死を乗り越えて、再び穏やかさを取り戻して生きる。死を前にすれば弱くもあり、しかし、それを乗り越える強さもある。人と人の距離、過去と現在の距離、自分自身と未来への距離を測りながら。

  • タイトルがいいな。
    40代で癌を患って人生の終わりに向かっていく夫婦の物語。夫目線で、弱っていく妻を見ている。さらりとしていて、病室に「きたよ」「きたな」とやりとりしながら入っていく。妻がどう考えているか、胸の内で憶測しながら、もちろん会話も重ねながら日々が過ぎていく。
    主人公の男性は、自分で自分を「心が狭いからいらいらしてしまう」と分析している。医師の一言やしぐさ、介護認定員の職員のおせっかい、見舞いの人の態度にいちいち傷ついたり、怒りを覚えたりする。妻を気遣い、「ちょっと…いやな思いしただろ?」と聞くと「え?いい人だったよ?」と返ってきたりして、「あぁ、自分の心が狭いからいらいらしてしまうんだ…」と感じる。
    こういうところ、すごくすごく共感する。私も心が、というか、許容範囲が狭くて、そんな自分が嫌になることが多々ある。価値観が合わない、絶対に合いそうにない人たちと一緒に仕事しなくちゃいけないし、人を相手にする仕事だからどんな人も受け入れなきゃいけないんだけど、すごく拒否感感じたり、見下してしまったり(絶対ダメなのに)して、仕事に差しつかえることがある。
    色々葛藤を抱えながら日々が過ぎていく。妻はだんだん弱っていく。
    3つ病院を代わって、死に向かっていく。よくある闘病を描く小説やドラマなら、「一時帰宅しましょう」とか「思い出の場所に…」とかなることが多いけど、「家に帰りたいか?」と聞くにもすごく考えてしまってうまく聞けない。妻も家に帰りたいとか言わず、ただ静かに「今」を受け入れている。
    最期の看取りのシーンはとても…なんというか、静かで、切なくて、でも淡々としていて、あとで主人公の夫が振り返るように、決してその「瞬間」が特別なものではなかった。人生は、どの瞬間も特別だし、病気にならなくたって、癌じゃなくたって、人は生まれたときから死に向かっていっている。
    亡くなったあとの、妻の夢や、妻が遠くなっていくけど、その距離も美しいと感じる心持ちも、とても素敵だと思った。死をどうとらえるか、心に響きました。
    ナオコーラさん、また読みたいと思います。

  • 医師と余命の話になり、「私たちは希望をもっています」と伝えたときの真意の伝わらなさ。
    がんが消える、治ると思ってるわけではなく、近く訪れる死を了解しながらも、それでも希望をもって生きるという意思を示したのだ。
    主人公の視点で読み進めていたから切実に伝わったけど、医師の立場だったら自分も訂正してしまいそう。
    他者からの悪気のない言葉。勝手な解釈。
    次々ぶつけられるそれらに苛立ち、傷付き、疲弊する。でも今この瞬間に、希望をもっている。
    強い人だ、と思ったけど、これも私の見方でしかない。
    強くも弱くもない、ただその人として生きてるだけ。
    自分が他者を消費していることにもっと敏感になりたい。

    将来必ずこの本に助けてもらうことになる。
    読めて本当によかった。自分の本棚にこの本があることが心強い。

  • 久々に星5の昨日に巡り会えて嬉しい…!

    長く生きられない病を患った妻と、それを看病する夫の物語。
    そんなふうに聞くと、へそ曲がりな私はこの本を手に取らなかったかもしれない。あ、感動の物語なのね、と。

    そうではなくて、タイトルそのままのお話で、死に向かっていくひとと、その周りの人たちの距離感のお話。

    記憶に残っているのは、「死の瞬間を、大事な時間のように捉えたくない」「マラソンをしているとき、テープを切る瞬間は特別かもしれないが、その瞬間を見守っている人たちだけが選手にとって大事な人ではないだろう。練習に付き合った人、スタートの背中を押してくれた人、沿道で応援してくれた人、どの人も大事に違いない。」という言葉。

    死ぬ直前や死んだ後は、家族のことを考えてると思われがちなのは、なぜだろう。仕事のことは死ぬ直前や死んだ後は考えなくなるって思われがちなのは、なぜだろう。

    大事な度合いやベクトルは違っても、肉親や長く連れ添ったパートナー以外の自分を取り巻くたくさんの人へ、それぞれ違った思いを持っている。


    つい昨日まで、手を上げて声を掛け合っていたのに、死んだ途端に、手を合わせなきゃならなくなる。仏壇に声をかける時、なぜか敬語になってしまう。遠くに行ってしまう。
    だけど時間と共に、また故人との距離が縮まったりする。

    多くのことを考えさせられたし、つい先月身内を亡くした身としては、死に直面することについて、より身近に感じられて、わかる、と何度も頷いてしまった。

    大病を患った妻が苦しみに悶える様などが描かれていない分、現実とは違うところもあると思う。
    実際の闘病生活では痛みや苦痛から家族に当たってしまったり、看病する側もいらいらを募らせてしまう部分もあると思うので。

    それでも深く考えず何気なくこの小説を手に取って良かったです。
    優しいお話だし涙も出たけど、感動を誘うことを目的としていない感じがして、すごく好きでした。
     

  • 物語が始まった時点で、着地がわかっているストーリー。

    小説というよりは。
    私よりも若い年齢で癌を患い死にゆくということは、こういう感じなのね…と淡々と辿っていくような。

    夫の立場になり、妻の立場になり、美しい距離を考えてみた。
    美しい距離になるかどうかは、それまでの距離がどうだったのかに寄るのだろうな。

    癌で亡くなる場合、こうして看病をし、見舞ってくれる人がいる場合は幸せなのかも。
    孤独な人が1人で戦うにはキツイ病だね。

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著者プロフィール

1978年生まれ。「人のセックスを笑うな」で2004年にデビュー。著書に『カツラ美容室別室』(河出書房新社)、『論理と感性は相反しない』(講談社)、『長い終わりが始まる』(講談社)、『この世は二人組ではできあがらない』(新潮社)、『昼田とハッコウ』(講談社)などがある。

「2019年 『ベランダ園芸で考えたこと』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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